白雪姫の思し召し
「さっきの会長は何だったんだろうね?」
「さあ……確かに僕らと会長は会ってるんですが、だからどうだというわけでもありませんし」
何か分かった風だった蓮様と副会長に聞いても、山岡先輩はただ苦笑いするだけで、蓮様も知らなくて良いと、言うだけで教えてはくれなかった。まあ何もないなら何もないで構わないのだが。
クレープを買いに行っている蓮様と黒海を中庭のベンチで座って待つ。上級生が優先的に出店できる屋台は校舎の壁に沿い白いテントを並べている。まだ暑さの残る中庭での調理は辛そうで、テントの中で物を焼いている生徒たちは皆汗だくである。それに対して、かき氷やトロピカルジュースはあまり売れないかと思われていたが青天で例年よりも気温が高いためか予想外に売れているらしく、中庭中腹まで客の列が伸びている。
「そういえば、教室にいるときは気が付きませんでしたが、意外と外部の人も来てるんですね」
「そういえばそうだね。まあ外部の人も来られるように平日じゃなくて土曜日にやってるんだろうけど。妙な問題が起こらなければいいけど」
「というと、窃盗や暴力沙汰ってところですか」
接客しているときには少なかったが、開放的な中庭の出店には、他校生と思われる制服姿の高校生の姿や、どう見ても衣装の類ではない私服を着ている人の姿が見られた。外部の人の参加を禁止しているわけでもないので、勝手に楽しんでもらっても一向に構わないのだが不特定多数の人間が学校内をうろつくというのは少なからず不安を煽る。校内であれば滅多なことはないと信じているが、今更ながら蓮様から離れたことが気になり始めた。何も知らない風に日和は先に買ってきた四人分のトロピカルジュースのうちの一つに手をかけストローを銜えてごぼごぼと空気を入れて遊び始めたので小突いて辞めさせる。
「まあその辺が一番妥当だけど、あとはナンパじゃない?他の学校の生徒も来てるわけだし。この学校美男美女揃いの上に、それなりにイイところの私立だから育ちのイイ子も多いからね」
私は特待生だから育ちがイイってわけじゃないんだけどね、ときゃらきゃらと笑った。
「そういえば、特待生と言えばあの桃宮さんもそうなんだよね。外部生の上に特待生、模範生徒だよねぇー」
「模範も模範でしょう。桃宮さんは随分生徒会の活動にも参加してるみたいですし、10月の生徒会役員選挙に立候補するんじゃないですか?」
夏祭りの時に、腕章をつけ黄師原と巡回していた桃宮を思い出す。ああいう有事の時は役に立たずとも平時であれば人での足りない生徒会からすれば諸手を挙げて迎え入れたい存在であり、模範生としてのイメージもあり生徒会にも相応しいだろう。
「ふふ、それがね違うんだよ」
「違う……?後期生徒会長にでも立候補するんですか?」
「まさか!……ここだけの話、杏ちゃんに聞いたんだけど、桃宮さん生徒会に入る気はないみたい」
「……はあ?」
日和の放った予想外の言葉に間抜けな声をあげる。だが日和は冗談を言っているわけでもなくどこか楽しそうに話をする。
「ま、生徒会に正式に加入しないってだけで、今まで通りお手伝いには行くみたいだよ。詳しい理由はわかんないけど、副会長が頼んでも会長が誘っても絶対に頷かなかったって話だから、何か理由があってのことなんだろうね」
「……あれだけ参加しておいて、正式に加入する気がないとは、」
想像していた未来とは違う展開に頭が付いていかない。
夏祭りの様子からしても、生徒会として行動することに異論はないようだし、まして会長や副会長と不仲なんてことも決してない。それに副会長が頼んだ、というのは比喩でもなんでもなく事実だろう。過疎化の進む生徒会において、意欲をもって手伝いに来てくれる彼女はきっと喉から手が出るほどほしい人材だろう。とくに今の生徒会で身を粉にして働いている山岡副会長であればなおさら。
てっきり自分の中で、桃宮天音は生徒会に入るもの、とインプットしていたためそれ以後の想像が悉く破綻していく。
生徒会に入らない、ということは会長ルートから外れている、ということか。だが生徒会に入らずとも手伝いとして生徒会に出入りするのであれば会長ルートから外れたとも言いがたい。とりあえず、不本意な集合写真を撮った時点では、桃宮は逆ハーレムエンドを辿っていた。あれから数ヵ月だが、彼女は今も満遍なく全キャラクターと接触している。
どのように行動すれば逆ハーレムエンドになるのか、実際にプレイしたことのない私にはわからない。ある程度話を聞いているとはいえ、ヒロインの意向を把握するのは難しい。
「どんな理由だったんだろうねー?」
「……何で少し楽しそうなんですか?」
「え?だって桃宮さんって見てて飽きないでしょ。それに桃宮さんの周りって顔面偏差値高いから目の保養になるよ」
ズゴゴ、と音を立ててコップの中のジュースを飲み干した。この子はこの子で、完全に彼らを鑑賞物として見ているあたり少々変わっている。他の生徒のように、キャラクターたちに憧憬や羨望を抱いているわけではなく、一定の距離感を持っている。青柳こそ中等部のころは休日に遊びに行くこともあったが、高等部に入ってからは休日などに校外へ遊びに行ったという話は聞いていない。時折彼女が仕入れてくる情報もそうだ。それらはどれも桃宮からもらった情報ではなく、彼女の友人である広瀬からもたらされるものだった。
ふと思う。日和と僕の立ち位置は非常に似通っているのではないかと。
ヒロインを取り巻く全てを舞台とするならば、日和は最前列で芝居を眺める観客だ。近いように見えるのに、実は舞台からとても遠く隔絶されている。
一方の僕は本来舞台の上にいるはずのなかったキャスト。観客席から舞台上に乱入したキャストだ。
もし私が蓮様を守りたい、御側付になりたいと思わなければ、私はきっと彼女とともにこの芝居を客席で眺めていただろう。
そこまで考えてハッとする。
客席にいるように見える彼女は、僕と同じように『これから』を知っているのだろうか。この世界の演目が何なのか、彼女は知っているのだろうか。
「涼ちゃん、どうかした?」
「……いえ、なんでもありませんよ」
日和の声に考えを打ち切った。いくら考えようともしようのないことだ。まさか彼女にこの世界がゲームだって知ってる?だなんてふざけた質問ができるはずもない。それにもしそうだとしてもだからどうしたというわけでもない。彼女が何者であろうとも、僕たちにとって大切な友人であることに変わりはないのだ。
どこかすっきりとした気分で手の中のジュースのストローを銜えた。
「あ、黒海くんも白樺くんもお帰りー!買ってきてくれたー?」
「お帰りなさい、ありがとうございます」
雑談もそこそこに、手にクレープを携えた二人の姿が見え、ベンチを開けるために置いていたジュースを手に持った。他から見て、メイド二人が給仕される、というのは妙な光景だろう。
「ただいま……それより、日和のクレープ……全部盛りって頼むの、結構恥ずかしかったんだけど……」
「だな。俺は言わなかったが注文してた黒海は二度見されてた」
「……その大きいの、日和が食べるんですか……」
どこかげんなりした黒海が手に持っていた大きなクレープを差し出すときらきらとした目でそれを受け取った。蓮様の手の中のクレープは常識的な大きさで見慣れたものが入っているが、日和が齧り付こうとしているクレープは随分と肥大していて、太巻きのようである。全部盛り、という言葉の通り上からはいろいろなフルーツが顔を覗かせ、齧ったら崩壊するのではないかというレベルだ。現に躊躇なく齧りついた日和の口の周りは生クリーム塗れになっている。
「にしても……そんな小さい身体のどこに、大量の食べ物、消えていくんだ……?」
「ですよね。よく言えば太らない体質。悪く言えば燃費が悪い、身体ですね」
見てるだけで胃もたれしそう、と言いつつもしれっと蓮様も黒海もクレープを消費していった。成長すると好みが変わる、とも言うが僕たち四人は見事に甘党だ。日和に関しては何でも食べるので甘党とも言えないかもしれないが、甘いものは別腹、と豪語するだけはある。
「あ、白雪姫だ!」
「白雪姫……?」
口の周りを生クリームで汚しながら黙々とクレープを貪っていた日和が中庭に面した渡り廊下を指さした。彼女の指に誘われるまま三人とも指の先へ視線を向けると、なるほど白雪姫がいた。
「体育館でやってた劇って、白雪姫のことだったんですね」
「それで生徒が随分と劇の方に流れてたんだな」
桃雪姫の間違いだろ、と呟く蓮様に日和が苦笑いしていた。
主役たる白雪姫を演じたのは桃宮だったらしい。視線の先では今も白雪姫の格好をしたままの桃宮がいた。珍妙な格好をした生徒のひしめき合う中庭でも彼女は一際異彩を放っていた。もちろん、世間一般的に良い意味で。髪こそ桃色のままだが頭には赤のカチューシャ、動くたびに揺れるふわふわとしたスカート少しだけ踵の高い華奢な靴。
「まさに、清楚系お姫様。姫なんて役柄は御誂え向きだよね」
「まったくですね。で、王子が青柳だったわけですか」
そりゃあ絵になる、と皮肉交じりに頷くと何故か蓮様と黒海が二人そろって顔を顰めた。
「王子なんて柄じゃないだろあの狗は。まあ死体にまで手を出そうとするあたりはぴったりだけどな」
「白樺くん厳しっ!ていうか一瞬にして王子様が死体好きの変態にしか見えなくなったよ」
「白雪姫、なあ……。後から来た女に、城から追い出され……小人の家に不法侵入して、見知らぬ人間からもらったリンゴをたべて、殺されかけ……揚句死んでるうちに、見ず知らずの男に手を出される、とろくさいオヒメサマの役が、桃色に御誂え向きって……相当きつい皮肉だよな……」
「そんな下種い意味は込めてないよ!?しかも何!?黒海くんってそんな目で白雪姫見てたの!?夢も希望もないね!」
相変わらず、といえば相変わらずだが、身も蓋もない白雪姫のこき下ろしっぷりに憐れみすら覚える。黒海の湾曲した物語の捉え方はともかく、要は二人とも自分の嫌いな相手を褒めたくないだけなのだ。以前黒海になぜそこまで桃宮を毛嫌いするのか訊いたところ、男漁りが筆頭に挙げられたが、とにかく何もかもが嫌なのだそうだ。一度男漁りというイメージがついてしまうと彼女の行動のすべてがそれに帰結しているような気がしてならないと言っていた。




