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古の声

 

 業界の集まりでオヤジが不在の夜、妹を誘って居酒屋に行った。高校を出るとすぐに弟子入りした妹はオヤジを棟梁と呼んで宮大工の道を歩みだしたが、それ以降のことをよく知らなかったので、詳しく聞こうと思ったからだ。

 妹は「どうしたの、今頃?」と意外そうな表情になったが、「思っていたより大変だった」と苦笑いのようなものを浮かべて、その後のことを話し始めた。


        *


 手先が器用な妹は宮大工の技をどんどん吸収していったが、真の宮大工になるのはそう簡単な事ではなかった。小さな頃から仕事場でオヤジの真似事をし、弟子入りしてからは寝食を忘れて修行に励んだが、やればやるほど、その奥深さを思い知らされ、何度も何度も壁にぶち当たった。しかし、「職人は教えてもらって育つものではない。先輩の技を見て、真似て、その上で創意工夫をして自ら育っていくのだ」という持論のオヤジは基本以上のことを手取り足取り教えることはなかった。


 宮大工修行を始めて2年が経った頃、妹はオヤジの部屋に呼ばれた。

 なんだろうと思って前に座ると、「奈良へ行って、国宝や重要文化財を見てきなさい。見るだけでなく、スケッチをしてきなさい。全体像だけでなく、細部をよく見て詳細にスケッチしてきなさい」と1か月分の生活費を渡された。


        *


 法隆寺駅に着くと、妹は真っ先にその足で寺務所(じむしょ)へ向かった。法隆寺では写真撮影もスケッチも禁止されているので、特別な許可を得なければならないからだ。

 しかし、許可が下りるかどうかはわからなかった。そのせいで、極度に緊張している上に断られたらどうしようという不安に占領された。受付で待っている間、膝の震えが止まらなかった。


 しばらくして、男性職員が現れた。

 父親の名前を告げて、預かった手紙を渡し、自分が宮大工修行中の身であることを話した。すると、「内部で協議するので、翌日、出向いて欲しい」と告げられ、妹が帰ったあとに真偽の確認が行われた。


 手紙の内容に間違いがないことを確認した寺務所は、翌日、再度会議を開いて、特別な許可書を発行することを決め、それを示す腕章を妹に与えると共にルールに従ってスケッチをするようにと釘を刺した。


 安堵して宿に戻った妹はその夜ぐっすりと眠り、早朝に起きて、誰よりも早く食事を済ませたあと、ご飯を分けてもらって、おにぎりを作った。お金と時間を節約するためだ。


 毎日、毎日、日が暮れるまでスケッチに没頭した。すると、描き始めた頃の稚拙(ちせつ)な画が日を追うごとに精緻(せいち)になっていった。そのうち、見えなかったものが見えるようになってきた。気づかなかったところが気づくようになってきた。そして、更に精緻なスケッチが描けるようになった。しかし、時間は矢のごとく過ぎていった。


        *


 あっという間に1か月が終わり、すり減った数多くの鉛筆と、びっしりと書き込まれた5冊のスケッチブックを持って妹が帰ってきた。しかし、そこに描かれていたのは法隆寺の金堂(こんどう)だけだった。

 当初は1か月もあれば多くの寺のスケッチができると思っていた。法隆寺の金堂、五重塔、中門(ちゅうもん)夢殿(ゆめどの)。そして、唐招提寺(とうしょうだいじ)薬師寺(やくしじ)、東大寺、長谷寺(はせでら)室生寺(むろうじ)……。

 ところが、最初にスケッチを始めた金堂さえも完全には描き切れなかった。描けば描くほど新たな発見があり、何度も描き直さなければならなかった。日本の古代建築の奥深さを思い知らされたのだ。


        *


 その日の夜、妹は熱を出し、3日間寝込んだ。そして、うわ言のように「あ・す・か」と何度も言い続けた。


「あ・す・か」とは飛鳥時代のこと。法隆寺が建立(こんりゅう)された古の時代。法隆寺は約1300年前から奈良・斑鳩(いかるが)の地に佇む世界最古の木造建築であり、1993年に日本初の世界文化遺産に登録された至宝である。


 妹は夢の中で声を聞いた。


「木の声を聴きなさい。木の心を感じなさい。そして、木と話しなさい」


 それは、飛鳥時代の宮大工、法隆寺を建立した宮大工の声だった。妹はうなされながらも、「木の声を聴きたい、木の心を感じたい、木と話したい、飛鳥時代の宮大工に会いたい」と夢の中でひたすら求め続けた。

 それが叶うことはなかったが、それでも求め続けた。あ・す・か……と何度もうわ言を言いながら。



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