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胡蝶の夢  作者: 秋澤 えで
高校生
101/157

緑茶とキャラメルマキアート

日々を無難に平和に過ごしつつ、同時に静かに桃宮さんの動向を探っていても、学生の本分である勉学は問答無用で誰にでも等しく求められる。


目下に迫るは天原学園高等部に入ってから初めての定期試験である。そして桃宮さんよりも今気にかけなくてはならないのはいつものメンバーのうちの男性陣である。



「そろそろ定期試験だね」


「定期試験……?なんだ、それ……おいしいのか?」

「少なくとも不味そうだな」

「不味いのはあなた方のとるであろうテストの点です。……黒海も蓮様も帰ろうとしないっ!」



唐突に都合のいい記憶喪失になり、仲良く二人で寮に帰ろうとする二人を無理やり椅子に座らせる。その間に日和は逃げられないように二人の鞄を奪取し少し離れた机の上に置いた。後一週間で定期テストだというのに、この二人には全く危機感というものが足りない。



 「別にそんなに頑張らなくても良いだろ?まだ一年の始めだし、三年生になってから頑張る」

 「同じく……それに、まだ一週間も、ある……」

 「黒海くん、よく考えて。私たちにはあと一週間()あるけど、白樺くんと黒海くんにはあと一週間しか(・・)ないんだよ!」



 軽い調子は失せ、日和が二人を叱りつける。あまり真面目とは言えないが、彼女は勉強だけはできる。きちんと勉強すればどれ程伸びるか、と思うがやる気の足りない彼女はいつも平均より上の順位に位置している。



 「それと蓮様、三年生になる云々の前に進級できない可能性があることをお忘れではありませんか?万が一にもダブるようなことがあれば僕は嘉人様と雲雀様に合わせる顔がありません」



 いつもはヘラヘラしてばかりの日和も二人を試験前に放置するとどうなるかわかっているのでささっと彼らの鞄から教科書やノートなどを引っ張り出す。



 「一応聞きますが、テスト範囲は把握していますか?」

 「してると思うか……?」



 誇らしげにいう黒海の頭を教科書で叩く。課題が終わってないならまだ許せるが、把握すらしていないとは何事かという抗議を込めて。



「……とりあえず、二人とも試験範囲のプリント見て下さい。できなさそうなのは僕か日和に聞いてください。大方答えられるとは思うので」



向かい合わせに並べた4つの机に4人で向いあいながら必要な教科書やノート類を並べていく。教科書などを見ると普段の授業態度がよくわかる。


僕の教科書はアンダーラインだけ引かれ、日和の教科書はいくつかメモが取られているが、きれいに使われている。一方黒海の教科書は白い。驚きの白さ。日和とは違うベクトルできれいである。誰が見ても使われていないことは一目瞭然だ。



「……蓮様、これ何ですか?」

「ん?現代文の教科書だろ」

「そっちじゃありません。その現代文の教科書の端に描かれている方を聞いているんです!」



教科書の類の中で最も分厚い現代文の教科書。それらのページの端には丸い何かの絵が描かれていた。何の絵かは分からないが、遊んでいるのは見て取れる。



「これな!ちょっと見てみろって!」



ちょいちょいと黒海と日和に寄るように言い、目次のページの端に書かれた丸いところを指さす。そしてそのページからパラパラとめくっていく。



「…………、」



最初の丸は卵だったらしい。後ろに行くにつれて卵が割れ雛が孵り、その雛はだんだん大きくなって成鳥になっていく。そして最終的に飛んで行ってページの端からフェードアウトしていった。なめらかな、動きだった。



「……飛んで行っちゃったね」

「飛んで行ったな……!すごいなこれ……!」

「……授業中に何高クオリティなパラパラ漫画作り上げてるんですかあなたは」

「これだけじゃないぞ!この飛んで行った鳥が実は、裏表紙に!」



蓮様はぱっと教科書を裏返すとそこにはさっき飛んで行ったはずの鳥が。黒海は絶賛するが、日和は呆れた視線を送る。

もし次パラパラ漫画の制作に精を出していたら教科書のページの端を全部切り取って安全仕様にしよう。うんそうしよう。



「馬鹿なことやってないで授業を受けてはいかがでしょう。あなたの頭の中は鳥でいっぱいなんですか?いっぱいなんですね。せめてテスト期間中だけでも集中していただけると嬉しいですねぇぇええ!!」

「痛たたたっ!おまっ、頭を掴むな!割れるっ!!」


「そうだよ涼ちゃん!白樺くんの頭は何も詰まってないから卵の殻が砕けるみたいに粉々になっちゃうよ!」

「日和の発想が、微妙に怖い……」



ほどほどに締め付けた後解放し、さっさと課題に手を付けるように促す。

始めてしまえば基本的になんてことないのだ。言われたことはできるし最低限求められているものは覚えられる。ただしスイッチを入れるまでに時間がかかるうえにスイッチは絶対に自分では入れない。


中学の時蓮様が、僕に言われなくとも勉強するというので黒海ともども試験期間中も手出しをしなかったところ、悲惨なことになった。得意な科目は高得点で、ふつうの科目は平均点。嫌いな科目は赤点を通り越して青点という見るも無残な結果。彼らのやる気スイッチはきっと自分では手の届かないところにあるのだろう。



「とりあえず、蓮様は世界史と生物、数学は放置しても大丈夫ですね。自分で頑張ってください」

「黒海くんは、日本史と古典と物理はできるよね」


「今聞かれたのはできるが言われなかったのはできないぞ!」

「同じく……!」

「ドヤ顔をしない」



兎にも角にも、机の上に二人が一番まずいであろう教科を出す。二人は見ただけで嫌そうな顔をしてうかがうようにこちらを見てくるが、やらなければいけないものはやらなければいけないのだ。



「無理。英語は本当に無理」

「無理じゃありません」



英語の教科書やノートを用意している間に日和はワークの大切な個所にマークを付けていく。



「俺、日本から、出る気ないから……。日本が、一番だから……!」

「そういう問題じゃないよね、黒海くん。一部では会社内で英語だけ使うようなところもあるんだよ?逃げてたらいつまでたってもできないから」


「逃げても、逃げなくても、できるようにはならない……。諦めろ」

「テストの点を諦めてるのはよくわかったよ。分かったからチェックついてる問題順番にやって行って。わかんなかったら教えるから」



うだうだと不平不満をこぼす黒海を日和がピシャリと言い返す。黒海も自分のために尽力させていることは理解しているため、不服そうながらワークに手を付ける。蓮様にもワークをやらせたいが、残念なことに想像通り全く理解していなかったので文法の説明をしてから課題に入ってもらう。ここまでくればとりあえず落ち着いて勉強してもらえる。ここまで辿り着かなければ、彼らに勉強してもらうことは不可能だ。何かご褒美か何かでも用意すれば良いのだろうか。そこまで考えたところで僕も自分の勉強に手を付けた。




******




ふと、外が真っ赤になっていることに気づき教室の時計に目をやると、ここで勉強し始めてからすでに2時間たっていることに気が付いた。ちらりと三人を見るが集中を切らしていないようだった。本当に、始めてさえしまえばそれなりにできる子たちだ。窓から差し込む茜色が白いノートやワークに反射して若干目が痛い。おもむろに立ち上がり開けられていたクリーム色のカーテンを引くと、その音に日和が顔を上げた。



「あ、ありがとね、涼ちゃん。……おお、結構時間経ってるね。2時間か。黒海くん、白樺くん一旦できたところまで採点するからワークちょーだい」

「ん……頼む」



ワークを回収する日和を横目に、一度休憩しておこうと思い立つ。鞄から財布をだしてズボンのポケットにねじ込んだ。



「休憩にしましょうか。今から自販機で何か飲み物買ってきますけど、何かリクエストはありますか?」

「ココア!」



間髪入れずに要望を叫ぶ日和に苦笑いするが、ちょうどいい具合に空気が緩んでよかった。



「俺はアレ……あの、なんて言ったっけ。あの水。微妙に味付いた、水……。桃香るってやつが、良い」

「んじゃあ俺はソーダ。青い缶の奴」

「了解でーす。買ってきますね」



ソーダとか炭酸を頼まれると振りたくなってしまうが、そんなことをすれば絶対に機嫌を損ねてしまうので自重しておく。一階の外廊下にある自販機をめざし教室から出た。




******




茜色の日のせいか、外はどことなく暑かった。もっとも日が暮れてしまえばぐっと気温が下がる。自販機の方に目をやれば地球に優しそうな色の頭が見えた。



「お久しぶりですね、緑橋くん」

「えっ!涼くん!」



ピッ!ガランガラン、と音を立てて自販機から飲み物が吐き出される。彼のがっかりした様子から、僕に声を掛けられたのに驚き本来買うはずではなかったもののボタンを誤って押してしまったらしい。


相変わらずというか、なんというか。変わっていない。彼が慌てて何かをやらかすことも、その一端を僕が担っていることも。



「ああ……、うん、ひさしぶり」



緑橋は落胆しつつもとりあえず落ちてきた飲み物を拾う。彼の手にはキャラメルマキアートと書かれた缶が握られていた。



「突然声かけてすいません。……何を買うつもりだったんですか?」

「ほ、本当は、緑茶を買うつもりだったんだけど……仕方ないからこっちを飲むよ」

「右端の緑茶ですね」



答えを聞いてすぐに小銭を投入し小さい緑茶のペットボトルのボタンを押すとガランガランと先ほどを同じ音が鳴る。



「ああ……今間違えて緑茶のボタンを押してしまいました。甘いものが飲みたかったんですが、良ければこの緑茶とそっちのキャラメルマキアートを交換しませんか?」



そう聞くと予想に反して緑橋は絶句した後くすくすと笑いだした。わけもわからず笑われ首をかしげると、思い切り笑った緑橋が僕に言う。



「なんか……涼くんスマートなのかスマートじゃなんだか……。涼くんだからある程度格好はつくけどね」



また思い出したように笑う緑橋。うまくやったつもりだったが、少々芝居がかりすぎたかと項垂れる。普通に言えば緑橋はきっと遠慮して受け取らないからこのように聞いたのに、と内心ふてくされた。



「それで?交換してくれるんですか?だめですか?甘いものを飲みたかったのは本当ですよ」

「わ、笑いすぎてごめん。そ、それじゃあ交換してくれるかな?」



僕の持っていた緑茶と彼のキャラメルマキアートを交換する。ふと何となしに見た彼の左手にはもう一本イチゴミルクの缶が握られていることに気づく。授業が終わって2時間経っているのに今も校内にいるということは誰かと勉強でもしているのだろうか。



「誰かと残って勉強してるんですか?」

「え、う、うん。試験週間中だから、一緒に勉強しようって誘われて……」



なんとなくいつも以上におどおどしている彼と手に持ったかわいらしいパッケージのイチゴミルクに下世話な勘が働く。特に考えもなくニヤッと笑って見せる。



「もしかして……一緒に勉強してるのは女子生徒ですか?」

「な、ななななんでっ!何でわかったの……!?」



肩どころか体全体を小動物のように跳ねさせ、危うく両手の飲み物を取り落しそうになり、いつもより噛みまくる緑橋。少しからかってやろうかと思ったのだが、一言でこんな状態とは、これ以上は可哀想だと思い言葉を飲み込み苦笑いをこぼした。



「確証があったわけじゃありませんよ?持ってる飲み物がイチゴミルクだってことと、君が若干挙動不審に見えたのでカマをかけただけです」

「カ、カマかあ……きょ、挙動不審だった?」

「まあ、若干、ですよ。にしても、仲の良い子がいたんですね。クラスの子ですか?」

「え、ううん。ク、クラスの子じゃなくて、たまたま図書館に居合わせた子……です」



消え入りそうな彼の話を要約すると、最初はひとり図書室の片隅で勉強していたらしい。だがたまたま机の数の問題で相席することになったらしく、その子に話しかけられ一つ問題を教えたらしい。それがきっかけで少しずつ話すようになり、数日前から一緒に勉強をしているそうだ。


そして彼曰く、優しくて勉強ができてよく笑う子。彼女はきれいな桃色の髪を持つらしい、と。


途中までは甘酸っぱいなあ、なんて思っていたが特に明確な理由はやはり言えないが、内心こわばった。


ヒロインは無事に緑ともエンカウントを果たしたらしい。



「そ、それでこっちのイチゴミルクは……その、」

「彼女にあげるんですね」



話がひと段落ついたところで僕も目的のものを買うために小銭を投入し、頼まれていたものを購入していく。立て続けに自販機から騒音が響く。

4本のボトルや缶を持つ僕を見て緑橋が信じられないとでもいうような顔をする。



「そ、そんなに飲むの……?」

「状況としてはあなたと同じですよ。僕も一緒に勉強してる人たちに買っていくんです」

「あ、そっか……白樺くんや進藤さん?」

「ええ、じゃあ目的も済みましたし、そろそろ行きますね」



それじゃ、と手を振り彼に背を向けたところであ、と思いもう一度振り向く。不思議そうな彼と緑のカーテン越しに目があった気がした。



「そういえば、笑ったあと少しの間どもらずに話せてましたね」

「え、あ、ああ、うん、そうだね」

「いつもさっきみたいに話せると良いですね」



昔からあまり変化することのない身長差の彼の頭をくしゃりと撫でた。

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