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胡蝶の夢  作者: 秋澤 えで
高校生
102/157

降る者ありけり

一応定期試験が終了した。一応というのはまだ結果が返ってきていないからである。試験終了後1週間後までに全教科のテストが返却される予定である。そして全員にテストが返却されたのち、生徒一人一人に順位や偏差値の書かれた短冊が配られ、同時に渡り廊下には上位50名の順位と名前が貼り出されるのだ。

名前が貼り出されるのは中等部時代にはなかった形式だ。こうして名前を出すことによって張り合い切磋琢磨することが目的らしい。もっとも50番以内に入れなかった者の名前が出されないのは学校側の良心であろう。


普段であればきっと僕は中学時代と変わらず5番以内には入らないが10番以内にはいる、という微妙な順位をとる予定であった。だが今回は5番以内に入れるくらいには努力した。



今回の定期試験では、ご褒美の代わりに4人で賭けをすることにしたのだ。4人の中で一番順位が良かった者の命令をほか3人が聞く、という内容である。これで3人とも俄然やる気を出して見せた。もっとも、3人のうちのだれが勝ってもろくなことにはなりそうにないので、僕も一応頑張った。人生2回目イージーモードの僕が全力で1位を狙いに行くのは流石に大人気ないし、他の努力している生徒たちが可哀想なので一歩足りないくらいにしておいた。


3人はいつもより試験の手応えがあったらしく上機嫌である。とくに日和に至っては全科目の試験が終わった直後僕らに向かって「勝った!!命令何か考えておくから楽しみにしておいて!」とまでのたまった。まさか、と一笑にふせないのが日和である。普段不真面目で頭の良い人が本気を出した時の能力は計り知れない。実際どれほどできたのか、テストが返却されなければわからないが、すでに手を少し抜いたことを後悔しつつある。他の二人よりも微妙に日和の命令は怖い。開けるまで何が出るかわからないびっくり箱のようなものだ。



試験終了後、クラスの課題提出の係りとして職員室に行くと教師陣からいろいろと声を掛けられる。中等部のころからそうだが、試験終了後の教師陣はやたらとテストの出来を聞いてくるあれは教師としての性か、習性か何かなのだろうか。教科担当の教諭から課題提出の駄賃のように飴玉やチョコレートをもらい上機嫌で教室へと歩く。試験終了を祝し4人でお菓子を持ち寄って駄弁るのだ。日和と僕は寮で作ったクッキーやパウンドケーキなど。後の二人はネタものを持ってきていそうで恐ろしいがそれはそれで楽しみにしている。普通のものが一番だが。





教室に戻るための階段を上るとき、上から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


桃宮の声だった。


僕の数段上を桃宮と友人である広瀬が並んで階段を上っていた。我ながら意味は分からないが無為意識に息を潜め気配を消した。特に僕にとって直接的害が何も関わらず、だ。まだ彼女のことを一人の人間としてではなく、『ヒロイン』として見ているかと思うと、自己嫌悪感が首をもたげた。だが自己嫌悪をほどほどに現実に戻ってくる。


何も問題などない。二人の女子生徒が僕の前を歩いている、ただそれだけなのだから。わざわざ階下を見下ろすこともなかろう。ならば僕はただ後ろをたまたま歩いていた生徒Aに過ぎない。この状況下じゃエンカウントするきっかけなどないのだ。


そう自分を納得させて落ち着きを取り戻す。大丈夫だ。僕はただの生徒A生徒A……。



ふと上から足音が近づいてくるのが分かった。バタバタと走り回っているらしい。大方試験終了で舞い上がり浮き足立っているような男子だろう。2、3人の足音が徐々に大きくなる。そして鬼ごっこでもしていたらしい男子生徒が踊り場に走り出てそのまま階段を走って下る。


なんとなく、なんとなく嫌な予感がした。僕が確証なく嫌な予感を感じるときは、大抵あたるのだ。



予感に従いこの場を去ろうとするが、逃げ遅れる。一人目に続いて二人目、三人目が走ってきた。


そして三人目の腕が桃宮の肩にぶつかった。



「きゃっ……!」



短い悲鳴が聞こえ彼女が体勢を崩す。体勢を崩した彼女は階段を踏み外した。



一瞬で様々な思いが駆け巡る。


逃げたい、見なかったことにしたい、階段を走るな、彼女と関わりあいたくない、面倒事になりかねない、何で僕が、僕は生徒Aじゃなかったのか……などなど。



ただはっきり思ったのは相手が誰であろうと、危険な状態であるなら助けるべきだ。


思考がまとまる前に体が勝手に動いた。



彼女たちと僕との間の階段を駆け上がり、バランスを崩した彼女の腕を掴み身体を引き寄せた後、腹あたりに手を回してそのままもたれさせるように抱き留めた。華奢な身体は驚くほどに軽かった。


ああもう、なぜこんなことに。関わる気など微塵もなかったというのに、しっかりと関わってしまっている。現にさっきまで彼女たちの間にあった距離は0である。


今更後悔しても遅い。たとえ逃げていたとしても、彼女がけがをしたなら僕は寝覚めの悪さに辟易としていたことだろう。自分がしたことは自分にできる最善であったといえるが、形容しがたい虚しさに襲われた。



「天音ちゃん!」



驚きで硬直していた広瀬が弾かれたように駆け寄る。その声で僕もまた根を失った思考を何とか繋ぎ止めた。


さあどうしよう。いかにしてこれからの交友を避けられるだろうか。



「……怪我は、痛いところはありませんか?」


「はっはい大丈夫!です!」



なるべく負担がかからない体勢になるように引き寄せたが、一応万が一のことも考え口頭で聞いておく。僕の腕の中で慌てふためきながら返事をする彼女に対して、怪我なく大丈夫ならばさっさともたれ掛るのを止めればいいのに、と思う僕は非情だろうか。



「……そろそろ離しても大丈夫ですね?」

「えああっはいっごめんなさい!重いですよね!」

「軽いくらいでしたが……」



ようやっと自身が後ろから抱きしめられているような形になっていることに気づき透き通るような肌を桃色に染めた。その愛らしさに同性ながらめまいがする。他の生徒たちが騒ぎ立てるのも納得してしまう。



「怪我も無いようでしたら、僕はこれで」


「あ、赤霧くんっありがとう!貴方がいなかったら天音ちゃんはそのまま階段から……、私何もできなくて……助けてくれてありがとう」



絡まれるなら桃宮の方かと身構えていたが、想定外にも広瀬から声を掛けられた。気の強そうな目や口調だが、その分真摯だ。適当にあしらうつもりでいたが、彼女にそうする気にはなれなかった。直感的に、彼女は善人で、頭の良い子だと感じた。



「いえ、僕はたまたま居合わせていただけですから。それに今回は全面的に走ってきた男子生徒に非がありますから、一応適当な先生に報告はさせてもらいます。……それと、何もできなかったなんて気にする必要はありませんよ。予期せぬ事態には普通対応できないものですから」



ついいつかの蓮様や自分自身に重なってしまい、髪型が崩れない程度に低い位置にある頭を撫でた。振り払うことはされなかったが、他の女の子のように顔を真っ赤にさせたりはしなかった。ただ頬にほんの少し朱がさされていた。


それじゃあ、と話を切り上げ教室に逃げ込もうと階段を上ると、制服の端を引かれる感覚がある。



「ま、待ってください!その、もしよければ名前を教えてくれませんか?」


「……名乗るのは柄ではありませんので」



ピシャリと願いをはねのければ、服の端を掴んでいた手が緩み、僕は後ろ髪引かれることなどなく階段を登り切った。振り向くことも、そぶりもなかった。



僕はただただ早くあの場から逃げたかった。



今までは彼女のことを漠然と嫌だと思っていた。欲に理由もない出所不明な嫌悪感に振り回されていたが、今彼女のことを嫌だと思う理由がはっきりとした。


彼女はあまりにも不自然だ。


なぜわざわざ僕に名前を聞いた?友人である広瀬は僕のことを知っていて、名字で呼んだのに。後で広瀬に誰だったか聞けば済む話なのにわざわざ僕を引き留めた。



彼女は人と接点を持つことに対してこの上なく貪欲なのだ。必死なのだ



「あ……、」



ハタと我に返り、動かし続けていた足を止めた。


人とのかかわりを望む彼女に違和感を、嫌悪感を覚える理由が、すとんと胸の中に落ちていった。



彼女と僕は、真逆なんだ。


人との関わりを必死に望み、関わるチャンスがあればものにしようとする彼女と、最低限の人間にしか本心をさらさず、それ以外の人間には優等生を演じ距離を取る僕。


真反対。理解できないから、僕は彼女を厭うのだ。



その結論に至って、止めていた足を動かす。幸い、すでにだいたいの生徒は帰った後で挙動不審であった僕の姿を見咎める者はいなかった。



きっと僕はまた彼女と出会う。それは限りなく確信に近い予感であった。



人との関わりを望むことは良いことだ。大切なコミュニケーション能力の一つであり美点である。

だがしかし、それはそれ、これはこれ、だ。


美点、確かに美点である。だがその美点を持つのはヒロイン様だ。多くの人と関わりを持ちそのつながりを切れさせない。ああ、逆ハーレムエンドが目に浮かぶ。



美点は美点だが、僕には彼女がモウセンゴケのように感じられて仕方がなかった。甘い香りを漂わせ、何も知らぬ者を捕らえ捕食する。逃げる術をなくした獲物は捕らえられたまま消化されていくのだ。一つの接点を持った今も彼女に対する偏見は消えていない。むしろ疑惑は広がった。


しかしこれで腹は決まった。もう罪悪感など気にするまい。僕はまっすぐな敵意の目で彼女を見る。何をしようとも疑い、勘繰ろう。距離を取るのが僕の性質ならば、いっそ徹底的に行おう。気を許した者を守るためにも。昔からしてきた、慣れたことである。彼の目に触れぬところで、不安を炙り出し排除する

それは間違いなく最善である、そう言い聞かせた。



泥中の蓮、濁りに染まず。穢れに触れず。泥より出も泥に沈まず。



不安定な泥の上だというならば、泥を積み上げ確かな土台にしてみせよう。

不埒な者が寄るならば、その身を泥に沈めてみせよう。

自らの浮かぶ泥の中を知らず、蓮はただ上だけを、高い高い瑠璃だけを見ていれば良い。



先ほどよりも心なしか軽い足取りで、仲間の待つ教室へと歩を進めた。




******




声をかけるもにべもない返事だけを残され、桃宮天音は半ば茫然としていた。視線は彼の去った方に固定されていた。



「……ちゃ……天音ちゃん!?」

「へっ……あ、杏ちゃん、何?」

「ぼうっとしてるけど大丈夫なの?やっぱりどこか怪我してた?」



心配そうな顔で桃宮を見る広瀬にハッと意識が戻りなんでもない、と言いながら両手をぶんぶん振ってみせるとやっと安心したように笑った。意識が戻ってきたところで先ほどの話になる。



「杏ちゃん……さっきの人って知り合い?」

「ううん、知り合いではないね。私が一方的に知ってるだけよ。ほら、前に話したでしょ。D組の子の一人。赤霧涼くん。……大抵白樺くんと一緒にいるのに」

「赤霧涼くん……、赤霧翡翠くんの双子の子ってさっきの人?」



やっと合点がいったように見える友人に広瀬は少し満足げな色を見せた。どことなく鈍くて頼りない友人にはついついいろいろなことを教えたくなる。広瀬にとって桃宮は友人でありながら目の離せない妹のように感じていた。



「さっきは名前教えてもらえなかったけど、あとでお礼を言えたら良いなぁ。また、会えるかな……?」

「何々?気になっちゃった感じ?赤霧くんはかっこよくて優しいしとにかく頼りになるから、競争率高いって内部生の子たちから聞いたよ。……まあ天音ちゃんなら良い線行くとは思うけど」

「べっ別にそんなんじゃ……!」


「ふふっ、冗談よ、冗談。今あなたは生徒会の手伝いで忙しくしてるし、勉強もしなきゃいけないから恋愛にうつつを抜かしてる暇なんてないよね。でも会長と仲良いし、青柳くんともよく話してるしゴールデンウィークは遊びに行ったんでしょ?それからこの試験期間中はほかのクラスの男子と一緒に勉強してたんだって?おまけに一匹狼の赤霧兄とも会ったみたいだし。本命は誰?なんて聞いてみたいけど、」



軽く広瀬がからかっただけですぐにリンゴのように染まる柔らかそうな頬。この素直さが自身には足りないと常々思っていた。もっとも、百人中百人振り向きそうな美少女に嫉妬する気力すら起こらなかった。初日の桃宮の失態こそ煙たがられていたが、彼女の人の好さに誰もが毒気を抜かれてしまった。



「み、みんなそんなんじゃないよ!会長には良くしてもらってるけど仕事の話しかしないし、青柳くんは誰とも仲良いし、試験勉強だってたまたまだよ。……赤霧くんも偶然会って、少し話をしただけ。ちょっと怖そうな人だし……、そういうところはさっきの赤霧くんともそういうところは似てるかも」


「そお?兄の方は怖いイメージあるのはわかるけど、赤霧涼くんの方は柔和って感じじゃない?……あ!ところでさ、来週放課後時間ある?」


「え?うん、生徒会にお手伝い行く日じゃなければ大丈夫だよ?何かあるの?」

「思いつきなんだけどさ、良かったら写真撮らせてくれない?最近部活で撮る被写体って静物とか風景画とかばっかりだから、たまには人撮りたいなって。一人じゃ嫌なら友達とか連れてきて。一人で写るより誰かと写る方が楽しいでしょ?」


「わかった!じゃあその日決まったら教えてね!誰か誘っていくからね」

「ありがとう!たぶん撮るのは試験の結果が出て順位も発表された後だと思うわ」



了承を得られて機嫌の良い広瀬の隣を、彼女と同じくらい嬉しそうな笑顔で桃宮は歩いていた。




想定外のことが多い。何かがおかしい。前々から不安だった。

だが今友人である広瀬のおかげで、それらのすべては誤差だと確信した。

あるはずのことがなく、ないはずのことがある。それでも、大筋は変わらない。



「運命の女神の回す輪は軽やかに回る……、だったかな」



「ん?ごめん、天音ちゃん。よく聞こえなかった」

「ううん、なんでもないよ。……早く帰ろっ!」



回りだした輪は止まらない。


歯車が増えようとも。歯車が減ろうとも。異物が混入しようとも。


回りだした輪は止まらない。

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