第35話
一方、その頃。
「セヴ、早く! 急いでよ!」
「そんなに引っ張るなって。走ったところで状況は変わりゃしねぇよ」
「変わるでしょ、戦場なら!」
ロターリオの計らいによって帝国学院行きの機関車に飛び乗った二人は、本来の目的も果たせないまま学院へととんぼ返りする羽目になっていた。
「あのなぁ、ニーナ。多少急いだくらいでどうにかなるようなら、最初からこんな大事にはなってねぇだろ」
「でもでも、この数分でできることがあるかもしれないじゃない」
「ないない。何もねぇよ」
いつになく焦っているらしいニーナをなだめセヴラールが天を仰ぐ。学院入学前なら有り得なかったニーナの態度にセヴラールは内心で辟易していた。
「……お前はもっと冷めた子だと思ってたんだけどな」
「これまではセヴ以外と話すことすらなかったから、そう感じるだけじゃないの?」
そんなセヴラールの内心など露知らずニーナは早歩きで帝国学院の校門を潜る。セヴラールはニーナの後を追いかけながら口を開いた。
「なぁ、ニーナ。一旦二手に分かれないか?」
「ん、どういうこと?」
「俺は教職員の伝手を当たってみるから、お前には生徒の方を頼みたい。ユーフィアかスピカ辺りならベストだな。お互い、収穫があってもなくても一時間後にお前の部屋で集合。これなら行き違いにもならねぇし、タイムロスも極限まで減らせる。どうだ?」
セヴラールの現実的な提案に、ニーナは一度頷いて首肯する。
「了解。なら私は一応他クラスにも声をかけておくわ」
「あぁ、任せたぞ」
再び頷くと同時にニーナは駆け出していた。方角からして下層食堂へ向かったのだろう。確かに情報収集をするならば人がより多く集まる場所が適しているはず。徐々に小さくなっていく後ろ姿を見送り、セヴラールは自身の影へと視線を向けた。
「……いるんだろ、ノエル。出てきてくれ」
「…………なぜ、分かったのですか」
数十秒続いた沈黙を破り、セヴラールの影から黒衣の暗殺者が顔を出す。落ち着いた藍色の瞳でセヴラールを見つめていたノエルは無表情のまま小首を傾げた。
「ただの勘だよ。この局面でお前の主が傍観しているだけとは思えないからな」
「なるほど、話が早くて助かります。本日は我が主より言伝を預かって参りました」
影の中へと完全に沈み込んだノエルは念話と呼ばれる手法を用いてセヴラールの脳内に直接語りかける。だが念話に慣れていないセヴラールは軽い頭痛を覚えて頭を押さえた。
「ノエル、悪いんだがそれやめてくれないか? 頭がガンガンして吐き気もすごい。乗り物酔いした気分になってくる」
「左様でございますか。ですが私はこの方が落ち着きます」
「……なら仕方ない」
頑として譲らないノエルの主張を受け入れ、セヴラールは一人ため息をつく。すると影の中で、ノエルがほんの少しだけ笑ったような気がした。
「……代わりと言っては何ですが一つ良いことを教えて差し上げましょうか、アグラシア様」
「……いいこと?」
訝しげに眉をひそめたセヴラールは頭の中で反響するノエルの声に問い返す。
「えぇ。……リーヴィア・リブレーゼは死んでいませんよ」
「っ、本当か?」
「はい、ライロレーブ行きの機関車は戦況悪化に伴いすべて運休が決まったそうです。恐らく今は隣街にでも滞在しているのかと」
周囲に人目がないことを確認したノエルは影から這い出るとセヴラールの耳に顔を近づける。セヴラールはノエルの背丈に合わせるように身を屈め続く言葉を待った。
「ですが……一足遅かったようですね」
「それは、どういう……」
「昨夜、ヴァーゴ家のご息女が学院を飛び出して行かれました。十中八九、目的地はライロレーブ市でしょう」
一切の感情を感じさせない藍色の瞳が、セヴラールの双眸を正面から見据える。セヴラールは思わず歯噛みすると学生寮の一室を仰ぎ見た。
「ご対応は?」
端的なノエルの質問にセヴラールもまた、一言で返す。
「救出に向かうしかねぇだろ」
「正気ですか?」
「あぁ、ニーナはまずスピカを見捨てるような真似はしない。ならせめて俺もあの子と一緒に行く」
学生寮へと繋がる階段を駆け上がりつつセヴラールが背後を振り返ると、ノエルは再び影の中に潜り込んでいた。時を同じくしてセヴラールの脳内に不機嫌そうな念話が届く。
「……いきなり走り出さないでください」
「何だ、ついて来られないのか?」
「………………」
からかうような口調でそう言うセヴラールにノエルの殺気を帯びた視線が突き刺さった。その右手には得物である短剣がしっかりと握り締められている。
「死にたいので?」
「……すまん、今のは俺が悪かったな」
自分より一回り年下の少女に威圧され、セヴラールは思わず目をそらした。ただでさえ平坦なノエルの口調はどこか機械じみた狂気をセヴラールに感じさせる。
(下手したらこの子、ニーナより短気なんじゃないか?)
と、当の本人に聞かれたら今度こそ命はないであろう感想を胸中で抱きながらセヴラールは部屋の扉をノックした。
「ニーナ、俺だ。入るぞ」
まだ別行動を取りはじめて三十分も経過していないため、不在という可能性も考えられたが室内からはすぐに返答があった。同時に扉の隙間からニーナが顔を覗かせる。
「早かったわね、セヴ」
「あぁ」
「早速で申し訳ないんだけど、ライロレーブに行きましょう」
「……言うと思ったよ」
前置きも何もなく本題に切り込んだニーナはセヴラールの腕を引いて室内に招き入れると静かに扉を閉めた。
「実はさっきまでユーフィアが泣いてたの。今は眠っているけど起きたら優しくしてあげて」
「スピカの件か?」
「えぇ、そうよ。その様子だと、どこかで聞いたのね」
「まぁな、上層フロアの連中が教えてくれた」
まさか本当のことを言うわけにもいかず、セヴラールは曖昧に言葉を濁す。すると二人の会話で目が覚めたのかユーフィアがゆっくりと上体を起こした。
「せん、せい……わ、たし……」
「……大丈夫だ、後のことは俺がどうにかする。だからお前はもう少し休んでいてくれ。な?」
焦点の合っていない瞳で譫言のように呟くユーフィアの頭を撫で、セヴラールはニーナに視線を向けた。
「この子を借りていきたいんだが、いいか?」
「なら、私も……」
「ダメだ、お前の能力は市街戦向きじゃない。それに明日にはルドウィンとライオネルが帰ってくるだろ? 俺がいない間、あの二人を頼む。お前は強いから安心して任せられるよ」
「…………はい」
俯くことによって可能な限り表情を隠し、ユーフィアが悲しげに頷く。自我を押し殺して健気に身を引くユーフィアの姿に、ニーナはわずかな罪悪感を感じた。セヴラールはユーフィアの肩を軽く押してベッドに寝かせるとニーナを連れて部屋を後にする。
「ごめん、ユーフィア。でも、すぐに戻るから。心配しないで待っててね」
意識を手放す直前にユーフィアが知覚できたのは、寂しそうに微笑む少女の横顔だけだった。




