察せぬ真意
一人っきりのテスト週間が終わった。結局最後まで蓮様は僕のところへ来ず、日和と勉強していたようで、黒海も毎回授業が終わってすぐ逃亡するのだが陸上部の先輩や同級生にあえなく捕捉されて連行されていった。今まで極力避けていた図書館だったが、思いのほか快適であった。そもそも緑橋や桃宮に遭遇したくないという一心で嫌厭し続けていただけであって、もとから図書館自体は好きなのだ。何より高等部の図書館は本当に広く、よく考えればよほど運が悪くなければ彼らに遭遇することすら稀なのではと思わされた。ただ一つ難点を挙げるのなら読書欲をくすぐるたくさんの図書からの誘惑だろう。近くに本棚があるとつい手を伸ばしたくなってしまう。
そして先日全科目の試験が終了した。廊下にはおなじみのように上位者の名前と順位が張り出されている。右から降順に書かれており、一番初めはよく見慣れたトップ常連の生徒たちだった。そこそこの場所で自分の名前も見つけた。しかし僕は唖然としていた。その隣では蓮様と日和が手を取り合って大はしゃぎしている。
毎回毎回悲惨な点数を取っていたはずの蓮様の名前が、僕の名前の右側に書いてあった。唖然としているのは僕だけではなく一緒に順位を見に来た黒海も同じだった。
「よっしゃあっ!涼に勝った!!」
「頑張った甲斐があったね!」
「え、蓮……何があった……!?」
「めっちゃ勉強したんだよっ!」
よくよく見ると表に日和の名前はない。どうやら自分の勉強を放り投げて蓮様の勉強に費やしたらしい。しかし、しかし僅差と言えど、蓮様に負ける日が来るとは。手を抜いておらず全力であったと言っては嘘になる。だが毎回ランク外の蓮様に順位で負けるほどテストを適当に受けたつもりはない。現に点数は決して悪くはなかった。
「……いったいどんな勉強をしたら順位がこんなにも跳ね上がるんですか?」
「社会科目とか理科科目は私が今までの定期試験の問題から傾向を見つけてヤマはったの!それがもう気持ちいいくらい大当たり」
「おう!すごかった!ありがとな日和!あと英語は教科書丸暗記、数学はワークを丸暗記した!」
「……だとしても、上がりすぎだろ…………。どこで高度なカンニング技術を、身につけた?」
「失礼の極みだな。張っ倒すぞ」
キャッキャッと自慢げに高得点の理由を語っているが若干ため息が出る。結局丸暗記に走ったらしいがもう少し先のある勉強の仕方を選ばなかったのだろうか。これでは十中八九試験直後にはすべての記憶がすっぽぬけるだろう。
日和から話を聞けば、実は前回の試験の時からすでに今回の試験の勉強を始めていたらしい。前回の試験はすべて捨てて。前回の試験を犠牲にすることにより、人の倍以上の勉強時間の確保、いや暗記時間の確保に成功したらしい。蓮様の順位は前回より150以上上がっている。
「まさか蓮様に負けるとは……、」
「涼が蓮を嘗めきっているのが、敗因だな……。お前が本気でやれば、一位くらいになれるだろうに」
「はははは……。ところで黒海は今回結構勉強してたみたいですけど、名前、ありませんよ?」
痛いところを躊躇なくついてくる黒海に乾いた笑いを返し、逆に皮肉ると遠い目をされた。
「……俺たち陸上部は、偏差値が低い……。勉強するだろ?わからない問題があるだろ?……わからないだろ?それで眠くなる、寝る……部員ほぼ全員、仲良く昼寝をする、時間になった……。今回わかったのは、馬鹿は何人集まっても馬鹿だ、ってことくらいだ……」
「……次は先輩方に連れ去られる前に、僕らとちゃんと勉強しましょうか。わからないまま放置ってことはなくなりますし、寝ればたたき起こします」
「頼む……」
彼らを見ていると、やる気は必ずしも結果に反映されるわけではないことがよくわかる。やる気はあったのだ。ただそれが凄まじくから回っているだけで。
そして僕は黒海の成績の心配をしている場合ではない。蓮様と賭けをしていたのだ。『負けた方が勝った方の言うことを聞くこと』。今回彼は異様なほどのやる気を見せていた。正直蓮様も、僕は彼の言うことであれば大抵の言うことに従うことくらい付き合いの中でわかっているだろう。よほど理不尽な願いでない限り、多少諫めたり忠告することはあれど、撥ね退けたり叩ききったりすることはない。つまり今回賭けまでして僕にさせたいことがあるということはよほど理不尽なこと、僕が嫌がりそうなこと、普段であれば問答無用で断るようなことなのだ。僕にはそれが恐ろしくてたまらない。顔には出さないが内心冷や汗ダラダラだ。しかも見る限り日和はどうやら僕に対する要求の内容を知ったうえで全力で蓮様に協力しているらしい。普段から何を言い出すか基本的に想像できない日和と、普段ならできないような要求をしようとする蓮様のコンビは恐ろしすぎる。少なくとも良い予感はしない。できれば簡単なことがいい。そう思うが、その要求はここまで蓮様を必死にさせたのだ。そう簡単なものではきっとない。そしてどんな内容であれ、僕はそれを断れない。約束は約束だ。どんなことであろうとも約束を反故することはできない。
「白樺くんよかったね!これで涼ちゃんに、」
「ああ!頼んだぞ日和!」
怖い。
いまだ嬉しそうにしている二人を遠巻きに見る。蓮様はまた何か日和に頼んでいるし日和も満面の笑みで乗る気だ。戦々恐々としていると黒海に、諦めろとでも言うように肩を軽くたたかれた。
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「嫌です」
「まあまあそう言わずに。大丈夫可愛いから!」
「僕に可愛さを求めるのが間違ってます!」
「白樺くんに負けたんだから潔く腹括ろうよ、涼ちゃんらしくない」
「それはそれ!これはこれ!これは、不味いですから!」
寮の部屋の中、僕は日和と対峙していた。そしてこの論争の中心は彼女の持っている物であった。
「スカートなんて何があっても履きませんから!」
「これくらいなら全然良いでしょ!本当は膝上丈のスカートとか履かせたいのをこれでも妥協してるんだよ!だいだいくるぶし丈くらいなら全然許容範囲じゃない?」
「許容範囲なんてそんなひらひらした物のために用意してません!大体何が楽しくてそんな防御力の低い物を身に着けるんですか!?スース―するじゃないですか!僕の妥協は文化祭の間だけですから!」
そう日和が持っているのはスカートである。日和の言うようにそれは丈が長く足はほとんど隠れる。だがしかし僕が主張したいのは露出範囲云々の話ではないのだ。スカートというものを僕なんかが履くということが有罪なのだ。ちなみにスカートの他にも日和の側のテーブルの上にはそのスカートとあったような、可愛らしい服や小道具が並んでいる。
「おしゃれに防御力を求めない!涼ちゃんだって私服でツナギとか戦闘服とか着ないでしょ?それに防御力についてはこっちのブーツで十分!」
「スカートじゃ足上がらないじゃないですか!それに私服は基本的に着物ですがあれはすぐに裾を割れますし袖も自由なので動きやすいんです!十分戦闘向きなんですよ!……それからそっちの小道具たちは何ですか?何をしようって言うんですか」
「小道具じゃないから!?アクセサリーって言おうよ涼ちゃん!」
テーブルの上には何やらキラキラしい小道具、基アクセサリーが並べられている。首に着けたり腕に着けたりするものやその他用途のわからない物たちに慄く。
「何なんですか!?僕を魔改造したいんですか!?」
「魔改造って何さ!?大丈夫!全部涼ちゃんに似合うようなもの選んできてるから!それから文句があるなら白樺くんに会ってから直接言って!」
日和の言葉にうっ、と詰まる。
そもそもこの混沌とした部屋を作り出した元凶は蓮様だったのだ。
「一緒に買い物行かないか?こっちは実家の方と違って都会だし、適当にぶらぶらするのを悪くないだろ?」
というのが蓮様の言だった。あまりにも簡単な要求に正直拍子抜けした。
「そんなことで良いですか?それくらいならこういうときでなくとも、いつだって大丈夫ですよ?」
「あー……でもさ、どこ行くのにも基本的に涼が一緒の方が良いだろ?特に何の用もないのに、外へ出るのに涼を付き合わせるのも悪いしな。ならこういうときに言った方が良いだろ?」
嬉しそうにそう言う蓮様に一気に毒気が抜かれた。それと同時に必要以上に勘繰った自身を恥じた。そうだ、この子は悪い子とかじゃないんだ。昔から素直ないい子なのだ……。
「良いか……?」
「全然大丈夫ですっ……、」
不安そうに伺う蓮様に即答で返すとまた嬉しそうに笑うのでまた良心が痛んだ。
「じゃあ詳しいことは日和に言ってあるから聞いておいてくれ!」
「日和ですか?わかりました」
なぜ日和が詳しいことを知っているのだろうか、とか一瞬考えたが、少し顔を紅潮させて喜ぶ蓮様にそんな小さな疑問はすぐに吹き飛んだ。
しかしこれで終わるわけがなかったのだ。
女の子の格好しなきゃいけないとか聞いてない。
「せっかくなんだから可愛い格好しなよ。楽しまなきゃ損だよ?」
「楽しめるわけないでしょう……?見ての通りの男ですよ?こんなのが女の子の格好して歩いてたら悪目立ちすることこの上ありません!」
「はいはいはいはいはい……、涼ちゃんは見ての通りの女の子ですー。可愛い可愛い女子高生ですー。だから問題ないのっ!」
「いやいやいやいや……僕のどこが女子高生ですか……」
スカート片手に何故か距離をつめてくる日和からじりじりと後ろに下がる。いつもへらへらしてるくせにこういうときだけものすごく真面目な顔をしてくるから怖い。よく言えば真面目な顔、悪く言えば怒ったような顔。何にせよ実際の腹はうかがい知れない。
「涼ちゃん」
「……なんでしょう」
「座って。とにかく座って」
「いや……あの、はい」
自分よりもはるかに小さいはずの日和から抗いがたい威圧感を感じる。普段とのギャップが激しすぎるため従わざるを得ない。大人しく日和と向かいあうように正座で座らされた。なぜ膝詰めなのか、と聞かれるとわからないがおそらく本能的な恐怖か何かであろう。
「あのねえ。なんでそんなに涼ちゃんは自信がないのさ」
「僕は基本的に自信に満ち溢れていますが、」
「そうじゃないでしょ」
煙に巻こうとするもピシャリと叩ききられてしまい口をつぐむ。やはりおふざけで何とかはなりそうにない。
「涼ちゃんは、女の子です」
「……、」
「普段男の子の格好してるけど、女の子です」
「……いや、」
「それからさ、白樺くんが嫌がらせか何かで言ってると思うの?」
「それは、」
「それと涼ちゃんは似合わない似合わないっていつも言うけど、文化祭の時に女の子の格好した涼ちゃんのことを笑った人とか馬鹿にした人とかいた?」
「……黒海」
「黒海くんはどんな格好してても笑うからノーカンで」
むう、と自然視線が下を向く。嫌がらせとか、悪ふざけとかで、蓮様が言っているわけではないことはわかっている。だが生理的に受け付けない物は受け付けないのだ。嫌なものは嫌だ。それだけだ。
「まあ、白樺くんの思うことも察してあげて」
「思うこと……?」
ため息を吐くように日和は言うが僕は頭にクエスチョンマークを浮かべた。全く心当たりがない。なぜ彼はこんな格好をしてくるように言ったのだろうか。様子を見る限り、日和はその真意を知ったうえで協力しているようだが、僕にそれを教えてくれる気はさらさらないらしい。
「……真面目な話はここまで。とりあえず、白樺くんには悪意がないって言うことと、自分がまだ何も察せてないことはわかったかな?」
「わ、わかりました……」
「似合わないっていうけど、ちゃんと私が涼ちゃんのために選んだ服だから似合わないってことはないよ」
「ありがとう、ございます」
曰く、すでに蓮様たちは今回のテストで勝つことを確信していたらしく、すでに手筈は整っているらしい。服を選んだのは日和で、買ったのは蓮様。完全に外堀を埋められ、ますます突っぱねるのが申し訳なくなり、地面にめり込みたくなった。
「でもま、楽しまなきゃだからね!嫌々、なんてしてたら二人とも楽しくないでしょ?開き直ってデートを楽しむと良いよ!」
「でっ……!?」
突然投げられた爆弾に椅子を蹴倒してしまい、日和にニヤニヤとされてさらに地面にめり込みたくなった。何歳差だ、とかいい年してこんな反応、とかグルグルと頭の中を占め、ついぞ日和を諫めることはできず、テーブルにごつり、と突っ伏した。




