2話
森の中はたいそう静かで、うっすら霧がかかっていました。外は嵐のはずでしたが、雨風はまったく入ってきません。別世界のように森は静かで、ほのかに明るくたたずんでいます。白い霧がゆっくり動いて、ゆらり、ゆらり、とたゆたっています。
ツタがからまる立派な木々が、こずえをたくましく張りだしていました。ごうごう、絶え間なく音が聞こえてきますから、大きな川があるのでしょう。うねうね地をはう太い木の根、青くこけむした大きな岩、宝石のようにかがやく緑葉、まっすぐのびた黒い幹が、森の遠く奥のほうまで、影のように続いています。
目をみはって森を見まわし、絵師は老いた瞳をかがやかせました。
「おお、なんと豊かな森じゃ。こんなに美しい森は見たことがない」
棒っきれの杖をつきながら、魅せられたように歩いていきます。
坂になった上のほうから、川がしぶきをあげて流れていました。みずみずしい緑にはえて、きらきら白く光っています。かがやく緑に魅いられて、絵師はどんどん歩きます。
「……ああ、この森の絵が描きたいなあ」
絵師は感じいって、つぶやきました。
一度そう思ったら、うずうずして、そわそわして、もう、いてもたってもいられません。目の前にある森の姿を、今すぐ、ありのまま描きたい。自分の絵筆で写しとりたい!
ぎゅっ、とこぶしを強くにぎって、絵師はじりじりしながら見まわしました。絵師の目には、この森の姿が手にとるように見えるのです。
けれど、貧乏な絵師には、絵筆が一本とアルミのカップ、そして、パレット代わりの丸皿が一枚あるきりです。これだけでは絵を描くことはできません。それを描くために必要な紙が、一枚も残っていないのです。
あきらめるしか、ありませんでした。
もどかしくて、くやしくて、せつなくて、絵師は深く息をつき、しょんぼり肩を落としました。
「せめて、絵の具があればのう」
その時でした。
森のこずえがさらさら鳴って、ざわり、と空気がうごめきました。
《 色なら、そこら中にあるじゃないか 》
絵師はきょろきょろ見まわしました。今、奇妙な声がしたのです。
けれど、ここは人里はなれた森ふかく、人など、いるはずがありません。そして、何度目をこすっても、やっぱり、人など、どこにもいません。
「……そら耳じゃろうか」
絵師はポリポリひげをかき、不思議そうに首をひねりました。このところ、ずっと歩きづめでしたから、疲れているのかもしれません。
絵師はやれやれと首を振り、こつん、こつん、と杖をつき、森の入口にもどろうとしました。すると、
《 葉っぱは緑色をしているし、木の実は赤いし、地面は黒だよ 》
「うひゃっ!」
絵師は叫んで飛びあがりました。