第5話
ウェルキエル帝国学院には学生食堂が二つ存在する。一つ目は一年生から三年生までが使用する下層食堂。そして二つ目が四年生から六年生までが使用する上層食堂だ。
基本的に帝国学院では上級生との交流自体が極端に少ない。理由は単純明快で、ただただ危険だからだ。去年は四年生と五年生の小競り合いに巻き込まれた一年生二名が死亡、三名が重傷を負うという事件まで発生したらしい。
故に三年生までは下層と呼ばれるフロアで過ごし、四年生からは上層と呼ばれるフロアで学生生活を送ることになる。立ち入りが禁止されているわけではないが、下層の住人が上層に足を踏み入れる際には自己責任を前提としていることは言うまでもない。ちなみに上層から下層に下りるには特殊な許可証が必要になる。
そして今年も変わらず初授業を終えた一年生たちが下層食堂に集っていた。
「ここが帝国学院自慢の食堂ですか……。噂に違わず広いですね」
長テーブルと椅子が寸分の狂いもなく並べられた学生食堂を見渡し、ユーフィアが感嘆の声を上げる。ニーナは窓際の席を三人分確保すると同意を示すように頷いた。
「えぇ、食堂は学生同士のトラブルを避けるために上層も下層も広めに設計されているらしいわよ。治安の悪い帝国学院ならではの配慮と言えるわね」
各学院によって差異はあるものの、ウェルキエル帝国学院では学生同士の私闘を禁じていない。いくつか細かいルールは存在するが相互同意の上、指定のエリアで行うならば学院側は無干渉を貫いているのだ。よって学生の小競り合いは後を絶たず、もはや決闘は一種のイベントと化している。
「私は紅茶とスコーンのセットにしようと思うんだけど、ユーフィアはもう決まった?」
ニーナがメニュー表を見ながら問いかけると、ユーフィアは迷いながらも口を開く。
「そうですね……。では、サーモンサンドイッチにします」
二人で注文を終え、商品を受け取って確保した席に戻るとそこには既にセヴラールが立っていた。
「私の予想より早かったわね、セヴ。雑用はもういいの?」
「早く来いって言って急かしたのはお前だろうが」
そう言うセヴラールの手には購買で購入したと思しき紙袋が提げられている。どうやら二人に気を遣って手短に買い物を済ませてくれたらしい。
席に着き注文したスコーンを口に運びながらニーナが左隣に視線を向けると、そこでは緊張した面持ちのユーフィアが無言でサンドイッチを凝視していた。その表情にある種の悲壮感さえ感じつつ、どう話を切り出したものかとニーナは一人考えを巡らせる。ほぼ初対面かつ教師という立場のセヴラールにユーフィアから声をかけるのは不可能だろう。
だが、ニーナも決して人付き合いが得意な方ではない。苦肉の策としてニーナは右隣に座るセヴラールの脇腹を肘で小突き、それとなく視線をユーフィアへ誘導した。他力本願も甚だしいが、ニーナとの共同生活を何年も続けているセヴラールはその意図を正確に読み取って口を開く。
「あー、そういえばフォーマルハウトの実家って首都よりも工業地域の方に近いんだよな?」
何がそういえばなのかはよく分からなかったが、ユーフィアはこの質問に過剰なほど反応し大きく頷いた。
「は、はい。アルマク街道がある辺りです」
「あそこからだとどれだけ急いでもここまで馬車で三日はかかるだろ? お前の実力なら他にも入学できる学院はいくつかあっただろうに」
「ムリエル女学院とかズリエル帝国学院じゃダメだったの?」
ニーナが今名前を上げた二校は帝国学院の中でも特に武闘派として有名な学院である。ムリエル女学院に至ってはユーフィアの生家から数時間の距離にあり進学先として申し分ないように思われた。だが、ユーフィアは静かに首を横に振る。
「実は、私がこの学院を選んだのは家族の後押しがあったからなのです。ここでなら思う存分刀を振るえる、と叔父様に紹介していただきました」
「なるほど。確かに、ウチは治安が悪い分生徒のレベルも高いしな」
「決闘の自由度も他とは比べ物にならないわよね」
全十二校中、年間最多の決闘数を誇るウェルキエル帝国学院は戦闘面において他学院の追随を許さない。毎年開催されている学院対抗の競技会でも個人優勝はほとんどウェルキエル帝国学院が独占している状態だ。
「俺としてはもう少し規制した方がいいと思うけどな……」
「私も。面倒事はごめんだし」
特待生という立場上、何かしらの因縁をつけられてもおかしくないニーナはセヴラールの意見に賛成らしい。
「そう思うならしばらくの間は大人しくしておいてくれよ?」
食べ終わった昼食の袋を片付けると、セヴラールは早々に一人で立ち上がった。陸軍に所属していた時の癖が未だに抜けきっていないセヴラールは、基本的にとてつもない早食いなのである。
「ん、もう行っちゃうの?」
「あぁ、これから上層に用事があってな。お前らはゆっくり食ってろ」
「……え?」
何気ないその返答を聞いた途端、ニーナは咄嗟の判断でセヴラールの腕を掴み引き留めた。
「ちょっと待って。何で下層じゃなくて上層なの? そもそも何の用事?」
いぶかしむニーナの質問責めを受け、セヴラールは自分が失言したことを瞬時に悟る。強引に誤魔化してしまおうかとも考えたが、それは得策とは言えないだろう。ニーナの性格的に最悪、目的地まで尾行されかねない。
「少し人と会ってくるだけだよ。大丈夫だ、心配するな」
「なら、私も行く」
ニーナは残っていたスコーンを急いで口に放り込むと続けて紅茶で流し込み、椅子を鳴らして立ち上がった。その動きを手で制しながらセヴラールはユーフィアに視線を向ける。
「お前はフォーマルハウトとでも遊んでろ。今日は一年しか登校してねぇし二、三年のフロアにも行けるいい機会だろ? 二人で色々見てきたらどうだ?」
「……あ、あの、ニーナさん。実は私、植物園の方に行ってみたくて……」
と、セヴラールの視線に気がついたユーフィアが遠慮がちに口を開いた。二人の会話に割り込むには相当の勇気が必要だったのか、その瞳にはうっすらと涙の膜が張っている。ニーナはわずかに考え込む素振りを見せたものの、一度席に着いてセヴラールに背を向けた。
「……分かったわ。後で行きましょうか」
「は、はい!」
ユーフィアは安心したような、嬉しそうな表情で頷くと背後に立つセヴラールに目配せする。
「助かったよ、ありがとな」
小声で礼を言うとセヴラールは静かに食堂を後にした。あえてニーナには声をかけない。納得してくれたわけではないだろうし、ユーフィアにフォローしてもらった直後である。癇癪を起こされては堪らない。
「お前には悪いが、アイツと会わせるわけにはいかないんだよ。少なくとも、今はまだ」




