第1話
ステファン帝国中央都市部に、その学院はある。
ウェルキエル帝国学院。学院として運営されているものの、その実態は次世代を担う兵士を育成するための養成機関だ。
今から凡そ二百年前。ステファン帝国が第一次魔導大戦の戦火にその身を投じた時のこと。各国がかつてないほどの規模で繰り広げた総力戦は、大陸の中央に位置する帝国へとその被害が集中することになった。そして、それは同時に全世界が帝国を敵視していることの証左でもある。
時には敵国同士で秘密裏に手を組み、まずは帝国を落とそうという動きまで見られたほどだ。世界第二位の領土を誇る帝国も、敵国に包囲された状態では勝ち目がない。徐々に、だが確実に低下していく国力と兵士の疲弊。これを国家存亡の危機と判断した元老院は大々的な政策を打ち出した。
それが帝国学院の設立である。国内各所に設立された帝国学院の数は全部で十二校。その内の一校がこのウェルキエル帝国学院なのである。
入学試験に合格した合格者たちはこの学院で約六年間、戦場で生き残るための術を身に付ける。そして卒業後は個々の特性に見合った部隊へと配属されるのだ。
「ここが……帝国学院」
壮麗な学院校舎を眺め、今年の特別推薦枠を勝ち取ったニーナ・アグラシアは一人ため息をつく。本来ならば誰もが羨む推薦枠でありながら、入学自体を微塵も望んでいなかったニーナは鬱々とした表情で校門を潜った。
本来、この学院への入学を許された者が真っ先に抱くであろう誇りも使命感も、ほんのわずかなやる気ですら今の彼女には存在しない。昨日までの充実した引きこもり生活を振り返り、ニーナは静かに己が人生の理不尽さを呪った。
そんな少女の悪夢の始まりは、今からちょうど二週間前。とある同居人からもたらされた就職の知らせが全てを物語っていた。
彼曰く、帝国陸軍上層部の要請により帝国学院で教職に就くことになったらしい。そこまでは、まだよかった。むしろ、長年無職を貫いていた彼が仕事をすると聞いた時にはニーナ自身も自分のことのように喜んだほどだ。だが、その喜びも長くは続かない。
彼から帝国学院は教師も含めて全寮制だと告げられた瞬間、ニーナの笑顔は見事なまでに凍りついた。幼少の頃より聡明だった彼女は簡易的な説明のみで全てを悟ってしまったのだ。つまり、保護責任者不在のこの家に未成年である自分が一人で留まることなどできはしないと。
そして少女に突き付けられた無慈悲な一択。当然の帰結として選択肢を奪われたニーナに拒否権などなく、なし崩し的に学院への入学が決まってしまう。面倒な試験を受けずに済む特別推薦枠で入学できたことだけが唯一の救いだった。
大講堂に続く石畳の舗装路を歩きながらニーナは渦中の同居人を探す。教職員は入学式の準備を行わなければならないため、ニーナよりも先に学院へ向かったのだ。だが結局その姿を見つけることはできず大講堂まで辿り着いてしまう。入学式までは時間に余裕があるせいか近くに他の新入生はいなかった。
ニーナは開け放しになっていた扉から講堂内に足を踏み入れる。物音や漏れ聞こえてくる話し声で薄々察していたが、準備はまだ終わっていなかった。少しだけ辺りを見渡し今度はすぐに見つけることができたその背中に、ニーナはゆっくりと近づいていく。
「セヴラール」
と、背後から突然声をかけられたセヴラール・アグラシアは驚いたように振り返りわざとらしくため息をついた。
「ニーナ、気配を消して背後に立つのはやめろっていつも言ってるだろ。心臓に悪い」
「だって、セヴを驚かせたかったんだもん」
そう言うニーナはセヴラールの抗議などどこ吹く風だ。
「ところで、私の席どこ?」
教職員が次々と椅子を並べていく様子を遠巻きに眺めながらニーナが問う。セヴラールは手に持っていた二脚の椅子を所定の場所に設置しながら投げやりに答えた。
「自由席らしいから勝手に座れ」
「なら、一番後ろの一番端がいいわ」
手早く荷物を置き、宣言通りの場所取りに成功したニーナに背後からセヴラールが声をかける。
「暇なら手伝ってくれてもいいんだぞ?」
「絶対、嫌。私は新入生なのよ? なんでそんなことしなくちゃいけないの」
「……だよな」
ニーナの即答にセヴラールは本日二度目のため息をついた。面倒事を心底嫌うこの少女が手を貸してくれることなど、例え天地がひっくり返ってもあり得ない。端から分かりきっていた返答に苦笑しながら、セヴラールはニーナの隣に腰かける。
「そういうセヴだってサボってるじゃない」
「俺はさっきまでちゃんとやってたからいいんだよ」
「それ、嘘でしょ」
「ホントだって」
互いにいつも通りの軽口を交わしながら笑い合う。やがて新入生が大講堂に集まり始めると、セヴラールは一人の女生徒を指差した。
「見ろよ、ニーナ。エリノラだ」
「……誰?」
思わずセヴラールの視線を追ったニーナの瞳に、腰まで伸びた長い白髪が映る。人形のように整った面立ちが特徴的な美少女だった。
「今期の入学実技試験で第二位の成績を収めた才媛だよ。知らなかったのか? ほら、アビゲイル家の」
「あぁ、あの『異能』が強いだけのいけ好かない女狐」
「……」
あまりにも辛辣なニーナの一言に、セヴラールが閉口する。どうやら今日のニーナは相当に機嫌が悪いらしい。原因に心当たりがありすぎるセヴラールとしては頭の痛い限りだ。さてどうしたものかとセヴラールが考えあぐねていると、一人の少女がニーナに声をかけてきた。




