第32話
中間試験終了から一週間の日々が過ぎた。帝国学院は事態の収拾に追われ、未だに帝国陸軍の立ち入り調査は続いている。それに伴いニーナたち一年生は、一足早い夏季休暇を言い渡された。
休暇の過ごし方は人それぞれだがニーナはセヴラールと共に帰省している。二ヶ月ぶりに自室に引きこもったニーナは帝国学院の制服を脱ぎ捨て機動力重視の私服へと着替えた。学生寮には必要最低限の荷物だけ運び込んだため大抵の私物はこの家にそのまま残されている。愛用していたベッドに倒れ込みニーナが物思いに耽っていると自室の扉がノックされた。
「ニーナ、準備終わったか? もう出るぞ」
「ん、今行く~」
間延びした声で返答しつつニーナはベッドの上をゴロゴロと転がる。すると遂に痺れを切らしたのかニーナの部屋の扉が容赦なく開け放たれた。
「とか言って、かれこれ三十分近くもそうしてんじゃねぇか! 着替え終わってんなら早く来い。ただでさえ帰ってくるまでに二日もかかったんだからな」
「ちょっと! 勝手に開けないでよ。いいじゃない、少しくらい! 私だってダラダラしたいの! 機関車の中じゃ全然眠れなかったの!」
途端に癇癪を起こすニーナにため息を吐き、セヴラールはニーナの身体をベッドから引きずり出す。
「分かった、分かった。じゃあ明日は丸一日寝かせてやるから。今日だけ頑張ってくれ。な? 甘いもの食わせてやるから」
「なら行く」
「…………」
一体、今までのやり取りは何だったのかと思わせるような変わり身の早さだった。ニーナは先ほどとは打って変わって軽い足取りで玄関に急ぐとセヴラールを急かす。
「ほら、セヴ何してるの? 早く行くんでしょ? 甘いもの食べるんでしょ?」
「…………お前って頭いいくせに、ホント単純だよな」
どこか悲しげにセヴラールが呟くが、ニーナの耳には既に届いていない。たった一言で上機嫌になったニーナを連れ、セヴラールは目的地へと歩き出す。今回の帰省は何もニーナの療養だけが目的ではない。もちろん、ニーナが体内に有する擬似接続回路のメンテナンスは喫緊の課題だがセヴラールにはその前に立ち寄りたい場所があった。
※※※
「……よぉ、シャノン。久しぶりだな」
寂れた墓地の一角、シャノン・フリーニと刻まれた墓石の前で立ち止まったセヴラールは一礼した後にそう口を開く。そこは、かつてセヴラールと共に最前線で戦った女魔導師の眠る墓だった。
「この一年、本当に色々あったんだ。聞いてくれるか?」
風雨にさらされているせいで少し汚れている墓石を軽く撫で、セヴラールは語り出す。帝国陸軍からの要請により教員となったこと。宿敵との決着と決別について。学院で出会った生徒たちのとりとめのない話を、セヴラールは小一時間ほど続けた。
ニーナはその背中を黙って眺めていることしかできない。セヴラールが毎年欠かさずここを訪れているのは知っていたが、ニーナが直接足を運んだのはこれが初めてだ。とはいえ、ニーナはセヴラールに引き取られてから学院に入学するまでの八年間をほとんど自室に閉じ籠って過ごしていた。その時に墓参りなど提案されたところでにべもなく断っていただろう。
やがて一通り語り終えたのか、セヴラールは一輪の花を墓前に供えて立ち上がった。
「じゃあな、シャノン。また、一年後に来るよ」
墓の前でそう言い残し、少し離れた場所で待っていたニーナの隣に並ぶ。ニーナはいつになく真剣な表情でセヴラールの双眸を見つめていた。
「もう、いいの?」
「あぁ、待たせて悪かったな」
「それは……構わないけれど。でも、一年に一回しか来ないのに……」
珍しく歯切れの悪いニーナの頭を撫で、セヴラールは苦笑する。普段と変わらぬ態度で接していたつもりだったのだが、ニーナにはすべてお見通しらしい。感情の機微に聡すぎるのも考えものだ。
「いいんだよ。アイツも、そう言うさ」
シャノン・フリーニとは、そういう女性だ。常に気高く、美しく、自身の身体が呪いに蝕まれて崩壊する直前まで弱みを見せることは決してなかった。
「ただ、唯一心残りがあるとすれば……やっぱり思い出せねぇんだよな。シャノンが最後、俺に何を伝えたかったのか」
眼前でその命を散らした女魔導師の墓を振り返り、セヴラールはポツリと呟く。八年前のあの日、今際の際にシャノンがセヴラールに吐露した本音。
『セヴ君、私、……た………な』
思い出そうとすればするほど、記憶は靄がかかったように霞んでしまう。いつからこうなってしまったのか、既にセヴラールは覚えていない。
「…………飯でも食いに行くか」
だが思い出せないということは、きっと思い出さない方がいいということなのだ。半ば強制的に思考を断ち切ったセヴラールはシャノンの墓に背を向けるとニーナを連れて歩き出す。が、その時二人の背後からセヴラールにとっては聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
「……アグラシア?」




