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胡蝶の夢  作者: 秋澤 えで
番外編
140/157

黒海八雲の青春

番外編第一回になります

時系列は高等部1年、春から夏の間くらいです

「ねえ黒海くん、私たちに足りないものってなんだかわかる?」

「……日和に足りないのは、落ち着き。涼に足りないのは、若さ。蓮に足りないのは、成績」

「そうじゃないそうじゃない!!」



購買の巨大なクリームパンを片手に不満げに机をたたく少女を黒海八雲は白い眼で見た。

私たち、というのは中等部時代からつるんでる四人だというのはわかる。しかしながらぴいぴいと喚く彼女の言う漠然とした『足りないもの』など見当もつかなかった。パックの抹茶オレをストローで啜りながら落ち着きのない日和を眺める。



「ちなみにだけど、私たちに足りないものって言ったのに黒海くん自身が抜けてるのは何で?」

「俺、完璧だもん……」

「……そういう自意識過剰なところ、嫌いじゃないよ」

「どーも。……それで?」



結局なんなんだ、と促せばやたらと楽しそうににんまりと笑う。彼女はよく笑う。でもその笑顔にもさまざまな種類があることにはこの数年で理解した。そしてこの笑顔は十中八九、面倒なことだ。涼が居ればきっとろくでもない笑顔だというだろう。生憎日和の暴走を真っ先に止めてくれる涼は6限の授業の片付けを頼まれ未だ教室に帰っていない。そして一緒に巻き込まれてくれる蓮は担任である藤本教諭の手伝いで拉致されてしまった。



「青春だよ少年!」

「……青春」



漠然とした質問の答えもまた漠然としていた。



「……青春、してるだろ」



部活して、勉強して、たまに遊んで、授業後にいつものメンバーで駄弁ったり、こうやって購買で買ったものを食べながらくだらない話をして、と指折り数えれば折った指を小さな手でぺしぺしと叩かれてイラッとする。



「まだ、まだ足りないでしょ!?」

「俺は、お腹いっぱい」

「甘いものは別腹でしょ!」

「甘いもの……?」



また漠然としたものを、と眉を顰めるが日和にとっては漠然としたものではないらしい。



「恋だよ恋!私たち四人には恋愛やら恋人やら、甘さが足りないんだよ!」

「もっと、わかりやすく、言え。考えと要点を、まとめてから、口にしろ……」



片手に持っていたクリームパンを奪い取り、よく動く口にそれをぶち込んだ。咀嚼している間に考えをまとめると良い。

八雲は人から気が長いだとか大らかだという評価を得ているのを知っている。だがそれは飽く迄も傍からみた評価だ。自分のテリトリー内にいる人に遠慮はしない。どちらかと言えば好き勝手に発言し、行動するタイプである。もっとも、四人とも割とその点は似ているため妙にバランスがとれ、特に衝突することはない。


ぶち込んだ巨大クリームパンが徐々に体積を減らしていくのを観察する。もう少し時間がかかるか、一旦口から離すかと思ったが、どうやらあと数十秒もしないうちに食べきりそうだ。身体に見合わぬ大食漢だが、中等部時代に涼が日和にパウンドケーキを丸々一本食べさせた話を思い出し、こんなものかとも思う。



「要するに?」

「恋愛をしよう!」

「寮に帰っていいか?」

「ダメ!」



死ぬほど面倒臭そうな話になってきた。正直もう帰りたい。しかしそれを口にすれば当然のように却下される。深いため息を吐きながら椅子の上で膝を立てて体育座りをする。両手で抹茶オレパックを持ち死にそうな顔面でズゾゾ、とすする。面倒、帰りたい、という気持ちを前面に押し出した態度だが、普段から仲間内から言葉でどつかれている日和はその程度ではめげない。



「恋人がほしいなら、作ればいい」

「まるでフライパンで炒めれば彼氏彼女ができるかのような物言い……」

「……割と簡単にできるだろ、お前なら」



やわらかいストローを無意識に噛み潰していたことに気づき、口から離す。


わざわざ詮索することでもないので聞いたりはしない。それでも誰それが誰それのことが好きだの、誰が誰に告白しただの、どうでも良いことが時折耳に入る。そしてそれは目の前の大喰らいの少女の名前もまた、聞かないでもない。


自意識過剰などと揶揄されるが、八雲自身含めいつも一緒にいるメンバーは皆一様に見目が良い。蓮と涼は学年でもずば抜けて良いし、日和も、可愛い。ちょろちょろと小さな体でよく動き、よく笑うムードメーカーの彼女も客観的に見て、モテる。蓮と涼は、いわゆる高嶺の花組だ。蓮は打ち解ければノリも良いし面白い奴だが、社交的とは言えない。逆に涼は社交性の塊で女子生徒からの人気も絶大の王子さま気取り。八雲それなりにモテるし好きだと言われた回数も両手では足りない。だがどれもほとんど話したこともない女子生徒ばかりで興味のかけらもなくそばでスパッと断った。

同じく蓮と涼もスパッと断る。八雲と蓮は赤の他人に興味がなく、涼は絶対的優先順位の一番上に主人である蓮がいる限り、恋愛ごとにうつつを抜かすとは思えない。


しかし進藤日和である。

愛想がよく社交的で、どうなってるんだと思うほど耳も早ければ顔も広い。蓮や涼のように高嶺の花でもない。高嶺の花に思い告げる生徒は砕けることが前提で誰も本気で付き合えるなど思っていない。もっとも例外もいる。だが日和は違う。本気で思いを寄せられることもあるだろう。そして日和自身、恋人を作ることに積極的であるなら。


面白くない。



「えと、黒海くん?眉間の皺が凄まじいよ?戻んなくなっちゃうよ?」

「……ほっとけ」



いつもの四人、というものでなくなるのが面白くない。

恋人ができれば自然と八雲たちといる時間は減るだろう。四人一緒に勉強して、遊んで、駄弁って、買い食いして、そんな自身にとっての『青春』から彼女の姿が切り取ったようになくなってしまうのだろう。


それが心底、気に食わない。



「何々ー?私に彼氏ができるのが寂しいのー?嫉妬ー?」



ニヨニヨとしながらあからさまに茶化しに来る日和をじろりと睨む。進藤日和は黒海八雲の日常の一部と化しているのだ。今更そこから抜け落ちるなど認めたくない。それを止める手段も権利も、持ってはいないけれど。



「当たり前のことを、聞くな……」



不機嫌丸出しにそう唸ると、ニヤついていた顔が変わった。表現しがたい、いろいろな感情が混ざった顔。常に笑っている彼女にしては珍しい、いやこれまで一緒にいて初めてみる表情だった。



「……変な顔、してんぞ」

「なっ、いきなりすごい失礼!女の子にそんなこと言うなんて!」



変な顔もすぐなくなった。いつものような幼い顔で怒ってます、という顔をする。随分よく働く表情筋だなと思いながら、またパックを啜る。



「心配しなくても私は彼氏を作る予定はないもん」

「……じゃあ何なんだ、結局。日和のいう『甘さ』を、どうやって『青春』に組み込むんだ?」



ふと、抹茶オレのパックを強く握っていたことに気づいた。安堵とも何ともつかないため息を、ストローから吹き込んだ。ぺこっという音と共に膨らむ。



「私じゃなくて涼ちゃんと白樺くんの方だよ!」

「……誰かあてが、あるのか?」

「そうじゃないって。涼ちゃんと白樺くんがくっつけば良いってこと!」

「…………はあ?」



いっとう間抜けな声が口から出た。幸いにも教室には八雲と日和の二人しかおらず、阿呆面を晒すのは一人だけとなったが、そんなのはどうでもよかった。薄れたはずの眉間の皺が再び刻まれる。



「何、言ってんだ……?日和、よく見ろ。両方とも男子生徒だぞ……?」

「黒海くんこそ何言ってんの!?涼ちゃんは女の子でしょ!」



常識だとばかりに憤慨する日和を信じられない気持ちで見る。

運動をさせれば他の追随を許さず、女子生徒にはどこまでも紳士的なふるまい。手足を晒せばきれいについた筋肉と数多の傷がある。つり目でシャープな顔はまごうことなきイケメンで男子の制服を完全に着こなす。あれを男子と呼ばぬなら、この世の大半は男子とは呼べまい。



「百歩譲って、涼が、女子だとする」

「譲らなくても仮定しなくても女子だよ!」

「女子だとしても、見た目は男子だ。あれと蓮だぞ?見た目は完全に、男同士だろ」

「それはそれ!これはこれ!」



呆れを通り越して脱力してきた。もう日和が何をしたいのか八雲にはわからない。丁度よく抹茶オレが空になり、メリメリとパックを解体して捨てる準備をする。この話題をもうこの空のパックと共に捨ててしまいたい。



「だいたい、何で蓮と涼なんだ……。本人たちにその気がないなら、余計なお世話。むしろ鬱陶しいし、邪魔だ……」



八雲に色恋はわからない。だからこそそんなよくわからないものに日常を乱されるのは許せない。何より長年の友人である彼らを、興味半分でそういう類に引き込もうなど微塵も思わないし、そういったことにつなげようとする日和にも少し強い視線を向けた。



「その気があるからだよ」

「……あるのか?」



曰く、あるらしい。



「むぅ…………、」



ある限りの記憶をたどる。

どちらかがどちらかに、気のある素振りでもしていただろうか。


よくわからないがその気がある、と言うのは他人とは違う扱いをしたり態度をしたりすることだろう。きっと一番側にいた自分にもわかるはずだ、と八雲は記憶をひっくり返した。しかし出てくるものと言えば昔からあることばかり。特別も何も、蓮は涼にとって至上であり唯一の特別だ。常に側に控え、ありとあらゆるトラブルを排除し、他人より、自分のことより連のことを最優先とする。

もちろんそこにある特別は主従としての特別だ。だが女子高生の女の子フィルターをもってすれば涼が蓮を恋愛的な意味で慕っているように見えるのかもしれない。



「……涼が、蓮を好きなのか」

「え?白樺くんが涼ちゃんのこと好きなんでしょ」



もう何が何だかわからない。



「……そんな素振りが、蓮にあったか?」

「あるある。白樺くんすごいわかりやすいもん!」



わかりやすいと称される、白樺蓮の素振りに気づかない俺は鈍いのか、と内心項垂れる。

しかし少なくとも鞄から購買で一日30個限定のチョコレートパンケーキを取り出し袋を破り始めた彼女より鈍いなど、認めたくない。八雲の記憶が正しければ日和は昼間2段の弁当を二つも食べていたはずだ。それだけで食べ過ぎと言って良いはずなのに、放課後に巨大クリームパン一つ、チョコレートパンケーキ一つを食べる彼女はフードファイターか何かにでもなろうとしているのか。



「蓮が、そう言ったか?」

「いや流石に言わないでしょ。でも態度がわかりやすくない?」

「……確信がないなら、下手に引っ掻き回すのは、やめた方が良い」



確かに、確かに本当に蓮がそういう意味で涼のことを好いているならば、手を出したり背中を押すこともやぶさかではない。だがもしそれが日和の勘違いであったなら、この上ない位面倒なことになる。あの二人は図太いように見えて変なところでメンタルが弱い。特に涼は物理的攻撃なら戦車張りに強いが精神的にゆさぶりを掛けられるとブレブレである。頭でっかちで口に出すことの数倍以上のことをグルグルと考えている友人に余計な考え事を増やさせることを考えると、諸手を挙げて手伝おうとは思えない。



「じゃあ、白樺くんに聞いてみよっか」

「……そうだな。聞いてみるか」



解体した紙パックをゴミ箱に叩き込み、そのうち戻ってくるであろう、藤本教諭の手伝いという名の生贄に捧げられた蓮を待った。



そして教室に戻ってきた蓮を見るや否や直球の質問を日和が無造作に投げつけ、それを真正面から受けた蓮は机に足をぶつけスリッパを飛ばしリンゴ顔負けな顔色でパクパクと言葉にならない言葉を発したことにより、日和の言っていたことに確信を得られた。


もし、蓮と涼がくっついたら普段の光景は、変わるかもしれない。大好きな彼らが幸せなのは確かにうれしいが、日常が崩れてしまうのは少々寂しい。


だがこの分ならまだまだ黒海八雲の青春が崩れることはなさそうだ、と安堵と共にこの上なくわかりやすい親友を笑い飛ばした。

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