4、馬鹿とココア
「缶あったかーい!外さむぅーい!」
「お前がぼーっとしてるからだろ、ばか」
「この間テストで百点とったもん!」
「ばーか、ばーか」
ポカポカと拳をぶつける。軽いものだが、あしらえば倍返しが待っている。すねは勘弁被りたい。
肩で流すのが一番マシだった。
あれからナオは意識をハッと戻した。そして「ココアが飲みたい」とわがままを口にした。
食事の後はいつも所望する。
めんどくせぇ、と眉間に皺を寄せた。近くに自販機はなかった。
するとナオは、唇を尖らせて叫び始める。
「しーっ!馬鹿っ!」
「シューちゃん!ねぇー!むー!」
手足を広げ暴れ始める。こうなったら治るまで手がつかない。
言うことを聴く他なかった。
ちなみに遺体は例の老人に電話する事で、綺麗さっぱり無かったことになる。
その辺りは、長年の経験から触れてはいけない範囲だと察知していた。正直、便利だし。
沈黙は金なり、だ。
ただカメラやらスマホやらが、目を光らせる昨今。叫ばれるのは首を締め上げられるに等しい。なので彼女の手を引いて、夜更けの公園へと連れてくるしかなかった。
嬉しそうにボタンを押す。出てきた商品を片手に颯爽とベンチに向かった。「シューちゃんも早く!」と促される。
てきとうに茶を買って隣に座った。そうして先の会話を繰り広げた後。
キャップを捻り口を湿らす。ナオも同様にしていた。が、熱かったのか舌を出して唸っていた。
ガキだなぁ、と思って鼻で笑う。
「わらうなーっ!」
「笑ってねーよ、ガキだなってバカにしただけ」
「わらってるね!それ!」
またナオは拳をぶつけた。
自分は手のひらでそれを受け止め、勝ち誇った顔を見せつける。
ナオは頬をタコのように膨らませた。
そのままパンチができないように、拳を握り続ける。
悔しそうな顔に、楽しげな光が滲む。
わかりやすいやつ、と笑みがこぼれた。
「ねぇシューちゃん」
「あ?」
腕の力が抜けていく。指の筋肉を緩めて、ナオの手を解放した。
「ナオも死にたいって思う日が来るのかな」
目を伏せがちにして淡々と、ただ言った。語尾から漏れた二酸化炭素が空中で凍る。
聞かずとも察した。
今日食べた魂に何かひっかかるものがあったのだろう。
甘い記憶か、苦い後悔か。
食材として用意される人間は、向こう方が決める。基準は不明だが、よほどのミスを犯したか、誰かの癪に触ったか。
依頼の理由なんて、大抵は欲に塗れている。その毒牙から逃れることは、よほど運が良い奴だけだ。宝くじを一枚買って高額当選とか、そんな運。
死神は、案外すぐ来る。
『死にたい』と、何気ない胸のひとりごとでも。
魂を食べた後、このように生を憂うのはよくあることだった。
考えるまでもない。年相応の言動を見せても、こいつはちゃんと気づいてる。考えている。
自身の異質さに。
なんで、と聞くのはわざとらしすぎる。
そんなことを言うな、はきっとコイツの求めるものじゃない。
言葉とはつくづく厄介だ。話せることがあるはずなのに、それに適する語が溢れすぎている。
少しの静寂。
ナオはこちらをチラッとみる。
何も言わない自分に、どうやら困ってしまったらしい。
それでも、笑みを落として口火を切った。
「……シューちゃんは居てくれる?」
生唾を飲んだ。
壊れるまでを見届けろ、そう言う脅しに聞こえた。
「ばーか、ばーか」
そう言って手を掬う。
なんて言えばいいのかわからない。でもこの場でこの手を握りしめて、潰してしまえば――――。
くふっ、と乾いた笑いが端から漏れ出す。
「えっ、えっ。なんで笑ってるの」
我ながら最悪だ、と思った。
「おまえが馬鹿だから」
「またそうやって言う!ナオ、この間算数のテストで――」
「そーですねー、ちゅごいでーす」
ナオは唇を突き出す。
「シューちゃん!」
腕に力を込めて、ナオはこちらを押す。
何かがおかしかった。それはわからない。でも、それが今の自分にとって必要なことだけは分かる。
歪なこの関係に言葉をつけるなら――……
(いや、そんなありきたりはいらないか)
手を離して、デコピンをする。
痛っとナオは狭いデコを抑えて、わざと涙を溜めて言った。
「ばか、やっぱシューちゃんの方がばか!」
――――なら俺は馬鹿でいいよ。
言葉にせず立ち上がる。ナオの頭に手をやって、整った髪をくずした。
抗議の言葉は白く凍って、後ろに溶ける。自分の吐いた息も同様に。
「帰るぞ」
濃くなる夜に、自分たちは身を隠す。
月がひかる。淡々と、ただ俺たちの影を伸ばしていく。