1.この世界はゲームなんだそうです。
エステルは、侯爵令嬢オーレリアの私室に招かれていた。
平民のエステルにとって、侯爵令嬢であり、王太子の婚約者であるオーレリアは住む世界の違う人だ。
学院の同じクラスに所属しているため、廊下ですれ違えば挨拶はするが、二人きりで会うことなど今日が初めてだった。
二人は同じ王立学院の最高学年四年生。卒業まであと半年。
全寮制のため、エステルが招かれたのは、オーレリアの寮の部屋だ。
学院内では学生は身分関係なく平等に扱われるという考えのため、寮の部屋は全員が同じ広さで同じ間取り。
オーレリアの部屋もエステルと同じ間取りだったが、置いてある家具のランクがまるで違うため、同じ寮内とは思えなかった。
二人がティーテーブルに向かい合って座ると、オーレリアは前置きなく、いきなり話し出した。
「このままだと、私は卒業式後のパーティーで、王太子殿下に婚約破棄されて、修道院に送られるの」
真顔でとんでもないことを話し出したオーレリアの顔を、エステルは唖然と見返した。
「突拍子もない話だと思っているでしょうね。でも、本当なのよ。私は修道院に送られるんだけど、その途中で賊に襲われて死んでしまう運命なの」
「あの、オーレリア様?」
「これまで、そうならないように努力してきたのよ。殿下に嫌われないように、あなたにあまり関わらないように。いくつかフラグも折ったし、断罪エンドはないと思っていたんだけれど、この世界の強制力はとても強くて逆らいきれなかったわ」
エステルには理解できない単語を使って話すオーレリア。
相槌をうつこともできず、エステルはただ聞いているだけになった。
「もうすぐね、最後のイベントが起きるの。そのイベントを通過すると、あとはもう卒業パーティーでの断罪まで一直線。私は死ぬ運命になる。こんなこと、あなたにお願いするのは間違っているとわかっているけれど、私も死にたくはない。この流れを止められるのは、この世界のヒロインであるあなただけ。どうか、私の話を聞いてほしいの」
わからないながらも、断罪だの死ぬだのと真顔で言われては無視できない。
こくりと頷いたエステルに、オーレリアはほっとした顔になって話し始めた。
エステルには信じられない、信じたくなどない、この世界の恐ろしい仕組みについて。
この世界はゲームなのだと、オーレリアは話した。
子供たちが遊ぶ、ボードゲームのような世界らしい。転がしたサイコロの目で行き先が決まり、止まったマスの指示に従い、一番にゴールした者が勝ちというやつだ。エステルも子供の頃、友達と一緒にボードを作り、サイコロで遊んだ記憶がある。
エステルは、そんなボードゲームのマスに従って、人生を歩んでいるのだそうだ。
そして、オーレリアはそのボードゲームのマスやゴールについて、すべてを知っているのだという。
「サイコロの目にかかわらず、必ずストップする大きなマスってあるわよね。その大マスでのイベントやあなたの選択によって、目指すゴールが変わっていくの。あなたの未来が変わってくる」
「私の人生がすべてボードゲームになっているんですか?」
「いいえ。あなたがこの学院で二年生になったときから始まっているわ。正確には、生徒会執行部に入ったときから。そして終わりは、この学院を卒業するとき。ゴールは五種類あるの。聞きたい?」
まだ半信半疑のまま、エステルは小さく頷く。
「一つは、王太子殿下と結婚して、王太子妃になること」
「は?」
エステルは思いっきり不信な声をあげてしまう。
淑女にあるまじき態度を、オーレリアは見なかったことにしてくれたらしく、無反応で先にすすんだ。
「生徒会執行部のアドルフ様と結婚する。同じくウォーレン様と結婚。同じくデール様と結婚。残る一つが、誰とも結婚せず、魔法省に就職して、光の魔法使いとして大成すること」
「……あの、私の未来予定は、最後の就職だけなんです。それ以外はありません」
「そうね。今のあなたに残っている選択肢は、就職か王太子殿下と結婚の二つだけよ。他の選択肢はすでに消えているもの。あなたが選ばなかったから」
エステルはこくりと息をのむ。
オーレリアは知っているわよという目で、エステルを見る。
「あなたに最初に接近したのは、デール様。魔法省大臣の息子であるデール様は、入学前から光の魔法使いであるあなたに興味を持っていて、あなたに惹かれるのも早かったわ。何度も一緒に魔法の練習をしよう、勉強をしようと誘ってきたけれど、あなたはすべて断っている」
「それは、当然です。デール様はとても素晴らしい魔法使いで、私のような者と一緒では、訓練にも勉強にもなりません」
「騎士団長の息子、アドルフ様は、あなたにとてもストレートな告白をしているはず。真面目で誠実な人だから、あなたの前で膝を折り、永遠にあなたを守り愛すると言ってくれた。でもあなたは受け入れなかった」
エステルはきゅっと唇をかむ。
デールがエステルを誘っていたのは、デールに近い人ならだれでも知っていること。
だが、アドルフが告白してきたことは、きっとエステルしか知らないはず。
「……どうして」
「生徒会執行部の役員は全員、あなたに恋をする設定なの。あなたが恋を選ぶか、光の魔法使いになることを選ぶかというゲームなの。宰相の息子、ウォーレン様は、あなたを愛していると口に出して言わない。なぜなら、王太子殿下の気持ちを知っているから遠慮しているのよ。でも、卒業して大人になる前に一度だけと、あなたに言ったわ。自分より頭のいい女性が好きだと。最後の期末試験で自分を負かす女性が現れたら、どんな犠牲を払ってでもその女性と結ばれるために努力すると。自分を愛しているのなら、勝ってほしいと、そういう意味よね。でも、あなたは勝たなかった。昨日発表された期末試験の結果は、一位が王太子殿下、二位がウォーレン様、三位があなただった」
ウォーレンはとても賢くて、口も堅い人だ。
エステルとのことを軽々しく人に話したりしないと、自信をもって断言できる。
それなのに、オーレリアはまるで隣にいたかのように、すべてを知っていた。
「王太子殿下は、ウォーレン様に勝ちを譲られたと怒っていらしたわ。入学以来不動の一位だったウォーレン様が、勝ちを譲りたかったのはあなただったのに。でも、あなたは勝たなかった。ウォーレン様を選ばなかった。だから、私、どうしてもあなたに会わなければならなくなったの。ウォーレン様を選ばなかったあなたに残された選択は、あと一つだけになったから」
「……王太子殿下、ですか」
「ええ、そうよ。あなたが殿下を選んだら、私は卒業式後のパーティーで婚約破棄をされ、修道院に送られる途中で死ぬの」
「選ばなかったら」
「あなたは魔法省に就職することになる。私は、殿下と結婚することになるでしょうね」
今まですべて断定口調だったのに、オーレリアは急にあやふやな口調になった。
「ゲームの後のことはわからないの。私が知っているのは、私たちが卒業するまでのことだけ」
エステルが誰と結ばれれば一番幸せになるか、それはわからないと言う。
「私、あなたが殿下とのゴールに行かないように、邪魔をしようとしていたのよ。ごめんなさいね。だって、そのゴールだけは、私が死ぬことが決まっていたから、どうしても避けたかったの。でもどうやっても、決まっていた通りに未来が動いていくの。世界がそうあるべきだと、動いているみたいだった。ゲームのルートどおりになるように、強制力が働いているみたい」
「邪魔って……」
「最初は、あなたが生徒会執行部に選ばれないように頑張ったわ。あなたでなく私が選ばれれば、このゲーム自体が始まらないと思って。でも、駄目だった」
生徒会執行部のメンバーは、その学年の成績優秀者が選ばれる。
学業の成績が良い者を上から三名。魔法の優秀者一名。武術の優秀者一名。
入学時、エステルは成績優秀者ではなかった。平民のため、入学前にそれほど勉強をしていなかったからだ。
幼い時から家庭教師について勉強してきた貴族の子供たちには勝てなかった。
だが、生徒会執行部のメンバーを決める二年生前期の試験では、ウォーレンに続く次席になった。
一年時は、首席ウォーレン、次席は王太子、三位はオーレリアだったのだ。
オーレリアはぎりぎりでエステルに役員の座を奪われたと言えるかもしれない。
「あなたが、殿下と親しくなるイベントを起こさないようにしたけど、やっぱり起きてしまうし。殿下はどんどんあなたばかりを見るようになっていくし」
「それは! それはないと思います」
さっきから、オーレリアは王太子がエステルを想っているかのように話しているが、二人の間にそんな感情はない。
「私は殿下のことを、あの、そんな風に思ったことも考えたこともないです。殿下も、同じだと思います。何も言われたことはないし、そういう雰囲気になったことだってありません。殿下には、オーレリア様という婚約者がいらっしゃるのですから」
「ありがとう。それに、ごめんなさい。あなたを責めているわけではないの。あなたが殿下に恋していないのは、私もよくわかっているわ」
「よかったです」
現実的なエステルは、平民の自分が貴族と結婚するのがどれほど大変か、よくわかっているつもりだ。
住む世界が違うのは、常識だって違ってくるし、考え方も価値観も違うことが多い。
そんな二人が、家族として一緒に暮らしていくのは、きっととても難しい。
だから、エステルは魔法省に就職し、しっかりと仕事をして稼ぎ、自分と同じ平民で優しい男性と結婚出来ればいいと思っている。
生徒会執行部の仲間たちはみんな大好きだが、それは仲間としてであって、恋愛感情ではない。貴族の彼等とどうこうなろうなど、考えたこともない。
「でも、殿下はあなたを愛している。それは間違いないの」
「オーレリア様」
「それこそ、この世界の強制力なのかしら。だって、生徒会執行部の全員が、あなたに恋をしたでしょう? 設定どおりに」
「…………」
「この世界で、強制力がかからないのは、あなただけ。あなただけが、自分の意思で選択が出来る」
それはとても残酷な言葉だった。
だが、オーレリアにはそれがわかっていないらしい。
彼女は彼女で、その強制力に抗おうとして必死なのだろう。自由なエステルの心情など、二の次なのだ。
生徒会執行部の全員がエステルに恋をして、その中からエステルが相手を選ぶゲーム。
では、彼等のエステルを想う気持ちは、本物ではないということだ。
この世界がそうするように強制しているから、彼等はエステルによくしてくれて、時に愛を囁き、優しくしてくれている。
(おかしいと、思っていたのよ)
彼等は貴族の中でも高位で、能力も高く、容姿も整っている。
女子の中ではいつも人気で、彼等が声をかければ、どんな美女だって頷くだろう。
それなのに、ただ光の魔法を使えるというだけの、平民なエステルに求愛してくるなんておかしいと思っていたのだ。
うっかり図に乗ったりしなくてよかったと、ずきずき痛む胸の中でつぶやく。
あんなふうに優しくされて、甘く見つめられたら、どんな女の子だって勘違いしてしまう。
勘違いして図に乗って、痛々しい女にならなくて、本当に良かった。
「この後で起きる最後のイベントで、あなたは殿下に告白されて、殿下を意識するようになるの。殿下の告白にどう答えるか、あなたは悩むことになる。殿下との未来を選択すると、卒業式で告白の返事をするの。あなたに愛していると告白されて、殿下は嬉しくて舞い上がっちゃって、その勢いで私との婚約を公開破棄することになるんだけど」
断罪というのは、オーレリアが王太子と親しくなるエステルにいじめをしていたことだという。
だが、エステルはオーレリアにいじめられた覚えはない。
「私のお友達が何人か、あなたに陰湿ないじめをしたわ。ごめんなさいね」
「それは、オーレリア様には無関係ですから」
平民のくせに生徒会執行部の役員となり、王太子たちと親しいエステルは、よく嫌がらせをされた。
仕方がないことだと、エステルはもう諦めているし、学年が上がるごとにそういったことは減っている。
オーレリアがそういったことに関わっていると思ったこともない。
「この世界の強制力を甘く見ては駄目。きっと、あなたにいじめをした子たちは、私に指示されたと証言するに違いないわ。それに、卒業まであと半年あるから、その間に私が何かやらかすのかもしれない」
「そこまで、ですか」
「ええ、そうなの。だからこうして、あなたに会いに来たのよ。私を救えるのは、あなたしかいないの。あなたが殿下をお断りして、魔法省に就職する未来を選択してくれないと、私は破滅する。だからお願い、私を助けてほしいの」
オーレリアはエステルの前で、深く頭を下げた。
「顔を上げてください、オーレリア様」
黒髪の巻き毛に緑の瞳。オーレリアは王太子の婚約者に相応しい、とても美しく気品のある侯爵令嬢だ。
この学院で王太子との婚約が破棄されるなどと噂する者は一人もいない、お似合いの二人。
エステルだって、王太子が婚約破棄して自分を選ぶような未来があるなんて、想像してみたこともなかった。
オーレリアを陥れるようなことも、王太子を横取りするつもりも、エステルにはない。
「私は具体的にどうすればいいんですか? 詳しく、教えてください」
そう返事をすれば、オーレリアは涙を浮かべ、ありがとうと笑顔を見せた。