第24話
(想像していた以上に暗いな。気を抜いたら、一瞬でどこにいるのか分からなくなる……)
試験開始から三十五時間。満月の月明かりを頼りに、セヴラールはべレスの靴跡を追っていた。追跡を相手に悟られないよう、足音を極力殺しながら慎重に進んでいく。だが。
「見られているな……」
そんなセヴラールの思惑とは裏腹に、森の中からは複数の視線を感じていた。既にセヴラールの隠密行動はべレスにも知られていることだろう。状況からして、誘い込まれたと考える方が無難だ。
(それでいい……。早期の決着を望んでいるのはお前だけじゃない。俺も、同じなんだからな)
べレスには初めから、中間試験を一週間も執り行うつもりはなかったはずだ。まずは無茶な試験内容で大多数の生徒を脱落させ、最後まで勝ち残るであろうニーナを潰す。それこそが、べレス・ラシアイムの策略。
八十人近い脱落者を出した今、べレスはニーナが脱落する前にできる限りの仕込みを完了させておきたいと考えるはず。多少のリスクを負ってでも、数日以内に動くと踏んだセヴラールの予測は見事的中した。
(……この血生臭い死の臭い。相変わらず悪趣味な召喚を繰り返しているらしいな)
二十分程度歩き続けると、戦場で嗅ぎ慣れた死と血の臭いがセヴラールの鼻を突く。あの少女との日常を通して忘れ去ったはずの感覚が、徐々に蘇ってきた。それと同時に、元軍人としての冷徹な思考回路が研ぎ澄まされていく。否が応でも腰の愛銃を意識せずにはいられない。
あの頃の自分には決して戻りたくないと思っていた。帝国陸軍から、特務機関から逃げるように軍人を辞めた自身の醜さを、セヴラールは素直に受け入れることなどできなかった。その醜さを覆い隠すために、軍から逃げる口実にするためにニーナを拾った。すべては、自分自身のためだった。
「……今思えば、俺のしたことも大概だな。俺だって、最低だった。アルヴィスの言う通りだ」
かくして、運命は流転する。かつて逃げ出した宿命が、巡り巡ってセヴラールに牙を剥く。もう逃げられない。引き返せない。
あの少女との日常を望むならば、戦う以外の選択肢は今この場で放棄しなくてはならないのだ。
「……よぉ、ラシアイム。決着、付けに来たぜ」
広大な森の一角、少し開けた空間にべレスは一人佇んでいた。その足元には赤黒い血溜まりが広がり、作りかけの魔方陣がマナの光を帯びて輝いている。方陣に使用されている血の正体は、きっと知らない方が幸せだろう。
「やはり貴様だったか、アグラシア。先ほどから気配は感じていたが……」
べレスはゆっくりと振り返ると、手を振って付着した血液を払った。直後、セヴラールの両脇から二頭の召喚獣が襲いかかる。事前に何体かの召喚獣を用意しておいたらしい。だが、セヴラールはどこまでも冷静だった。
「先に手を出したのはお前だぞ?」
一度背後に飛んで間合いの外に逃れると、同時に腰のホルスターへ手を伸ばす。身体に染み付いた感覚に従って銃を抜き、流れるような動作でセーフティーを外した。刹那、響く銃声。
放たれた銃弾は召喚獣の眉間を正確無比に貫き、光の粒子へと変える。続けてもう一度引き金を引き、残った片割れの召喚獣も消滅させた。
「どうした、ラシアイム。今さらこんなもので俺に勝てるとは思っていないだろう? 勿体振らずに本気を出せ。でなきゃ、次で終わる」
セヴラールの能力は『停滞』。どんなに優れた異能力者であろうとも、セヴラールを中心とした半径十五メートル以内では接続回路の励起を行えない。つまりあらゆる異能が無効化され、ASSの起動が不可能となる。
対するべレスの能力は『召喚』。魔方陣を介して自身が想像した召喚獣を現世に具現化させる能力だ。この場合、召喚後の召喚獣はセヴラールの異能力でも消滅させることはできない。だが、召喚前ならば阻止そのものは可能である。
これはセヴラールの能力が、接続回路のみに作用する能力ゆえだ。マナそのものに干渉できるほどの能力ではないため、マナの塊に過ぎない召喚獣にも直接的な干渉は行えない。
べレスのここに来た目的が大型召喚獣の召喚ならば、セヴラールの存在こそが最大の抑止力になるはずだ。
「心底気に食わん男だな、貴様は。接続回路の停滞などという姑息な異能力に頼り、過去の遺物にすがり付く。これから先はASSの時代だとなぜ気が付かない?」
べレスはセヴラールが構える実銃を睨み付け、忌々しげに吐き捨てた。
「そういうお前の方こそどうなんだ? 学生時代から俺を目の敵にしているのは知っていたが…………そんなに悔しかったのか? 俺に劣っていたことが。特務機関に、入れなかったことが」
両者の視線が交錯し、不可視の火花を散らす。沈黙は一瞬だった。圧倒的なマナ密度を感じ、振り返ったセヴラールの眼前には野に解き放たれた凶獣が立ちはだかっている。恐らくは、べレスの奥の手だろう。
「……特務機関なんて、戦場なんて、お前が思ってるほどいいものじゃねぇよ。何せ、目の前でどんどん人が死ぬんだ。あの光景を見ないで済んだお前の方が、俺は羨ましい」
「ほざけ。花形の特務機関を抜けたのはあくまでもお前の意思だろう。私ならば決して出世コースから外れるような選択はしなかったものを!」
「……端から、お前に何かを期待するべきじゃなかったか」
その言葉を皮切りに召喚獣がセヴラールへ襲いかかる。大きく開かれた口からは巨大な二本の牙が覗いていた。
(あんなものに噛まれたら即死だろうな……)
だが、それを目の当たりにしてもセヴラールに焦りはない。負ける気はしなかった。学生時代から何度も叩きのめしてきた相手だ。加えて、セヴラールには軍人として最前線を生き抜いた経験がある。
事実、先ほどから召喚獣は一度もセヴラールにダメージを与えられていない。セヴラールが左右に数歩動くだけで、召喚獣はすっかり翻弄されてしまっていた。
(この調子なら数分で崩せるだろ……。さっさと潰して離脱するか)
召喚獣の猛攻を涼しい顔で捌きながら、セヴラールがそんなことを考えた次の瞬間。
「随分と余裕の表情だな、アグラシア。だが、娘の方は放置してもいいのか? 大事にしているんだろう?」
「……どういう意味だ」
一度召喚獣から大きく距離を取り、セヴラールが問い返す。その双眸にはもう、余裕など一欠片も残ってはいなかった。
「そのままの意味だ。断言してやろう。貴様の愛娘は、数分後に臓物をぶちまけて無様に死に絶える」
直後、大地を震わせるほどの轟音と衝撃がウェルキエル帝国学院全体に響き渡った。




