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三人目の視聴者

「行きます」


凛花がそう言ったのは、翌朝のことだった。


「今日から、私も入ります」


ダンジョン入口の受付で、手続きが少し増えた。監督者同行の場合、入場記録に連名が必要になる。凛花は手慣れた様子で書類を処理した——自分が記入対象になる側の書類を、それでも事務的に淡々とこなしていた。探索者としてではなく、管理者として何年もこの手続きを見てきた人間の動き方だ。


受付を抜けると、配信を開始した。


「今日は監督者の方に同行してもらいます」


カメラが凛花を捉える。彼女は入口のゲートの前で、細身の直剣の鞘を確認していた。軽鎧と革手袋、ブーツ。余分なものが何もない。受付業務のときとはまるで別人だった。


コメントが「凛花さん来た!」「保証人が同行とか熱い」「受付のお姉さんが戦うの待ってた」「装備がシンプルすぎる、強い人のやつだ」と流れていた。


「動きやすい格好なんですね」


「戦闘に邪魔なものは持ちません」


短く答えて、彼女はゲートをくぐった。


俺たちは地下への入口を抜け、古代遺構へ下りた。石段が続く。気温が下がる。上とは違う空気の層に入る感覚。凛花は一度も振り返らず、ほぼ一定の歩幅で降りていく。


モンスターが現れたのは、石段を下りて三分後だった。


《構造透視》がマップに敵影を捉える。石廊の角から現れたのは、A級ダンジョンに出没するタイプの石骸甲虫——甲殻が鉄並みの硬度を持ち、正面からの斬撃をほぼ無効化する。胴体の長さは二メートルを超えている。複数体。俺が一人で戦うには厄介な相手だ。


「三時十五分方向、二体。後続あり」


「確認しました」


凛花はそう答えて、すでに動いていた。


速かった。


C級の動きではない。D級でもE級でもない。俺がこれまで見てきたどの冒険者とも違う、無駄を完全に省いた動作で彼女は甲虫の側面に回り込んだ。加速のフォームが違う。体重の乗せ方が違う。足音がほとんどしない。


剣が走った。


甲殻の継ぎ目を、正確に。一撃で、貫いた。


「……」


コメントが「えっ」「えっ」「えっ」で埋まった。俺の口からも声が出なかった。石骸甲虫の継ぎ目は幅三センチに満たない。それを知っていても人間の目で捉えてリアルタイムに狙うのはほぼ不可能だと言われている。それを彼女は、初見の速度で決めた。


後続の二体が突進してくる。凛花は左に半歩ずれて一体をかわし、返す刀で二体目の眼部を貫いた。最初の一体が体勢を立て直す前に、再び継ぎ目へ。躊躇がない。無駄な力を使っていない。S級冒険者の戦闘は合理性が違う——「強い」というより、「正確」という言葉の方が合う。


全部で四体。三十秒かかっていない。


「すごい」


感想が漏れた。褒め言葉でも驚きでもなく、ただの事実として。


コメントが「これS級の動きじゃん」「化け物すぎる」「凛花さん最強説」「主人公より強くない?」と流れていた。


凛花は剣を鞘に戻しながら、「行きましょう」とだけ言った。


問題が起きたのは、それから二十分後だった。


《構造透視》を広角に展開して周囲をスキャンしていたとき、その情報が流れ込んできた。


俺は止まった。


「どうしました?」


凛花が振り返る。俺は何も言えなかった。


《構造透視》は人体を透過して見ることができる。今まで意図的に使ったことはなかった。使う必要がなかった。でも広角スキャンは自動的に周囲全体を解析する。凛花の体の内部を、拾ってしまった。


左腕の中に、何かある。


骨でも筋肉でもない。金属に近い素材。細い針のような形状で、二十本以上。上腕から肘の内側にかけて、深く埋め込まれている。


手術で入れたものとは違う。位置と密度が違う。そして、その針のような異物から、微弱なエネルギー反応が出ていた。


生体組織とその異物が拮抗している。戦っている。


それが、震えの原因だった。


息が詰まった。


「何年も前から、あった」のか。あるいは——三年前から。《アストレア》の解散と、この時期が重なる。それは偶然かもしれない。でも《構造透視》が弾き出す情報は、異物と組織の相互作用が長期間継続している状態を示している。つまり、これはそう簡単に止まるものではない。


凛花は今も剣を持てる。戦える。それは間違いない。しかしあの震えは——戦闘中の一瞬、左腕の返しが、ほんの少しだけ遅れていた。三十秒の戦闘の中で、一度だけ。気づいた人間はいないと思う。俺も、《構造透視》がなければ気づかなかった。


「……榊さん」凛花の声で我に返った。彼女は俺を見ていた。目が、ほんのわずかに細くなっていた。


「何か見えましたか」


一瞬、間があった。


「モンスターの後続です。マップの奥に反応がある」


嘘だった。


俺は嘘をついた。


凛花が前を向く。俺はその背中の後ろで、一度だけ目を閉じた。


今はまだ——言えない。


何を言えばいいか、わからない。そもそも俺が見たものが何なのか、まだわからない。「左腕に金属が入っています」と言えたとして、それが彼女にとって新情報なのかどうかも、わからない。


ただ一つだけわかったのは、彼女の左腕は、本人の意思だけではどうにもならない何かを抱えているということだった。


配信のコメントは何も知らず、「凛花さんかっこいい」「次の戦闘も見たい」と流れていた。

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