プロローグ
高校3年生の春、父に呼ばれた。
部屋に行くと、厳しい表情が待ち構えていた。
「卒業後は宮大工として働きなさい」
半ば命令のように告げられた。
わたしは返事ができなかった。
まったく自信がなかった。
無理だとは言えなかったが、わかりましたとも言えなかった。
「ちょっと時間をください」
それだけ言うのが精一杯だった。
*
わたしは才高家の長男としてこの世に生を受けた。名前は叶夢。
才高家は遥か昔から続く大工の棟梁だった。長い間、庶民が住む長屋の建築を生業としていたが、応仁の乱を機に築城大工への道を歩むことになった。何故なら、下剋上による乱世の時代は築城数増加の時代でもあり、腕の良い大工は引く手あまただったからだ。その上、報酬が一般の大工と比べものにならないくらい高かった。それは危険を伴うことへの裏返しでもあったが、先祖はそれを好機と捉えた。
最初は下請けのような役割だった。しかし、丁寧な仕事ぶりと無駄を省くコスト管理が評価され、徐々に頭角を現していった。そして、手掛けた出城に高い評価が集まるようになると、より大きな仕事が舞い込むようになった。それだけでなく、城主のお抱えとなる高運にも恵まれた。当然のように才高家の名声はいやがうえにも高まり、その地位は安泰だと誰もが思っていた。
しかし、天下統一後、江戸時代が始まると築城の需要は激減した。当然のことながら才高家は窮地に陥り、配下の大工を食わせていくことが難しくなった。
それでも、長屋の建築に戻ることは躊躇われた。今まで磨いてきた技を捨てるようになるからだ。当主は悩んだ末に築城大工の誇りと技を活かせる道を選び、嫡男を宮大工の修行に送り出した。
それ以降、才高家は宮大工としての道を歩み続けている。それだけでなく、代々の当主は技術を磨き上げ、それを比類なきレベルに高めると共に、その技を門外不出にすることで才高家の存在を守り続けてきた。わたしの父も第22代当主としてその比類なき技を守り続けながら、全国各地の神社仏閣や重要文化財の保全修理に全力を傾けている。
そんな家に生まれたわたしは才高家の跡継ぎとして第23代当主になることが運命づけられていた。幼い頃から宮大工の技を仕込まれ、当主の心構えを叩きこまれた。しかし、関心が別の方面に向いていたことと手先が不器用で精巧な細工が苦手だったこともあり、宮大工を天職にするという強い想いは湧き出てこなかった。それでも父に背く勇気のないわたしは、悶々としながらも本心を隠し続けていた。
*
1か月間悩んだ末に父に向き合った。
「大学へ行かせてください」
頭を下げたが、父は何も言わなかった。
目を閉じて、口を開こうとしなかった。
いたたまれない時間が過ぎる中、結局、最後まで何も言わなかった。
その日以来、父は何もしゃべらなくなった。
家の中は重い空気に包まれ、母の顔から笑みが消えた。
わたしがしようとしていることは、22代続く才高家を潰しかねない大変なことだった。それでも、自分のことしか考えていないわたしにとって、伝統という言葉も継承という言葉も鬱陶しいものでしかなかった。
しかし、父と母にとっては大問題だった。二人が受けている重圧が耐えられないほどの重さになって両肩にのしかかっていただろうし、断絶という言葉が両親の心を蝕んでいることは間違いなかった。500年続く才高家の誇り高き灯が、今まさに消えようとしていたからだ。
そんな時、3歳年下の妹が突然、天地がひっくり返るようなことを口にした。
「私、高校へ行かない。宮大工になる!」
「えっ⁉」
ひっくり返りそうになったが、妹はケロッとした表情で言葉を継いだ。
「私は産まれた時から宮という名前で育ってきたのよ。宮は宮大工の宮でしょう。小さい頃からずっと宮大工になるものだと思っていたの」
妹がそんなことを考えているなんて全然知らなかった。父がわたしに指導している横で見様見真似で木を切ったり細工つくりをしていたが、それは子供の遊びのようなもので、そのうち飽きると思っていた。
「私は小さい頃、宮大工の棟梁になりたいと思っていたけど、お兄ちゃんが家業を継ぐとわかって諦めたの。でも、お兄ちゃんに継ぐ気がないことを知ったから、やった、って思ったの。だって私の方が手先が器用でしょう。私の方が絶対に向いているの。だから、私がこの家を継いだ方が絶対いいの!」
当然のことのように妹は言って、父を真っすぐに見つめた。
「お父さん、いいでしょう。私が継いでもいいでしょう」
しかし、父は腕組みをしたまま何も言わなかった。娘に継がせるという考えがまったくなかったからだろう。何故なら、宮大工の世界は男の世界であり、少なくともわたしは今まで一度も女の宮大工を見たことがなかったし、才高家も歴代の当主はすべて男だった。だから、父が首を縦に振ることは考えられなかった。
それでも、わたしが断った以上、妹の願いを聞き入れる可能性はゼロではないようにも思えた。それは妹も母も同じはずで、二人は固唾を呑んで返事を待っているように見えた。
「高校には行きなさい」
父の口から出た言葉はそれだけだった。そして、厳しい表情のまま席を立って、背を向けた。
すると、これだけは訊いておかなければならないといった切羽詰まった母の声が父の背中に向かった。
「叶夢の大学は?」
父の足が止まった。
と同時にわたしの心臓も止まりそうになった。首を振られたら、お先真っ暗になるからだ。
頷いてくれ!
心の中で必死に手を合わせたが、なんの反応もなかった。声が出てくることもなかった。
ダメかもしれない……、
目の前から光が消え、絶望の闇に覆われたような感じになった。父の姿が消え、母の姿も見えなくなった。
終わった……、
人生が閉ざされたと思った。残る道は家出しかなかった。
終わった。
観念した時、母の声が聞こえた。
「いいのね」
光が戻ってきた。父が頷いたに違いなかった。
あ~、聖徳太子様、
宮大工の神様に向かって手を合わせた。
ありがとうございます。
心の中で何度も呟いた。
ほっとして母に視線を向けると、複雑そうな顔をしていた。大学へ行かせてやりたいという気持ち以上に家を継いでほしいという気持ちが勝っているからだろう。
「ごめん」
出てきた言葉は感謝の言葉ではなかった。