第26話
「本当に頑丈だな、いい加減消滅してくれ」
広大な森の一角、少し開けた空間でセヴラールは虎によく似た召喚獣を相手に苦戦を強いられていた。互いに一歩も譲らぬ膠着状態が続き、内心でセヴラールは焦りを抱く。本来ならば今すぐにでも迷宮へ向かいたいところだが、それにはまず眼前に立ちはだかる凶獣を排除しなければならない。
(落ち着け、まだ召喚からそれほど時間は経っていないはず。アイツがいるなら、もう少し前線は耐えられる……)
迫り来る召喚獣の牙を最小限の動きで躱しながらセヴラールが考えるのは迷宮内のこと。未だ地下に囚われているであろう少女のことだ。
(迷宮の内部構造が地図と異なるのはスピカの証言で立証済み。エリノラの情報通りなら召喚が行われたのは恐らく大広間だ。地上一階から大広間に行ける階段は一ヵ所だけ。それも単純な一本道、迷うことはまずない)
目的地までのルートを脳内で思い浮かべつつセヴラールはため息をついた。
「できればこの展開は避けたかったんだけどな」
「……? 何をするつもりだ、貴様」
唐突なセヴラールの呟きに、べレスが警戒しながら問いかける。セヴラールは一度動きを止めると指を鳴らして虚空に呼び掛けた。
「見ているんだろう、ノエル。命令だ、べレス・ラシアイムを排除しろ」
「…………ッ?」
次の瞬間、べレスの背後の闇が蠢き小柄な影が飛び出す。フードを目深に被ったその人物の右手には月光を浴びて輝く短剣が握られていた。足場の悪い森を物ともせずにべレスへと接近した影は右手の短剣を彼の脇腹目掛けて深々と突き刺す。肋骨の隙間を縫うようにして差し込まれた短剣はべレスの肝臓を完全に破壊した。
「ぅ……ぐっ」
鮮血が吹き出す自身の右脇腹を押さえ、べレスが呻く。召喚獣相手に威嚇射撃を繰り返していたセヴラールが闇夜に視線を向けると、黒衣の暗殺者の姿はもうどこにもなかった。
べレスの誤算は主に二つ。一つ目は、セヴラールがべレスに勝利することよりもニーナの命を優先する可能性を想定できなかったこと。他者より少しプライドの高いセヴラールの性格を熟知していたがゆえに、勝負を途中で投げ出すような真似はしないと思い込んでいたことだ。
そして二つ目は、アルヴィス・チェスカーの助勢とノエル・リースの介入。あの二人の横槍によって事態がより深刻化してしまったことだろう。
「……無様だな、べレス」
語りながらセヴラールは隠し持っていた手榴弾を取り出した。
「結局お前は、自分が見下し続けた連中に足元を掬われたんだ。これに懲りたらもう、アイツらを敵に回すのはやめるんだな」
安全ピンを外し、召喚獣に向かって投擲する。狙い過たず召喚獣に命中した手榴弾は数瞬後に爆発した。セヴラールは瀕死のべレスに背を向けると振り返ることなく森を駆ける。
端から勝つ必要はなかったのだ。少しでも時間を稼ぐことができればその間に森を抜けられる。見通しの悪い夜の森では、一度ターゲットを見失えば再捕捉はほぼ不可能。今は一刻も早く迷宮に潜らなければならない。
セヴラールがただひたすらに足を動かしていると教職員が使用する明かりが見えてきた。
「アグラシア先生!」
人目を避けながらスピカを探していたセヴラールは背後から聞こえた声に振り返る。予想通り、そこに立っていたのはスピカだった。
「状況は?」
「先ほどの音と揺れで先生方も混乱していますわ。ただ順当に行けば中間試験は中止になるかもしれません。今、学院長が緊急の職員会議を開いているようです」
「そうか、分かった。あとは俺がどうにかする。場合によっては小隊規模の救出作戦が敢行されるかもしれないが……」
弾層交換を終えた愛銃を腰のホルスターに戻し、セヴラールは静かに夜闇を見据えた。そこにはフードを目深に被った黒衣の暗殺者が、一人佇んでいる。
「…………行くんですのね」
「あぁ」
スピカにノエルの姿は見えていないだろう。だがセヴラールの所作からある程度の事情を察したらしく、スピカは諦めたように微笑んだ。
「私が止めたところで無駄でしょうし、せめて最後に一言だけ。……ご武運を」




