第16話
ウェルキエル帝国学院には深層迷宮と呼ばれる地下迷宮が存在する。一体誰が作ったのか、いつからそこにあったのかは未だ解明されていない。だが帝国学院の創設が元老院によって決定されると、この迷宮は学院の所有物として扱われるようになった。
地上一階から地下五十階で構成されるこの迷宮は、深層に潜れば潜るほど危険度が高くなる。基本的に一年生から三年生の間は、試験の際でも地下二十階程度までしか使用しない。そもそも一年生が初めての実技試験で迷宮を利用すること自体が異例なのだ。帝国陸軍参謀本部が学院に促成教育を命じなければ、まず間違いなく採用されなかっただろう。
この学院に慣れた五年生や六年生ですら、地下四十階以上に挑むことは自殺行為とされている。実はまだ誰も地下五十階には到達しておらず、その先には更なる階層が存在するという噂もあるほどだ。ちなみに五年のアルヴィス・チェスカーは、去年の謹慎期間中に地下四十二階まで潜ることに成功している。
そんな曰く付きの深層迷宮で今日から一週間を過ごすニーナは隣に並ぶユーフィアと最終確認を行っていた。
「えっと……スタート地点は地下一階の大広間なんですよね?」
ユーフィアは昨晩、不安と緊張でよく眠れなかったらしく朝から頻りに資料のページをめくっている。だがユーフィアは戦闘時の意識切替が異様に早いため、ニーナとしてはさほど心配していない。いざとなれば前衛として訓練通りに戦えるだろう。
「えぇ、今回解放される階層は地下一階までだからね。地上一階には適した空間がないみたいだし、比較的広い地下をスタートにするらしいわ。あと、地上一階の罠は全て撤去済みだったとセヴから連絡が入ったわよ」
「わざわざ試験前に下調べしてくださったんですか? アグラシア先生には本当に頭が上がりません……」
ユーフィアは申し訳なさそうな、それでいてどこか嬉しそうな表情で言う。すると背後から二人に声がかけられた。
「そのくらいはするさ。ここに入ったらもう、俺は一切助けてやれないんだからな」
「……セヴ」
ニーナとユーフィアが揃って振り返るとそこにはセヴラールが立っている。どうやら少し前から二人の会話を聞いていたらしい。それに気がついたユーフィアは恥ずかしそうに下を向いてしまった。
「二人とも体調は大丈夫か? あまり無理はするなよ」
「セヴこそ、決闘の件色々大変でしょ? 結局、最終日に生き残っていた人数が多いクラスの勝ちってことでいいのよね?」
あれからべレスとは何度か顔を合わせたが、一度も口は利いていない。セヴラールは決闘の詳細を決めるため、度々べレスのクラスに足を運んでいたようだがニーナを連れて行ってくれることはなかった。
「それはそうだが……その前にお前たちは試験に集中しろ。アイツとの件は俺がしっかり片を付ける」
「……分かってるわよ。ただし! セヴも絶対無理はしないこと! 私だってもう子供じゃないんだから」
ニーナはセヴラールを安心させるように微笑を浮かべると、静かに背を向けた。
「じゃあね。私のことは気にしなくていいから、セヴも頑張って」
「……死ぬなよ」
その一言を、口にするべきだったかどうかは分からない。それでも、言わずにはいられなかった。
「当たり前でしょ?」
ニーナは一瞬だけ驚いたように瞳を見開いたものの、即座に首肯してみせる。その姿にセヴラールも頷き返すと、去っていく二人の後ろ姿を見送った。不安が全くないわけではないがあの二人ならば大丈夫だろうと、セヴラールは自身に言い聞かせる。
入学当初に比べ、彼女たちは確実に成長した。だからこそ、今セヴラールがするべきは心配ではなく、信頼だ。
※※※
「く、暗いですね……」
深層迷宮に足を踏み入れてわずか数十秒後、ユーフィアはニーナの袖口を掴むと震える声でポツリと呟く。比較的浅い階層は意外と薄暗く、確かに見通しが悪い。進めば進むほど明るくなっていくはずだが、ニーナは微かな焦燥に駆られていた。
地上一階に罠の類は存在しないため、今はまだ問題ない。だが地下一階もこの調子では、流石に行動に支障を来すだろう。
「これで明かりの持ち込みが禁止ってどういうことなのよ……」
思わずそんな愚痴がニーナの口から漏れる。しかしニーナの懸念は杞憂に終わった。地下一階に続く階段を下り始めた辺りから一気に光量が増えたのだ。
石畳の一本道をしばらく進んでいると、二人の眼前に重厚な作りの扉が現れる。特に鍵などはかかっていなかったためニーナが扉を押すと、想像よりもあっさりとその扉は開いた。室内には百名近い生徒が集められている。
二人が部屋の中央付近まで歩いていくと背後で静かに扉が閉まり、代わりに室内の五ヶ所の扉が全て開いた。
「さて、参加予定の生徒は全員集まったな? ではこれより、一学期中間試験を開始する」
続いて何の前触れもなく大広間にべレス・ラシアイムの声が響き渡り、試験開始が宣言された。