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胡蝶の夢  作者: 秋澤 えで
番外編
144/157

正しき黄色の熱帯魚

番外編5

今回は黄師原会長になります

時系列は高等部の5月から7月の間です。

俺は御曹司である。名前はもうある。黄師原煌太郎である。

あらゆる業種をまたにかける黄師原グループ総帥、黄師原慧俊の一人息子である。

生まれてこの方苦労したことなどとんと記憶になく、なんでも煌びやかで華々しい場所で生まれ育ったことは記憶している。


貧困とは対極におり、一切の苦労なくのうのうと育ってきた。今思うとあのころの俺は生き恥を晒していたことを認めざるを得ない。高飛車でとんでもなく居丈高なクソガキであった。もっとも今でも高飛車だ、傲慢だと陰口を叩かれるが、我ながら現在は己の物言いに相応しい実力を持っていると自負しているので、特に改める必要はないと考えている。相応の態度であり、あまり庶民染みた振る舞いをするのは相応しくなく、むしろ品を失う可能性がある。



「そういうとこ、改めた方が良いと思うよ。というより煌太郎はもう少し顰蹙買うのを何とかして」

「む、何とかなるものではないだろう。勝手他の奴らが難癖付けてくるのだから」

「違う、違うから。君の態度そのものに問題があるんだよ」



副会長の鉄司が何やら言っているが俺は自分が正しいと思っているので改める予定はない。何より、ああだこうだと鉄司は言うものの、結局いつも俺について来るし何かを強要することはないため、何だかんだで受容しているのだろう。


口うるさい奴だが、昔から鉄司は俺に甘い。損得勘定なしに、まるで貧乏くじを引かされたとばかりに俺の側にいるが、離れることはない。自覚があるのかないのか。



「眉目秀麗、成績優秀、家柄も申し分ない」

「何だ急に」

「赤霧さんも同じなのにこの差は一体何なんだろうね」

「む……、赤霧は関係ないだろ」



赤霧。嫌な名前だと思わず顔を顰めた。


赤霧涼。高等部一年のひどく目立つ生徒。中等部のころから派手だとは思っていた。俺にとって白樺蓮と並んで目の上のたんこぶと言える存在だ。

生意気。猫かぶり。腹黒。そのくせやたらと弁が立つ。自称女子生徒。上げればきりがないほどに特徴的な生徒。中等部に入学した時から、関係は最悪と言って相違ない。白樺に関してはパーティで顔を合わせてからの犬猿の仲と言えるが、あれはずっと白樺の側に控えている。


生まれて初めての挫折を食らわせられた相手、そしてその部下のようなあれは酷く目障りだ。


自称女子、見た目では判断できないが書類上性別は女子となっていることを確認した。しかしながら中等部のころからずっとあれは男子生徒の制服を着用している。風紀の乱れも甚だしい。が、それすらも論破され、全校生徒の前で扱き下ろされた揚句、謝罪を鉄司によってさせられたあの入学式の屈辱は今も心の中に深く刻まれている。



「少なくとも、品行方正とは言い難いはずだ。俺と違って」

「ほとんど品行方正だろ。煌太郎がもし制服に関してそれを言ってるならやめた方が良いよ。彼女にも理由があってそうしてるはずなんだから。不必要にプライベートに踏み込むのは良くない」



それと比較されるのが嫌なんじゃなくて負けるのが嫌なんだね、と続けた鉄司のせいで、ボールペンのペン先が書類にめり込んだ。流石に破るような真似はしないが不自然な黒点ができていた。


赤霧涼の何が嫌か。


生意気、猫かぶり、腹黒、不遜、それから俺と話していても白樺に声を掛けられれば途端に興味を失うような態度を取ること。あげればいくらでも挙げられる、あの生徒の嫌なところ。


だが実質、俺が一番嫌う理由はきっと、いつだって俺に甘いはずの鉄司がやたらと赤霧を気に入っていることだろう。事あるごとに、引き合いに出し大げさにため息を吐いてみせる。



「……そんなに赤霧が好きか」

「まあね。いい子だし。まあ腹の底で何考えてるかわかんない子だけど」

「腹黒だな」

「そうじゃないって。んん、なんて言うんだろ。こう、身内以外には一線引いてる、というか」



一線どころか、壁を作られている。赤霧が攻撃的なのは俺限定なのだろうか。一線を引くに済まず戦線を敷いているように感じてならない。


ただこれだけは思っている。


俺は正しい。俺は決して間違っていない。俺は俺の正しさを信じている。


鉄司は赤霧を引き合いに出すが、赤霧は正しくはない。赤霧の口は正しさではなく、自分にとっての都合のよさで開くのだ。


あいつの言葉は事実であり、正論だ。嘘はつかない、だが都合の悪いことは隠す。


俺はあいつのようには成り得ない。なりたくない。



「どうやっても俺はあいつのようにはならないぞ」

「だろうね。まあ君が赤霧さんみたいになるくらいなら今の方がましかもしれない」

ほら、また甘やかす。




**********




ここは校内である。正確に言えば校舎外であるが、学園内である中庭に接している渡り廊下である。

無許可の立ち入り、部外者の立ち入りは文化祭、体育祭、式典など特殊行事の時を除き、禁止されている。

無論、今日のような何の行事もない平日の夕方はもってのほかだ。


なお、天原学園寮では生徒のペットの飼育は禁止されている。犬猫に始まり鳥、ハムスターなど等しく。

そして今、俺の目の前にこの二つを満たすであろうものがいた。



「にゃーん」



ふてぶてしい、恰幅の良い猫。我が物顔で廊下を歩いていたが、俺と目が合うと何か用か、とでも聞く様に足を止め、一声鳴いた。白く太い尻尾がゆらりと揺れる。


金色の目にじ、と見つめられ、思わず後ずさる。

俺は猫アレルギーだ。触れば1時間後程度に身体に蕁麻疹が出る。時間差があるせいで昔は気が付かなかったが、どうも猫の毛が原因らしい。


目の前に校則違反者がいるのに、俺はそれを撤去することができないのだ。たまたま生徒会室に忘れ物を取りに行っている鉄司を恨む。あいつがいればきっと抱き上げてさっさと追い出してくれるだろうに。


侵入者だ。俺は学園における法たる校則に順じ、即刻この猫を排除すべきだ。だが、手段がない。

見たところ猫はあまり野良らしくない。長い毛は汚れるだろうに雪のように真っ白だし、なかなか太っているように見えることから、きっと、いや十中八九飼い主がいるのだろう。


校則違反だ。



「にゃーん」



用がないなら行くぞ、と言いように鳴くが、目を離さない以外にできることはない。まるで台所に住まう悪魔を見つけたときの対応だが、おそらくこれが俺にできるベストだ。俺はただ鉄司が戻ってくるまで奴を見失わないようにすることが仕事だろう。



「……あれ、ゆきさん。珍しいね」



いつの間にか猫を挟んで前方に男子生徒が来ていた。男子生徒は慣れたように猫を抱き上げる。



「にゃーお、」

「ゆきさん、こんなところに居たら校舎の中に入っ、」

「お前がその猫の飼い主か」

「っひ!?かかか、会長っ、」



男子生徒は俺の存在に気づいていなかったらしい。質問した途端、顔を青ざめさせぎゅう、と猫を抱きしめる。不満げに猫が声を上げた。



「質問に答えろ。その猫はお前のペットか?」

「ち、ち違います……、」

「名前を呼んでいたようだが?」

「ぼ、僕が勝手に、名前を付けているだけ、です……、」



酷く怯えながらぼそぼそと答える緑頭の一年生を見下ろす。分厚い眼鏡と長い前髪の所為で目が合わない。何より俺の視線から逃れるように真下を見ながら話している。こう、オドオドしてシャキッとしない手合いは、不愉快だ。声に出さねば自分の主張を押し通すことはできないだろうに。


何より、自分がまるで悪いことをしていると全身で言われているような気がしてしまうのだ。



「お前の猫ではないのだな」

「っは、はひ、」



嘘か本当かもわからないが、今現在この一年生は猫を捕獲している。鉄司はまだ帰ってこない。ならばこいつを利用しない手はない。



「それを持って、ついて来い。ひとまず用務員室に連れていく」

「は、はい……、」



状況がわかっているのかわかっていないのか、不満げに低くにゃあにゃあと鳴く猫をそのままに、一年生の前を歩く。放課後で生徒がほとんどいなくて良かったと一人ため息を吐く。そのせいか後ろの生徒がビクリと身体を震わせたのが分かった。俯きながら俺のあとを歩く一年は、きっと周りから見れば俺に連行される生徒のように見えるだろう。流石に協力してもらっている生徒がそのように見られるのは、遺憾だ。

先程までうるさいくらいに鳴いていた猫が、黙る。



「お前、名前は、」

「み、緑橋、ゆ、優汰、です……、」



重たい沈黙が俺たちの間に落ちた。恐ろしく話すことがない。せめて猫が鳴いていてくれれば救いもあったのだろうが、人間の事情などまるで意にも返さず黙り込んでいた。

一年生の緑橋優汰。今ある情報はそれだけである。そもそもそれ以上特に情報は必要ない。だがなんとかこの沈黙を打開したかった。


なんとなく、鉄司の言っていたことが分かった気がした。

俺の態度は、高圧的だ。高圧的であることは校則違反の抑止、スムーズな指導には向いている。だがこの緑橋のように臆病で善良であると言える一般生徒からすれば、俺は恐ろしく見えるだろう。現に、この様だ。

態度の悪さは、圧倒的な不利益を生む。これが赤霧との違いなのだ。赤霧は決して、自分の不利益となることを良しとしない。


俺の態度は「悪い」のだ。



「緑橋、」

「っはい……、」

「俺がそんなに怖いか」



ほとんど断定のような質問に、緑橋はヒグ、という引き攣るような音を喉で鳴らした。随分と正直だ。

俺が正しいと思っていても、悪いと言えるところもある。そしてこれは顰蹙を買うだけではなく、一般生徒を怯えさせてしまう。誰もが誰も、鉄司のように言葉の本意を察してくれるわけではない。誰もが誰も、俺との、黄師原グループとのコネを求めて寄ってくる強靭な精神の持ち主ではないのだ。


赤霧のような奴はきらいだ。


だがそれ以上に、緑橋のような弱い人間が嫌いだ。


弱い人間は、俺を然も悪のように映し出す。


もう一度、落ち着かせるように深く、長く息を吐いた。嫌悪という感情を持って生徒と接するのは、まかり間違っても正しくない。


俺は正しくあらねばならないのだから。



「校則違反をしていないのなら、咎めはしない。その猫を連れていったらすぐに帰って構わない」

「は、はい……すみません」



本当に正直なことだ。

ホッと安堵の息を吐いた緑橋。その瞬間拘束が緩んだのか、今まで大人しくしていた猫が雄たけびを上げて緑橋の腕から逃げ出した。



「にゃーん!!」

「っゆきさん!」

「猫っ!」



その巨躯に似合わないスピードで直進していく猫。走って追うもどんどん差を付けられていく。

もうこのまま巻かれてしまうかと思った時、ひょいと校舎を右折した猫の悲鳴がが聞こえた。



「にゃっ!」

「え、何この猫……、」

「ああ、先輩。この猫はゆきさんですよ。学校に住んでるんです」



猫に続き、校舎を曲がると、新たなる捕獲者がそこにいた。



「煌太郎、何してるの?」

「猫、猫を追っていた。この学園寮はペットの飼育は禁止されている。校則違反だ」



鉄司の腕の中でもがく猫。随分と面倒なことをしてくれた。

黒猫は不吉だが、それよりもはるかにこの白猫の方が不幸を運ぶ。



「こんにちは、黄師原会長、緑橋くん」



ニコリ、そう完璧な笑顔で挨拶をするのは、あの赤霧涼だ。


本当に、ろくでもないことをしてくれた、この猫は。


どうも緑橋と赤霧は知り合いであったようだ。ただ赤霧の対応を見る限り、身内の枠に入っているわけではないらしい。



「……とりあえず、この猫を用務員室に連れていくぞ。鉄司がいる。お前は帰っていい」

「ええ、と緑橋くん?手伝ってくれてありがとう。あとは僕たちが何とかしておくから帰っていいよ。ごめんね、大変だったでしょ」



俺の言葉を柔らかく翻訳する鉄司。大変だったでしょ、が何を指すかは言わない。ただなんとなく察することはできる。


しかし、そこであえて存在を無視していた赤霧が声を上げた。



「あの、ゆきさん用務員室に連れてくんですか?」

「……ああ、お前の猫だったか?残念だがここはペットの飼育は禁止、」


「残念、僕は鳥派です。それとゆきさんは放っておいても用務員室に行きますよ」

「なに?」


「ゆきさんは生徒のペットではなく、用務員さんのペットです。夜には帰りますよ」



もう一度赤霧は残念、と言った。つりあがる口角は作り笑いか、それとも、



ああ、全く。何もかもが嫌になる。




*********




「煌太郎、随分疲れているみたいだけど?」



そんなにゆきさん追いかけるの大変だった?と聞く鉄司に返す言葉もない。


本当に、ろくでもない放課後だった。

猫も、臆病者も、赤霧も、鬼門だ。それを悉く詰め合わせた約30分は俺の精神をひどく削った。

上に立つ者は、この程度でメンタルをすり減らしてはいけない。



俺は正しい。

俺は正しい。


だから自己嫌悪に駆られることは、ないのだ。


俺が、正しい。



「鉄司、」

「何?どうしたの?」

「俺は、正しいだろう?」



一瞬何を言っているかわからない、という顔をしたが、すぐにヘラりと笑った。



「君は正しいよ」



まるで何も違和感などない当然のことだ、というように答える鉄司。



「そうか、俺は正しいか」



俺がそういうと、また鉄司は笑う。

何もかも許すように、認めるように。



ほら、また甘やかす。



きっと気づいていない。


鉄司の甘やかしの意味を、俺が気づいたうえで享受していることに。



こいつは決して、悪い魔女の魔法の鏡ではないのだから。

そんなものより、遥かに性質の悪い。


水になる。まるで魚を生かすような水に。

魚は水がなければ生きられない。


どちらが魚で、どちらが水なのか。


それを俺たちはまだ知らない。

読了ありがとうございました!


・ゆきさんは実は正式名称。

・会長はコンプレックスの塊

・この話の中で観察眼自体はたぶん一番ある会長

・実は腹の中に一物ある副会長

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