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光と波  作者: 善文 杏南
9/51

2-1

 直人の左手は親指と人差し指と中指の爪が割れて途中からなくなっている。

 傷が新しくて生々しいのは甲である。今は包帯で隠しているけど先週直人がそこから滝のように血を流しているのを見た。甲の大部分の皮が剥がれて肉が裂けていた。

 キキの鱗は鋼のように硬い。それに鋭利なので直人はしょっちゅう怪我をする。

 龍水は演目の中で火を噴いたり炎に巻かれたりする。この二人の演目は特に危険である。だから医者が駐在している。

 食糧やその他諸々の買い出しは大抵月曜日から木曜日までに済ませておくのだけど週末に急に買い足しの用ができると午前中に行くことになる。それはいつも直人の役目で歩はいつもそれについていく。

 ホームセンターの熱帯魚売り場の一番端の棚の上にガラス瓶が並べられている。

「この魚、綺麗」

 瓶の中で魚が一匹ずつ泳いでいる。グッピーやメダカとは違って体が少し大きい。赤一色、青一色、白一色、何色か色が混ざったものもいる。同じ種類の魚のようなのに皆体の色が違う。

「ベタだよ」

 直人は言いながら歩の目の前の赤い魚が泳ぐ瓶を取った。

「欲しい?」

 歩は頷く。

「どれがいい?」

「赤」

 直人が着ているヒツジのプリントのミリタリー色のトレーナーはだぼっとしている。同じようなアースカラーの太いズボンを穿いている。

「水槽も買っていい?」

 歩が訊くと直人は「買わなくてもあるよ」と答えた。

 帰りは直人が運転するトラックの助手席に座ってフロントガラスに張りついてくる雨粒を見ていた。だけど急に眩暈がした。質が悪い眩暈だった。吐き気がして座っているのも辛くて横になろうとした時堪え切れない咳が出た。咄嗟に口を押さえた掌に赤いものが付着した。

 二週間前にも血を吐いて姫氏原に診てもらった。

 姫氏原は医者である。会場の二階にある医務室に引きこもりがちであまり外には出て来ない。彼の父親が院長をしている病院に連れていかれていろんな精密検査を受けたのが二週間前の土曜日だった。

 会場の医務室には殆ど最新といっていい設備が整っている。心電図やレントゲンは勿論CTスキャンやMRIもある。簡単な手術なら出来るらしい。

 医務室を出ると廊下に直人が立っていた。窓に凭れている。

 窓の外は白くて明るい。床も壁も白いので眩しい。

 窓は外側を雨で濡らしている。水滴が付いて次々に流れていく。

 窓の外の雲は灰色が混ざっているけど白い。水蒸気が立ち込めてとにかく景色が白い。

 胃潰瘍だと説明した。手術しなくても薬で何とかなるのだと話していると廊下の奥の非常口の方から始位がこちらに近付いてくるのが見えた。

 始位は紺色のシャツに黒いスラックスという格好である。高価な革靴はイギリスのブランドのものである。

 始位の目は切れ長だけど大きい。いつも沈んだ表情をしているけどとにかく整った顔立ちをしていて見栄えがいい。

 何年か前にこのすぐ横の国道で段ボール箱に入れられて捨てられていた五匹の子猫が皆車に撥ねられて死んでいたのを早朝に見つけた始位が死体を集めて枇杷びわの木の下に埋めたのを知っている。

 首狩り族の話をしたのは彼だっただろうか。彼は幽霊を信じているらしい。女の幽霊が彼を苦しめているらしい。多分死んだ奥さんだろう。

 痩身なのに肩幅があるのでがっしりして見える。一八〇センチを越す長身は年齢を考えると珍しい。だけど單も彼に並ぶ身長だし直人はそれより数センチ高いのでここではあまり特別ではない。

 直人の養父もとても大きな人だった。今の直人よりも背が高い。一九〇センチ以上あった。

「直人」

 始位が言うので歩は「行って」と直人の背中を押した。

「すぐに戻る」と言って直人が歩いていく。

 頭が痛い。体中が麻痺したみたいに力が入らない。息切れがする。

 歩は始位のように力持ちだったり人並み外れた持久力があるわけじゃないし單のようにアクロバットが出来るわけでもない。直人のように美しく泳ぐことは出来ない。龍水のように喋るのが上手だったり度胸があるわけじゃない。姫氏原のような医学の知識は持ってない。それだけでなく元々体力もないし声も小さい。役立たずだと思われても仕方ない。だからせめて綱渡りだけは完璧に出来るように訓練をしていた。

 だけどもう意味がない。



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