真相
「……今って僕ら、一応休憩時間なんですよね?」
「そうだよ!四人とも仕事が午前中だったから午後はみんなで他のクラスを回れるでしょ?」
「……でもコスプレしたまま出歩いてたら休憩にも何にもならないでしょう!」
苦行以外の何物でもない地獄の女装接客をなんとか終えやっと解放されると思ったのに、バックヤードにてこの忌々しいメイド服をいざ脱ごうとしたところで、総監督であるナース服の藤原さんにがしっと腕を掴まれた。
「赤霧くん、いや赤霧さん!なんで脱ごうとしてるの!?」
「え、もう僕の担当時間は終わったので他所を回ろうかと、」
「そうでしょ!他のところ回るんでしょ!?それなのに脱いでしまうなんてありえないわ!」
「ええ……だから脱ぐんですよ……」
あまりの剣幕にビビりつつも抵抗を続けると、文化祭当日ということで普段のテンション三割増しの藤原さんはクワッと目をむいた。
「どうせ他のところ回るのに白樺くんたちと一緒なんでしょ?コスプレしたイケメンの集団が校内を歩く……ことほどの客寄せがあると思う!?」
「自由時間にも客引きするんですか!?」
この後段ボールでできた看板を押し付けられ、せめて服装は戻して看板だけではだめかと交渉をしたが見事に負けた。テンションが振り切った女の子は強かった。
結果、珍妙な格好をした四人で校内を歩くことになってしまった。とにかく人目を惹く。これでは午前中の辛さと大して変わらない。騒がれるのを無視しても良いが、微笑みを返したり手を振ってしまうのはもはや条件反射。おざなりな反応ができない自身の性を呪う。
「大体蓮様も黒海もずるいんですよ……」
「そうか?……まあ女装よりもマシな自覚はあるが」
そう苦笑いする蓮様はシンプルな執事服だ。それなりに背もあり、外面もある程度は取り繕えるので物腰柔らかな青年執事仕様になっている。
「僕が着てるのはこんなんなのに蓮様は普通にかっこいいとかずるいです……」
「かっ……!」
褒められることなど慣れているだろうにぶわっと赤くなる顔に小さく笑う。照れて挙動不審になりはくはくと口を動かす様は本当に相変わらずだと独り言ちる。
「俺は……?」
「黒海が一番ずるいです!」
「一番、かっこいいから……?」
「唐突にナルシストぶっこむのやめてください。そもそも私服が和服の黒海がコスプレとして着物を着るのがずるいんです!普段着じゃないですか!」
黒海の着る紅紫の着物を指さすとふふんと鼻で笑われた。
「衣装を用意するのも、大変だろ……?それなら、自分で用意できるものの方が、良い」
「うう……何で僕だけこんな格好悪い……」
「かっこよくはないけど可愛いよ!」
「なんの慰めにもなりません!」
それから日和が、今は女の子なんだから僕じゃなくて私って言って、という言葉は華麗に黙殺する。とてもそこまでサービスする気にはなれない。
現実逃避したくなる。黒いスカートは一般的に見れば長い方なのだろうが、それでもスカートの中の心許なさが凄まじい。スース―して落ち着かない。世の婦女子はよくこんな防御力の低いものを身につける気になるなとため息を吐いた。
「もういっそ堂々としたらどうだ?恥ずかしそうにするから目につくんだろ」
「女の子たちの強かさ嘗めちゃだめですよ蓮様……堂々としてたら堂々としたで、きっと堂々と写真を頼まれるんです……」
確かに明らかに嫌そうにしているところとノリノリでないことからやたらと目に付くのは否定できないが、そんな状態だからあまり僕に絡んでこないのだ。生暖かい視線で見守ってくれる子たちが多い。たぶん堂々としてたらいろいろとサービスしなくちゃいけなくなるのだ。
「でも涼ちゃん、白樺くんとパーティーに行ったときは女装してたんだよね?それなら別に抵抗なくない?」
「そもそもそのパーティも三年以上前の話です。それにあの時は女装というよりも変装に近かったので……。ウィッグもしてましたから、もはや他人になりきる気分でした。何よりあれは仕事だと割り切っていたのでここまで精神的苦痛は受けませんでした」
「まああれは別人のレベルだったしな」
あれはあれでかなり辛かったが、むしろ辛かったのは雲雀様達の着せ替え人形になるのが辛かったのだ。会場に入ってからは架空の『白樺蓮の妹分』になりきっていたため痛くもかゆくもなかった。
だが今の状況は本当に辛い。自分で言うことではないのだろうが、普段僕はイケメンであるように振る舞っているのだ。万人受けし、誰にでも優しく優秀な人間、完全無欠な赤霧涼を演じているのに、それなのにこうして女装をしているのは辛いを通り越して屈辱的と言って相違ない。理想の人間像が崩れる。いや、むしろ完璧じゃなくて隙がある方が良いのかもしれない、なんて考えもしたが気分はとても上昇しなかった。
「お、前から、黄師原会長殿が来るぞ……」
言われるがままに前を見ると少し離れたとこで金色の目立つ頭が見えた。隣にはつかず離れず良妻のごとき副会長を連れている。さらにその後ろにはカルガモのごとく取り巻きとみられる女子生徒たちを侍らせていた。極端にスカートが短い生徒や化粧の濃い女子生徒がいないことから、今の彼女たちの格好がおそらく黄師原の許容ラインなのだろう。
黄師原と蓮様のセットは青柳と蓮様ばりに面倒で殺伐としているのでできれば関わりたくない。蓮様は未だ頬に赤味を残すくらいには機嫌がいい。それなのに奴とあってその機嫌を降下させたくない。
祭りの一件で感じたように、会長は大分まともな人間になってきているとは思うが、やたらと屁理屈こねて僕に絡んできた前科があるためなんとも近づきがたい。そして今のこの僕の格好は喧嘩の売りやすい格好だろう。
僕らの中で彼に用のある人間はいないため特に声をかけることなくそのまますれ違う。絡まれることなくそのまま通りすぎようとしたところで突然後ろから腕を引かれた。
「お前っ、」
「えっ……?」
完全に油断しきっていたのでそのまま勢いよく振り向かされる。自分より高い位置にあるはずの黄師原の顔が目の前にあり身を引くが両腕を掴まれ動けなくなる。
何か嫌味の一つでも吐かれるかと思ったが予想に反して黄師原は何も言わない。ただ何も言わずに凝視した。これはこれで居心地が悪い。
「涼っ、」
「ちょ、煌太郎何してんの!?」
慌てたように山岡先輩が黄師原の肩を掴み引きはがした。半ば茫然としていた僕は僕でまた後ろへぐいっと引き寄せられた。腹に回された黒い袖で蓮様に引き寄せられたのだとわかった。
「何かされたか!?」
「や、見ての通り何も……」
「赤霧、か……?」
信じられない、と言った風に僕を凝視する会長に合点が行くと同時に舌打ちしたくなる。この屈辱的な状況を自分で説明するなど勘弁してほしい。そしてそんなことのためにこうして呼び止められたと思うと遣る瀬無い。唐突に僕の顔へ伸ばされた黄師原の手をばしっと蓮様が叩き落とす。後ろから回された腕に力が籠められ若干苦しい。そしてなんかこの状況前にもあったなと遠い目をする。
周りが目に入らない、とでも言うような黄師原を山岡先輩が止めようとするが効果がなく、黄師原は只管じぃっと僕の顔を見てくる。罵倒してくるでも喧嘩を売ってくるでもないため対処しづらい。痛いくらいの視線に逃避するように斜め下へと視線を逸らした。
「お前……、」
「なんだよ」
確実に僕に向けられた言葉に蓮様が噛みつくように返事をする。
「……4、5年前、うち主催の立食会にいなかったか?」
あ、ばれた、と思ったが、今更ばれても特に痛くもかゆくもないので首肯する。僕が蓮様の妹のふりをするのは飽く迄もその場凌ぎであった。大きくなった今、正体がばれたとしても問題はない。
「ああ、いたぞ。俺も涼もな」
後ろからぎゅうぎゅうと抱きしめてくる蓮様の声がやたらと嬉しそうなので、無理やり首を動かして後ろを見てみると口角はキュッと上がり嬉しそう、というよりもどちらかと言えばいじめっ子のような表情で黄師原に嬉々として返事をしていた。
「俺と涼はほとんどずっと一緒にいた」
「まさか本当に……!」
何やらぽんぽんと話す二人に挟まれるが、僕一人だけが状況を理解できない。完全に当事者なのに蚊帳の外だ。衝撃を受けた風な黄師原に蓮様はニヤニヤと勝者の笑みを浮かべている。
「お前が考えてる通りだぞ」
「……っち、」
舌打ち一つ残してくるりと踵を返す黄師原。そんな黄師原を戸惑う女子生徒たちが追う。山岡先輩も困惑しているだろう、と思ったが、何故か部外者であるはずの彼が訳知り顔だ。
「あー、そういうこと……、」
「結局何だったんですか?僕があの時にいたかどうかだけ確認して……、」
山岡先輩はただただ苦笑いするだけで、蓮様は何故か優越感たっぷりといった風に笑っていた。




