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転生悪役令嬢はラスボス魔王に溺愛される

作者: 白瀬冬
掲載日:2026/07/07

 

「嘘でしょ……!?」


 渾身の聖魔法がたやすく弾かれ、セシルは目を見開いた。

 聖職者でも使える者が少ない上級魔法、これが効かないなんて。


 悪魔の周囲には、黒い瘴気が逆巻(さかま)いている。どんな攻撃も呑み込む闇の障壁が。

 一歩踏み出した足元で、新緑の草花がじわりと枯れた。

 存在だけで周囲に影響を与える魔物なんて、レベルが違い過ぎる。

 ――この悪魔、最上位クラスだわ!


「この程度ですか? 神聖教会のエクソシストも、たいしたことはありませんね」


 悪魔の口元に微かな笑みが浮かび、黒い手袋をはめた手が軽く上がる。

 次の瞬間、周囲を取り巻いていた瘴気が烈風と化して、少女に襲いかかった。

 とっさに防御できたのは、奇跡に近い。おそらくはセシルの師匠――教会を統括する大神官から直々に、指導を受けてきた賜物だろう。

 それでも詠唱破棄したシールドでは防ぎきれず、華奢な身体は衝撃波に吹き飛ばされた。

 修道服が見えない刃に切り裂かれ、薄く切れた頬から血がにじむ。


 ……まずいわね。 


 血を拭いながら身を起こし、セシルは改めて目の前の悪魔を睨みつけた。


 人型の魔物は一見、人間と見分けがつかないが、ひとつだけ大きな特徴がある。

「神より美しくなければ、人は悪魔に誘惑されない」

 聖職者たちが苦々しく口にする言葉の通り、高位の魔物は殊更に美しいのだ。

 そしてセシルは、初めて出会ったはずのこの悪魔に見覚えがあった。


 新月の夜を思わせる漆黒の髪、金色と黒曜のオッドアイ。

 人間離れした怜悧な美貌を持ち、いにしえの闇魔法を自在に操る魔族の王――「メフィスト」。


(間違いない。ここは【クリスタル・ティアラ】の世界だわ。というか、何でラスボスがこんなところにいるのよ――!?)


 魔王を睨みつけたまま、セシルは心の中で絶叫した。


 †††


 ひとつの扉を隔てて魔界と隣接しているこの世界には、魔物を祓う職業の者――聖職者や祓魔師(エクソシスト)が存在する。

「北の森に魔物が出た」と報せを受け、それを祓いにきた祓魔師のセシルは、悪魔の攻撃を受けた衝撃で、突然、前世の記憶を思い出した。


 記憶といっても、すべてを思い出した訳ではない。

 そしてどうして「生前にプレイしていたゲームの世界に転生した」という状況になったのかは分からないが、解ったのは、ここがかつてハマっていた、恋と魔法の乙女ゲーム【クリスタル・ティアラ】にとてもよく似た世界だということ。

 そして自分が、ゲームには登場しない『セシル』というモブキャラに転生したらしいという事だった。


 †††


『闇の魔王が復活する時、ふたたび『聖女』が現れる。聖女は『勇者』と手を取り合い、この国を破滅から救うだろう』

 ――【クリスタル・ティアラ】の舞台である、セント・クリスタル王国に伝わる伝承だ。


 今から数百年前、地上は闇に包まれ、世界は魔王に支配されていた。

 それを(いと)わしく思った神は、三人の勇者を魔王討伐に送り込んだ。

 ルビーの瞳を持つ炎の勇者、サファイアの瞳を持つ水の勇者、トパーズの瞳を持つ風の勇者の三人だ。

 しかし魔王の力は強大で、三勇者では倒すことができなかった。

 天界から送り込まれた援軍も、次々と犠牲になっていく。


 ――我々の力では、魔王を倒すことはできない――


 追い詰められた三勇者は、禁断の儀式に手を出した。異世界から『聖女』を召喚し、魔王を封印させたのだ。

 地上から魔族は消えたが、神はそれを勇者たちの功績とは認めなかった。

 三勇者には、新たに「魔王滅殺」の任が与えられ、任務を完遂するまで天界への帰還を禁じられた。

 三人は地上で『人』として生きていくしかなくなったのだ。


 三勇者の悲願は、魔王を倒す『勇者の末裔』を生み出すこと。

 そして再び 天界に帰ること。


 三人は地上に国を建て、『真の勇者』が現れるのを待つことにした。

 封印の礎として築かれた国――セント・クリスタル王国では、今も、魔王を倒す『勇者の末裔』と『救国の聖女』の到来を待ち望んでいる――


 †††


 そのセント・クリスタル王国で『魔王復活』の兆しがあり、異世界から『聖女』としてプレイヤーが召喚されたのが、ゲームのはじまりだった。


「魔王の滅殺」を国是としているこの世界では、魔力絶対主義だ。

 魔力を持つ者は優遇され、持たない者は貧しい生活を強いられる。

 ……子どもを産み、育てることもままならないほどに。


 おそらくそのような理由で、赤ん坊の頃に捨てられたセシルは、小さな町の孤児院で育った。

 しかしその孤児院は運営状況が良いとはいえず、子どもは貴重な労働力、もしくは養子とは名ばかりの人身売買の商品とされていた。

 かわいらしい顔立ちにプラチナブロンドの髪、美しいアメジストの瞳を持つセシルは、愛玩品として、いずれどこかの金持ちに買われるだろうと思われていたが、そうなる前に魔力が発現した。


 この世界では、魔力が発現した者は国で保護される。

 適性診断の結果、聖魔法に()けていることが分かったセシルは、神聖教会に引き取られ、悪魔を祓う者(エクソシスト)として育てられることになった。


 愛玩商品として売られる未来と、危険な悪魔祓いに従事する未来。

 どちらが幸せなのかはさておいて、どうしてこのような設定のキャラに転生したのだろう。

 ゲームでは、異世界から召喚されたプレイヤーは『聖女』として、国立魔法学院に入学する。

 そしてそこで出会う王子や貴公子たちと恋に落ちるのだが、クラスメイトにでも転生していれば、ゲームをリアルタイムで楽しむことができたではないか。


「そもそも、どうしてラスボスが(こんなとこ)にいるのよ。それにこんな大物、「混色」が請け負うレベルじゃないわ」


 この世界では、赤・青・金の三色、三勇者の瞳の色に近いほど、魔力が強い。

「混色」、特に「火」の赤と「水」の青の混色である『アメジスト』は、相反するふたつの魔力が互いを打ち消しあうので、魔力の発現自体が珍しい色だ。

 しかし、同じ「混色」でも例外がある。

「風」の金と「水」の青の混色……命を育む緑『エメラルド』の瞳を持つ聖職者。

 彼らが使う聖魔法は、魔族の闇魔法に対抗できる唯一の魔法だった。

 ――とはいえ、聖魔法を極めた大神官クラスでなければ、魔王とは渡り合えないだろう。


「ああ、私はここで殺されるのね……」


 そもそもラスボスが、プレイヤー以外に倒されるわけがない。

 ということは、自分はここで殺されるのだろう。


 ラスボスの 強さアピールになってこそモブ。


 身も蓋もない考えがちらりと頭をかすめたが、そんな事で殺されたくない。

 モブだって生きているのだ。

 しかし多少記憶が戻ったからと言っても、ゲーム知識がまったく役に立たない。

『セシル』なんてモブは、ゲームに出ていなかったから、どう動くのが正解なのかが分からない。


 詰んだ。

 ちいさく頭を振り、セシルは改めて目の前の魔王を見返した。


 そういえば、なかなか次の攻撃に移らないわね。

 弱い獲物をじっくりと(なぶ)るつもりかしら。 

 そこまで考えて、ふとセシルは思い出した。


 ゲームで『王子ルート』に進んだ場合、聖女との『真実の愛』に気付いた王子は、婚約者だった悪役令嬢に、婚約破棄を言い渡す。

 王子の心変わりに絶望した悪役令嬢は、ヒロインの破滅を願う替わりに、魔王に魂を差し出すのだ。

 そして悪役令嬢の魔力を取り込み、パワーアップした魔王は、王子をボッコボコにする。


 ……あれ? どちらかというと、婚約者持ちの男とイベント起こしたプレイヤーの方が悪いのでは……?


 モブに転生し、状況を客観視できるようになったセシルは首をかしげたが、今はそこを深掘りしている場合ではない。

 王子の前に、自分が大ピンチなのだ。

 考え込んでいるセシルの手を取り、漆黒の魔王は困ったように微笑んだ。


「心ここにあらずといった顔つきですね。私の美貌を前にして、考えごとができる娘が存在するとは驚きです」


 反応に困る反応きた。


「だからといって、魔族に怯えている様子もない。気丈なところもそそりますね」


 祓魔師が悪魔に怯えていたら仕事にならない。というか、そそるってなに。

 嫌な予感に心がざわつきはじめたセシルの手を取り、魔王がうっとりと囁いた。


「私の美貌に魅了されない娘を、愛欲の沼に落とすのも、恐れを知らぬ顔を恐怖に歪ませるのも、考えただけでぞくぞくしますね。……実に興味深い」


 まずい。この美形魔王、自分に惚れない女に興味津々+変態という、面倒くさいキャラだったらしい。

 ゲームでは、魔王を攻略するルートは無かったが、ナルシストと変態(推定)のハイブリッドなど高難易度キャラではないか。

 金と宵闇のオッドアイが、優しく少女を見つめる。


「どうです。私と取引をしませんか?」


 何かこの展開、見覚えがある気が……――思い出した!

 セシルは小さく息を呑んだ。

『王子ルート』に進んだ場合、婚約破棄に絶望した悪役令嬢に、魔王は「取引」を持ちかけている。悪役令嬢は、それに応じる形で魂を捧げているのだ。

 そういえば悪役令嬢は、王子への未練を断ち切れずに苦しんでいて、魔王の美貌をスルーしていた。

 この魔王、自分に塩対応な女が好みなのだろうか。


 だとしたら。こちらの世界でもゲーム通りに進むなら、魔王はすぐには殺さず、交換条件を出してくるはずだ。

「魂と引き換えに望みを叶えてやる」と。

「取引」に応じる振りをして返事を引き延ばせば、教会から助けが来るまで、時間稼ぎができるかもしれない。

 セシルは冷静なオンナを装って、魔王を冷たく見返した。


「……取引?」


「ええ。メフィストの名において、君の望みを叶えてあげましょう。対価は君の魂。いかがですか?」

「魂と引き換えにするほどの望みなんてないわ」

「おや。断ればここで死にますよ。それなら提案に乗った方がまだましでは?」

「ぐぬぬ」


 一理ある。それにこの余裕たっぷりな様子をみるに、おそらくセシルが駆け引きで時間稼ぎをしようとしたことも、教会からの助けを待っていることも承知の上で「取引」を持ち掛けてきたのだろう。

 新米エクソシストの悪あがきを楽しんでいるのだ。

  少女のほっそりとした指先に軽く口づけ、魔王が囁いた。


「こんなに頼りなくいとけない君を、危険にさらして平然としている。人間とは何と残酷で恐ろしいのでしょう」

「……」


 危険な目にあわせようとしている張本人に言われると、返事に困る。

 それに。

 視線を逸らし、セシルはそっと吐息をついた。


 改めて聞かれるまで気づかなかったが、自分には本当に、これといった「望み」がないのだ。

 魔力が発現したおかげで、教会に引き取られた。

 温かいスープと寝床が与えられ、ひとりで生きていける(すべ)を教えられた。

 これ以上、いったい何を望むことがあるのか。

 視線を戻し、セシルは魔王に問いかけた。


「ひとつ、聞いてもいい?」

「なんなりと」

「叶えたい望みがないの。これまで貴方は、どのような「望み」を叶えてきたの?」

「望みがない? まさか」

「……」


 本気で言っていると察したのだろう。

 じっとセシルを見つめたあと、魔王はわずかに苦笑した。


「そうですね。金持ちになりたいと願った者もいますし、一国の姫を妻にしたいと望んだ者もいます。不老不死を求めた者もいますよ」

「その願いを叶えたら、魂を奪えないじゃないの」

「魂と身体は別物ですからね。それを願った女は、美しいまま老いない「入れ物」を手に入れました。ただし魂をいただいた後、飲まず、食わずの身体は、老いるより醜く朽ち果てましたがね」


 どうやら魂は、死後に奪うとは限らないようだ。

 そしてそれを伝えないことで、人間の絶望をも楽しんでいる気配がする。さすが悪魔。


「願いとは欲望です。そうですね、溢れんばかりの金貨は欲しくありませんか? 愛する者を手に入れることも出来ますし、憎い相手を殺すことも出来る。ああ、何なら王妃の地位はどうでしょう。すべてが手に入る」


 王妃? 冗談ではない。そんな事になっては、悪役令嬢に恨まれるではないか。

 ぶんぶんと首を横に振るセシルに微笑みかけ、悪魔はセシルの指を口に含んだ。


「や……っ なにす……っ……」

「人とは欲深い生き物です。私は無欲を装う君を暴きたい」

「ん……っ」


 指が弱いという自覚はないが、舌で舐られ、吸われると、何やら背中がざわついてくる。

 しかし曲がりなりにも神聖教会に属する者として、悪魔の誘惑に屈するわけにはいかない。断固抵抗せねば……っ……


「?」


 引っ込めようとした手が、強く引き戻され、そのまま抱きしめられる。

「やめてくれ」と言いたいが、それを「願い」にカウントされてしまっては、魂の安売りが過ぎる。

 どうすべきか分からず戸惑っている間にも、悪魔の口づけはどんどんエスカレートし、舌が手の甲を這いだした。


「いやっ、やめ……っ」

「感じているのですか? ふふ、可愛い」


 違う。盛り上がっているろころを悪いが、感触があたたかいカタツムリ……!

 己の想像ではっと我に返ったセシルは、強引に手を引っ込めたが、逆に魔王は、うっとりとした表情になっている。


 ……何だか様子がおかしい?

 自分に酔っていた悪魔が、いつの間にか酒に酔っぱらっているような……マタタビを与えられた猫みたいというか……


 そうだ、そんな感じ。


 余計な事を考えている間に、いつの間にかセシルは、魔王に押し倒されていた。

 大きな猫がじゃれついているかのように、額に、瞼にキスをされ、何だか自分がマタタビになった気分になってくる。

 ひんやりとした唇が頬に触れ、舌先が先刻つけられた傷をなぞったところで、セシルはぎょっとして、メフィストの胸元を押し返そうとした。

 師である大神官から、繰り返し受けた注意を思い出したのだ。


「魔物は人間の精と魔力を喰らう。好みの「味」を見つけたら、骨の髄までしゃぶりつくす。そうして悪魔に目を付けられた者が『悪魔憑き』だ。精気も魔力も命の根源――血に宿る。決して怪我をするな。自分の「味」を魔物に知られるな」と。


 さっきされた手への口づけ、あれは挨拶なんかじゃない。

 頬の傷を拭った時についた血を確かめていたんだ。――「味」を知られた!

 逃れようと身をよじったが、全然押し返せない。

 セシルは魔王を見上げて睨みつけた。


「何をするの、どいて!」

「そうしたら、君は逃げるでしょう? 大人の男を猫扱いするから、このような目にあうのですよ」


 バレてる。

 しなやかに見えた身体は、思っていた以上に強靭で、必死で暴れてもびくともしない。

 油断した。これは猫なんかじゃない、黒豹だわ。


 白皙の美しい顔ががゆっくりと近づいて、首筋に唇が触れた。

 逃げられない。

 魔王の肩越しに、瘴気渦巻く空が見える。

 身体の下から 青草の香りがする。


 ああ、私はここで食べられるのね。

 私はラスボスの魔力の一部になって、推しを攻撃してしまうのだわ……


 ……目をつむると、閉じた瞼から涙が流れ落ちる。

 喪失を惜しむほど恵まれた人生でも無かったのに不思議ね。どうして涙が出るのかしら。

 ああ、せっかく【クリスタル・ティアラ】の世界に転生したのに、推しに会えなかったから?

 唯一出会えたのがラスボスで、その糧になって終わりなんて。

 前世ではゲームで、ラスボスを倒しまくったから、そのバチが当たったのね。


 覚悟を決めて待っているのに、何も起こらない。

 そっと目を開けると、困ったように微笑む美しい顔が見下ろしていた。


「――望みは決まりましたか」

「え?」

「言ったでしょう。望みを叶える代わりに君をいただきますと」


  ――ん?


「てっきり殺すつもりなのだと思っていたわ」

「殺すなどと誰がいいました?」


 断ればここで死ぬと言われた気がするが、余計なことを言って無駄に命を縮めることはない。

 が、願いを叶えた後の条件が、微妙に替わっている気がする。


「さあ。私に望みを教えて」

「ええと、やっぱり思いつかないわ」

「そうですか。では仕方がありません。望みが見つかるまで、君のそばで待つことにしましょう」

「……は?」


 きょとんとするセシルを抱き起こし、魔王が楽しげに微笑んだ。


「君はヘンゼルとグレーテルの童話をご存じですか?」


 何をやぶからぼうに。

 それはそれとして、前世の子ども時代にその童話は読んだことがある。

 親に捨てられたヘンゼルとグレーテルは、森の中でお菓子の家を見つける。しかしそれは魔女の罠で、ふたりは魔女につかまってしまう。

 ヘンゼルはよりおいしく食べるために太らされ、グレーテルは小間使いにされたのではなかったかしら。


「知っているわ」

「ならば話が早い。君の魔力は極上です。濃厚で芳醇、時が経てば経つほどに旨味を増すワインのように。涙ですらも蕩けるように甘い人間がいるなど驚きです。君をいただくのは、もっと育ててからの方が良い。いうなれば君は、悪魔に捕まったヘンゼルですよ」


 褒めているつもりかも知れないが、内容は家畜の品評だ。

 確かにこの魔王にとっては、人間など、その程度のものなのだろうけれど。

 そもそもこの童話、魔女が殺されておしまいだった気がするけれど、それでいいのかしら。

 ため息をつき、セシルは悪魔を見上げた。


「悪魔憑きの祓魔師なんて、悪い冗談だわ。このまま戻ったら教会は、私ごと貴方を殺すわよ」


「悪魔に取り憑かれた人間を救う」のは祓魔師の大切な仕事だが、悪魔と融合し過ぎて、祓えない人間もいる。そのような場合は、闇墜ちする前に殺処分することが、教会には認められているのだ。

 願いを叶えるまで離れないというなら、近い将来、仲間に殺されることになるだろう。


 悲しげに呟いたセシルに、メフィストはなるほど、といった顔つきで頷く。

 そして(こと)()げに言い放った。


「ならば祓魔師を辞めればよい。それが嫌なら、君の『使い魔』を装うことも出来ますが」

「そ、それはちょっと」


 使い魔とは、聖職者が下僕として使役する魔物のことだ。

 見習いエクソシストが魔王を使い魔にして連れ帰ったら、大神官が卒倒する。


 悪魔祓いの総括者として当然なのだけれど、大神官の――お師匠さまの悪魔嫌いは筋金入りだもの。

 味見されたことや、魔王と『契約』を結んだことがバレたら破門だわ。

 破門で済めばよいけれど、まとめて殺処分よ、きっと。

 頭を抱えるセシルを見つめ、メフィストは小さく呟いた。


「今は信じてもらえないでしょうが、教会は君の味方ではありません。おそらくは君が護ろうとしている者たちも。だから私が、君を守ってあげますよ」


 悪魔の口角が、わずかに上がる。

 そしてその囁きは小さすぎて、少女の耳には届かなかった。


 †††


「――さあ、これからどうします? 私を使い魔だと偽って教会に戻りますか? 願いを叶えるまで郊外にでも居を構え、ふたりで静かに暮らすのも良いですね」

「何なの、その二択? どっちを選んでも貴方とべったりじゃない。困るわ。私は今まで通りの生活がしたいの」

「しかたがありませんね。ではとりあえず、王都にある私の屋敷に行きましょう。こちらは使用人を置いているので、ふたりきりとはいきませんが」

「私の話を聞いていた!? というか、魔王なのに王都に住んでいるの?」

「ええ。城と爵位を望んだ男が遺したものです。それなりに利用価値があるので、戸籍ごといただいたのですよ」


 じりりと後退ったセシルを逃がすまいとするかのように、魔王がセシルを抱き寄せる。

 長い指が、少女の小さな輪郭をなぞるように頬を伝い、桜色の唇に触れた。


 魔王は攻略キャラではなかったが、行動がいちいち恋愛イベントじみている。

 おまけに台詞まで、恋愛イベントのようになってきた。


「君は、恋をしたことがありますか?」

「教会は恋愛禁止よ。そもそも私は祓魔師で貴方は魔王。対立してなんぼでしょ」

「ああ、私たちがロミオとジュリエットになることはないでしょう。あれは美しいが、悲恋です」


 ロミオとジュリエットではない。

 ここは乙女ゲームの世界で、この魔王は悲恋ではなく、バッドエンドを迎えるのだ。

 そもそも、先ほどまで殺し合いをしていた自分たちを、引き裂かれた恋人同士に例えるほうがどうかしている。


「エクソシストを辞め、貴族として生きていくのなら、君を養女として、我が公爵家に迎えましょう。そうですね……これからは、セシリア・ラファール・シトリンと名乗って下さい」


 セシリア・ラファール・シトリン? ――王子に婚約破棄された悪役令嬢の名前じゃない!

 驚きに見開かれた紫の瞳を覗き込み、悪魔が楽しげに言葉を続ける。


「それを踏まえて、もう一度、問います。私を使い魔にしてエクソシストを続けるか。魔力を持つ貴族として、王立魔法学園に入学するか。どちらにしますか?」

「王立魔法学園!? 初耳なんですけど!」

「初めて言いましたからね。君の魔力をより芳醇に育てるには、エクソシストとして実戦を重ねるのも良いですが、魔術について正しい知識を身に着けるのも役に立ちます。どちらを選んでも、足りない部分は私がサポートしましょう。ただしこれはオプションになりますから、それなりの対価はいただきますが」


 楽しげに、美貌の魔王が、じっと見つめてくる。

 対価……?

 嫌な予感がするが、知らないままだともっと困ったことになりそうな気もする。


「ええと、対価って……?……んっ……」


 続く言葉を唇でふさがれ、セシルは慌てて身をよじった。

 身体を強く抱きしめられ、言葉ごと舌を絡めとられる。


 息ができない。頭の芯がくらくらする。


「……っ……」


 さんざんに弄ばれた後でやっと解放され、セシルはくらくらする頭を押さえながら、きっと悪魔を睨みつけた。


「このエロ悪魔! 何するの!?」

「これが対価ですよ。少々の魔力で私の助力が得られるなら、悪い話ではないでしょう」

「助力!? 私をおいしくいただくためなら貴方の都合でしょ! 家畜への投資は貴方の利益。それを恩着せがましいわよ!だ、だいたい、こういうことは、相手の同意を得てからするべきではないの!? 許可しないけど!」

「ちなみに、ヴァンパイアの対価は吸血ですし、インキュバスならキスどころではありませんが。そちらの方が良かったですか」

「ぐぬぬ」


 それは困る。それに攻略対象ではなかったとはいえ、メフィストはゲームきっての超絶美形キャラで人気が高かった。

 相手にとって不足なし、と言えなくもないが……しかしどうせなら、ファーストキスは推しに捧げたかった……


 ゲームならスチルになりそうな、美麗な微笑がアップになる。

 私の推しがメフィストだったら、これはご褒美スチルだわ。

 ぼんやりと見返すセシルの耳元に顔を寄せ、魔王が囁いた。


「どうです。私のキスは上手だったでしょう?(ドヤ)」


 ――これがなければなぁ! 何だろう、この残念なイケメン感は。

 がっくりとうなだれて、セシルがつぶやく。


「はじめてだもの。そんなのわからないわよ」

「私の超絶テクニックがわからないと……?」

「超絶にカタツムリみたいだった、なんて言われたくないでしょう?」

「エスカルゴ……上手いと美味いを掛けましたか。上手いですね」


 本当に、何を言っているのか、この魔王。

 セシルは再度、吐息をついた。


 ゲームの魔王は強くてシリアスで……どちらかといえば近寄りがたい印象だったけれど、こちらの世界では、少し緩い気がする。

 少なくとも、すぐに殺されるということは無さそうだ。


「今後については、少し考えたいわ。貴方を連れて帰ったら大神官が憤死するでしょうし、その……『セシリア』として生きていく心の準備もできていないし」


『モブだと思っていたら悪役令嬢でした』なんて、探したら同名タイトルの小説が見つかりそうだけれど、ゲームの悪役令嬢も魔王の養女だったかしら……プラチナブロンドの髪をひと房つまみ、セシルは首を傾げた。

 思い返せば、ゲームの悪役令嬢は、この色とは真逆の艶やかな黒髪と金色の瞳を持つ美少女だった。『セシリア』として学園に入学したとしても、私はゲームの『悪役令嬢』になるのかしら?

 それにこの状況。

 婚約破棄される前から魔王に目を付けられてしまったし、そもそも王子と婚約もしていない。

 何から何まで、私が知る【クリスタル・ティアラ】の世界とは違い過ぎるわ。


 ……違うということは、私はゲームで定められた『悪役令嬢』とは違う運命、同じ轍を踏まずに済む可能性があるという事ではない?

 少なくとも、この魔王に願いを叶えて貰わなければ、別の運命が開けるのでは?

 だってわたしは、王子の婚約者ではないのですもの。婚約破棄も絶望もする必要はないわ。

 でもこのまま行方知れずになる訳にはいかないわね。

 先ほどとは違う意味で、セシルは吐息をついた。


 エクソシストは魔物を祓う。そしてそれに失敗し、魔に堕ちた聖職者をセシルは何人も見てきた。

 そして闇落ちしたかつての仲間を、同僚たちが殺すのも。


 退魔も行わず、死体も残さず行方知れずになったら、きっと教会は地の果てまで、わたしを追ってくるわ。闇落ちしたエクソシストは処分の対象だから。

 ……必死で聖魔法を習得してエクソシストになって、これで食いっぱぐれる心配がなくなったと思っていたのに、どうしてこんな事に……

 がっくりとうなだれるセシルを抱き上げ、メフィストは楽しげに笑った。


「エクソシストを続けるか、王立魔法学園に入学するか。とりあえずはゆっくりと考えて下さい。私はどちらでもかまいませんよ?」


「そうね……」


 A.ゲーム通りに『王立魔法学園編』に突入する。

 B.新ルートの『エクソシスト編』に進む。

 C.神聖教会からの刺客と戦う『神聖教会血戦編』が開幕する(強制イベント)


 ――さあ、どれに進む?




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