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季節外れのサンタ

 

 会社案内が出来上がったので、結城と美顔本社へ向かった。初めての仕事だったので不安は大きかったが、結城が褒めてくれていたので、期待する気持ちも少なからずあった。

 それでも、応接室で社長を待つ間はドキドキが止まらなかった。目を通した社長の顔が曇ってしまうことだってあるからだ。そうなると、やり直しになるか、担当を変えられることだってある。

 どちらにしても大変なことになる。最悪の場合は会社を辞めなければならなくなるかもしれない。そんなことを考えていると、緊張で顔が強張ってきて、体まで固まってきたように感じた。

 しかし、賽は投げられたのだ。ジタバタしても仕方がない。静かに長く息を吐いて、不安と緊張を体の外に追い出した。その時、


「お待たせしました」


 いつものような明るい声で社長が入ってきた。今日の日を楽しみに待っていたというような期待感が顔に現れていた。

 その顔を見て、また緊張が増した。精一杯やったが、社長の期待度にどれくらい届いているか、不安になった。それでも、逃げ出すわけにはいかない。挨拶もそこそこに、会社案内の冊子を差し出した。


 社長は何も言わず、ページをめくり始めた。頷くこともなく、といって、顔をしかめることもなく、一つ一つの文章や写真を確かめるようにページをめくり続けた。


 見終わった社長が冊子をテーブルの上に置いた。そして、わたしに視線を向け、結城に移した。わたしは口の中がカラカラに乾いて、干からびた田んぼのようになっていた。結城も緊張しているのか、息を詰めているような感じになっていた。二人とも、審判を下される被告人のように微動だにしなかった。


 社長が視線を冊子に戻した。そして、再び手に取って表紙をわたしの方に向けると、いきなり破顔した。


「ありがとうございます。気に入りました。文章もレイアウトも言うことありません。とても自然なのにインパクトもあって、本当に素晴らしいと思います」


「あ、ありがとうございます」


 一気に緊張が解けた。その途端、頬がだらしなく緩むのを止められなかった。しかし、そんな様子を気にすることもなく、社長の視線は結城に移っていた。


「写真がまた素晴らしい。私の顔も社員の顔も本当に自然で、表情豊かで。その上、健やかパークで楽しむ会員様の表情が生き生きとしていて、本当によく撮れています」


 極上の褒め言葉に、結城の顔もパッと明るくなった。すると、それを待っていたかのように秘書が社長に近づき、紙袋を二つ差し出した。社名入りの紙袋だった。受け取った社長は、「ささやかな御礼ですが」と言って、わたしと結城の前に一つずつそれを置いた。


「低刺激性と高い保湿力を両立させた我が社イチ押しの製品ですので、是非お試しください」


 袋の中には化粧品のセット、それも、最高級のプレミアム・シリーズが入っているという。


 えっ⁉


 驚いて結城の顔を見ると、信じられないというふうに口に手を当てていた。

 実は、彼女は取材を始めてから美顔のエントリー・シリーズを使い始めていたのだが、本当に使いたかったのはプレミアム・シリーズだった。しかし、契約社員の給料で手が届く価格ではなかった。「私には高嶺の花だから……」とため息をつく彼女を見て、わたしも切なくなったものだ。取材で色々と気を遣ってくれている彼女に、せめてものお礼としてプレミアム・シリーズをプレゼントしたかったが、わたしの給料ではどうしようもなかった。だから、次の給料が出たらエントリー・シリーズの化粧水と乳液を買ってプレゼントしようと考えていた。

 ところが、わたしたちの許へ季節外れのサンタがいきなりやって来た。それも、これ以上はないというプレゼントを持って。わたしは目の前で微笑んでいる綺麗に髭剃りをしたサンタに向かって何度も頭を下げた。そして、自分の紙袋を結城に渡す瞬間を思い描いた。


        *


 笑顔の社長に見送られて駅へ向かって歩いている時だった。「才高さん、お祝いしましょう」と突然、結城が言った。


「お祝い? なんの?」


「才高さんの初仕事のお祝い」


「えっ? わたしのお祝い?」


 思い切り戸惑った。無事に終えることができたとはいえ、今回の仕事はわたしの力だけでできたわけではない。彼女の力添えが無ければ、彼女が撮った素晴らしい写真が無ければ、こんなに完成度の高いものはできなかった。だから二人のお祝いにしようと提案すると、彼女はにっこり笑って、頷いてくれた。


        *


 結城がたまに行くという洋風居酒屋で乾杯した。ビールが、久しぶりの生ビールが旨かった。精一杯仕事をして、やり遂げて、結果を出して、仲間と祝うビールの旨さを初めて知った。


 クゥ~、幸せ!


 天国へ昇るような気持ちになった。体中の細胞が活性化して、一気に2杯目を飲み干すと、絶好調になった。ビールが進めば進むほど美顔の社長やパンフレットの話で盛り上がり、結城と何度もジョッキを合わせた。


 楽しかった。

 本当に楽しかった。

 彼女も笑顔満開になっていた。


 チャンス!


 紙袋をそっと彼女に差し出した。すると彼女は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに笑みを浮かべてわたしに礼を言った。しかし、受け取ろうとはしなかった。

 それは予想していたことだった。だから笑いを取るような口調で、「わたしが貰っても豚に真珠だからね」と告げてもう一度、彼女に差し出した。


「それに、君に使ってもらいたいから」


 少し照れたが、歩きながら考えていた言葉を口に出すことができた。すると一瞬、彼女は躊躇いのような表情を見せたが、それでも小さな声で「ありがとう」と言って、今度は受け取ってくれた。わたしはさっきより照れ臭くなって、ジョッキに残ったビールを一気に飲み干したが、何を話したらいいのかわからなくなった。尿意はなかったが、トイレに立った。


 鏡に顔を映すと、目の周りに赤みがさしていた。

 蛇口をひねって水道水で顔を洗って、酔いと火照りを鎮めた。


 トイレから戻ると、彼女はスマホで何かをチェックしていた。

 少しして顔を上げると、スマホの画面とわたしを交互に見つめ、「こんなこと聞いていいかどうか……」と躊躇いがちに口を開いた。


「何?」


 なんでもどうぞ、と掌を上に向けると、「あの~、才高さんって有名な小説家だったんですよね」と遠慮がちな口調ながら予想外の質問を投げかけてきた。


「有名かどうかはわからないけど……」


 ちょっと面食らったのでぼそぼそっと返すと、「もう、小説は書かないのですか」とわたしの目を覗き込むようにした。


「ん……」


 わたしは彼女から目を逸らし、空になったジョッキを見つめた。


「もう……書かない」


 ジョッキに映る自分に言い聞かせるように呟いた。


「そうですか……」


 ため息のような彼女の声が聞こえた。それでも、残念というようなニュアンスは感じられなかった。彼女へと視線を移すと、何故か、にこやかに笑っていた。


「おめでとうございます」


 突然、彼女がジョッキを掲げた。


「えっ⁉」


 何がめでたいのかわからなかったが、「小説家卒業、おめでとうございます」と自分のビールをわたしのジョッキに注ぎ、「乾杯」と言ってジョッキを合わせてきた。

 カチーンという強い音がした。

 その瞬間、わたしの中で何かが砕けたように感じた。

 それは潜在意識の中に残っている小説家への未練のように思えた。


 卒業か~、


 呟きと共に小説家という言葉をごくりと飲み込むと、二つの言葉が胃の中で分解されてどこかに吸収されていった。

 すると、生まれ変われそうな気がしてきた。彼女がいてさえくれれば、新しい自分になれるような気がしてきた。

 結城の笑顔が、

 結城の優しさが、

 結城の存在が、

 わたしに新しい何かをもたらそうとしていた。



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