王子は空より
くるくると忙しなく表情を変える白雪姫を特に意味もなく眺める。一応知り合いではあるが、仲が良いわけでもなんでもないため四人とも近づいたり話しかけようとはしない。ただ一人日和が興味津々と言わん表情で彼女を見つめているためつられるように自然彼女を目で追ってしまう。
「何であの桃色は一人で出歩いてるんだ?誰かしらと一緒にいそうなもんだけど」
「さあ?杏ちゃんとか青柳くんと校内回りそうだけど、近くにはいないみたいだし……。さっきの私たちみたいに何か買いに行ってるのかもね」
もそもそといまだなくならない巨大なクレープを頬張りながら考察する日和は、じっと彼女を見ているわりに答えがおざなりである。興味があるのか疑わしく感じる。
「……あのオヒメサマ、野放しにしてたら、頭の軽そうな連中が……ホイホイされる、んじゃないか……?」
「ですね。まだ自覚がないようなら彼女には危機管理能力と学習能力が存在しないのでしょう」
つい先日の夏祭りでの様子を思い出し嘆息する。どんな事情があり一人で歩き回った末に質の悪い人間に絡まれたのかという経緯及び原因などひとかけらとして興味などないが、あの時のように僕が駆り出されるような事態は心底勘弁願いたい。ヒロインに構ってもろくなことなどないのだ。それこそ、今彼女がそれに近い危機的状況に陥っても、僕が助けてやる義理などない。もし僕が彼女を助けるならば、それは僕の主人と友人たちの心的ストレスの原因の排除のためだろう。少なくとも、目の前で一応何の害もない少女が困っているのに完全に無視できるような強靭な精神は持ち合わせていないし、堂々と看過できるほど人でなしというわけでもない。
「……おい、早速ホイホイされてるぞ。頭が軽そうな連中が」
「早すぎませんか……?」
「……もはや、発情期の猫の、フェロモンと同じレベルかもな……」
僕の胸中などかけらも知らない桃宮は早くも他校生に絡まれている。一目で染めたとわかる不自然な色の頭、高校生だと主張する着崩された制服、軽薄な笑い方に動作。見るからにろくでもなさが漂っている。しかも一人二人ではなく五、六人で絡む当たり質が悪いのか、ナンパし慣れているのか、緩く円を描いて桃宮を囲った。
声は聞こえないが、大体どんな会話をしているかは想像がつく。桃宮の笑みは失せ、怯えの色がにじんでいる。警戒するように、劇の小道具だったのであろう籠のバッグを両手でキュッと抱えている。
本当に彼女は危機管理能力が欠損しているようにしか思えない。ほんの一月前にも同じ目に遭ったというのにそこから何も学ぶことなくまた同じ目に遭っている。いい加減彼女は自分の容姿を自覚してそれに伴うリスクを想像して行動してほしい。日常生活では故意か偶然か、自分の魅力を遺憾なく発揮しているというのに、自分が周りに与える影響というものを知らなさすぎる。いっそ完全に自覚して計算高く行動している方がいかに可愛いらしいだろうか。これではただのトラブルメーカーでしかない。囮には向いているかもしれないがきっと周りは許さないだろう。
確かに、校内ということもあり油断したのかもしれない。僕らでさえ、文化祭にこれほど外部の人間が訪れるとは予想もしていなかった。エスカレーターで上がってきた僕らでさえこれなのだから外部生である彼女はその比でではない。もっとも、心の中で彼女にフォローを入れてみても僕の苛立ちは消えやしない。
しかしふと、怪訝に思う。
目の前で桃宮面倒事に巻き込まれている。こういうとき、いの一番に助けに行こうと提案する日和が、全く何も言わない。やはりそれに気が付いたのは僕だけではなかった。
「日和……?」
「なぁに?どうかした?」
「いや……助けにいこう、とか……言わないんだな」
「ん、黒海君は助けたいの?」
珍しいね、とでも言いたげな日和に黒海は困惑の表情を浮かべる。だがそれは僕たちも同じだった。桃宮のことが苦手もしくは嫌いな僕たちはともかく、日和は彼女のことが少なくとも嫌いではないはずだ。しかし日和は未だ顔色一つ変えずにもそもそとクレープを頬張っている。
「日和……?」
「……そんな心配そうな顔しないでよ。大丈夫!ちゃんと助けが来るからさ!」
僕らの訝しげな視線をものともせず、からからと笑った日和に拍子抜けする。何を根拠に、と思うが見る限り日和はその『助け』が来ることを確信しているようで、本当に心配していないように見える。大丈夫だと聞いても納得はできないが、ここまではっきりと断言されてしまうと、その『助け』を待たして自分が動くのも若干気が引ける。校内ということもあり、重大なトラブルにはおそらくならない。
どこかハラハラしながら他校生に囲まれる桃宮を見やる。
あれこれ考えている間にも、桃宮の姿は他校生たちに囲まれたせいで見えなくなる。もちろん、僕ら以外の人間も気が付いているだろう。だがあの柄の悪い輪の中に切り込んでいける者はいないようで、チラチラと視線を交わしあい、そちらへ投げることしかできない。
「なあ、本当に大丈夫なのか?……何かあったら寝覚めが悪すぎる」
「んーまあ相手もただの高校生だし言っても校内だからどこかへ連れていかれる、なんてことはないし、せいぜい見知らぬ人に囲まれて怖いってくらいしか被害はないと思うよ」
食べ進めていた巨大なクレープの残りをハムスターのように口の中に目いっぱい詰めてもぐもぐと咀嚼する日和には全く緊張感がなくこちらまで気が抜ける。確かに彼女の言う通りでもある。現に先ほどからあの集団は中庭と渡り廊下の間から移動していない。もし移動し始めたらおそらく折れた桃宮動向を了承した場合だろう。少なくとも、ここから移動するまでは安全である。日和の言う『助け』が来るまでに、彼らが桃宮を連れどこかへ行こうとするようであればその時は割って入ればいい。
あまりよく思ってもいない僕らの視線をくぎ付けにした桃宮とそれを囲う集団を動向をうかがう。助けたくもないのに助けざるを得ない、しかもタイミングを見計らって。目の敵にしているはずの彼女にこんなことを気にしなくてはならないとは全く難儀なことである。
「あ、」
「どうしましたか?」
小さく声をあげた蓮様に、何か動きがあったのかと意味を込めて聞くと目で校舎の窓を指される。促されるままに桃宮たちから視線を外し、中庭に面した窓に目を向けた。
「あれ、翡翠じゃないか?」
「……赤霧兄、だな。あの赤い頭は、涼の血縁しか……考えられない」
窓際を歩いていた翡翠が何気なく中庭に視線をやる。そして一瞬不思議そうに首を傾げた。そのまま窓に近寄りひょいと中庭を覗きこんだ。彼の身を乗り出した窓は、ちょうど桃宮たちの真上、三階の窓だった。
「っ……!」
翡翠が目を見開き、何事かを呟く。何を言っているかは流石に離れすぎていて聞き取れないが、ほとんど口が動いていないことから誰かに聞かせるものではなかったらしい。
そして次の瞬間、寸の間躊躇ってから窓枠に足を掛け、飛び降りた。
「おいっ、あれ大丈夫なのか!?」
「大丈夫ですよ、大丈夫じゃなきゃ飛び降りたりしません」
そういいつつも、若干肝が冷えた。肉体的にハイスペックな僕らはおそらく高いところから落ちてもよっぽど怪我などしない。それは着地の仕方を最初から知っている猫のような本能で、多少の衝撃では壊れやしない強靭な血筋ゆえである。だが化け物じみているとはいえ腐っても人間、多少なりとも不安にも思う。もっとも、落下地点から物がつぶれる音がしなかったということはまあそういうことなのだろう。
そのまま桃宮を囲う集団の中へと突っ込み、あっさりとそれを蹴散らした。蜘蛛の子を散らすように柄の悪い他校生たちが飛び降りて乱入してきた翡翠から逃げるように立ち去っていく。集団から解放された桃宮は何やら感動しきりに翡翠に礼を言っている。しばらく鬱陶し気にそれを聞いていた翡翠だったが、ハッとしたようにあたりを見回した。どうやら中庭中の視線を集めていることに今更ながら気が付いていたらしい。面倒くさそうにガシガシと赤い髪をかき乱し、桃宮の手を引いてどこかへ去っていった。
「……まるで、嵐のようだった、な……」
「だな。ドラマか何かみたいだ」
小事件の起こっていた中庭はすでに喧騒を取り戻している。一部こそ、それについて騒いでいたが、それを除けばもう祭りを楽しむ気分が戻ってきているらしい。
「にしても……やることが本当に、双子で、そっくりだな……」
「……ですがまあ、ちょっと意外でしたね。僕が蓮様のために三階から飛び降りるのは当然ですが、まさか翡翠が彼女のためにあそこまでするとは思いませんでした」
クツクツと笑う黒海に思ったままを伝える。俺のためでも飛び降りるな、とたしなめる声は聞こえなかったことにしておく。以前彼と保健室で桃宮のことについて話した時、翡翠は黒海に負けず劣らず桃宮のことをこき下ろしていたはずだ。その話をしたのが夏休み前だったとしても、いったいどんな心境の変化なのだろうか。反応を見る限り、惚れているというわけではないだろう。そうでなければ礼を言う桃宮にあんな顔はしないだろう。
「翡翠のことはわかりませんが、日和は翡翠が来ることを知っていたんですか?」
「……っえ、ううん。てっきり青柳くんが助けに来ると思ってたの。桃宮さんが囲まれてすぐ、翡翠くんとは違う方向の校舎の窓から中庭を見てたから、青柳くんが割って入ると思ってた」
本当に驚いているらしい日和にふうん、と気のない返事をした。なんだがさっきまで一瞬でも彼女がゲームのシナリオを、未来を知っているかもしれない、と思った自身が馬鹿馬鹿しく思えた。知らないふりをしているようには思えない。
日和の言っていた通り、翡翠と桃宮がいなくなって30秒ほどで、中庭に随分慌てた風な青柳が息を切らして現れた。目当ての人間がいなかったことに絶望の表情を浮かべた後、すぐそばにいた生徒に何やら尋ねている。大方、桃宮がどこに行ったか知らないか、と言ったところだろう。取り乱した青柳と対照的に、生徒は興奮さめあらぬ、といった風体で先ほどの顛末を話している。そしてしばらくして聞き終わったらしく、力なく項垂れていた。
「うわあ……青柳くん骨折り損だねえ」
「はっ、いい運動になったんじゃないか?」
苦笑と嘲笑を浮かべる二人に相も変らぬと一息つく。
もし助けに来たのが青柳だったとしたら、きっとさぞ絵になったのだろう。いまだ衣装を着たままのお姫様と王子様。まるで絵本から抜け出してきたような光景だ。だがまあよりエンターティメントらしいのは先ほどの翡翠かもしれない。三階から飛び降りて困っている美少女を助ける不良なんてなかなかいいネタではないか。中庭にいた生徒たちはきっとしばらくの間話の種に困らないだろう。




