『心臓を差し出した代償(コスト) 〜裏切られた英雄、異世界では「感情」を捨てて無機物の王となる〜』
カイルがその剣を抜き放ったのは、愛する仲間のためであり、守るべき民の笑顔のためだった。
魔王城の最深部。黒煙が晴れ、ついに世界を脅かした災厄が地に伏したとき、カイルは激しい息をつきながら仲間に振り返った。
「……終わったよ。みんな、無事か?」
全身創痍。右腕の感覚はない。だが、カイルの心は晴れやかだった。
背後には、共に死線を潜り抜けてきた聖女エルナ。彼女は涙を浮かべ、祈るように胸に手を当てている。
その隣には、不器用だが義理堅い重戦士ゴルドと、冷静沈着な魔導師ゼノン。
彼らはカイルにとって、家族以上の絆で結ばれた「戦友」だった。
「ああ、カイル。本当によくやってくれたわ」
エルナが歩み寄り、カイルの頬を優しく撫でる。その手の温もりに、カイルはこれまでの苦労が報われるのを感じた。
「これからは、もう戦わなくていいんだな。エルナ、君と約束した通り、小さな村で静かに――」
――ドスッ、という鈍い音が響いた。
カイルの言葉が止まる。
視線を落とすと、自分の胸から真っ赤な切っ先が突き出していた。
それは、彼が一番信頼していたゴルドの、あの無骨な大剣だった。
「……え……?」
カイルの口から、言葉ではなく鉄の味が混じった血が溢れる。
状況が理解できない。魔王の残党か? いや、剣を握っているのは、確かに笑い合っていたはずのゴルドだ。
「悪いな、カイル。お前は強すぎたんだ」
ゴルドの声には、これまでの快活さは微塵もなかった。あるのは、ドロドロとした嫉妬と、冷徹な計算。
「平和になった世界に、魔王を一人で屠るような『バケモノ』はいらねえんだよ。王からの命令だ。お前の首と聖剣を持って帰れば、俺たちは一生遊んで暮らせる爵位をもらえる」
「な……にを……。ゼノン、助けて……」
助けを求めて伸ばしたカイルの手を、魔導師ゼノンは冷たい瞳で見下ろした。
彼は杖を振るい、カイルの動きを封じる拘束魔法を展開する。
「カイル、君は純粋すぎた。英雄というのは、死んで伝説になってこそ価値があるんだ。生きていては、我々の出世の邪魔でしかない」
絶望に視界が歪む。カイルは最期の希望を求め、愛するエルナを見た。
彼女なら、彼女だけは、泣いて止めてくれるはずだ。
だが、聖女と呼ばれた女は、カイルの血で汚れた頬を蔑むように、ハンカチで拭った。
「カイル様、その顔……本当に気持ち悪いわ。貴方の重すぎる愛も、正義感も、ずっと反吐が出そうだったの。あとのことは心配しないで。貴方の功績は、私たちが美味しくいただくから」
エルナは、カイルが贈った約束の指輪をその場で外し、ゴミのように床へ捨てた。
カイルの中で、何かが音を立てて崩壊した。
これまで守ってきた民の叫び、仲間の笑顔、愛した人の体温。その全てが、自分を騙し、利用し、使い捨てるための「餌」に過ぎなかったのだ。
「ああ…………あああ…………!!」
声にならない叫びが、喉を焼く。
熱いのは傷口ではない。裏切られた心が、どす黒い憎悪と虚無に塗り潰されていく感覚だ。
(信じなきゃよかった。助けなきゃよかった。人間なんて、全部……消えてしまえばよかったんだ)
ゴルドが非情にも剣を引き抜き、再び振り下ろす。
カイルの意識が闇に落ちる直前、彼が最期に抱いた感情は、世界への未練でも復讐心でもなく、「人間という種そのものへの、根源的な嫌悪」だった。




