モラトリアム宣言
「いらっしゃいませこんにちはー!」
「何名様ですか?」
「ご注文は?」
普段机と椅子が並べられる簡素な教室は今日に限り、カラフルに飾られていた。黒板にはメニューとイラスト机の上にはテーブルクロス。窓際やロッカーの上には造花やファンシーなぬいぐるみが所狭しとおかれている。ちょこちょこ場違いなショッキングカラーの小物やヘビーメタルを思わせる飾りが見られるが、それも文化祭独特の愛嬌というものだろう。
クラスの喫茶店は未だ午前中とはいえ大盛況と言っていい。ただ他クラスの体育館での劇が行われている間は一時的にお客さんが減った。賑やかに呼び込みやウェイトレスの声が飛び交う。そしてできれば僕もその賑やかな声を聴きながらお菓子を量産する裏方になりたかった。
「いらっしゃいませ」
「あ、赤霧くん……!?」
しかしながら致し方なくこうして顔に営業スマイルを張り付けて接客をしているのが現状である。
そして来る客来る客に悉く以上の反応をされる。こうして反応してくるのはまだいい方で、一部の客は僕を見た瞬間ものすごい勢いで二度見するのだ。知り合いでもないとその反応になるのは仕方ないと思いつつも、なかなか精神的に苦痛だ。ちなみに一番嫌だった反応は黒海で、爆笑するかと思ったのに、奴はよりにもよって無反応だった。いつもより若干目を見開いて凝視した後ぼそりとつまらん、と呟いたのだ。いっそ笑われた方が数倍マシだというのに。
「しゃ、写真撮らせてもらっても良い……?」
「……構いませんよ」
そしてこの撮影もまた苦行だ。いっそ撮影禁止にしてくれれば良いのに、大変残念なことに民主主義の皮をかぶった独裁政治が敷かれているためそれは叶わない。質の悪い人間がいれば撮影を禁止することもあるだろうが、写真を強請る人はほとんど女子生徒だから特に問題はないだろうという藤原さんの予想通り、写真を撮るのは女子生徒だけで、来店する男子生徒で今のところ写真を撮った生徒はいない。特にこれといった問題はない。だが僕が個人的に嫌だ。現在進行形で黒歴史を他人の手元に残している現状が辛すぎる。
「涼ちゃーん?笑顔笑顔!」
「わかってますよ……」
いつの間にか不機嫌なのが表に出ていたらしく、客引きの日和に注意される。壁に掛けられた時計に目をやると自由時間まであと1時間をきっているのに気が付き自身を鼓舞する。この忌々しいメイド服を脱げる時も近い。
「そう!さっきB組の劇が終わったらしくて、今からたぶんお客さん増えるよ!あと1時間頑張ろうね!」
「ええ……あと1時間で自由の身だと思えば……」
どうか知り合いが来ないようにと願いながら使用済みの皿やカップを回収する。ふとお客さんと目があい、いつもやるように微笑むといつも通りキャーキャーと黄色の声が上がる。それ自体はいつも通りで慣れているのだが黄色い声に交じって可愛い、という言葉に口元が引き攣る。いつもと違うベクトルの声を掛けられるとどうしたらよいのかわからなくなる。文化祭ということでテンションが降り切れているとわかっていても、どのリアクションが正解なのかはっきりしないため曖昧に笑っておく。
日和が言った通り、先ほどよりも人が増えてきた。
「いらっしゃいま、」
「うああ!涼ちゃん本当に女の子の格好してるんだ!可愛いねメイドさん!よく似合ってるよ!やっぱ男装もすごく似合ってるけど女の子の服着てる方が素敵だね!写真撮っても良い?そのまま『お帰りなさいませご主人様』って言ってみて!」
「頭湧いてるんですかお客様?」
入ってくるや否や怒涛の勢いで話しかけてくるお客様、もとい青柳に絶対零度の視線を送る。大きな声でいろいろと宣っているが半分近くが不愉快だというのはよくわかった。そして不愉快に回る口に意識が向いていたがふと、彼が珍妙な格好をしていることに気が付く。
「青柳くん来てくれたんだね!」
「あったりまえでしょ!日和ちゃんと涼ちゃんがメイド服で接客してくれるなんていかない理由があるわけがない!日和ちゃんも本当にすっごい可愛い!お人形さんみたいで持って帰りたくなるよ!」
「日和、君がこの珍妙な生き物を召喚したんですか……」
「そう!来てくれるって言ってたんだ!……にしても青柳くん、劇で着てた服そのままで私たちのクラスに来たんだね」
日和の言葉で納得する。ふわふわの羽が付いたハット、細かい刺繍やタイのついたシャツに黒地でサイドに金糸の模様、足元が黒のブーツ、腰に刃玩具であろうサーベルに何の意味があるのかよくわからない青い外套。何の仮装かよくわからないが、どうやら劇中の役の格好そのままらしい。
「……何の仮装ですか?」
「王子だよ!ちなみにお姫様はこの目の前にいる可愛いメイドさんだよ!」
「無性に殺意が湧くのはなぜでしょう?」
「手厳しい照れ隠しだね!……ところでお前はいつまで教室の外にいんの?早く入りなよ」
ポジティブ過ぎて話しているだけでとてつもないストレスを感じる。来たばかりだがそうそうに帰ってほしいと心底思った。思い出したかのように青柳が教室の外に呼びかける。どうやら連れがいるらしいが、勢いよく教室に飛び込んできた青柳のせいで出遅れたらしい。こんな奴に巻き込まれた可哀想な人はいったいどんな人だろうかと思い、顔を出してから全力で死にたくなった。
「……涼、か……?」
「……残念ながら、僕です翡翠……」
見なきゃよかった感が凄まじい。いっそ他人であれば適当に流せるが、身内だとやりづらい。全力で目を逸らすがまじまじと向けられる視線がこの上なく痛い。正直黒海よりも辛い。
「と、とりあえず、中に入ってください」
「あ、ああ」
兎にも角にも入り口にいつまでもいては邪魔だし我ながら普段一緒にいない双子がそろっていると人目を惹くので中に入って、いまだ日和に絡み続ける青柳とともに適当な席に座らせた。凝視してくる青柳とチラチラと気まずげな視線を送る翡翠は対照的だがどちらにしても居たたまれない。正直ここのテーブルにいたくないのだが、僕と翡翠は髪色のせいもあり双子であることが一目瞭然なので、妙に気を遣われここに回されることが明らかである。おそらく蓮様であれば頼めば持ち場を代わってくれるが、翡翠ならともかく青柳と蓮様をセットにすると間違いなくろくでもないことになるので泣く泣く僕がオーダーをとったり給仕しなくてはならない。
「黒板にメニューがありますので、ご注文が決まり次第およびください」
「了解!ねぇねぇところで午後ってヒマ?良ければ一緒に回らない?日和ちゃんも誘ってさ。他の学年でさクレープとかワッフルとか甘いもの売ってる出店のクラスがあってさ、一緒に食べに行こうよ」
「仁うるせぇ。いい加減黙れ。それとお前午後は桃色と回る約束してただろうが」
「午後は1時から4時まで時間あるから、半分に分ければ違う女の子と文化祭回れるでしょ!」
「相変わらず最低な思考回路だな」
クラスが同じでもないのに相変わらず仲の良いことだ。ただまあマイペースに動き回る青柳に翡翠が巻き込まれているように見える気もしなくはない。だが付き合ってやってるあたり、翡翠も満更ではないのだろう。そして桃色ことヒロインは赤と白の僕ら以外とのイベントをどれもまんべんなく熟していっているらしい。別にそれは構わないが、それで満足して僕らには近づかないでほしい。
「なあ涼、写真撮ってもいいか?」
「別に構いませんが……意外ですね」
「ああ、涼が女子の格好してるって父さんと母さんが見れば喜ぶから」
「すいません。やっぱり勘弁してもらっていいですか?」
何の他意もない目で写真を頼まれたので別に良いか、とも思ったが家族に送るなら別だ。こんな醜態、身内に知られたくない。翡翠に見られているのすら限界なのだ。しかもよりにもよってメイド服……文化祭というイベントにはしゃぎ過ぎた人みたいで嫌だ。もっとも、嫌だと思いながらも撮影許可はしているので結果的に撮られることになってしまった。しかもそれを見ていた青柳にもかなり撮られた。不快である。
それからは何とか普通に注文や給仕、恙なく接客ができた。内心僕と同じようにホールに出ている蓮様が青柳に気づくのではないかとひやひやしていたが、蓮様は極力客に絡まれたくないのか、ものを運ぶだけ運んでさっさとキッチンの方に引っ込むため奥まった席にいる青柳と翡翠に気が付くことはなかった。いや、もしかすれば青柳はなかなかやかましいため気づかれていたかもしれないが、ここで彼と絡んでもしょうもないと理解してあえて気が付かないふりをしたのかもしれない。
教室から出る際、青柳がこれでもかと表に出ている女子生徒をほめちぎっているのを横目に、ついっと翡翠が僕の方へ身を寄せた。
「涼、あのさ、」
「どうしましたか?」
しばし逡巡するように翡翠が視線を泳がせた。大した時間ではなかったが、言い淀む、というよりも意を決するための時間のように感じた。
「あの、瀬川さんとの話を聞いてた。……勝手に訊いて悪かったとは思ってる」
「いえ、隠すものでもありませんし、聞かれて不味いものでもありませんから」
それで、と続きを促す。真っ直ぐこちらを射抜くように見る赤い目がしかと合った。
「今の俺は、たぶん間違ってない。後悔もしてないし、殊に困っていることもない」
「…………」
「だから、今の俺を見てお前がどうこう思うのは勝手だが、筋違いだ」
「それは、」
「それから、俺を見るたびに、何か後悔するのはやめろ」
思わず目を見開いた。母に似たたれ目は力強くそらされることはない。
「お前が今の俺について後悔するのと同じように、俺も今のお前について後悔したくなる」
それを聞いて、何かがすとんと僕の中に落ちた。僕の現状の何をもって後悔の種にするか、きっとそれはいつかに神楽様が言っていたそれなのだろう。
「俺はちゃんと前を向いてる。お前が思うほど俺は弱くない。お前がいつまでも俺を見てうじうじ考えてる方がよっぽどだ」
自身よりも少し低い位置にある僕の赤い頭を、髪型が崩れないように気を遣いながら翡翠は撫でた。
「俺も頑張る。だからお前も頑張れ」
ゆっくりと僕の頭から手を退け、いつまでも女子生徒に絡んでいる青柳の襟首をつかみ、振り返ることなく回収していった。どこか現実味の無い感覚で先ほどの翡翠の言葉を心の中で繰り返す。今までそれらしい言葉を交わしたことなどなかったのに、誰よりも僕の考えていることを見透かしているのは、双子の兄なのかもしれない。柄にもなくそう思った。




