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胡蝶の夢  作者: 秋澤 えで
高校生
130/157

果たされた約束

蓮様はしっかりお目当ての店をリサーチしていたらしく、一度も足を迷わせることなくビルの中へ入りドーナツ専門店へと到着した。外よりもビルの中の方が人が多いことに気が付き、つい周りの目を気にするが蓮様は気にする様子もない。ただなんとなく蓮様の後ろに隠れるように歩くのも仕方がないと思う。下手に同級生や知り合いに会ったらいろいろ終わる。主人からの思わぬ褒め言葉に舞い上がっていたが、ここにきてやっと冷静になってきた。身体を彼の後ろに隠しつつも、不審な動きをする人間がいないか常に視線を走らせ、不自然にならないようにあたりを警戒する。しかしながらこれがあてにならないと気づいたのはそれからしばらくしてだった。不審な人間を警戒するために多少周りを見ているため人と目が合うことはあるのだが、それが少々妙だ。たまたま目が合った、と言うにはいささか回数が多い。どう考えても僕が見られている。やはりこの格好が変であったか。それともそれ以前に女装男子だと思われて人目を引いているのか。そのどちらか定かではないが、なんにせよ良いものではない。



「涼、」

「はい、んむっ!?」



軽く名前を呼ばれて蓮様に返事をすると、口に何かを突っ込まれる。目を白黒させるが二進も三進もいかないので、口に入れられたものをそのまま咀嚼する。甘い味が口に中に広がり思わず口元が緩んだ。



「おいしいですね」

「ん、試食で一切れ配ってんだって」



そういって僕の口に入れた者とは違う、イチゴチョココーティングのドーナツを口の中に放り込んだ。どうやら、注文待ちで並んでいる客に何種かのドーナツを切ったものを試食として配っているらしい。華やかなショーケースの中に所狭しとおかれるドーナツに目を向けて先ほど口に詰められたものを探した。



「せっかくこれからうまいもん食べるんだから、眉間に皺なんか寄せるな。いろいろと台無しだからな。楽しいことだけ考えてればいい」

「そう、ですね……。はい。ドーナツのことを考えることにします」



気にしても仕方がない。そう思いドーナツを吟味すると上から、それでいい、と満足そうな声が降ってきた。そもそも今更この格好が変だのなんだの言ってもどうしようもないのだ。今からでは着替えにも行けないし、なにより今回は蓮様のための外出なのだ。僕の都合でおじゃんにするわけにはいかない多少変でも、彼が喜んでくれるのであればそれでいい。しれっとそんなことを考えてしまうあたり、僕はそうとう浮かれているらしい。




********




「涼、それは?」

「ああ、こっちは日和へのお土産です。下手なもの買うよりも、あの子は甘いものの方が喜びますから」



テーブルに座って注文したドーナツと紅茶を飲んでいると、持ち帰り用の袋に入れたドーナツを蓮様が指差した。思えば今回日和には多大な協力を彼は仰いでいる。そのあたり本人同士の間でどうなっているのかわからないが、彼の成績が上がったのは事実だし、寮を出るギリギリまで迷惑をかけたのだ。これくらいの礼はしてしかるべきだろう。この店のドーナツは蓮様が楽しみにしていただけあっておいしい上に一つ一つは小さいため、いくつかのフレーバーを食べることができる。お土産にはちょうどいいだろう。



「あの、もう嫌とかなんとか言わないんですけど、一つ聞いても良いですか?」

「口ぶりからして何を聞きたいのか想像つくけど、なんだ?」

「……こっちの街の方に出たかった、とかこのドーナツが食べたかったとかはわかりますけど、なんで僕に女装をさせたんですか?普段の格好でもよかったでしょうに」



一番気になっていており同時にだまし討ちにされたようなことを彼に聞く。彼だって僕が散々女装するのを嫌がっていることくらいわかっていただろうに、なぜそこまでして僕に女の子の格好をさせたがったのだろうか。


正直彼が満足ならなんでもいいので、今更責めたり駄々をこねるつもりはさらさらないが、気になるものは気になるのだ。蓮様はしばらく考えるように目の前に置かれたカフェラテに視線を落とした。今回は何を考えてるのかまではわからないが、この沈黙は答えるのを渋っているのではなく、彼が言葉を探しているのだとわかる。昔から変わることのない、この静かな沈黙は嫌いじゃない。何となしにカップに放った角砂糖がジワリと溶けた。



「んん……、本音と建前があるけど、建前だけでいいか?」

「建前って……自分でそれ言うんですか。……言いやすい方で良いですよ」



なんとも思ってないかのように返したが、内心では半ば理不尽ともいえるこの女装について建前と呼ばれるものがあることに驚いていた。それだけでもなかなかだが、それとは別に本音と言う物をちらつかせてくるあたり強かだ。



「じゃ、建前で。昔さ、神楽が言ってただろ?もし涼が御側付にならなければ、っていう話。普通に女子らしいことしてんだろうなっていうそれ。でもそれは別に御側付でもできるだろ?その辺歩いてるような人間は涼がおれの御側付だってことは知らねぇし、よっぽどじゃあなきゃ質の悪いヤツらに絡まれることもない。この年じゃ昔みたいに誘拐されそうになるってこともねぇし、お前が身代わりだのなんだのって不穏なこと考えなくても良い」

「……随分と前の話を、よく覚えてますね」



そういえば、神楽様に初めて会ったときにそういった話をされた。今思えば神楽様なりの些細な嫌がらせであったのだろう。あの時はひどく動揺させられたがあの人はただ弟に絡みたかっただけだと考えるとなかなか微笑ましいものがある。



「で、まあ校内じゃ涼もそういう格好するの嫌がるだろうし、知り合いのいなさそうなここなら涼も特に抵抗なく女子らしい格好できるんじゃないかと思ってさ」



はにかむように笑う蓮様にこちらも笑みを返す。こんなこと今更全く気にしてもないのに、と思うがそもそもこれは建前だ。むしろ先に建前だと言わなければまず間違いなくこれが彼の本心だと思っただろう。まだそんなことを気にして、とこちらも気に病んだだろうがこれが建前と言うのなら、彼がこうしたかった本音は一体何なのだろうか。



「今更女の子らしい格好したいとは思いませんが、お気遣いありがとうございます。……ところで本音は?」


「秘密だ」



満足そうにいたずらっぽく笑い、手に持っていた抹茶のドーナツを齧った。もう本当にこの話は終わりらしく、本心を言う気はさらさらない様だ。これ以上聞くのは無粋だと判断し、僕もホワイトチョコのかかったココアドーナツを齧る。本音が気にならないと言えば嘘になるがわざわざ終わった話を蒸し返すほどの興味でもない。それに幸せそうにドーナツを齧る彼を見る限り、ここのドーナツが食べたかったのは紛れもない本心の一つだろう。それだけで十分だと言及する言葉は紅茶とともに飲み込んだ。




********




「涼、足痛くないか?」

「え?大丈夫ですよ。少し疲れやすいですけど」



しばらくビルの中の店を見た後外へ出てぶらついていると唐突に問われた。どうやらヒールの高い靴を履いているためらしい。バランスがとりにくい上に、長いこと履いていたらきっと爪先も痛くなるだろう。世の女性方は大変だ、と全くの他人事だ。こうして半ば無理矢理にでも連れ出されない限り、こうも踵の高い靴を履くことはまずないだろう。



「……もしかして、今の日和からの受け売りですか?」

「うっ……なんでわかったんだ」

「ヒールなんて履いたことがないであろう貴方が足のことをスマートに気遣えるとは思えません」

「おう。前に日和と街まで出てきたときに、それなりに歩いたら涼の足のことも考えろって言われて……」



想像通りの答えに呆れにも似た笑いが零れる。どこまでも日和頼みらしくおんぶにだっこだ。あの子もよく付き合うものだ、と思うがどうせ彼女もまた面白半分なのだろう。もっとも気遣われるほどやわな身体はしていないが、それも悪いものではない。踵がコンクリートを叩く音は高く響く。


歩き続けていると、どうやら街の中心に出たらしく視界が開け大きな広場に足を踏み入れた。たくさんの花壇やベンチ、丸い広場に沿うように移動販売のお店も点々と並んでいた。休みの日ということもあり広場内は多くの人が行き交い、先ほどの道よりもずっと混んでいた。



「街の中心部にこんな大きな広場があるんですね……」

「な。とりあえず適当にベンチ座るか」



自然に僕の手を引き広場の中へと入っていく。言葉の通りにたまたま開いていた木製のベンチにひょいと座らせられた。中央にある木に近づいたせいか金木犀の甘い香りが強く香る。毎年金木犀の香りが鼻を掠めると冬を実感する。



「蓮様は座らないんですか?」

「んー。なんか適当に買ってくるからここで待っててくれないか?たぶん二人でベンチから離れるともう座れないだろうから」



なんか希望はあるか?と聞かれそれじゃあ甘いものを、と言うとまたか、と笑われる。だがきっと僕が何も言わなくても甘いものを買ってきただろう。もちろん、僕のものと自身のもの、両方に。足取り軽く店に向かう蓮様の背を見送り、場所取りに専念することにした。彼の言う通り、周りのベンチは全て埋まっており、たまたま座れたからよかったものの、いったん離れたらおそらくすぐにこの場所は座られてしまうだろう。一人で行かせるのは正直心配だったが、広場で人が多いとはいえここのベンチに座っていても僕からは彼の姿が見えるためにひとまず安堵した。万が一のことがあればすぐに駆けつけられる。幸いここは車両の進入が規制されているため不審者に撒かれるということはない。遠目に並ぶ店を眺めながら二人掛けのベンチのもう片側を死守していた。



「ねえ、おねえちゃん一人?」

「なあ聞いてる?君だよ君」

「…………は、」



どこかではた迷惑なナンパをしている連中がいるな、と聞き流していると、唐突に片手を掴まれ目を丸くした。しかしそれは彼らにとって唐突ではなかったらしい。どうやら頭の弱そうなナンパをしていたやつらは僕に話しかけていたらしい。一瞬こいつら何考えてんだ、と思ったがよくよく考えれば今の僕は女の子の格好をしていたのだ。状況としては何らおかしくない。しかしおねえちゃん、と声を掛けられてこの僕がよもや振り向けるはずがない。ただ傍から見て女装男子に見えていないことはよくわかった。



「はって驚いた顔も可愛いねー。暇してるなら俺らと遊ばない?」

「可愛くありません。暇してません。あなた方とは遊びません」



頭の弱そうなナンパをしていたやつらに目を向ければそのセリフに相応しい頭の弱そうな格好をしていた。二人してへらへらと軽薄な笑みを浮かべ耳にはいくつものピアスが付いており、いかにもと言ったところだろう。普通の女の子であれば委縮の一つでもするなり怯えるなりするだろうが、あいにく僕は見た目だけ女の子と言うだけで中身は決して御淑やかとは言い難い性格だ。掴まれた腕をにべもなく振り払う。喧嘩をするのは面倒だが大人しくついていってやるメリットはない。早々にお引き取り願いたいのだ。



「冷たいなー。こんなところに一人じゃ寂しいデショ?」

「生憎、連れを待っていますので」

「あ、友達?良かったらその子も一緒にどう?退屈させないよ?」

「結構です」



全くなびく素振りなどしていないのにいつまでも絡んでくる二人組にいい加減辟易としてきた。もう少し人が少なければ適当な路地にでも引きずり込んで潰すのだがここは人目がありすぎる。ここは一刻も早く蓮様に帰ってきてほしい。連れが男だとわかれば諦めもつくだろう。



「俺らじゃ嫌?他にも仲間いるからさ、紹介してあげるってのはどう?」

「そうそう、面食いっていうなら仕方ないし、俺らの友達にイケメンいるからさ」



うわっ、内心引く。暗に人数で押すことも可能だとほのめかすあたり質が悪い。こんなのなら文化祭の時に桃宮に絡んでいたやつら等可愛いものだろう。夏祭りの時の奴らとどっこいどっこいな気がする。再び腕を掴まれたところで、男たちの後ろに見慣れた彼がいることに気が付く。そしてそのまま片手に持っていた防熱カップの中身を彼らの頭の上に躊躇なくぶちまけた。



「あっちぃっなんだ!?」

「おいコラてめぇ何すんだっ!」

「お、お帰りなさい……」



脱色された頭が茶色に染まる。匂いからしてどうやらアツアツのココアを頭から彼らに飲ませてやったらしい。久しぶりに見る無表情な蓮様に場違いな言葉をかけてしまった。そして穏便にことを済ませようと努力した数分を一瞬にして無に帰してくださった。思わずため息が出る。怒り心頭、と言った風な二人組はただで帰ってはくれないだろう。同時に内心怒髪天を突いているであろう蓮様もただで済ます気はきっとない。



「勝手に俺のに触るな。とっとと失せろ屑」

「はあっ?嘗めたこと言ってんじゃねぇぞ!」

「蓮様っ、」



静かに怒る蓮様の挑発に間髪入れず乗った片方が考えなしに拳を振り上げる。反射で彼らの間に身体を滑り込ませようとしたのに、他でもない主人によってベンチに逆戻りさせられる。彼は僕の身体を押した反動でそのまま肉薄し拳を難なく避け無防備な蟀谷に掌底を叩きこんだ。しかし急所は外したらしく、倒れるものの気を失いはしなかったらしい。



「涼、行こう」

「あ、はいっ!」



慌てて倒れこんだ仲間を支えようとする男に目をくれることなく、蓮様は無様にベンチに座っていた僕の手を取り広場の出入り口へと走り出す。今でこそ騒ぎになっていないが僕らの側にいたあたりから静かにざわめきが広がり始めた。いるのかいないのか定かではないが、彼らのお仲間に追われると間違いなく面倒なことになるだろう。走りにくい靴のままできるだけ早く足を動かした。行きと同じように僕の少し目を行く背中を追う。



「せっかく甘いもの買ったのに、無駄になったな。もったいない」

「ですね。でも、もう少し穏便にできなかったんですか?」

「無理。それに涼はその格好じゃ立ち回りにくいだろ。俺が、何とかしないと」



走りながら苦言を呈すると全く悪びれた風もなくへへっと小さな笑い声が返ってきた。


なんとなく、少しだけ走る速度を上げてみると彼の横顔が見えた。控えめに上がった口角は確かに喜びを表した、微かに紅潮した頬もまた、きっと走っているせいじゃない。


ここまできて笑みの意味が分かった。


彼はあの日をやり直しているんだ。


誘拐されそうになったあの日、身代わりになった僕を無謀にも取り返しに来た。それでも敵わず、彼は最後助けを呼ぶために車から離れた。それを彼はひどく後悔して、無力な自身に歯噛みした。



やり直しているからこそ、それこそまともに相手をすれば鍛えている蓮様にとって赤子の手を捻るように勝てる相手を手加減して打ち、逃げたのだ。あの日、下手に応戦して逃げる機会を自ら捨てた自身を瞼の裏に見て。



『もうお前に怪我させない。次なんてないようにする。今までお前に守られてた、でも今度は俺がお前を守れるくらい強くなる。絶対、強くなる……!』



あの日涙を流し結ばれた約束は、今この時をもって果たされたのだ。


大して走ったわけでもないのに、息が上がる。


彼の『縛り』が消えた今、僕はどうすればいいのだろうか。


あの日からずっとわかっていた。彼の主人は無自覚に私を絶望の淵へと追い詰める。



僕はもう何も、考えたくはなくてただ彼の少し後ろで、ただ足を動かすことに集中した。




優しい彼はその実、誰よりも僕に残酷なのだ。

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