冷たい婚約者に別れを切り出したら、惚れ薬を飲まされました。〜彼は、惚れ薬が効いていると思い込んでいます〜
「私たち、別れましょう」
「わかった」
セシリアは、泣く泣く思いで冷たい婚約者・グレイグに別れを切り出すことにした。
話がまとまったと思った直後に、出されたお茶を飲んだ瞬間から婚約者の様子がおかしい。
「これできみは、私から逃げられない」
そう言った婚約者は、私に惚れ薬が効いたと完全に思い込んでいます。申し訳ありませんが、その惚れ薬は私には効いていないようですが?!
_____
セシリアは、馬車に揺られながら恋人…つまりは、婚約者の住む屋敷に向かっていた。
「セシリアは本当に、笑顔が素敵ね」とは、家族や友人によく言われる言葉だ。
「いつもにこにこしていて、かわいらしい」
「セシリアはいつも幸せそう。あなたの笑顔を見ていると、私も嬉しくなるの」
そう周りの人が声をかけてくれるのが嬉しくて、どんな場面でも笑顔だけは絶やさずに日々を過ごしていた。
しかし、今日だけは。
どう頑張っても、笑顔でいられそうにないわ。
ぐっと唇を噛みしめ、セシリアは必死に無表情を装っていた。そうでもしないと、いますぐにでも泣き出して、来た道を引き返してしまいそうだったのだ。
たどり着いたお屋敷。
私が顔を出すと、執事さんがお出迎えしてくれた。
「ようこそいらっしゃいました、セシリア様」
「どうも、お邪魔します。あの…グレイグ様は」
「それが…旦那様は現在、お仕事に勤しんでいらっしゃいます」
約束事があったとはいえ、私の婚約者様はいつもの通り仕事に忙しく、すぐには顔を出せないという。
いつもならば、このまま執事さんに客室まで案内されて。
「グレイグ様のお仕事がひと段落するまで、ここでお待ちしますね」とにっこり笑って執事にそう伝えさせていた。
そうして、一時間だろうと健気に待ち続ける。
それもこれも、私の恋心がそうさせていたからだ。
時間をかければ、彼はいつか振り向いてくれるんじゃないかと思い込んで。
けど、今日は違った。
「今すぐに、お話がしたいのだけど…」
「左様ですか」
「ええ、どうしても伝えたいことがあるの。彼の執務室にお邪魔したら、ご迷惑かしら」
「いえ。きっとお喜びになるでしょう。案内致しますね」
彼が、喜ぶ?そんなの嘘。
そう、声を張り上げてしまいそうになった。けど、セシリアはきりりと眉を吊り上げたままだ。
執事さんは、笑顔の絶えない私が険しい表情をしている姿を見て心配そうにしていた。
きっと、そんな私を安心させたかったのだと思う。
気を遣ってくれたのね。けど、私分かってるの。
執務室に直接訪ねたとて、迷惑がられるに決まっている。むしろ、私のことには無関心かもしれないと考えて、恐ろしくなる。
階段を登り、部屋まで向かうまでの廊下はとても長く感じられた。
執事さんの手によって開け放たれた扉の先、大好きな彼は机に向かい、紙の上に必死にペンを走らせていた。
「グレイグ様」
「……」
「私、貴方さまにお話があって参りましたの」
「…そうか。手短に頼む」
改まって話をするが、彼の表情は変わらない。
名前のひとつも呼んでもらえないので、私の存在が認識されているかもわからない。
私の声を聞いても、彼の視線は手元の書類から動く様子もなかった。
そうなのね。
真剣に私の話を聞こうともしてくれないのね。
一応婚約者である私の話は、グレイグ様にとって「手短」に済ませなければならないほど、優先順位が低くて、どうでもいいものなんですね。
そう改めて実感させられ、きゅうと胸が苦しくなる。
盲目的に、ずっとあなたに恋をしていた。
幼い頃、両親が勝手に決めてしまった婚約者だったけど、私は貴方が大好きだった。
貴方のようにかっこよくて仕事ができて…完璧な婚約者がいて誇らしかったし、いつかは心を通わせて結婚して、幸せな家庭を築くんだと当たり前のように思っていた。
けど。
そんな、幼い頃からの幻想は幻想のままだった。
理想と現実とのギャップに、私は耐えきれなくなってしまった。
さすがに、限界である。
「本当に大事な話なんです。せめて、お顔を上げてくださいませんか」
「…なんだ」
真剣に言い募れば、やっと彼は顔を上げた。
けれど、彼の表情はというと眉間に皺が寄って唇が引き結ばれていた。
不機嫌あることを隠そうともしない。顔が整った方の不機嫌な顔というのは迫力がある。
大好きなグレイグ様。
冷ややかな眼差しに、気圧されてしまいそう。
でも、私セシリア。絶対に、目はそらしません。
足が震え出し、涙が溢れそうになるが、必死に知らないふりをする。これ以上時間をかければ小娘の脆弱なメンタルは持ちそうにないのだ。
別れたくない。けど、このままじゃお互いのためにならないの。
覚悟を決めると、私はゆっくりと言葉を吐き出した。
「グレイグ様」
「なんだ」
「私と、別れてくださいまし」
「…は?」
______
私ことセシリアは、今年で16になる平凡な娘だった。
母譲りのブロンドヘアと、青色の目。人の目を引く色彩であるのに、どこか垢抜けない。
身長も平均より小さくちんまりしている。
ゴージャスで大人な雰囲気のドレスを着こなしたいけれど、シンプルなドレスや深い色合いのドレスにはどうしても迫力に欠けてしまって、ドレスに「着られている」感じが出てしまうのだった。
背伸びして買ってもらった、肩と背中を露出した大人っぽいワインレッドのドレスが似合わず、しょんぼりと肩を落としていた時には、家族や友人が口々にフォローしてくれたけど。
「セシリアはかわいらしいからいいのよ」なんて甘やかされて、そっかぁなんて納得して、いまだに子供っぽい色彩のドレスを身につけている。
そんなセシリアとグレイグは、幼い頃に両親が決めた婚約者同士だった。
セシリアが物心もつかないほど小さな齢の頃に二つ年上のグレイグとの結婚が決まり、気付けば隣にいた。
「グレイグしゃま、待ってくだしゃいませ!」
「セシリア」
グレイグ様は、烏の濡れ羽のように艶々とした黒髪の持ち主で、目の色は私と同じ青色。
すっと伸びた鼻筋。涼しげな目元。形の整った唇。
どれをとっても、彫刻のように整った顔立ちをしていて、うっとりしてしまう。
幼い私は、すっかり彼に夢中だった。
「ぐれいぐしゃま…?」
「私に着いてくるな」
「なんで?どうして、だめなの?」
「邪魔だからだ。そのようについてきて、転んだらどうする」
思い返せば、昔からグレイグ様はぶっきらぼうで冷たい方だった。
グレイグ様に懐いて、ついて回ろうとする私をうっとおしそうにしたのだった。
けど、幼くて嫌味が通じない、私はとても能天気だったと思う。
「お邪魔しちゃって、ごめんなしゃい!心配してくれたのね!」
「そういうわけではない」
「グレイグしゃまのお邪魔はしないわ!どうしても、ついていっちゃだめかしら…?」
「……静かにしていられるのなら」
「わかったわ!セシル、いい子にしているの!」
そう言ってにっこり笑って、彼の後をちょこちょことひよこのように着いて回っていたのだった。
冷たくあしらう彼と、それを健気に追いかける私。
そんな関係は、十年ほど経ったいまになっても変わらなかった。
「グレイグ様。今度、一緒にお出かけとかいたしませんこと?」
「すまないが、そんな時間はないのだ。お断りする」
「よろしければ、私がお紅茶をお淹れ致しますわ」
「結構だ。火傷されても困るからな」
そんな時間って。あんまりな言い方だわ!
それに、私は彼とお出かけできるならば丸一日消費して外出するような大掛かりなものじゃなくても良かった。
お庭をお散歩する程度の、ほんの短い間だけでもよかったのだ。
けど、そう提案する前の段階で断りをいれられてしまっては仕方がない。
それに、火傷って。私、そんなにドジな人間だと思われているのかしら!
その瞬間は、彼の言葉を聞いてもそっか、そうだよなと納得してしまうことばかりだった。
けど、思い返してみればそんなことばかりで、婚約者?恋人?えーっとと首を傾げたくなってしまう。
いくら政略結婚とはいえ、こんなのあんまりだわ。
笑顔を絶やさないセシリア。
私はきっと、グレイグ様に嫌われているんだわ。
このままの関係じゃ、お互いによくない。
私と彼が結婚して、顧みられないままでいれば、セシリアはきっと、グレイグ様の愛を求めてみっともなく泣いて縋ってしまうだろうと思う。
「お願いですから、愛してくださいませ」とのたまい彼を困らせ、泣き暮らすのだ。
そんな未来を想像しては心細い気持ちになり、彼に迷惑をかけるだろうことに心を痛め。
そんなの、絶えきれないわ。
溜まりに溜まった不安や不満が大爆発して、私はついに決断したのだった。
「グレイグ様に別れを告げる」ということを。
私が申し入れれば、簡単に婚約は解消されるだろうと思うのだ。
そもそも、家同士の結び付きを強めるために両親によって決められた婚約だ。
家格は同等だし、金銭によるお家間の上下関係もない。
特にメリットがない婚約ではあったのだ。
それが振り出しに戻るだけ。
彼を繋ぎ止めるだけの大義名分もないことも虚しい。
セシリアは泣く泣く思いで馬車を走らせ、彼の屋敷に向かった。その手には、婚約を解消するための書類を握りしめて。
「私と、別れてくださいまし」
セシリアが別れを切り出した瞬間、グレイグ様の表情は少しも変わらなかった。
仕方がない。彼は、私を好いてはいないのだから。
「わかった」
残酷なことに、彼はあっさりと了承したのだった。
まさか、「嫌だ」などと抵抗してくれることには期待していなかったけど。せめて、なぜ?と理由を聞いて欲しかった。
けれど、彼は理由すら興味がないのだわ。
「では、この書類にサインしてくださいませ」
「…あぁ。」
「私も、この場でサインしてしまいます。何か書くものをお貸しいただけますかしら」
「いいだろう。そちらの席に座って、書くといい」
「…ありがとう、存じますわ」
彼の机のすぐ近くに、小さな机と椅子が置かれていた。
気が進まないながらも椅子に腰掛ければ、グレイグの目配せで執事さんとワゴンを押しながらメイドさんが入室してきた。
執事さんにインク壺と羽根ペンを差し出され手に取ろうとすれば、メイドさんが進み出てきてカップに紅茶を注ぎ始めた。
ふわりと甘いにおいが鼻を掠めて、手を止める。
「まぁ。珍しい香りね。なんの紅茶かしら?」
「東の国から取り寄せた茶葉でございます。甘い香りが特徴の、珍しいものなのですよ」
「そうなのね。本当、お菓子みたいないい匂いがするのね」
「ん……?」
喉が、焼けるように熱い。腹の中に落ちた紅茶はマグマのよう。
「……ぅ、はぁ……!なにか、変、ね…?」
目頭が熱くなって、目を開けていられなくなってぎゅっと目を閉じた。
はくはくと呼吸が浅くなって、胸を抑えて背を丸める。
煮えたぎるように、ぐちゃぐちゃの頭の中。
しばらくの間そうして苦しんでいたが、たまらなくなって喉を掻きむしろうとしたとき、手首を掴まれた。
「セシリア」
名前を呼ばれて顔を上げれば、愛しの彼の顔。
いつもは冷たい眼差しを向けられてばかりだったサファイアのような深い青色の瞳が、心配そうに私を見つめていた。
どうして、いまさらそんな優しい目をなさるの。
「ぐれいぐ、さまぁ………♡」
思わず、口に出した彼の名前の響き方が、思ったよりも甘ったるいものであったことに自分自身が信じられない。
なに、いまの。
こんな、好きでたまらないみたいな声色。
舌足らずながらも言葉尻が上がって、甘えるように間伸びしていて、こんなの。
私がまだ、彼のことが大好きだってことがバレバレじゃないの!
彼の瞳が優しかったからって、勘違いしてしまったのね。こんなの、恥ずかしいわ!
羞恥心から、頬から耳まで赤く染める私は、気が付かなかった。
グレイグ様が、人知れず口角を上げて満足そうな笑みを浮かべていたことを。
「あぁ……セシリア。可哀想に。こんなにもがき苦しんで」
「…」
「私のような存在に執着されるなど。本当に、可哀想でならない」
「しゅう、ちゃく…?」
「それもこれも、きみが私から離れようとしたからだ。私は、本当にきみに惚れ薬を使うつもりなどなかったのに」
「ほれぐすり…」
「でも、仕方がないことだ。これは、私ときみが愛し合うために必要なことだったんだ」
そう言って、グレイグ様は私を腕の中に閉じ込めた。
抱き締められたのだ。
そんなこと、出会ってこの方一度もなかったのに。
それに、ここまで口数が多い姿を見たのも初めてだ。
なにより、いま、惚れ薬って言った……?
「甘ったるい匂いの正体は、惚れ薬なんだ。なかなか出回らない、魔女が作ったという秘薬でな」
「ぐれいぐさま…」
「きみはきっと、私が好きでたまらないはずなのだが」
「ど、して…こんな、ものを」
「どうしてなんて。さっき教えただろう。きみが離れようとしたからだ。この薬は、片思いを叶えてくれる秘密の薬なんだ」
グレイグ様、申し訳ないのですが。
片思いを叶えてくれるものなのだとすれば。もしや…とある可能性に辿り着く。
薬が効き始めた直後こそ、頭がぼんやりしていたのだけど。私がグレイグ様をお慕いする気持ちは、「惚れ薬」入りの紅茶を飲む前と後で、変わった実感はない。
「これできみは、私から逃げられない」
力強くかき抱かれて、私は逃げ出すこともできない。
もとより、逃げ出す気もなかった。
もしかして、初めから「両思い」の場合、その薬はあまり効果がないのではないのでしょうか?!
初投稿です。続きも考えてありますが、ひとまず単発でアップしてみました。後で分けて投稿することを考えています。
よろしくお願いします!