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胡蝶の夢  作者: 秋澤 えで
高校生
113/157

本部

すっかり暗くなった境内を、お囃子の舞台や屋台、本部のテントの明かりが煌々と照らす。久しぶりに吐いた下駄の下で砂利がキシリと鳴いた。日が落ちてもなおどこか残る暑さは、日の残滓か人々の所為か。



「ここが一番奥、かな?」

「たぶんそうでしょうね。本堂もありますし、これ以上先は明かりもありませんから」



本堂より奥には一切の明かりが見えず、黒々とした闇を湛えていた。ここまでの道のりがひどく明るかったため、その深さは一入である。奥には聖域があるためか、黄色のロープが張られていた。名目上は神をたたえるものであるが、神輿などの神事は夕方にはすでに済んだらしく、ほのかな明かりをともした提灯がいくつか並ぶだけで、本堂の側はほの暗かった。



「この奥までは行けないんだな。調子乗ったような奴らが肝試しとかしそうな雰囲気だけど」

「ロープより先はおそらく聖域ですよ。流石に人に入られるわけにもいかないのでしょう」

「聖域って?」


「神の領域、というのでしょうか。細かくは僕も知りません。ただこの聖域という概念は諸説あります。人が入ることを禁じる理由の一つとして、地盤が緩かったり、木が倒れたり、要は神云々以前に危険であるため入らせないようにしているようです」



再び奥へと目を凝らすが鬱蒼とした木々の姿しか見えず、実際のところはわからない。それに山神が主な神であったかつてとは違い、この神社は山中ではなくわりと街中に位置しているため、地盤や土砂といった災害の線は薄い。少なくとも、祭りの間は人の目が届かない、という理由で封鎖されているのだろう。



「それ以外の理由ってぇと、神社の奥の森の生態系の維持が一つだな。昔っから人が入らねえようにしてっから何百年も前の生態系が残ってるらしいぞ」

「……こんばんは、補足ありがとうございます、藤本先生」



背後からぬっと影が差すと同時に、つらつらと気怠そうながらも補足説明が入った。振り向くとよく言えば無邪気な、悪く言えば大人気ないくらいに祭りを満喫しているいい大人、もとい藤本教諭が立っていた。ひらひらと振る手には水風船、片手には焼きそばとフランクフルトの入ったプラスチックパックを携えている。



「祭りだってぇのに随分と小難しい話してんなぁ」

「大人だというのに随分と童心に戻られていますね」

「大人だって祭りくれえ楽しみてぇんだよ。……おい進藤勝手にフランクフルト食おうとすんな、コラッ」



ぐしゃぐしゃとかき回そうとするであろう手を、僕の頭に伸ばした時点でバシッと叩き落とす。その隙に片手から日和がフランクフルトを奪おうとパックの隙間から出たフランクフルトの串を引っ張った。



「フランクフルトと焼きそばはいいとしても、水風船ってどうなんだよ……。子供にまじってそれとってきたなら相当シュールな図だぞ」

「うるせえほっとけ」



呆れたような蔑むような、そんな目で恥ずかしい奴だと蓮様が呟いた。そう大きくない声だったが、藤本教諭にはガッツリ聞こえていたらしく水風船をひっかけている方の手でびしっと額をはじいた。小さく蓮様がうめき声をあげる。



「白樺くんって肌白いから、デコピンの跡すごい目立って痛々しいね……」

「体罰でイケますかね?」

「おい待て赤霧、どこにいくつもりだ?裁判所か?」

「暴力教師」

「お前も不穏なこと呟いてんじゃねえよ!」



ゴッと蓮様が藤本教諭の脛を蹴る。下駄の効果もあり、以前黒海に蹴られた時よりも悶絶し、若干涙目である。それで思い出したように黒海はいないのかと聞かれ、陸上部の先輩たちに拉致されたと答えると、また日和がニヤリと笑った。口を割る気はないようだが、やはり何かを企んでいる。すでにここにはいない黒海を思い出し眉を顰めた。



「そういやぁ、」

「っ……、」



軽く切り出し、僕の左頬に手を伸ばした。びくりとして避けようとするが、藤本教諭の表情を見て動きを止めた。伸ばされた手が、いつかのようにつつ、と頬をなぞった。



「頬の傷、随分とデカかったが……きれいに治るもんだな。流石は赤霧か。傷は男の勲章ってぇがお前として微妙なところだろ」



ふざけたような顔でもなく、屈託ないわけでもない、彼にしては珍しい年相応な穏やかな顔で笑っていた。目尻にうっすらと寄る皺がひどく優しく見えた。くすぐったいのに、その手を指を、振り払う気にはならなかった。

だが振り払う気にならなかったのは僕だけだったらしい。


バチッと痛そうな音で蓮様が藤本教諭の手を叩き落とした。その音でハッと我に返る。教諭の表情にくぎ付けになっていた僕はなんとなくバツが悪くなる。そして先ほどの言いようにひとかけらの違和感を感じた。



「女子生徒の顔を長々と触ってんじゃねえよ変態教師がっ……!」


「変態って……んなに怒んなよ白樺。可愛い教え子の傷跡の心配してやっただけじゃあねぇか。お前が心配するようなことはねぇよ、なあ進藤?」

「変態教師に一票!」

「嬉々として同意すんじゃねぇ!」


「ふっ藤本先生!勝手にふらふらした挙句生徒にまた何か……!?」

「おいコラ紫崎、面倒なところでいきなり会話に入って勝手に勘違いしてんじゃねえ。そして『また』って何だまたって!?」



二人からの非難を浴びているとその後ろから紫崎教諭が現れた。どうやら二人の変態教師発言を聞いていたらしく顔を若干青くさせているうえに、戸惑いの色濃く見せる目の奥には半ば確信になりつつある侮蔑が含まれていた。また、というからにはたびたび自身の教育係である藤本教諭の問題発言、問題行動を目撃してしまっているのだろう。



「……話はあとで詳しく聞きますから、とりあえず本部に戻ってきてください。藤本先生とはいえ、見回りの一員なんですから、あまりフラフラするのはやめてください。そして私の仕事を増やさないでください」

「お前態度変わったよな。俺に対する可愛げがなくなった」


「むしろ先生が私の中の評価を自分で下げ続けてるんですよ。……赤霧さんも、藤本先生に何かされたら遠慮なく相談してくれていいからね」



 げんなりとしている紫崎教諭が藤本教諭をせっつく。どうやら普段から割と一緒にいるせいか、人一倍藤本教諭の問題のある点が目に付くらしい。以前実技教科棟であったときとは全く態度が違う。前も藤本教諭の行動に対し何かと咎めるような言動はしていたが、飽く迄も『お言葉ですが、』という前置きが感じられるくらいには下手に出ていた。だがどうやら約三か月ほどで、必要以上に礼儀を払う必要はなく、むしろ問題を止める方に力を入れた方が良いと判断したらしい。


もはやどちらが教育係なのかわからないが、教育係に藤本教諭を任命した教諭はこれを狙っていたのではないかと思えてくる。純粋な知識や経験を藤本教諭から学ぶ代わりに、フラフラと勝手で適当な行動ばかりする彼のストッパーになる。この授業料が高いとみるか安いとみるかは、実際にやってみないとわからないだろう。



「紫崎先生こんばんはー!先生も生徒会担当だからお祭りの見回りやってるの?」

「ああ、進藤さんこんばんは。そうだよ。生徒会のメンバーと私と藤本先生でローテーションを組んで見回りすることになってるんだ。……進藤さんは生徒会が見回りすることを知ってたのか?」

「うん!杏ちゃんから聞いてたの。桃宮さんも見回りを生徒会と一緒にやるらしいってね」



先ほどまで上機嫌だった蓮様は藤本教諭の手を叩き落としてから機嫌が降下し始めている。おまけになぜか日和と話をしている紫崎教諭をこれでもかと睨みつけている。



「……なぜ紫崎先生を睨んでるんですか?」

「……なんでも。あの紫崎ってのとお前も知り合いなのか」

「ええ、以前たまたま出くわしまして。美術の先生です」



睨む心当たりがないため馬鹿正直に訊くが、蓮様の返答は要領を得ない。ただなにかしら不満を抱いてるのはしっかり伝わってきた。小さな声で会話している間も、紫崎教諭たちの会話にも耳を欹てる。



「杏ちゃん……広瀬さんなら今本部にいるよ。桃宮さんは今ちょうど見回りに出てもらってる」

「え、一人で?」

「あ、いや正確には黄師原くんと一緒に見回りに出てる。流石に女子生徒一人に見回りをさせるわけにはいかない。腕章はつけてるが、万が一のことがあっては困るからね」



なんとなく会話の流れや藤本教諭を探していたことからも本部に寄ることになりそうだ。桃宮に遭遇するかと思い気が引けていたが、彼女は今本部にはいないとわかってほっとする。このシチュエーションにヒロイン様がいてイベントが発生しないわけがない。発生したとしても、巻き込まれるなんて御免だ。




******




本部と思われるテントに近づくと、その中から零れる光は一層明るく目を細めた。中にはいくつかの机と堅そうなパイプ椅子が並べられ、白いテントの屋根には本部と印刷された紙が貼られていた。手前の机にはマイクも取り付けられており、どうやら迷子の保護もここで行っているらしい。



「本部、というからには関係者ばかりが集まっているようなところだと思っていたんですが、」

「関係者よりも絶対部外者の方が多いだろう、これ」



テントの中にはたくさんの人がいた。だが紫崎教諭の言うような腕章を付けた人はあまり見られず、同世代くらいの女子が多いことに気が付く。生徒会関係者とも考えるが、会員の足りていない生徒会がこんなに見回りの人員を出せるとは思えない。そして浴衣でガッツリきめている女子たちは間違いなく部外者である。本部のテントはいくつかあるのだが、ひどく混み合っているのは今僕たちがいるところだけのようだった。



「おうおう部外者ばっかだな。こいう浮かれたところにいると、教師とかに会いたくなるんだとよ。……ここは見回り担当の天原学園のテントだ。だからここにばっか生徒が集まって、祭り主催者とか地域のテントは空いてんだよ。暑苦しいから来てほしくないんだがなあ」

「変態教師だから女子生徒が来て喜ぶかと思ったが、意外とまともだな」

「あんまり騒ぐと俺らが小言喰らう羽目になんだよ」



苦々しく言う藤本教諭は本当に面倒そうだ。彼は教師に会いたくなる、といったがきっと実質は紫崎教諭や黄師原が大半の目当てだろう。現に紫崎教諭がテントに入るときゃあきゃあと姦しい声が上がった。流石にこんな巻き込まれる形であるのに小言を代表していただかなくてはならない藤本教諭が可哀想になった。


テントの中からは外にいる僕らに向けていくつかの視線が送られる。どうやら一部は僕や蓮様がいたことに気づいたらしく、何かを囁きあっては僕らの方をチラチラとみていた。一応見知った顔の彼女たちを放置すれば話しかけてくるだろうと思い、軽く微笑んで手を振るとまた黄色い声をあげて手を振り返してきた。学校でもないのにわざわざ彼女たちの相手をする気にはなれず、何よりうっかり一緒に回ろうなんて言われては敵わない。今日は『友人』たちと来ているのだ、わざわざサービスしてやる気は微塵もない。



「相変わらず赤霧は愛想が良いな。そのキレイな笑顔の裏は真っ黒そうだけどよ」

「愛想っては大事ですよ。あって困るものでもありませんし。適当に笑って手でも振れば彼女たちも満足してくれるでしょう。わざわざ話したり相手するのは面倒です」

「見た目の良さを熟知してるやつは考えてることがえげつねえな……」

「今日は邪魔されるわけにはいきませんから」



面倒なことになる前に本部から去ろうと思い、隣にいる日和と蓮様に声を掛けようとしたら、何故か蓮様しかいなかった。



「……日和は、どこに」

「ああ、日和ならあっちの方に……紫崎と広瀬サンと一緒にいるな」



指差される方に目を向けると、隣にいたはずの日和はすでにテントの中でほかの女子生徒たちとともに紫崎教諭の取り巻きの一人と化している。同じクラスの彼女は紫崎教諭の授業を受けていないため、接点はないはずだが、イケメン好きな彼女からすればそんなことは些細なことなのだろう。



「……あのさ、涼」

「なんです?」


「その、もう二人で回らないか?……黒海は戻ってこないだろうし、日和もあれだしな」



せっかく四人で来たのに、と思いつつも、今更どうしようもないと思い、彼の言葉に頷いた。

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