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ウェルキエル学院のセプテット  作者: 葉月エルナ
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第29話

「ユーフィア!」


 石畳に崩れ落ち、喀血する少女の元へニーナが一直線に駆けつける。ケルベロスの攻撃を正面から受けたユーフィアは、徐々に広がる血溜まりの中央で小さく呻いた。その腹部からは致死量とも取れるほどの血液が流れ続けている。


「ユーフィア、大丈夫? 意識はある?」

「……ぁ、わ、たし……」


 ニーナに何かを伝えようとしているのか、ユーフィアがゆっくりと口を開いた。だが何を言っているのかはよく分からない。一瞬だけ意識を失っていたのだろう。


 そうしている間にも荒くなっていくユーフィアの呼吸と、猛り狂うケルベロスの咆哮。


 ニーナが背後を振り返ると、そこではリーヴィアが一人で凶獣の相手をしていた。回転式拳銃のみを右手に構え、得意の体術を駆使しながらケルベロスとほぼ互角に渡り合う。その奮闘ぶりを遠巻きに眺めながら、ニーナの胸に燻るのは確かな焦燥感だった。


(きっと、リーヴィアも長くは持たない……)


 狙撃から近接格闘戦まで幅広くこなすリーヴィアでも、無傷でケルベロスの相手をすることはできない。小柄な体躯にかかる絶大な負荷は確実にリーヴィアの体力を削っている。頼みの綱である空間転移という異能力も既に二度使用しており後がない状況。緊迫した戦況の中、ニーナは決断を迫られていた。


(ユーフィアはすぐにでも適切な処置をしなければ最悪命に関わる……。大広間の扉が開かない以上、今外界に逃げられるのはリーヴィアだけ……)


 戦術と勝算、勝率と戦況を脳内で整理しながらニーナは一度血溜まりに伏す少女へ視線を向けた。望まぬ入学を通してニーナが初めて出会った『友人』と呼べる存在。誰よりも戦場を忌避しながら、決して戦場から逃れられない心優しい少女。


「死なせられないわ。死なせて、たまるものですか……」


 口に出して己を鼓舞し、悲壮な覚悟を決めながらニーナは一人立ち上がる。


「……リーヴィア」


 《アルクトゥルスの宝剣》を起動し、リーヴィアの名を呼ぶとその声に応えるようにリーヴィアの視線がニーナの姿を捉えた。


「ユーフィアを連れて迷宮から離脱して。この場は、私が」

「……アンタ、自分が何言ってるか分かってる? 三対一でもあれだけ押されたのにアンタ一人じゃ無理に決まってるでしょ!」


 ケルベロスの猛攻を紙一重で捌きながらリーヴィアがばっさりと言い放つ。確かにその指摘は的を射ているものだった。むしろ戦局的にはリーヴィアの援護射撃があってさえ厳しい戦いになるだろう。


 それでもニーナには勝算があった。とはいえ、それは贔屓目に見積もっても勝率二割の博打に過ぎない。だが、そんな予測演算とは裏腹にニーナは確信する。この勝負は確実に勝てる、と。


「大丈夫よ、私に任せて」

「……なんか随分自信があるみたいだけど、アンタもしかしてあの教師でも当てにしてる?」


 牽制程度の威嚇射撃でケルベロスと一度距離を取りながら、リーヴィアが固い声音でニーナに問いかけた。その問いに、ニーナは素直に頷いて見せる。


「えぇ、そうよ。セヴが、助けに来てくれる。約束だもの」

「アンタ、馬鹿? アイツが到着するまでに死んだらどうすんのよ。そもそも本当に来てくれるわけ? 案外今頃……」

「来るわよ、セヴは絶対に来る。私がここにいる以上、駆けつけずにはいられない。そういうやつなの、セヴは。だから私は待つのよ。ただ、時間稼ぎをしながらね」


 リーヴィアの言葉を途中で遮り、ニーナは一歩前に出た。満身創痍なのは何もニーナたちだけではない。首を一つ落とされ、腹部を大きく裂かれているケルベロスも序盤のような派手な攻撃はできずにいる。


 もちろん余力は残しているだろうが弱体化していることに変わりはない。今の状態ならばニーナ一人でも足止め程度はできるだろう。着実にケルベロスとの間合いを詰めながら、ニーナは再び口を開いた。


「行って、リーヴィア。ユーフィアを、助けてあげて」

「…………分かったわよ」


 遂に根負けしたのか、リーヴィアがため息を吐く。ケルベロスとは一定の距離を保ちながらニーナとリーヴィアは互いの持ち場を交換した。ユーフィアの元まで歩み寄ったリーヴィアがユーフィアに触れながら体内の接続回路を励起させる。


「こうやってアンタと転移するのは二回目ね」


 幾何学模様の魔方陣を、マナを用いて描きながらリーヴィアがポツリと呟いた。やがて方陣が完成すると二人の姿はマナの放つ光に包まれて消える。ケルベロスが転移を妨害しなかったのはそれだけ余裕がなくなっているということなのだろう。もしかしたら単純にニーナのみを狙っていた可能性もあるがそれはそれで好都合だ。


「さぁ、踊りましょうか。あなたの首が落ちるまで。セヴが、到着するまで」


 ニーナ・アグラシア対地獄の番犬ケルベロス。勝率二割の大博打に、ニーナはこうして身を投じる。ケルベロスは低い唸り声を上げると腹部から血を流しながらもニーナへと襲いかかった。その瞳には捕食者としての輝きが満ちている。


 ニーナは即座に反応すると石畳を踏み締め、ケルベロスとの間合いを詰めた。大広間という限られた空間で永遠に逃げ続けることは難しい。体力を温存しつつ、牽制程度の攻撃はしなくてはならないだろう。


 ケルベロスが対応できない速度で接近し、ニーナは中央の首を《アルクトゥルスの宝剣》で薙いだ。だが、傷は浅い。ケルベロスからの反撃を恐れるあまり踏み込みが甘くなってしまったのだ。


 続いて振り下ろされるケルベロスの爪撃をニーナは右に飛び転がって回避する。が、間合いを詰めていたことが逆に仇となり爪の先端がニーナの左目を抉った。


(しまっ……!)


 踏み込みすぎた、と気付いた時には既に遅くニーナは咄嗟に傷口を押さえる。激痛と共に流れ出る血液がニーナの視界を奪った。潰された左目を庇いながら右目に全神経を集中させるも、涙で霞む視界ではケルベロスの動きを捉えることなどできはしない。


 二撃目は躱しきれないと判断し、制服のポケットに忍ばせた《カノープスの雷鳴》へとニーナが手を伸ばした。次の瞬間。


「ニーナ、伏せろ!」


 待ち焦がれた男の声が、少女の耳朶を打った。

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