第20話
「今日こそ、今日こそは勝たせて頂きますわよ、エリノラ!」
スピカは長い金髪を風に靡かせ、高らかに宣言する。直後、エリノラはスピカの背後に大量のマナが収束していることに気がついた。互いに干渉し合うマナは光を放ち、一対の翼を形成していく。
誰もが異能力を持って生まれてくるこの世界でも、飛行能力者は珍しい。高い空間認識能力が求められることや、長時間の飛行に耐えられる適正体重を維持する必要があることなどから使いこなせている人間も一握りだ。
ちなみに帝国陸軍には一個師団規模の航空魔導部隊が存在するが、常に慢性的な人手不足に悩まされている。能力の特性上、マナの消費が激しく接続回路に負荷がかかり燃費も悪いせいであまり恵まれた能力とは言い難かった。
だがスピカはたゆまぬ努力と圧倒的なマナコントロールの精度でもってこの能力を制御し、入学試験第三位の好成績を収める。周囲の人間にこそ認められなかったものの、スピカの飛行能力は既に一流と呼んで差し支えのない領域だ。エリノラとて油断はできない。
スピカは手にした小銃型のASSを乱射しながら、部屋の中で円を描くように飛び回る。ASSの利点は実銃と違って弾切れが存在しないことだ。リロードの手間を省ける上に、銃弾を購入する必要がないため費用対効果という面でも優れている。体内のマナが枯渇すれば光弾を作り出すことはできなくなるが、よほどの無茶をしなければ問題ない。
エリノラは無数に降り注ぐ光弾を、鬱陶しそうにレイピア型のASSで切り払った。その内の何発かはエリノラの身体に掠ったがどれも傷は浅い。銃弾が殺到し、所々抉れた石畳の中央でエリノラは涼しい顔をして立っていた。まるで最初から何事もなかったかのように。
「はて、今私に何かしましたか?」
そう言って微笑むエリノラはあくまで余裕の態度を崩さない。スピカは一度歯噛みすると覚悟を決めて自身の異能力を解除した。収束していたマナが霧散し、翼の輪郭が朧気になっていく。
地に降り立ったスピカは小銃型のASSを鉱石状態に戻し、予備のASSを取り出した。それは今日の日のためにスピカが用意したレイピア型のASSだ。エリノラと対戦することになるかは分からなかったが、スピカは心のどこかでこの展開を予想していた。
逸る心を落ち着かせ、レイピアを片手で構えるとスピカはエリノラとの間合いを一瞬で詰める。エリノラはスピカが繰り出した一撃を真っ向から受け止め、続く連撃を捌き切った。ASSの刃が互いにぶつかり合い、紅い火花を散らす。
ASSの出力にはほとんど差異がないためどちらかが威力で競り負けることはない。だが力の関係でスピカが徐々に押され始める。耳障りな金属音はどこか遠くに聞こえた。戦闘中にも関わらず、スピカの脳裏を掠めるのは家族のこと。
スピカが帝国学院に入学するまで、結局両親はただの一度も褒めてはくれなかった。誰かに負ける度に増す家族からの重圧と、ヴァーゴ家次期当主としての責務。その全てがスピカの望んだものとは程遠い。
初めてスピカが敗北した日、父は言った。
『お前には努力が足りていない』
それに続いて母も言った。
『努力は必ず報われる』
あたかもそれが真理であるかのように語る両親に、スピカは反論したかった。
努力だけで越えられない壁は絶対にある。努力した人間が努力した分だけ成功するなんて嘘だ、と。なぜならスピカは気がついてしまったから。
エリノラと刃を合わせたその瞬間、圧倒的な才覚に触れたその時に、この世界には凡人では決して届かない天才がいることを知ってしまった。
そして帝国学院入学後に確信する。自分は凡人に過ぎないことを。同学年とは思えない技術を有するユーフィアや、教えられたことを次々と吸収していくニーナ。彼女たちと毎日のように接していれば、実力差は嫌というほど実感させられる。
「それでも……」
「……?」
声を発しているはずの自分ですら聞き取れるか分からない声。至近距離での鍔迫り合いを続けながら、スピカは気力を振り絞って声を張り上げる。
「私にだって、意地はありますわよ……!」
次の瞬間、スピカのレイピアがエリノラのレイピアを押し切った。
「……っ!」
束の間の驚愕。ここに来て初めて、エリノラの瞳が見開かれる。その隙を、スピカは見逃さない。畳み掛けるように連撃を放ち、防御が手薄になったエリノラの胸元をスピカのレイピアが襲う。だが、その切っ先がエリノラに届くことはなかった。
スピカの刃を直前で見切り、最小限の動きでエリノラが躱す。体勢を崩されたせいで切り返しがわずかに遅れたスピカの喉元に、エリノラのレイピアが突きつけられた。直後、訪れる静寂。そして。
「…………ごめんなさい。私のせいでいつも、追い詰めてしまって」
「……ぇ」
唐突なエリノラからの謝罪に、スピカは思わずレイピアを取り落とす。マナの供給を絶たれたASSは紅い鉱石となって地に落ちた。
「できることなら、今期の中間試験ではあなたの妨げになるようなことはしたくなかった。ですが、そういうわけにもいかない事情ができてしまったのです」
自身のレイピアを鉱石状態に戻したエリノラは正面からスピカの双眸を見つめると口を開く。そこに先ほどまでの敵対心は微塵も感じられない。スピカの眼前にはただ、かつての好敵手の姿だけがあった。
「こんな荒唐無稽な話はあなたにしかできません。だから、どうかお願いします。私を助けると思って、ここで、リタイアしてください」
エリノラはあくまでも真剣な表情で、初めてスピカに頭を下げた。だが常に高みを目指してきたスピカにとってエリノラの嘆願はそう易々と受け入れられるものではない。
「どう、して……? だって、私、は……」
「私の要請に唯々諾々と従って頂けるとは私も思っていません。ですが、どうか。これはあなたのためでもあるのです」
呆然としつつも頑ななまでにリタイアを拒むスピカを、エリノラは必死の様相で説き伏せようとする。それが無駄な足掻きと知りながら。
「私はリタイアなんてしませんわ!」
スピカにはもう、エリノラの言葉に耳を貸す余裕など残っていなかった。エリノラもまた、それを悟っている。
「……あなたにだけは、死んでほしくないのです。何があっても、例え恨まれることになろうとも。あなたにだけは……」
これが、エリノラに残された最後の手札。エリノラの言からただならぬ気配を感じ取ったスピカがわずかに顔を上げた。
「何が、言いたいのですか……」
少しずつ持ち前の冷静さを取り戻し、スピカが問う。エリノラは一度頷くと、改めて本題を切り出した。
「然るべき時が満ちればこの迷宮は完全に外界と隔離され、ラシアイム先生によって大型召喚獣が召喚されます。正直に言って、一年生では相手になりません。最低でも三年生以上でなければ一瞬で蹴散らされるでしょう。あなたには今ここで脱落して頂き、このことをアグラシア先生に伝えて欲しいのです。死人が出る前に」
「……情報源は?」
いくら幼馴染みであるエリノラの言葉とはいえ、何の疑いもなしに信じるには話のスケールが大きすぎる。スピカが遠回しにそのことを伝えるとエリノラは歯切れの悪い返事をした。
「帝国陸軍参謀本部参謀次長のご子息をご存じですか?」
「えぇ。確か今五年生のアルヴィス・チェスカー先輩、でしょう?」
「はい。あの方から、三日ほど前に聞かされました。私は彼から多額の資金援助と休戦協定を取り付け、その見返りとして召喚獣討伐を命じられたのです」
実のところ、エリノラにも詳しいことはよく分かっていない。アルヴィスがなぜエリノラに目を付けたのかも不明のままだ。だが、アルヴィス・チェスカーがどれだけ危険な存在であるかはエリノラにもよく分かる。故にエリノラはいつ反故にされるかも分からない休戦協定を交渉の末に勝ち取った。
「今回の任務をしくじれば、きっと私の命はないでしょう。彼は決して失敗を許さない。利用価値がないと分かれば切り捨てられます。ですが、逆に生き残ることができたなら私はこの学院で絶大なコネクションを手に入れることができる。これは、そういう契約なのです」
エリノラの説明にスピカは軽い目眩を覚えた。目的のためなら手段を選ばないタイプの人間だとは思っていたが、まさかここまでだったとは。さすがに予想外である。
「前々から思っていましたけど、あなた自信過剰過ぎますわ。失敗したらどうするつもりですの」
「その時はその時です。死ぬだけですよ」
「……すぐに迷宮から離脱してこのことをアグラシア先生に伝えますわ。彼ならこんな状況でも適切な対処をしてくださるでしょう」
「はい、よろしくお願いします。私の命がかかっておりますので」
瞳の奥に暗い炎を宿し、エリノラが笑う。スピカは久しぶりに見るその笑みに、思わず苦笑した。昔からエリノラには腹黒い一面があったが、それは今もなお健在らしい。
「任せましたよ、スピカ」
「えぇ、確かに承りましたわ。エリノラ」
※※※
中間試験開始から三時間。
エリノラ・アビゲイル、スピカ・ヴァーゴを撃破。




