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7.そして二人は幸せに暮らしました。



 エステルは差し出されたイグニスの手を、じっと見つめる。

 イグニスが他の女性と交際をしていた理由が、そんなことだったなんて、気が抜けるようだった。

 ゲームの強制力からイグニスもとうとう解放されたのだと安堵したのは確かだったが、好きな人が他の女性とお付き合いしているということに傷つかないわけがない。


(そんな理由だったなんて)


 ふと、短く息が抜けた。

 肩のこわばりが消えていくのを感じる。

 イグニスに今も愛されていることを喜んでいる。それを自覚した。


「エル、愛している」


 エステルは顔をあげ、狂おしい目で自分を見つめているイグニスと目を合わせる。

 そして、そっと手を伸ばし、イグニスの差し出された手の上にのせた。


「私も、愛してるわ」


 強く腕を引かれ、イグニスの胸の中にエステルは顔をぶつけるようにして、抱きしめられた。


「エル、エステル」


 ぎゅうっとイグニスの腕に抱きすくめられ、耳元に押し当てられたイグニスの唇から、苦しそうなぐらいの声が漏れる。

 ぐりぐりっと、イグニスの頭がエステルの耳から首筋に強く押し当てられた。

 まるでおぼれた人が生きることを求めてすがるような、そんな必死さと性急さと狂おしさがあった。

 イグニスの激情をなだめたくて、エステルはイグニスの背中に両腕をまわす。

 背中を優しくさすろうとして、びくりとエステルは動きを止めた。


「んっ!」


 イグニスの大きな手がエステルの後頭部を持ち上げるようにして、上向かされた唇を奪われていた。

 背中に回した手は、イグニスの服の背中をぎゅうっと握りしめる。

 息が苦しい、あまりにもイグニスの存在だけ押し付けられるようで、何もかもが苦しくて訳が分からない。


「エル」


 まだ唇が触れる距離で、イグニスが囁く。


「俺にキスされたくなくて、髪を切ったのか?」


 この四年、伸ばしっぱなしで長くなった髪を、イグニスの指が絡めとる。

 唐突に四年前のことを持ち出され、エステルは小さく笑ってしまった。

 イグニスは笑われたことが気に食わなかったのだろう、ぎゅっと唇を押し当ててきて、笑いを封じてしまう。


「あのとき、キスをしていたら、きっと四年も待ってくれなかったよ」

「……そうだな。卒業式に帰って来いと、お前を迎えに行くぐらいしたかもな」


 十六のイグニスなら、それぐらいやりそうだ。

 だからやっぱり、キスは回避して正解だったのだと思う。

 ただ、エステルはこの四年ずっと、イグニスのキスはどんな感じなのだろうと夢想をした。

 イグニスと結ばれないのなら、どうしてあの時に一度きりのキスを貰っておかなかったのかと、何度も後悔した。

 キスをしなかったことで、イグニスのエステルへの執着は拗れなかったかもしれないが、エステルのイグニスへの想いは高まったのかもしれない。


「エル、いつから俺のこと好きだった?」

「教えない。イグニスこそ、いつからだったの」

「俺にだけ話せって?」


 くすくすと笑い合って、唇を触れ合わせる。


「あっちで付き合ってた男、好きだったのかよ」

「付き合ってないよ。ただ二人で遊びに行っただけ。そもそも、なんでイグニスがそんなこと知ってるわけ? 私のこと、調べさせてたの?」

「調べるに決まってるだろ。留学延長して、男と付き合いだして、俺がどんな思いで我慢してたと思ってんだ」


 怖い顔になって、イグニスはかみつくようなキスをしてくる。


「今夜の晩餐会で、父上と母上に二人のことを報告だな」

「え?」

「結婚式、いつにする? 最速の日程でいいよな?」

「ちょ、ちょっと、イグニス!」


 ぐいーっと力を込めて、イグニスの胸を押して、二人の間に距離を作る。


「何言ってるの? 気が早すぎ! 結婚なんて、まだ考えられないわよ」

「考えろ今すぐ。俺は今すぐにでもエルと結婚したい。もう十分に待った」

「そんな! どうして再会してこんなすぐ結婚? おかしいわよ!」


 二人はその後、晩餐会の準備のために女中がやってくるまで、言い争いとじゃれ合いを続けていた。

 結婚のことについては、結局、どちらも主張を譲らず決まらなかったのだが。




 晩餐会のためにエステルがドレスアップを終える頃、イグニスが迎えに来た。

 入浴して髪を後ろになでつけ、王太子に相応しい煌びやかな衣装を身にまとったイグニスは、それはもう美々しく凛々しかった。

 エステルはそんなイグニスに、ぼうっとして見とれてしまった。

 なので、イグニスが国王と王妃の前で、エステルとの結婚話を持ち出したとき、すぐに止めることが出来なかった。

 我に返ったエステルが声を上げようとしたときは、もうすでに遅かった。

 国王も王妃も、エステルとイグニスの結婚を、心から喜んで祝福してくれていたのだ。

 こうなってはもう、結婚しませんとは言い出せない。

 そもそも、エステルだってイグニスと結婚するのが嫌なわけではないのだから。


(やられた!)


 じろりと横目でにらんだエステルの隣で、イグニスはとても嬉しそうにほほ笑んでいた。






 翌日。

 朝食を終え、一晩お世話になった客間をでるためにエステルが荷物をまとめていると、来客があった。

 王立学院の執行部での仲間、宰相の息子ウォーレンだった。


「やあ、久しぶりだね、エル」

「ウォーレン!」


 とても頭がよくて、王立学院でも筆記テストでは常にトップだったウォーレンは、文官として王城に上がり、父親である宰相の仕事を手伝っている。

 仕事が忙しくて婚約もまだだとは、昨日騎士のアドルフが教えてくれた。


「綺麗になったね、エル。もう王太子殿下の婚約者だから、こんなこと言ったらまずいかな。昨日は出迎え出来ずに悪かったよ。会議で抜けられなくて」

「いいのよ、ウォーレン。忙しいってアドルフに聞いたわ。活躍してるのね」


 文官だからか、イグニスやアドルフほどの外見の変化はない。

 ちなみに、魔法使いのデールは、四年前とまったく変わっていなかった。

 ウォーレンは四年前より体の厚みが増し、より落ち着いたように思える。


「君が帰ってきてくれてよかった。どこかの国に横取りされないかと心配していたんだよ」

「国のお金で留学しているのに、そんなことないわ」

「光の魔法使いになら、お金なんていくらでも出すという人は山ほどいる。他の国の王族が、君に結婚の申し込みをしたという話も聞いているよ」


 本当に、エステルの留学生活は、何から何までこの国とイグニスに筒抜けだったらしい。


「その報告が来たときは、こっちも大騒ぎだった。あと、君が留学の延長を求めてきたときと、恋人が出来たときもね」

「強引に帰国させろってならなかったのに、感謝しなければいけないのね」

「そうだよ。イグニスが止めてくれたんだ」

「イグニスが」


 意外だった。

 イグニスは嫉妬深いし、独占欲も強い。

 我慢したと昨日話してくれたが、周囲の説得までしてくれたのかと驚いた。


「エステルは俺が絶対に落とすから、心配するな! って言うのが、お決まりの文句」

「な、なにそれ!」


 ふふふと、ウォーレンが楽しそうに笑う。


「君との婚約が決まって、王城中がイグニスに拍手喝采してたの、知らなかった?」

「……なんとなく、感じたけど」


 昨夜、晩餐会の後、イグニスにエスコートされてこの客間に戻ったのだが。

 廊下にも階段にも人が大勢集まっていて、誰もが嬉しそうに婚約を祝福してくれた。

 まだなし崩し的に決まったばかりで、正式発表だってまだだというのに、どうしてこうなっているのか、エステルは目が回りそうだった。

 今冷静に考えてみれば、イグニスがわざと情報を流させたのだろう。エステルに婚約を承諾させるためにだ。

 それでも、二人の婚約を祝福してくれている彼等の気持ちは本物だった。


 エステルが荷物をまとめ終わると、ウォーレンがそれを持ってくれた。

 どうやら、今日の案内はウォーレンらしい。

 ウォーレンについて、エステルは廊下を歩きだす。

 護衛には、扉の横に立っていた近衛騎士が一人、後ろについてくれた。


「そういえば、オーレリア様はどうしているの?」


 卒業式での婚約破棄と断罪を逃れたというのに、結局は婚約解消してしまったオーレリア。

 ゲームは終わっているし、穏便な婚約解消だったので、修道院送りになったとは思わなかったが、心配ではあったのだ。


「結婚して幸せそうだよ。十五歳も年上の、大金持ちな商人の後妻になったんだ」

「ご、後妻?」

「年の近い貴族からの結婚申し込みもあったんだよ。でも、本人が断ったんだ。後妻になるのも、本人の熱い希望」


 ウォーレンが少しばかりあきれた口調で教えてくれたオーレリアのその後。

 妊娠出産は死ぬ確率があるので、絶対に嫌だと拒否。

 だから、跡継ぎを欲しがっている貴族の家には嫁ぎたくない。

 貴族の後妻だと、家のために社交をしなければならないのが、苦痛。

 笑顔の向こうで何を考えているのかわからないのが不気味だし、うっかり陰謀に加担させられそうで怖い。

 それで、大金持ちの商人の後妻になることを希望した、のだそうだ。


「オーレリアって、子供の頃は自由で考えなしなところがあって、でもすごく運が良くてね。どんな危険なことをしても大丈夫って感じだったんだよね。失敗したことないと、怖いものなしだろ。無鉄砲さもなおらなくて、どうなることかと思っていたら、大人になって子供のときのぶんも怖がりになったよ。考えすぎて動けなくなってるしね」


 予言の乙女だった弊害は、こんなところにあるらしい。


「でも結婚して落ち着いたよ。父親ほど年の違う夫に守られて、好きなことだけしてるらしい。奇抜な商品を開発して売り出してたりね」

「ご本人が幸せならなによりだわ」


 ふと、エステルは違和感を持った。

 ウォーレンは王城の奥へと、進んで行っているような気がする。

 廊下の内装はどんどん豪華になっていくし、近衛騎士は多くなっているし。


「ウォーレン、今日の予定では、私、魔法省の寮に行くことになっているんだけど」


 昨日、エステルの秘書になるという女性から、そう説明があった。

 寮に案内するので、荷ほどきをして、必要なものがあったら申し付けてくださいとか、言われたはず。


「あ、それは中止」

「中止? どうして?」

「すぐわかるよ」


 一度、外に出た。といっても、屋根のある渡り廊下を進み、別邸に入る。

 もしかして、王城内の別邸に住むことに変更になったのかと思ったが、それにしては豪華すぎる別邸だった。

 しかも、一人暮らしにはあまりにも大きい。


 近衛騎士で厳重に警備されている扉を抜け、別邸の中に入ると、なにやら騒がしかった。

 大きな声に、大勢の人が動き回っている気配。


「イグニス?」


 大きな声には、聞き覚えがあった。


「正解」

「もしかしてここ」

「そう、王太子の別宮。エルは今日からここに住むことになった」

「冗談でしょ?」

「本当」


 にっこり笑顔のウォーレンに、エステルが顔がひきつらせる。

 回れ右して来た道を戻ろうとする。


「エル、諦めたほうがいい」


 どこか笑い交じりのウォーレンの声に、エステルは足を止める。

 肩越しに振り返って睨むと、ウォーレンはおどけた様子で肩をすくめた。


「この四年、イグニスは驚くべき忍耐力で君を待った。反動は大きいよ。あいつの性格、君だって知ってるだろ?」


 イグニスは、まさに火の使い手だ。

 短気で怒りっぽくて、感情的になると手が付けられなくて。


 でも、耐えるところは耐え、踏みとどまるべきときはそう出来て。

 熾火のようにずっとエステルを愛してくれていて、炎のような激しさで情熱的に求めてくれてもいる。


「エル! 来たのか!」


 部屋から出てきたイグニスが、エステルの姿を認めて、ぱっと笑顔になった。

 そのままエステルに大股で歩み寄り、ぎゅっと胸の中に抱き込まれる。


「今、大急ぎでお前の部屋を整えていたところだ。部屋の内装の希望はないか? カーテンや壁紙の色を見てくれ。気に入らなければ変えるから」

「イグニス、私、同居なんて許可してないよ」

「同居は決定だ。どうしても嫌なら、今日にでも結婚式をしてやる」

「どうしてそうなるの。もう。私の気持ちが追い付かないんだってば」


 なんでも決められてしまって、エステルは複雑な気持ちだった。

 エステルだってイグニスを愛しているのだから、結婚はしたいし、いずれ同居もしたい。

 だが、こんな風に一方的に決められて流されていくのは違う。


 すねたように頬を膨らませ、エステルはイグニスを押しやった。

 ひどく甘えた仕草だったのだが、エステルはそれに気づかない。

 イグニスはほほ笑んで、エステルの膨らんだ頬を手の中に包み込んだ。


「時間が必要なら、ほしいだけやる。気持ちが追い付くまで、寝室の扉には鍵をかけるといい。だが、同居はしてくれ。お前がそばにいると、俺を安心させてほしい」


 再びイグニスの胸の中にすっぽりと抱きつつまれ、ひどく優しい声で囁かれ、エステルは負けを認めるしかなかった。


「結婚式まで鍵はかけるから」


 イグニスだけ聞こえるように、ぽそりとつぶやく。

 くくくと笑うイグニスは、余裕たっぷりという感じだ。

 きっと、結婚式前に鍵を開けさせてやると考えているのだろう。

 エステルはイグニスの背中に腕を回し、拳でドンと背中を叩くと、一緒にくすくすと笑いだしていた。







最後まで読んでくださってありがとうございました。

主人公至上主義者が書いた、悪役令嬢ものでした。

楽しんでいただけたでしょうか。

よかったら、星評価をお願いします!


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