木の声、三種の神器
「違う!」
ある日、柱を据えようとしている時に突然、声が聞こえた気がして、辺りを見回した。
しかし、誰もいなかった。
「違う!」
また、聞こえた。
でも、誰もいなかった。
「誰なの? 何が違うの?」
気味が悪くなって妹は立ち尽くした。
「どうした」
少し離れた所にいたベテランの宮大工が近寄ってきて、声をかけてきた。妹が説明すると、彼は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに合点したような穏やかな顔に変わった。
「その声は、木の声だ」
「えっ、木の声?」
驚きを隠せない妹に向かって宮大工は大きく頷いた。
「そうだ。木が教えてくれたんだ」
柱に使う木を優しく撫でた。そして、諭すような声が続いた。
「木には〈陽おもて〉と〈陽うら〉がある。太陽が当たる南側を向いているのが陽おもてで、反対側が陽うら。もし、日光に慣れていない陽うらを南にして柱を据えたりすれば、乾燥しやすく、風化の速度は速くなる。木は生育の方位のままに使わなければならない」
陽おもて……、
陽うら……、
生育の方位のまま……、
妹が呟いていると、「これを適材適所という」という声が返ってきた。そして、驚きと感動で立ち尽くす妹に「木の声が聞こえれば本物だ」と言って、肩を叩いた。
木の声が聞こえた……、
木が語りかけてくれた……、
木が、私に……、
彼がその場を離れてからも妹は呟き続けた。
その時から妹と木の会話が始まった。
木には強い木と弱い木があって同じに扱ってはいけないこと、
土壌の質が違う木を混ぜて使ってはいけないこと、
人の都合に合わせて無理に木を組んだらいけないこと、
そんなことを木が教えてくれた。
妹はその一つ一つをベテランの宮大工に話した。すると、妹の話を黙って聞いていた彼は嬉しそうに笑って、古に想いを馳せるように目を細めた。
「木の文化は日本の宝だ。雨に恵まれて土地が肥えているから立派な木が育った。木に囲まれながら生活したから木を愛し木を活かす心が日本人には宿った。だから、木の形や肌合い、その香りを愛し、それぞれの木の性質を生かして上手に利用する技術が生まれた」
頷くと、声を強めた。
「古の大工の技は凄い。千年以上、大地震が来ても、台風が来ても、彼らが作った五重塔や三重塔は倒れることがなかった。どんな強烈な揺れも吸収してしまうからだ。地震や台風に逆らってはいけない。地震が来たら揺れ、台風が来たら揺れる。揺れるからこそ倒れない。それを古の大工は知っていた。本当に凄い」
その技は、柔の技であり、地震や台風を受け入れ吸収する古の大工の技だった。
本当に凄い!
妹は古の大工の知恵と技に感銘を受けた。
*
重要文化財の修復が完了した夜、妹はオヤジの部屋に呼ばれた。
なんだろうと思って中に入ると、才高家に伝わる三つの物を渡された。
指矩、墨壺、手斧。
指矩は直角に曲がったものさし。
墨壺は木材に線や印をつけるためのもの。
手斧は木材の表面を平らに削る道具。
宮大工の三種の神器と言われている大切なものだった。
受け取った妹は手が震えて、それらを持っているのが精一杯だった。それに、何か言おうとしても声帯は固まったまま動こうとしなかった。どうしていいかわからず戸惑うばかりだった。
それでもなんとか頷きを返すと、オヤジも軽く頷いて、ほんの少し頬を緩めた。そしてもう一度頷いてから立ち上がって、ゆっくりと背を向け、部屋を出て行った。




