第17話
「ちょっと、いくら何でもいきなりすぎるでしょッ?」
思わずそう叫ぶニーナの声を皮切りに、大広間全体が狂騒に包まれる。だが音声だけを室内に拡散させているべレスの姿はどこにもなく、マナの変動も感じられない。既に大広間は外界と隔離され、文字通り完全な迷宮状態。喚くだけ無駄だろう。
混乱は一瞬だった。ニーナは素早く意識を切り替えると硬直しているユーフィアの手を引いて走り出す。その途中で合流したスピカ、リーヴィアの二人と一度アイコンタクトを取ると事前の作戦通りに左右に分かれた。
ニーナとユーフィアが右、スピカとリーヴィアが左の担当だ。開け放たれた右端の扉に飛び込み、舗装された石畳の通路を一直線に駆け抜ける。ニーナの頭には地下一階の地図が完璧にインプットされているのだ。だが、それは無意味だった。
一週間前に配布された地図とは明らかに構造が異なる。迷宮は一年の内に何度か内部構造が変わるらしいが、一瞬で変化することはない。多くの場合、ゆっくりと時間をかけて変動していくものなのだ。だとすれば考えられる要因はただ一つ。
「謀ったわね、べレス・ラシアイム……!」
そう、べレスは生徒用の資料に細工をしたのだ。そして恐らく、自クラスの生徒には正しい地図を渡したのだろう。その地図を授業時間に暗記させ、すぐに焼却処分してしまえば証拠は残らない。口裏合わせも完璧なはずだ。
あの男は正攻法でニーナたちに勝てないことを知っている。入学試験第一位のユーフィアを筆頭に、セヴラールから直々に手ほどきを受けたニーナや、ヴァーゴ家次期当主でありながら入学試験第三位の才媛、スピカ。
優れた身体能力と正確無比な射撃精度を誇るリーヴィア。戦闘能力こそ他メンバーに劣るものの、入学学科試験第一位のルドウィン。自身の異能力と相性がよく、ここ最近の成長著しいライオネルなど。
とにかく突出した能力の持ち主がセヴラールのクラスには多い。それゆえに優劣がはっきりしてしまっているが、総合力ではべレスのクラスにも勝っている。確実かつ絶対の勝利を欲するべレスは、多少のリスクを負ってでも不正に手を染めたのだろう。ニーナがそう推測をまとめたところで、前を走るユーフィアが悲鳴を上げた。
「ニーナさん、止まってください!」
「……っ!」
一度意識を切り替えニーナが前方に注意を向けると、眼前の十字路から二頭の召喚獣が二人の前に躍り出る。召喚獣とは召喚系の能力を持つ異能力者が召喚したモノの総称だ。自我を持って活動するが実際に生きているわけではなく、マナの集合体が生物の形を取っただけである。
召喚者の好みによって姿形は変えられるが、二人の前に現れた召喚獣は獰猛な大型犬によく似ていた。だが大きさは犬の比ではなく、全長は人間の背を優に超えている。道幅が狭い迷宮内では、その姿は更に大きく感じられた。
事前に召喚獣が出没するとは聞かされていたが、開始早々遭遇することになるとは予想外である。
「ニーナさん、どうしますか?」
ユーフィアはニーナに近づき、声を潜めて問いかけた。それを受けて、ニーナはしばし黙考する。引き返してもいいが、二人の背後からは騒々しい足音が徐々に迫ってきていた。
音の反響具合から察するに五、六人程度だろうか。可能な限り交戦は避けたい人数だ。
「……仕方がないわね。早めに仕留めて離脱しましょう」
「了解です」
ユーフィアは一度頷くと腰を落として居合いの構えを取る。瞬時に大気中のマナが渦巻き、ユーフィアの手元へと収束を始めた。ニーナも素早く《シリウスの降星》を展開し後ろに下がる。前衛のユーフィアを主軸に、ニーナは後衛としてバックアップに徹する作戦だ。
ユーフィアの攻撃範囲は自身を中心とした半径五メートル以内。その領域内ならばユーフィアはほぼ無敵の強さを誇る。そのため戦闘時のバランスも考慮した結果、よほどの緊急事態でない限りニーナは援護に専念することにした。
ユーフィアは刹那の間に呼吸を整え、愛刀の柄に手をかけて抜き放つ。立て続けに再度刀を振るうと二筋の銀閃が迸り、一体の召喚獣の首を切り落とした。切り伏せられた召喚獣は光の粒子となってかき消える。
ニーナは《シリウスの降星》を構えると片割れの召喚獣に狙いを定め、引き金を引いた。放たれた光弾は狙い過たず召喚獣の胸元に直撃する。だが火力が足りていないのか、その双眸はユーフィアを捉えたままだ。
眼前で消滅した仲間の姿を見て警戒しているのだろう。ニーナには視線を向けることすらない。
(これでも最高出力に設定しておいたんだけど……やっぱり実銃の方が威力は上ね)
仕方なく至近距離から目を狙おうとニーナが一歩前に出る。だがそれよりもわずかに早くユーフィアの刀が召喚獣の首を切り落とした。収束していたマナが大気中に霧散し淡い輝きを放つ。その中心で一人静かに佇みながらユーフィアはポツリと呟いた。
「……ごめんね」
納刀することさえ忘れ、虚空を見つめ続けるユーフィアの瞳はどこか悲しそうだ。彼らに死の概念などないとはいえ、自我を持つモノを切る行為には未だ抵抗があるらしい。
(私がやればよかったわ……)
呆然と立ち尽くすユーフィアの手を引いてニーナはその場を後にする。できればこのまま給水スポットを目指したいところだが、ユーフィアの心理状態を鑑みるならばまずは休憩だろう。
※※※
中間試験開始から二十分。
ニーナ・アグラシアおよびユーフィア・フォーマルハウト、召喚獣二体を撃破。