第36話
同日ステファン帝国タントシェル上空にて。
「急がなくては……」
自身の異能によって光の翼を構築し、空を駆ける少女の姿があった。学院を飛び出してから既に十時間以上。ただひたすらに飛行を続けているスピカは、疲労を色濃く感じながらもライロレーブを目指している。一時の感情に振り回されて学院を飛び出してしまったスピカだが後悔は微塵もしていなかった。
「とはいえ、流石に疲れましたね……」
地上よりも遥かに酸素の薄い高度四千の空を飛ぶスピカは軽い頭痛を覚えて減速する。既にライロレーブ市は目と鼻の先、あと一時間もあれば目的地に到着することができるだろう。そう思ってスピカがわずかに気を緩めた、その瞬間。
「……ッ?」
背後で渦巻く大量のマナを感知し、スピカは咄嗟に身を翻す。直後、先程までスピカが飛んでいた空を無数の銃弾が通り過ぎていった。同時にスピカは高度を上げ、上空へと逃げる選択をする。
だが、敵もさる者。逃げるスピカの姿を視認するとスピカを上回る速度で上昇を開始。あっという間に同じ高度までスピカを追い詰めた。スピカは背後を振り返ると思わず息を呑む。
(協商連合の航空魔導部隊……! それも中隊規模……ッ?)
自身に接近する脅威を正しく認識し、スピカはさらに高度を上げる。体内の接続回路が無理な上昇に耐えられず軋みはじめるがそれも無視。高度六千を超えた辺りで暴走しかけたマナはコントロールによって強制的に押さえ込んだ。
「中隊長! 帝国の航空魔導師を捕捉しました! 弾着観測要員かと思われます!」
「よし、観測手を潰せば砲兵隊は狙いを定め難くなる。一個小隊で奴を落とせ! 他はライロレーブへ急行するぞ!」
スピカに迫る協商連合の航空魔導部隊は仲間内での作戦会議を終えたのか一斉に散開。追い縋って来る小隊規模の魔導師を振り払うべく上昇を続けるが、高度八千に到達した途端スピカの全身から力が抜けてしまった。十時間を超える連続飛行に加え、ベテランの航空魔導部隊ですら忌避する高高度の空。成熟しきっていない少女の身体ではこれ以上の能力行使に耐えられない。
ここに来て、スピカは決断を迫られていた。協商連合の魔導小隊はスピカが帝国の魔導師であると誤解している。既に平和的解決は不可能だろう。スピカは体内のマナを循環させて自身の異能を制御すると、一人覚悟を決めた。
現時点でスピカに取り得る選択肢は主に二つ。敵魔導師が追撃を諦める高度まで上昇を続けて振り切るか、下降時の加速を利用した速度重視の戦法で逃げ切るか、だ。だが、前者を選べば魔導部隊より先にスピカの接続回路が限界を迎える可能性が極めて高い。しかし後者を選んだとしても完全に逃げ切るまでは上空から永遠と銃撃されることになる。ならば。
「……オン・エンゲージ!」
迎撃するより他に、道はない。スピカは小銃型のASSを展開すると先陣を切って突っ込んできた魔導師に照準を合わせ、引き金を引いた。銃口から吐き出される無数の光弾が、大気を引き裂いて敵魔導師に殺到する。
敵魔導師は身を翻して掃射を躱し、協商連合御用達のライフルを構えた。ASSが普及していない協商連合では未だに実銃と実弾が使用されているためスピカの持つ小銃よりも威力がある。正面から食らえば墜落死は免れないだろう。
スピカは胸元に忍ばせていた虎の子に手を伸ばすと安全ピンを引き抜いて投擲した。数メートル先を飛翔する魔導師の眼前で爆発したソレに、彼らは対応することができない。咄嗟に顔面を庇った魔導師の両腕が吹き飛び、続いて木霊する絶叫。たちまち接続回路のマナ循環が乱れ飛行不能に陥った魔導師は高度八千の空から墜落していった。
「クソ! カバーしろ!」
すかさず小隊の一員がフォローに入るが間に合うはずもなく、スピカの小銃が二人目の魔導師を狙う。放たれた光弾は狙い過たず片翼を潰し、もがれた光翼の再構築が遅れた魔導師は為す術もなく落下。瞬く間に二名を撃墜したスピカは四方から浴びせかけられる銃弾を回避しながら一時的にスピードを上げた。
既に限界ギリギリまで接続回路を活性化させているスピカには猶予がない。極限の空にて最後に狙うは小隊長のみ。右手に小銃、左手にダガーを構えたスピカは気力だけで意識を保ちつつ小隊長目掛けて急速接近。右手の小銃でフェイントをかけ、すれ違いざまに左手を振り抜く。的確に急所を切り裂いた一撃はスピカに確かな手応えを感じさせた。
続いて頸動脈から噴き出す鮮血が大空に血華を咲かせ、コントロールを失ったマナが小隊長の体内で荒れ狂う。途端に光翼の輪郭が朧気になり主の身命を手放した。だが、それと時を同じくしてスピカの身体にも限界が訪れる。
酷使を重ねた接続回路が軋みを上げ、体内のマナは枯渇寸前。急激に高度を上げたせいで霞む視界の中、スピカはろくに狙いも定めないままセヴラールお手製の手榴弾を放り投げた。続いて自動的に異能力が解除され、宿主を延命させるべく残ったマナが防御力に全振りされる。
全身に張り巡らされた接続回路を駆け巡るマナの感覚に身を委ね、スピカはゆっくりと目を閉じた。




