放課後、橋の上で
乙部さんは体操服で午後を乗り切った。
そして、終礼が終わるとそそくさと帰っていこうと出ていった。誰とも話したくないのだろう。いや、休み時間にシカトされ続けて、誰も話してくれないのだろう。みんなは薄情だ。出ていくときもハーフパンツの後ろを抑えながら。
僕は友人と帰る約束をしていたが、それを無視して乙部さんを追いかけた。これを逃すと二度と会えない気がしたからだ。そして学校を出た歩道橋の上で追いついた。
「あ、お、お、乙部さん。まって、あの、えっと、い、一緒に帰りませんか?」
乙部さんはようやく立ち止まったが、何も話さない。夏の夕方の風は強い。二人の間を駆け抜けていく。彼女の体操服も大きく揺れている。それでも、我を忘れたのか、無我夢中に僕は続けた。
「い、いや、別に変な意味じゃないんだけど、あの、乙部さん大丈夫かなと思って、ね、、いろいろあったし、、あの、そうだ、、僕、乙部さんに、あ、あや、謝りたいことが、あるんです。」
「な、に?」乙部さんがあの高い声で答えてくれた。
「あの、乙部さんのお、おもらし、、止められなくて、ごめんなさい。僕の勇気が、なかったせいです。気づいてたんです。あ、あな、あなたの我慢を。だから思いの丈、話しちゃってください。」
今考えると支離滅裂な発言である。
しかし、乙部さんはいきなりこちらに向けて歩いてきた。僕にもたれかかった。そして泣き出した。
僕は驚いた。
彼女は朝からおしっこを我慢していたそうだ。何度も行く機会があったが、尽く逃してしまったらしい。英語の時間は腹がパンパンで我慢の限界だった。しかし、先生に申告するのが恥ずかしく、我慢を選んでしまったそう。午後一人だけ体操服なのは恥ずかしくて消えてしまいたかったらしい。そりゃそうだよな。
ひとしきり、言ったあと、最後にか弱い細い声で、
「あぅ、あしたから、学校、いけるかな。私、もう無理だよ」
乙部さんは僕の制服に顔を押し付けながら泣いた。
僕は優しく彼女の体操服の上から背中をさすってあげた。
「僕が守ってあげる、この先何があっても。」
一緒に帰って将来の夢を語り合った。彼女がおもらししたことなんか忘れて。
だが、この先は二度と来なかった。次の日彼女は学校に来なかった。それっきり、僕と乙部さんとの交流は途絶えてしまった。僕は何を間違えたのだろうか。
セミの夏は短い。鳴き声も短い。それでも、僕の試練はまだ続く。そしてそれはとてつもなく長いだろう。あの夏の彼女の泣き声は、僕の耳に永遠に残っているし、この先も続くに違いない。
ハッピーエンドの作品はかなり多くありますが、実際、現実は厳しいものだと思います。
その「こと」が起こったときまでを書いて、その後はほったらかしが多く、その後の描写を書く人が少ないです。後の描写にこそ濃密な「本当の人間のドラマ」が現れると私は思っていますし、それに注目していきたいです。