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胡蝶の夢  作者: 秋澤 えで
高校生
105/157

傘を忘れたのは誰か

何といえば、良いものだろうか。この世というものは全くもって、ままならない。



「涼くん?どうしたの?」



全く、ままならない。


どうして僕は桃色の彼女と相合傘をしているのだろうか?なぜ僕がガッツリイベントに関わりあまつさえこなしてしまっているのだろうか。


ざあざあと降りしきる雨の中。寮はまだ遠い。




******




「……朝は晴れてたのに、雨降ってきましたね」



朝は薄い空色が広がっていた空は今や重い鉛色に色を変え、耐えかねたようにポツリポツリと雨粒を落とし始めていた。



「ふっ、なんだ涼?もしかして傘持ってきてないのか?」

「や、持ってますけど」



どこか得意げな蓮様に間髪入れずに答えると何故かうなだれた。朝晴れていたとはいえ今朝携帯で見た天気予報には午後から深夜まで雨が降るとあったのできちんと傘を持ってきている。



「蓮様は忘れたんですか?それなら、」

「持ってる……けど今日ほど持ってこなければよかったって思うときはない」



何やらがっかりした風な様子だが何に対してがっかりしているのかさっぱりである。雨が降っている、傘を持っている。何もがっかりする要素はない。


窓の外の雨は徐々に強まり校庭を打ち付ける雨で微かに煙っていた。



「でもま、傘は持っているに越したことはありませんから。まだたぶん強くなりますし、雨に濡れては風邪を引いてしまいます」

「そういう問題じゃ……、そういう問題じゃねえんだよ……」



ぶつぶつと恨み言のようなことを呟く蓮様に首を傾げた。どういう問題なのだろう?



「よくわかりませんが、そろそろ帰りましょうか。傘を持っていても、風が強くなれば濡れてしまいますし」

「ん、おう。台風近づいてきてるらしいからな。風は強くなるかも。……暴風警報出たら学校休みだな!」



がっかりしたような様子はなくなり天候不良で休みなることに気が移った蓮様に、単純だなという感想を抱く。なんにせよ元気があるのならそれでいい。



「でも結局寮にに篭るだけならあんまり休んだって気がしませんね」

「確かにな。でも授業がないってだけでうれしい」

「そんなもんですか」



笑って返すが、授業がなくなれば新しく別の日に補講が入るということを忘れてはいないだろうか。流石にそれを言えばへこむのが目に見えているので口には出さない。まあ、休校となったら本当に補講が入るので、それを教師から伝えられるときの彼の顔は見ものだ。そんな風に考える僕もまた、相変わらず昔から変わっていない。




寮に帰ろうと昇降口まで来たところで課題に必要なワークを教室においてきたことに気が付いた。ここまで来てから気が付いたことに舌打ちしたくなる。教室で気が付ければよかった。もしくは寮まですでに帰った後であればあきらめもつくのに……。



「……すいません、蓮様。教室にワークを忘れてきたみたいで」

「へえ、お前が忘れ物なんて珍しいな」


「はい、気が抜けていたかもしれません。取りに行ってきますから、先に帰っていてください」

「いや、待ってる」



蓮様は待っているというが、彼はすでに靴も履き替え傘も持ち帰る準備は万端だ。流石に待たせておくのは申し訳ない。



「いえ、大丈夫ですよ。それに教室離れてて時間かかりますし。……それに、たまにはひとりの方が良いでしょう?」



時間がかかるというのは尤もであるがそれ以上にたまには離れた方が良いかと思うのだ。仕事のためもあり、彼の近くに僕は四六時中いる。それは昔からずっとそうなのだが、いかんせん、蓮様も多感な思春期だ。いくら仕事とわかっていても、自分のそばにずっと僕がいて離れないというのは煩いだろう。寮に帰っても今は黒海と同室で一人になる機会があまりない。たまにはそういう時間も必要だろう。何より彼の安全のためにそばにいるが、校舎から寮までに何か危険があるとは思えない。この校内はセキュリティが完璧であり部外者の侵入は不可能に等しい。小学校の時は登下校が一番危ない時間であったため必ず一緒に帰っていたが、今は特にそれを行う必要がない。



「……涼は、俺と一緒にいるのが嫌か?」



途端さっきまで台風に嬉々としていた蓮様の表情が曇り、縋り付く子犬のような顔をする。その様子にしまったと思う。どうやら言葉選びを間違えたらしい。



「そういうわけじゃありませんよ。そうでなければ御側付なんて十年も続けられませんから。……そういえばもう十年も経つんですね、貴方の御側付になってから」

「そういえばそうか……随分長い間一緒にいたんだな」

「最初は生意気なクソガキだと思っていましたが、」

「そんな風に思ってたのかお前!?」


「冗談ですよ。始めから貴方のことが大好きです。貴方が嫌だと言っても御側付を止める気はないので、これからもよろしくお願いします」



冗談交じりに本心を言えば顔を真っ赤にしながら何かを言おうとして言えず、口をただパクパクさせている。その様子がまた昔からほとんど変わっていなくて嬉しくなる。ただいつものように頭を撫でるところで、自分よりも数段高い位置に手を伸ばしたことでずいぶん大きくなったものだと物悲しくもなった。



「それじゃ、気を付けて帰ってくださいね?」

「お、おお……」



若干おぼつかない足取りながらも、傘をさして雨の中へと向かっていく。彼はすでに僕を待っている、と言ったことを忘れてしまっているらしい。はぐらかして帰すことに成功。長いこと一緒にいると彼に何を言えば望むままに行動するかがだいたい想像がつく。手こずることもままあるが、基本的には僕の手のうちである。


そのまま帰るかと思ったが、しばらく行ったところでこちらを振り向いた。いまだ背中を見送っていた僕と目が合うとパシャパシャと薄くたまった雨水を跳ねさせこちらへ走って戻ってきた。



「蓮様?」

「あの、だ、涼!」

「はい」

「……お、俺も涼が大好きだからなっ!!」



それだけっ!と言い残しまた雨の中に走って行った。ああ、こんな雨の中で走ったら泥が跳ねてズボンの裾につくのに、なんて思いながらその背中を眺めていた。



「……本当に、変わんないなぁ」



一人残された昇降口でつぶやき口角を上げた。


本当に、昔から変わらずかわいらしい主人だ。


どこか浮かれたような心地で教室へと目当てのものを取りに行った。




******




浮かれた心地でいたのが悪かったのか、何なのか。


ワークを回収し昇降口へ戻ってきたとき僕が目にしたのは先ほどよりも強く降りしきる雨を前に立ち尽くす、傘を持たない桃宮天音であった。



「何たる不運……」



口の中で呟くが現状は変わらない。



雨が降っている。桃宮天音(ヒロイン)は傘を持っていない。赤霧涼は傘を持っている。

これはもう一つしかないだろう。


梅雨イベントを全力で呪いたくなった。


ワークなんてさっさとあきらめて連様と一緒に帰ればこんなことにはならなかったのに。

いっそ気が付かなかったふりをして帰ってしまおうか。そう思いちらりと桃宮に視線をもう一度ずらすとなんの不幸か、彼女もまた僕の方を見ていた。完全に目があい、桃宮があっ、という顔をする。


僕の計画は始まる前に破綻した。



「涼くん!」

「……こんにちは。誰かを待っているんですか?」



双子である翡翠と呼び分けるため、とわかっていても馴れ馴れしく名前で呼んでくる彼女が心底鬱陶しい。基本的に身内以外からは、赤霧くん、赤霧さんなど、名字で呼ばれている分、一入(ひとしお)である。まるで距離を詰めようとしているように感じられひどく息苦しい。



「あ、ううん。傘忘れちゃって……。朝寝坊して天気予報チェックし忘れちゃったから。もう少し雨が落ち着いたら帰ろうと思ってるの」



白々しい僕の問いにそう答える。台風が近づいているのだからこの雨が収まることはまずない。ひどくなる一方であろう。朝はまだ台風の影響は出ていなかったがこれから北上するのだから、収まるのはきっと明日か明後日である。


いつも一緒にいる広瀬は傘を持っていないのかと聞こうとしたが、室内の文化部である写真部は今日も活動している。彼女の部活が終わるまで待てば、とも思ったが現在の時刻は5時。部活が終わるのはおそらく6時半、やく1時間半待たなければならない。


……考えれば考えるほど外堀が埋まっていることに気が付く。


文化部の部員なら部活中。運動部と帰宅部はすでに帰った後で、閑散とした昇降口に僕を助けてくれる人間はいない。


苦虫を噛み潰す。苦肉の策でこの場から逃げ出す算段を立てた。



「……この傘使ってください。いつまでいても雨はおさまりませんよ」



持っていた紺色の傘を泣く泣く差しだす。流石にそれじゃ僕はこれで、と言って帰れるほど僕は鬼畜ではない。持っている傘を押し付け、僕は走って寮まで帰る、これが最善であると判断した。これならば微かな良心も痛むことはない。欠点を言うなら、僕が風邪をひくかもしれないことと、後日桃宮が僕に傘を返すために接触してくることである。ああ、これだけ降っていれば制服は重くなるし、ズボンの裾には雨水と泥のシミができるだろう。しかしながら、背に腹は代えられない。



「え、でも涼くんは?」

「僕は走って帰りますから問題ありません」



それだけ言ってそのまま雨の降る中へと足を踏み出そうとするが、制服の端を強く引かれた。大体想像はつく。原因も、理由も。


本当に、煩わしい。



「……離してもらえませんか」

「だ、だめ!こんな雨の中傘もささずに出たら風邪引いちゃうよ!」



受け取れない!と言わんばかりに傘を突き返される。否定だけして代替案を出さない彼女に苛立つ。

わかってはいる。彼女をここから動かし僕も寮に帰れる方法をわかってはいる。だがしかしこの上なく気に食わない。



簡単だ。梅雨のイベントらしく、二人一つの傘に入って帰れば万事解決だ。


突き返され手の中にある傘を膝でへし折りたくなった。

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