敵の頭脳パンを叩け
「あら。みんな今日は訓練していないわ」
二階にある隊長室で。事務仕事をしていたアヤナは窓からグラウンドを見下ろした。
いつもは(それなりに)シスターズが走っているのだけれども。
……何故走り込みかと言うと、それはもちろん装備が足りないからだった。
みんな戦闘用のナイフは持っているが、もちろん手加減なんてできるわけもなく。下手に戦闘訓練などしたら確実に死者が出る。
でも、もうそれって軍人として致命的な感じ。
前まではホウキで叩き合ってる隊員たちもいたのだが、そのホウキも数が足りなく、されに何本も壊れ始めたので、ホウキは本来用途に使われることになっている。
と、フレイヤ特務少尉が隊長室に入ってきた。
「隊長。今日の書類はこちらです」
「ありがとうフレイヤ」
「事務員が着任すれば、隊長も本来任務に集中できますのに」
「……。そっ……そうね」
実は。そもそもアヤナはあまり自分の任務をよく知らなかった。アリス隊を補佐・補充する部隊の育成……。そんなんアヤナに特別な手腕があるはずがなく(むしろ彼女は、腕はポンコツな部類)、結局は上がってきた書類にサインするだけなのではなかろうか。
アヤナは気を取り直して言う。
「ねえフレイヤ。今日はあのコたち、訓練していないの? タダで給料を要求されるのは流石に困る。既に給料が遅延していると言うのに」
「資金繰りに苦しんでる、小さな会社みたいですね」
「そうよ。そして何より恐ろしいのが。私たちは国のために働く公務員で、かつ志願制の、命を張って戦う兵士なのに。私たちは明らかに手を抜かれている気がする」
「結成して間もないですから……」
「割と時間経った気がする」
「……なんなら、誰もこの部隊のことを知らないのかもしれません」
「え!?」
「いえ年度途中の結成でしたし。軍隊の色々なところに聞いてもアリス隊のことは誰もが知ってますが、その下部組織のアヤナ隊のことは存在さえ知られていないと言うか」
「……秘密組織!?」
急に瞳を輝かせるアヤナだ。彼女の感性は、立場や容姿に似合わず、割と『わくわく』系である。
アヤナは軽く咳払いをした。
「年度切り替えで予算も計上されるから、上層部もそこで思い出してくれるかも」
なんだか悲惨な部隊だった。結成当時の理念とかは凄かったのだが。これが将来は1000人規模になると言うのは信じにくいが。
「ともあれフレイヤ。あのコたちは今、何してるの? 外にいないけど」
「はい。今日は勉強してるようです」
アヤナはぶっ飛んだ。
「あのコたちが勉強!?」
「はい」
「『あまり勉強できないから、とりあえず公務員』ってコたちだらけだったんじゃないの!?」
酷い認識だが、特に間違っていないのが悲しい。
「アヤナ隊長。確かに彼女らはあまり勉学に秀でてるわけではないでしょう」
「うん」
「頭のよい若者は士官学校を目指しますし」
「そうよね」
「でも今日は、やたら熱心と聞いてます」
「ふーん。『得意科目は保健体育』ってコがほとんどだったのに」
「そう……なんですか?」
「履歴書とエントリーシートは全員のを見てるし。顔と名前と履歴書は一応憶えている」
ここらへんの記憶力が、アヤナ最大の『能力』であろうか。
「でも隊長。保健体育も。真面目に人体の構造とかを……」
「そうかもしれないけどさ。趣味は『読書』って言うコたちに、どんな本を読んでるかと聞いたらエロ小説とか普通に答えてたし」
「ぅわぁ……」
「読書、っつてんのにエロ漫画だとか」
「おぅふ」
「しかもBL」
「あ、隊長ダメです。私はそういう分野はちょっと……」
アヤナは肯いた。
「でもね。私の大師匠と妹弟子が、ちょっとヤバくて。それにやられて人生変わったみたい」
「悲惨すぎです……。あれ? 大師匠って、まさかアスリー先生のことですか!?」
「そうよ」
「……ええと。意外な感じ、全くしませんね」
「そうね。あの人だし……」
アスリーの認識なんてそんなものだ。
「じゃあフレイヤ。ちょっと視察に行こうよ」
「そうですね。彼女らは熱心らしいですし。個人的に興味もあります」
兵舎の中。教室には誰もいなかった。それでは、と言うことでアヤナとフレイヤは図書室のドアを開ける。
果たして。
本当に。
大勢の。
シスターズらが揃って勉強していた!
「おぉフレイヤ! みんな勉強してる!」
「何だか信じられませんね!」
少しガヤガヤと、大勢の大きな声が上がっているが、そんなモノたいしたことではないだろう。彼女らが勉強していると言う事実の前には。
この図書室。大勢を想定して、その広さは確保されていたが。蔵書はやはり貧弱だった。
アヤナ隊は結成を急いだので、ここらへんの後方のことは後回しにされている……そう、普段はアヤナとて忘れているのだが、そもそもシスターズは育成組織である。それはエリート揃いのアリス隊の補佐、そして損耗が出た時の補充要員として訓練している『はず』なのだ。アリス隊に随伴する以上、多少なりとも知性や知識は必要になる。
その訓練の一環で図書室も用意されているのだが。
物理的に本が足りない。棚がガラガラである。
蔵書の量も貧弱だが、その内容も、色んな部隊のお下がり……つまり古くて役に立たないと判断された書物が多い。
後はお駄賃で買えるくらいの中古本とかだ。いやこれは本来、相当に有用なのだ。中古で安いと言うことは、社会や読者に価値があると認められ、重版されて広く流通しているものなのだから。
但し読まなければ、ただのブ厚い紙のカタマリである。
色々な学校からの寄贈もあったが、何故か幼稚園からも寄贈がある。
フレイヤが呟く。
「なんで軍人の図書館に、エリック・カールの絵本『はらぺこあおむし』なんてあるんですかね」
アヤナは肯いた。
「フレイヤ。一説によると、あの絵本は物凄い難解らしいわ」
「そうなんですか?」
「フェルマーの最終定理より読み解けないそうよ。そしてその存在自体がバイブルと化し、後世では本流と独自の流派たちが対立し、さらに新訳されて、人口の半分を巻き込む宗教戦争の世界大戦になろうかと言う物凄い絵本。何故なら今すでに全世界のチビッ子たちがその価値観を共有している。もし彼らが親になったならば、きっと彼らはその子供に『はらぺこあおむし』を買い与えるでしょう。そして『はらぺこあおむし』には曜日の定義や食べて良い食材などが載っている。そして分かりやすく、希望を持てて、更に面白い。既にそこらへんの聖典よりも格上なのだから」
「た、隊長!? 本当なんですか!?」
「ごめん、かなり盛った」
わりとお茶目なお姫様である。
アヤナは呟く。
「しかし勉強してるって言っても……」
この図書館には、他に魔法の力で『転写』して複製したものも多い。それらの魔法もシスターズたちが訓練するのだ。
だが彼女らが転写した複製本は……文字が掠れていたり、誤字脱字が多かったり、何故か原文から追加されたり消されたり。純愛モノがエロ小説に改変されていたり。既に悪意があるような気もした。
こんなパチもんを後世に残してはマズい……と判断して、一度大量に焼却処分したことがあった。本を校庭に集め、油をかけ、火をつけた。その(大きな)焚き火に、周りに皆で集まって。おイモとか焼いて食べた。美味しかった。あと何かツマミとかも焼いた。
うっかりアルコール度数が高い酒に引火し、炎に包まれたコもいた。
大慌てで、皆で消火すると。炎の中から立ち上がった彼女はこう言った。
「炎の中から色々飛び出るのよ。ゾロアスターとか、フェニックスとか、マジシャンズ・レッドとか。火中の栗を拾うとか、飛んで火に入るなんとやらだったわ。HAHAHA!」
まるで意味がわからなかったが、みんな酒で出来上がっていたので大爆笑。
そのあと焚き火を囲んでフォークダンス。素敵な殿方はいないけど、楽しく騒いだ。
翌日クレームが入ったので『ちょっと騒ぎすぎたかな。誰か愛想のいいコ、菓子折りでも持って謝ってきて』と処理しようとしたら。
『アヤナ隊が本を燃やして焚書し、思想統制をしている!』
と、かなりやべえ人だったので、アヤナは直上の上司に問題をぶん投げた過去があった。
しかしそれ以降、あまり本を処分できなくなっている。なので本の処分方法を直上の上司に訊ねたら『今度はアヤナが責任を持って、処理して』と言われた。その時の上司は、流石にお怒りであった。
さて。
フレイヤがシスターズの後ろから、彼女の読んでいる本を覗き込んで……ぶっ飛んだ。
「た、隊長……!」
「どうしたのフレイヤ?」
「これ18禁の同人誌です……」
「えっ」
「あとBLモノの同人誌も」
「うわぁ……」
隊員は、ほぼ全員がエロ系の漫画なり小説なりを読んでいた。
アヤナは言う。
「ねえ。このコたちの勉強って……」
「やっぱり保健体育なんでしょうかね」
アヤナは棚に置いてある本の表紙を適当に見ていって……アヤナもぶっ飛んだ。
「ちょちょちょ。これこれこれ!」
「どうしました隊長?」
「アスリー先生が描いた同人誌がある……」
「え」
「私の妹弟子はこの同人誌に脳をやられ、特殊性癖がついたらしい。コレは危険すぎる」
「しかし隊長。どう処理したらいいか。また燃やすわけにもいきませんし」
「うん……。それと驚くことに。これ重版に重版を重ねて、めっちゃ刷られてる。普通ならコピーでいいと思うけど、重版されるごとに加筆・訂正されてるみたいね。最新の重版でかなり違ってるみたいだから、初版は結構価値があるみたい」
「アスリー先生って……ああ見えて几帳面な方ですか?」
「いえ全然。でも先生ってこういうのが生き甲斐みたいだし」
「はぁ。ところでそのアスリー先生、今日は居ませんね?」
「まあ先生は、適当に、居たり居なかったりするわ。途中でいきなり混じってたりするし。今回もかなり深刻に関わってるはずなんだけど……居ないっぽいわね」
アヤナはため息をついて、図書室を見回した。
ルイとコジもやられているようで、のたうち回っている。ルイなどは『黒ビキニパンツの成分がー!』とか叫んでいて、うるさい。
こんなのをドラフト1位で取ってしまったと言うか。そもそも、こんなのしか残っていなかったと言うか。
そんなエロ漫画とかに興奮している隊員の中で。ふと目に入ったあぐだけは、いつものようににこにこしている。
「あら。アグゥ・グランドレベル二等兵。貴方は18禁は読まないのかしら」
「はいー。私まだー。18歳になっていませんしー」
「(うわ真面目。あれ? でもよく考えたらこのコ、今まであまり酷いことしていないわね。単純に役に立ってない、ってだけで)」
アヤナ隊に取って、迷惑をかけるのは平常運転。本当にイヤな部隊である。
「それならアグゥ二等兵。貴方は何を読んでいるのかしら」
「はいー。エリック・カールの絵本でー。『はらぺこあおむし』ですー」
アヤナとフレイヤは天を仰いで、そこで声が漏れた。
「oh」
「oh」
さて。
さてさて。
図書室の中のシスターズらは、どんどんザワついてくる。
どうやら頭の中の妄想まで現実に見えているようだ。
かなりヤバい状態。
いや普段からそうなのだが。
シスターズらは騒ぎ、叫び出した。
「ちょっと、男子ぃー! 静かにしなよー」
「貴方のことなんて全然好きじゃないんだからね!」
「私、今度お弁当作ってきてあげるよー!」
「きっ、キスから! まずはキスから!」
「粘膜がああ!」
「私、16歳になったから! 法的に『同意』できる年齢になったから!」
かなり地獄絵図である。
そこに、あぐが。にこにこの笑顔のまま、アヤナ隊長にちょんちょんした。
「たいちょ、たいちょ」
「何?」
「これってー。もしかしてー。勉強したから中学生男子レベルにまで到達してー。だから性的なこともヤバくなってるようなー」
アヤナとフレイヤは顔を見合わせる。
それから声を落として、アヤナは言った。
「ようやく中学生男子レベルに到達したと言うか。そもそもあんな本読んで中学生男子レベルになってしまったと言うか……」
「中学生男子は、相当な性衝動だと聞きます」
「うん。信頼できるルートからの情報だと、中学生男子は、マーニャの装備を『なにももたない』に指定するだけで興奮するとか」
「えぇ……。だったらアリーナの装備を『なにももたない』にしたらどうなるんですかね?」
「アリーナの場合、小学生から大学生までをカバーするらしい」
色々と話し合っても事態は進展しない。
何もできずに、ただ地獄絵図を見ているしかないアヤナとフレイヤ。
「でも。何でこんな……」
「わかりませんね……」
そこにまた、あぐがアヤナ隊長をちょんちょんした。
「たいちょ。みんな最初は真面目に頑張ろうとー。頭脳パンをー。食べたのかもしれませんねー」
「頭脳パン!?」
#小麦粉にビタミンB1を配合した『頭脳粉』を原料としたパンである。ほんのり頭が良くなる気がする。
#後で知ったが、アスリー先生は実際に学校で食べたことがあるらしい。感想は「普通に美味しかった」とのこと。縁起良いし、いい感じだそうだ。
アヤナは額に指を当てる。
「でもさ。原因が頭脳パンとして、なんで全員が頭脳パンを食べたの?」
すると、あぐが。割と衝撃的なことを言った。
「頭脳パンー。この前ー。食堂で出てましたよー」
「食堂で!?」
「そうですー」
「あぐ二等兵は大丈夫だったの?!」
「私はー。食べませんでしたー」
「そ、そう……。でも何で急に頭脳パンが……? あの『頭脳粉』、アレ調達するのにも手間暇かかるでしょうに」
あぐが、また重要なことをのんびり言う。
「新しい料理人が着任してー。食糧事情をー。改善させようとしてー。頑張ったらしいですー」
アヤナとフレイヤは頭を抱えている。
「発案は良いとしても、何で稟議(?)を上げないのよ……」
「些細な変更だから、という現場判断かもしれません」
「まあ稟議を上げられても、事務方いないし結局私が見ることになりそうだけど」
フレイヤはつい、上官に対して失礼なことを思ってしまった。
(アヤナ隊長が稟議書を見て、でもテキトーに許可を出した可能性も……)
そのアヤナは暗い顔のままで言う。
「稟議よりもさ。私がその料理人が着任していたことを知らなかった、ってほうが怖い」
「し、しかし。アヤナ隊長はお忙しい方ですから……」
「でもさ。もしも。もしもだよ? スティーヴン・セガールとか、アリシア・メルキオットとか、ジャムおじさんに挨拶に来られても、私は挙動不審になる自信がある」
#アヤナ隊(女性のみ)に来られるのはアリシアだろうか?
#ちなみに「アリシア・メルキオット」。19歳、女性。階級は軍曹。将来の夢はパン屋さん。
・「赤い悪魔」「最強のパン屋」などの異名を持つ。第07MS小隊所属。
アヤナは頬に指を当てた。呟くように言う。
「んー。画期的なことかもしれないけどね、頭脳パンの導入。だけど少数の調達ではコストの面で無理がある。残念だけど今回は導入見送りと言うことで」
「そうですね……」
「『金 沢 製 粉 (株) 』が世界市場を席巻した暁には、我が隊でも導入されることになるでしょう」
「夢が膨らみますね! ところで隊長。今回の頭脳パンの残りはどうしますか?」
「仕方ないわ。回収してちょうだい。仲間うちで配ろう」
図書室の中には性衝動に悶えているシスターズたち。中学生男子レベルの性欲に襲われているのだ。阿鼻叫喚。地獄絵図。もう、ぐちゃぐちゃになっていたけれども。
しかしフレイヤが
「皆さん! そんなことしてると夕食抜きですよ!」
と一喝したら全員が元に戻った模様。
「(おぉ。フレイヤって凄いのね……!)」
#ここらへんからヘンリー・マンシーニのBGMが流れ出す#
ヘンリー・マンシーニのサウンドを後ろにコロンボ警部がやってきて、新しく着任した料理人から『頭脳粉』を連れて行く。
赤いスカーフを頭に巻いた、料理人の若い女性が、泣きながらその場に崩れ落ちた。
アヤナたちは『何このBGM』とか『なんで唐突にコロンボ警部が来るのよ』とか『あの赤いスカーフの料理人、誰?』とか思っていたが。まあわりとどうでも良かった。
正気に戻ったシスターズたちが、ざわつきながらも、ゆっくり逃げるように図書室から出て行く。無理もない。もともと彼女らはココを嫌がる習性を持つ。
シスターズ全員が図書室から出て行ってから。
アヤナもその赤いスカーフの料理人の肩を軽く叩き、ゆっくりと図書室の外へ歩いていった。
赤いスカーフの女性料理人は涙を拭いて立ち上がり。
フラつきながらも、しかしゆっくりと外へ出て行った。
フレイヤもそれに続こうとした時……あぐに、ちょんちょんされた。
「どうしました、アグゥ・グランドレベル二等兵?」
あぐは、にこにこの笑顔のまま、フレイヤの耳元で、ごにょごにょした。
フレイヤが顔を向けると、あぐはコクンと肯き、そして彼女は鼻歌を歌いながら図書室から出て行く。
図書室に残ったのは、フレイヤだけ。
ヘンリー・マンシーニのBGMが終わったちょうどそのタイミングで。
フレイヤは、あぐの言葉をそのまま言った。
「頭脳パンって、別に男性ホルモンは出ないのでは」