第12話
ウェルキエル帝国学院下層食堂。
セヴラールはいつものようにニーナとユーフィアを連れて学食に足を運んでいた。もはや恒例になりつつある組み合わせだが、今日の目的は食事だけではない。
少なくともセヴラールは普段の何倍も周囲に気を配っている。それを長い付き合いであるニーナに気づかれないはずがなく、彼女にまで警戒を強いている始末だ。
「ねぇ、セヴ。今日どうしたの?」
「なんでもねぇよ。気にするな」
何気なく探りを入れてくるニーナをセヴラールが適当にあしらって誤魔化していると、前方から一人の男が歩いてきた。隣のクラスの担当教諭、ベレス・ラシアイムである。セヴラールは素知らぬ振りで通り過ぎようとしたのだが、案の定ベレスは声をかけてきた。
「おい、セヴラール・アグラシア。貴様、教師にあるまじき態度らしいな?」
「……と、言うと?」
セヴラールとしては無視しても良かったが、ユーフィアの前だ。ある程度入学前に事情を説明しているニーナとは違い、何も知らないユーフィアの印象が悪くなる行動は慎みたい。
「授業で居眠りしている生徒を注意しないどころか、模擬戦では好き勝手にやらせているそうじゃないか。貴様、そんなに生徒の好感度を上げたいのか?」
「別に、こいつらに媚びてるつもりはねぇよ。眠けりゃ寝てていいって言っただけだ。机にしがみついて勉強しなきゃ赤点のクラスと違って、ウチの子は優秀だからな」
安い挑発を挑発で返し、セヴラールとベレスが睨み合う。先に視線を切ったのはベレスだった。
「優秀だと? 笑わせるな。そこの小娘は模擬戦のルールもろくに守らず、即死となり得る技を連発したと聞いたぞ? 『剣聖』の娘も堕ちたものだ」
「……え、あ、あの。それはニーナさんが、私は大丈夫だからって……」
ユーフィアはしどろもどろになりながらも、ベレスの誤解を解こうと口を開く。だが。
「口答えするなッ!」
「……っ」
次の瞬間、食堂内に響き渡った怒声にユーフィアが身を竦ませた。食堂を行き交う生徒たちも何事かと足を止め、周囲には軽く人だかりが出来始めている。流石にこれ以上看過することは出来ず、怯えているユーフィアを庇うようにニーナが一歩前に出た。
「待ってください。あれは相互同意の上、行われた決闘です。学校医もその場に立ち会い、安全は確保されていました。何の問題もなかったと認識しています」
「アグラシア、貴様……!」
授業で行われる模擬戦には幾つかの細かいルールが存在する。その内の一つが即死に繋がる技の使用禁止だ。だが決闘においては実戦感覚を養うため、あらゆる技が解禁される。
さらに同意の上だったと当事者の口から証言された以上、教師といえども生徒間の決闘に介入することは許されない。
「そういうことだ。これで分かっただろう。フォーマルハウトに非はない。お前の勝手な私怨で……」
「貴様は黙っていろッ!」
だがベレスは尚もユーフィアに詰め寄ろうとする。既にニーナは我慢の限界だった。無言で制服のポケットから紅く輝く鉱石を取り出し、ためらうことなく起動。展開された刃の切っ先をベレスの首筋に突きつける。
「あなたに、これが受けられますか?」
セヴラールですら咄嗟には止める言葉を思い付けないほど、冷たい声だった。最後に残った理性で激情を抑え込みつつ、その瞳には静かな怒りを湛えている。
「ニーナ、やめろ!」
「ニーナさん……!」
ようやく我に返ったユーフィアとセヴラールがニーナを宥めようとするが、今の彼女には全く聞こえていない。蒼く煌めく双眸はただ、自身が葬り去るべき敵の姿だけを捉えていた。
「……正気か? 貴様」
「私は本気です。あなたは自分の実力不足を棚に上げてセヴを逆恨みした挙げ句の果てに、ユーフィアまで侮辱した。アンタみたいにコネだけでのうのうと生きてきたような人間が、私は大嫌いなのよ!」
相手が教師であることも忘れ、ニーナは不退転の決意を固める。こんな人間に屈するくらいなら舌を噛み切って死んだ方がマシだと心の底から思った。ベレスはその様子を鼻で笑う。
「いいだろう。貴様の決闘、受けてやる。ただし貴様が負けた場合は親子共々この学院から出て行ってもら……」
だがベレスの言葉が終わる前に、突如として一発の銃声が轟く。放たれた銃弾はベレスの髪を揺らし、学院の壁紙の一部を穿って止まった。
「決闘なら俺が先だ、ラシアイム。端からお前の狙いは俺だろう。望み通り、相手をしてやる」
ニーナが緩慢な動作で音のした方へ視線を向けると、そこにはセヴラールが陸軍時代からの愛銃を構えて立っていた。ASSではない。実銃だ。
「セヴ、何で……」
「お前は少し黙ってろ」
有無を言わせずニーナを黙らせ、ベレスに向き直ったセヴラールはさらに続ける。
「それとも、公の場で俺とやりあうのは怖くて堪らないか? もし負ければご自慢のキャリアに傷がつくもんな」
「そんなわけがあるか! この私が負けるなど天地がひっくり返ってもあり得ない! 決闘ならこちらこそ望むところだ、セヴラール・アグラシア!」
売り言葉に買い言葉。双方共に退路は断たれた。
「ちょうど三週間後には中間試験がある。その成績で競うというのはどうだ?」
「決闘は仕掛けられた側に勝負内容を決める権利がある。是非もないな」
ユーフィアが不安げに見守る中、ある程度気が済んだのかベレスが食堂を去っていく。その後ろ姿が完全に見えなくなると、セヴラールは静かに息を吐いた。
「あ、あの……申し訳ありません。私のせいで……」
「ユーフィアは何も悪くないでしょ! あんな奴の言うことなんて気にするだけ無駄よ」
自責の念に苛まれ、目尻には微かに涙まで浮かべるユーフィアにニーナはあえて明るく声をかける。そこに先ほどまでの怒気は微塵も感じられない。
「元々の原因は俺だ。悪かったな、巻き込んで」
セヴラールもユーフィアを気遣うように優しく目尻を拭い、頭を撫でた。
「俺とあいつは学生時代から折り合いが悪くてな。同じ学院にいる以上、いつかは決着を着けなくちゃいけない相手だった。今期の中間試験担当者はあいつに決まったみたいだし、喧嘩を売るには都合が良かったんだろ。遅かれ早かれ仕掛けてきたさ」
「だから今日ピリピリしてたの?」
ニーナは《アルクトゥルスの宝剣》を鉱石状態に戻すと不機嫌そうに問いかける。セヴラールは軍用チョコレートでニーナの機嫌を取りながら一度頷いた。
「まぁ、楽観視はできない状況だったからな。それとニーナ、お前は頭に血が上りすぎだ。挑発されても絶対乗るなって、入学前に散々言っておいただろ。お陰で俺が決闘なんてする羽目になった」
隣で大人しくチョコレートを齧り始めたニーナを横目で見やり、セヴラールはため息をつく。するとまだ機嫌が完全には直らないのかニーナがポツリと呟いた。
「助けてくれなくても大丈夫だったのに」
「あのなぁ、相手は仮にも帝国学院の教師だぞ? いくらお前が強くてもあいつにはお前にはない権力がある。十分危険な相手だ。これを機に俺も過去を清算するよ」
※※※
生徒の喧騒がどこか遠く聞こえる。仲間内で作戦会議を始める少年少女を眺め、セヴラールは教壇前に座る二人の少女に視線を向けた。不安がるユーフィアをニーナが励まし、当日の流れを二人で話し合っている。
教室全体を見渡しながら、セヴラールは一人覚悟を決めた。試験の内側はニーナとユーフィアが担当してくれる。ならば、外側の汚れ仕事は大人である自分の担当だろう、と。