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6.薄情者と怒られました。



 王太子イグニスも、すっかり逞しい大人な男らしい体つきに成長していた。

 縦にばかりのびて、薄っぺらだった十六のときとは、なにもかも変わっていた。

 もしかしたら、十六からまだ背は伸びたのかもしれない。

 見上げるような背の高さと、広い肩幅、分厚い胸板、太い腕。

 燃え上がるような見事な赤い髪も伸びて、首の後ろで一つに結ばれている。

 何も変わらない青い瞳が、エステルをまっすぐに見つめ、笑みを浮かべた。


「出迎えられなくて悪かった」


 イグニスに見とれてしまったエステルは、ただこくりと頷くだけで精一杯だった。


「いつ戻られたのですか、殿下」


 近衛騎士に相応しい口調で話し出したアドルフに、エステルは少しだけ驚く。

 学院時代、幼馴染だったアドルフたちは、イグニスに敬語を使わず気安い態度で接していた。

 エステルは幼馴染ではなかったが、エステル以外は全員がそうで、全員が気安い態度だったので、エステルも同じように接するようにと言われたのだ。


「本当に今さっきだ。エルは魔法省にいたので、ここで待つことにした」


 イグニスはアドルフの口調に驚くこともなく、ごく普通に受け止めている。

 この場に他の近衛騎士がいるからだろう。子供の頃とは違うのだ。


「出かけていたんですか?」

「北の山にな。今年は北の魔物が多い」


 そう言われてみれば、イグニスは騎士服姿だ。

 腰には剣も下げている。北の国境に魔物退治に出ていたのだろう。


 この国の王族は、王城の奥の玉座に座って政務をするのではなく、剣を持って騎士団の先頭に立つ。

 王家には、火の使い手が生まれやすい遺伝がある。

 火の力は、他の力よりも攻撃力が圧倒的に高く、戦場に強力な火の魔法使いが一人いるだけで、その勝敗が左右されると言われるほどだ。

 イグニスは王家でも史上最強ではないかと言われるほどの火の魔法使いであり、学院に在学中は剣術体術ともに圧倒的な常勝を誇っていた武人でもあった。

 学院卒業後はすぐに実戦に参加し、圧倒的な火力で魔物を蹴散らしていると、エステルも聞いていた。


 強力な火の使い手で、剣も強く、明るくて豪胆なイグニスは、この国の人々に愛されている。

 その人気と実力で、イグニスは今や王太子としての地位を確固たるものにしていた。

 王立学院に通っていた子供の頃、強すぎる火の力のせいで、イグニスは感情的に不安定なところがあった。

 自分の感情を制御できず暴走してしまった火の使い手が、自らの火で焼死するという痛ましい事故は、それほど珍しいことではない。

 魔法力が強ければ強いほどその可能性は高く、強い火の魔法使いは成人前に死んでしまうことが多いのだ。

 イグニスも成人する前に焼死してしまうことになるのではないかと、一部で不安視されていた。


 だが、二十歳になったイグニスは、とても安定したように見える。

 逞しく精悍な立ち姿には、王太子としての自信が見え、カリスマ的な魅力にあふれていた。

 四年でますます魅力的になったイグニスから、エステルは目が離せなかった。


 イグニスがアドルフに軽く頷いて見せる。

 それを受けて、アドルフは二人に一礼して、部屋を出て行った。

 二人だけを残し、部屋の扉はぱたりと閉ざされてしまう。


「エル」


 二人きりになって、イグニスは大股でエステルのそばに近づいてきた。

 思わず下がってしまいそうになったエステルの腕を、イグニスの硬い指がぐっとつかむ。


「この、嘘つきの薄情者。何が卒業式に帰ってくるだ。嘘つきやがって」

「なっ」

「三年で終わる留学だって、一年も延長しやがった。俺がせっせと魔物退治している間、お前は楽しくやってたんだろうな」

「あ、それは、遅くなってしまってごめんなさい。でもあと少しで、完全なる『聖なる守護』を会得できそうだったから。私が帰国しないせいで、あなたが危険な魔物退治をしなければならないということは、ちゃんとわかっていたのだけれど。長い目で見れば、あと一年で会得したほうがいいと思って」


 光の魔法使いが不在のこの国では、魔物からの防御をすべて人の手で行わなければならない。

 そのために強力な騎士団がいくつもあるのだが、戦闘によって騎士団に負傷者がでることもある。

 きっと、エステルが一年早く帰国していれば、怪我をしなくてすんだ騎士もいるだろう。

 これについては、エステルも悩んだのだ。

 だが、責められても仕方がないこと。特に、最前線で魔物退治をしているイグニスには、エステルを責める権利がある。


「ち、違うっ! 俺が言いたいのは、そうじゃなくて」


 エステルがしゅんと俯くと、イグニスは途端に慌てだした。

 なぜ慌てるのかと、エステルが顔を上げてイグニスと目が合うと、なぜかイグニスは顔を真っ赤にした。


「イグニス?」

「違う、お前を責めたんじゃない。ただ俺は、……お前、恋人が出来たんだろ。デートしてたって。だから、俺は、くそっ」


 イグニスはエステルから手を離し、真っ赤な顔を背け、くるりとエステルに背を向けてしまう。

 エステルが帰国を一年伸ばしたから魔物退治が大変だったのだと責めているのではなく、留学中にエステルは恋人が出来て楽しく勉強していたんだろうと、嫉妬しているということだ。

 相当に恥ずかしいらしく、イグニスの耳は真っ赤に染まっていた。


(それって、イグニスは今も私が好きだってこと?)


 封印していたイグニスへの想いが、反応してうずきだす。

 じくじくと少しの痛みを持って、イグニスへの想いが久しぶりにエステルの全身へと広がっていく。


(でも、これはゲームの後遺症じゃない?)


 それに、イグニスは数多くの女性と浮名を流していた。

 エステルのいないところでは他の女性に愛を囁いていたのに、エステルが現れた途端、まるで離れていた四年間、エステルを想っていたような態度はおかしい。


 エステルが何も言わないので、イグニスは不審に思い、肩越しにちらりと振り返る。

 そして、エステルがとても難しい顔で黙り込み考え込んでいるのに気が付いて、ゆっくりと体ごと振り返った。


「俺が今もエルを愛しているのは、ゲームのせいだと思ってるのか?」


 驚いてエステルがイグニスに視線を向ける。


「すべて、オーレリアから話は聞いた。婚約を破棄するときにな」


 もしかしたらと思っていたエステルは、あまり驚かなかった。

 エステルに手紙を書かないように、アドルフに言ったというイグニス。

 しかも、オーレリアとの婚約を破棄した頃だというから、婚約破棄をするためにオーレリアが事情を説明した可能性は高いと思っていた。


「……それでも、私を愛していると、イグニスは言うの?」

「ああ、何度でも言ってやる。俺は誰にも操られてなどいない。強制されてもいない。エルを愛している。……だがお前は信じないだろうとも思ったさ」


 イグニスは腕を組み、ふっと息を吐くように笑った。


「オーレリアの話を、俺だって最初はまったく信じられなかった。だが、一言一句同じだったな」

「……告白の言葉?」

「そうだ。オーレリアから聞いたとき、恥ずかしくて死にそうになった。俺、そんなにありきたりな言葉しか言えなかったかって」


 そんなことはない。ありきたりなんかではなかった。

 だが口に出して言えなくて、エステルは首を横に振って見せた。


「お前も俺に何て言われるか知ってたんだろ? 悪かったな。予定通りのことしか言ってやれなくて。だが、あの時の俺にとって、あれは誰かに言わされた言葉じゃなくて、嘘偽りない俺の真実だったんだ。とはいえ、お前は信じられないだろうなとは思ったよ。だから、どうすれば信じてもらえるか、色々考えた」


 とにかく一度、エステルと距離を置くことは必要だと、イグニスも思えた。

 ゲームは終わったのだとエステルを安心させたくて、仲間たちにも声をかけ手紙を書くこともやめさせた。

 そして、イグニスはエステル以外の女性にも目を向け、何人かとお付き合いをしてみたのだそうだ。


「ずっとお前だけだって追いかけていたら、ゲームのせいだって思うだろ? だから、他の女性と付き合ってみた。それでお前を忘れて、他の女性を愛するのなら、それはそれでいいとも思った。……俺も正直不安なところもあった。お前を愛しているのは、誰かにそう思わせられているからじゃないかってな。だから、他の女性を愛そうと思ったんだ。だが結果はこのとおり、愛しているのはエルだけだと再確認することになった」

「ゲームの強制力かも」

「そうかもしれないな。俺も否定はできない。だが、ゲームは終わっている。それでも、俺はエルを愛している。きっとこのまま、一生、お前を愛し続けるよ。だったらこの想いは、本物と何も変わらない。そうだろ?」


 イグニスは、エステルへと手を差し出した。

 手の平を上に向け、ダンスを誘う時のように。


「エル、愛している。俺を信じろ。俺はお前を愛していると確信している。俺を愛しているのなら、一緒に進もう。俺たちだけの未来へ」




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