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胡蝶の夢  作者: 秋澤 えで
高校生
110/157

だってそうだろ?

うっかり傷口にガーゼを強く押し当ててしまって悶絶する僕を、翡翠は若干呆れたように見つめながらくあ、とあくびをした。



「それ、どうしたんだ?珍しいなお前がけがするなんて。……誰にやられた」

「いっつ……、ああ、先ほど少々過激なお嬢さんに切り付けられまして」



含ませすぎた消毒液が頬から垂れて顎に伝う。鏡を見ながらとはいえやはりやりづらくため息を吐いた。



「……涼、貸してみろ」

「え、兄さん?」

「うまくできないんだろ?」



手に持っていたガーゼを奪われポイとゴミ箱に放る翡翠に茫然としているとてきぱきと新しいガーゼや消毒液を用意していく。ただ見ているだけの僕に丸椅子へ座るように促され、大人しく腰を下ろした。



「あの、」

「ほら、大人しくしてろ。動いたら傷口にガーゼねじ込むからな」

「うっ……」



よくわからないままに手当てを進められる。荒くされるかと思ったが押し当てられたそれはずいぶんと優しげなものだった。保健室は翡翠が手を動かす音だけでほかに何の音もしない。閉じられた窓の外では蝉がやかましく鳴いているが、それは完全に断絶されたものだった。



「……お前にもできないことがあるんだな」

「え、ああまあ。いろいろありますよ。というより自分の顔の手当てって普通に難しいと思いますが……」



釈然としない表情をすると喉の奥で笑われた。



「なあ、さっき『お嬢さんに切り付けられた』って言ったよな」

「ええ」

「そのお嬢さんとやらが切り付けようとしたのは、涼お前じゃなく蓮様じゃないのか」



ピクリと体を動かすと、動くな、と言われ空いていた左手で顎を掴まれた。



「……はい。切り付けられたのは蓮様です。僕が二人の間に割って入ったので。……なんでわかったんですか?」

「はっ、当たり前だろ。女子生徒ごときにお前が傷つけられるわけがない。それなら蓮様関連しかない」

「まあ、そうですね」

「で、そうだとしてもお前がけがするとは思えないから……わざと切り付けられたな。マゾヒストか?」



またクツクツと笑う翡翠に口をとがらせる。確かにわざと切り付けられたとはいえ被虐趣味だと思われるのは業腹である。一応自分なりに考えているのだ。傷が思ったより大きく深かったこと以外は自分の狙った通りであった。



「……兄さんは何で保健室に?」

「不良といえば、保健室でサボるのがセオリーだろ」



今度は僕が小さく笑った。しかしながらふと思う。

思えば中等部のころから彼はずっとそうであったのに、僕は一度たりとも尋ねたことがなかった。



「兄さん」

「何だ?」


「兄さんは、何で不良をしているんですか?」


「……何でだと思う?」



そう訊いた兄さんは、笑っていた。


想定外の返しに面喰った。何か理由あってのことであろうとは思っていたが、答えることを渋ったりはぐらかされるとは思ってもみなかったのだ。思わず言葉を失う。



「わ、わかりません……、」

「はは、だろうな」



また笑って仕上げのように、湿ったガーゼで僕の頬を撫でた。そして汚れたガーゼを捨てて真新しいガーゼとテープを用意する。僕は続くであろう翡翠の言葉を待ったが、それ以上翡翠はそのことについて何も言わなかった。聞いて良いものか否か、見当もつかない。答える気があるのか否かも。


空気がピリピリしているわけでもない。少なくとも機嫌を損ねたわけではないらしい。



「……そういえば、桃宮天音さんってご存知ですか?」

「桃宮……?あー、知ってると言えば知ってる。何かよくわからんがすごい話しかけてくるんだ、あの桃色」



がらりと話は変わってしまったが、先ほどの妙な沈黙よりか幾分かましだ。ただ桃宮の名前に翡翠は鬱陶しいと言わんばかりに顔を顰めた。



「お前の知り合いか?」

「非常に不本意ながら。僕もよく話しかけられそうになります」

「話しかけられそうってことは逃げてんのか」

「ええ、まあ可能な限りは」



何とか話が軌道に乗ってくる。とりあえずこの桃宮のことは以前から聞きたかったことでもあるので、先ほどの不良云々の話は頭の隅に置いておく。



「女に基本的に親切なお前にしちゃあ珍しいな。……好みじゃなかったか」

「そうかもしれません。あまり積極的すぎる方は好みじゃありませんね」



こんなこともあったばかりですし?そう茶化すような翡翠に返す。もちろん、桃宮は間違ってもこんな風に襲い掛かってくるようなタイプではない。



「兄さんはなぜ?少なくとも害はないでしょう?」

「害はなくとも、ああも話しかけられると鬱陶しい。だいたいほとんど接点がない割にやたらと絡んでくるのが怖い。必死過ぎてな。捕食者のように見える」

「ほ、捕食者ですか……」

「お前はそう思わないか?特にやたらと絡んでるやつら、髪色が派手な生徒中心っても不気味だ」

「捕食者ってのもあながち間違ってないかもしれませんね」



散々な評価に苦笑いしつつも同意する。やはり彼女に必死さを感じていたのが僕一人だけではなかったことに安堵する。客観的に見ても彼女は人との関わりを繋ぎ止めようと躍起になっている。

そこまで言って翡翠はああ、と納得したような声をこぼす。



「それで、か。お前が桃色のことが好かないのは。……髪色が派手な生徒の中に蓮様も含まれてんのか?」


「……いえ、まだ含まれてませんよ。今のところは一緒にいる僕が全力で避けてますから。ですが、彼女は僕にも割と頻繁に接触しようとしますし、他の派手な髪色の生徒に対し非常に積極的にかかわろうとしているので、一応髪が白の蓮様も狙われる可能性があると思って、警戒しています。……少なくとも、彼女の傾向を考えれば、可能性は十分です」



必ず狙われると知っているが、なぜ断言することができるのかと問われると現実的に考えて言葉を失わざるを得ないため、傾向を根拠とした可能性を挙げてみせる。

しかしながら、僕は最初から分かっていたため、彼女が髪色が派手な生徒に絡んでいることを顕著に感じたが、他の人の目から見ても彼女の好みの傾向は明らかなようだ。



「……ビッチか?」

「言葉が悪いですよ。……まあその可能性を考慮しているのが一番大きな、彼女を避ける理由です。万万が一にも、遊ばれる、なんてことがあれば僕は決して許しませんから」



せせら笑うようにつぶやいた翡翠に眉を顰める。品のない言葉だとは思うが平たく言ってしまえばそうなのだ。天使のような見た目の少女の本性、なんてうわさ好きに好まれそうな安いゴシップネタだ。いや、そもそもああいったゲームの本質はそれなのかもしれない、なんて心の中で嘲笑する。


ちょうどいいサイズに切られたガーゼが当てられ、白いテープでぺたりと固定される。翡翠の後ろにある鏡で見れば、赤く染まっていた顔はすでに面影が見られない。清潔な白いガーゼは痛々しく見え、少々大仰にも思えた。



「そこまで言うとなると、兄さんは狙われていたりするんですか?」

「さあな。……狙われてるのはお前の方じゃないのか?桃色に会うたびに毎度お前の話をされる。優しいだの、不器用だの、とな」

「さあて、どうでしょう。ただ彼女は僕が女であることに気づいていないようで、ね。それに、それは僕も同じですよ。会うとよく兄さんの話をされます。良い人、だそうですよ」



僕の優しいだのなんだのは完全に外面の話ですが、兄さんは何をして良い人認定されたんですか、と問えば心なしか機嫌の悪そうな顔をする。



「まともに応対した覚えはないが?」

「不器用だとか、思われてるんですかね。もしくはツンデレとか」



茶化された仕返しとばかりに追撃するとガーゼの上から軽く頬を叩かれる。対して痛くはないがこれ以上されてはたまらないと軽く謝っておく。



「でも、彼女は見た目は可愛いでしょう。揺らいだりしないんですか?」

「馬鹿言え。顔だけなら俺の方が良い」

「それはまた……、」



唐突なナルシスト発言に苦笑いを禁じ得ない。もっともそれを言えるだけの顔だちをしているため、様になってしまう。



改めて顔を突き合わせると確かに彼の顔はきれいだと感じる。

白くきめの細かい肌、二重の瞼、長い睫、ぱっちりとして澄んだ緋色の相貌。今でこそ髪型は不良風に整えられているが、たれ目のせいで印象はどうしたって愛嬌がある風になる。


幼いころにも感じたが、母似の翡翠はどちらかと言えば女顔で、女装をすれば間違いなく美少女でその辺の女子よりもずっとかわいらしい。その真逆を行くのが僕なのだが。



「……俺たちは双子だ。だが顔つきはかなり違う。俺は母さん似、お前は父さん似。俺はどちらかと言えば女顔で、お前はどちらかと言えば男顔」


「兄さん……?」



顔のつくりを確かめるように、片手で僕の顔をなぞる。くすぐったく、身を引きたかったが翡翠の顔を見て、そうすることは気が引けた。様々な感情が内包されている表情。ただその中でも一番強く見えた感情は辛さや遣る瀬無さだった。今までに見たことがない双子の兄の様子は、その顔を這う手を振り払うことを躊躇させた。


顔をなぞっていた手を引くと同時に、翡翠は立ち上がり、消毒液やガーゼを元の棚へと戻していく。彼が治療を始めたときと同じように僕はただ彼の姿を眺めていた。



「兄さん、」

「俺とお前は全くの別人だ。顔も違えば、性格も、口調も違う」



背を向けたまま紡がれる言葉はひどく硬かった。それらは決して凪いでいるとは言えず、むしろ胸につっかえたものを静かに吐き出しているようだった。



「別人なのに、何をどうしたって、俺たちは双子の兄妹なんだ」



小さな音を立てて戸棚の扉が閉まる。


翡翠の声、戸棚のしまる音、そしてうるさいくらいの耳鳴り。


耳鳴りに聴覚を支配されているのに、翡翠の声はこの上ないほどに明瞭に聞こえた。




「俺たちは、双子だ。……だから俺は『不良』をするんだ」




いまだに椅子に座ったままの僕を保健室に置いて、翡翠は保健室の扉を閉めた。閉まる音はひどく重く身体の中に響いた気がした。重くなった身体を動かし鏡に視線を移すと、双子の兄とは似ても似つかない顔が僕を見返した。利用者名簿を見れば、角ばって細い線の僕とは違う流れるような字で翡翠の名前が書いてある。



どうしたって僕らは別人で。

どうしたって僕らは双子だ。





保健室から出たときの、翡翠の顔と言葉が、目に耳に、焼き付いて離れない。


泣きそうな、苦しそうな、責めるような、あるいは諦めたような表情で、僕の片割れは言った。



「だってそのほうが、わかりやすいだろ……?」

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