人の心を組む
熱が下がって体調が回復すると、「金堂の模型を作りなさい」とオヤジに命じられた。自分で描いたスケッチを基に実物の二十分の一の精緻な模型作りを命じたのだ。それは、『描くことで目に焼きつけ、作ることで腕に憶えさせる』という才高家が代々受け継いできた本格的な宮大工修行が始まったことを意味していた。と同時にオヤジはもう一つのことを指示した。
「毎日1時間カンナを研ぎなさい。模型が出来上がるまで研ぎ続けなさい」
そして、「一つだけ教えてやる。へそに力を入れろ。カンナはへそで研げ」と付け加えた。
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1年後、模型が完成してカンナ研ぎの修行が終わると、オヤジに連れられて重要文化財の修復現場へ行くようになった。そこは待ちに待った夢にまで見た特別な現場であり、今までの仕事場とはまるで違っていた。なんとも言えない木の香りが漂っている上に、黙々と仕事を進める宮大工の息遣いが充満しているのだ。心が震えないわけがなかった。
こここそ私の居場所だ、と感じた妹は早く一人前になりたいと強く思い、先輩宮大工の一挙手一投足に目を凝らした。目で盗んだ。空中で手を動かし、動きを真似た。動きを盗んだ。来る日も来る日も。
ある日、オヤジと設計委員会の学者が口角泡を飛ばして議論しているのを見かけた。思わず耳をそばだてたが、何を言っているのか、よくわからなかった。知らない言葉がいっぱい出てくるのだ。学者は専門用語を次々に繰り出してくる。それに対してオヤジは一歩も引くことなく議論を戦わせている。こんなオヤジを見たことがなかった。宮大工の棟梁として超一流の技術を持っているだけでなく、学者と議論できる知識も持っているのだ。
凄いと思うと同時に自らの限界を感じた妹はある決心をした。建築の基本を学び、学者と議論できるだけの知識を身につけることを決めたのだ。
宮大工の技術だけを磨いても棟梁にはなれない。もっと幅広い知識を、学者と渡り合える専門知識を身につけなければ才高家第23代の棟梁にはなれない。
そう悟った妹は躊躇わず工学部建築学科の夜間社会人コースに入学した。そして、昼は宮大工修行、夜は大学生として寝る間を惜しむ努力を続け、古から伝わる技術を磨くと共に、木工から土木工学まで幅広く多くの知識を吸収していった。
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そんなある日、妹はあることに気がついた。棟梁であるオヤジはまったく作業をしないのだ。誰よりも腕の良い宮大工であるオヤジが何故作業をしないのか不思議だった。
しかし、オヤジには聞けない。説明してくれないのがわかっているからだ。だから親しくなったベテランの宮大工に質問をぶつけた。すると彼はにこやかな笑みを浮かべて教えてくれた。
「全体を見るのが棟梁の仕事。小さな一つ一つの仕事をしてはいけない。目の前の仕事に没頭したら全体に目が行かなくなる。職人に任せて、しかし、任せすぎないで、全体がうまくいくように細心の注意を払うのが棟梁の仕事」
考え込む妹の顔を覗き込むようにして、長い経験を持つ宮大工がぽつりと言った。
「木組みは、人の心組み」
「えっ?」
「棟梁がいちいち手を出していたら作業は進まない。一人一人の大工を尊重して任せる。それができる度量がないと棟梁にはなれない。一番大切なのは棟梁と大工全員が文化財修復の全体設計を共有し、同じ想いで共同作業できるように心を配ることだ」
「だから、人の心を組む……」
その宮大工は、得心した妹の肩をポンと叩いて作業に戻っていった。




