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ラストフィルム  作者: 松風いずは
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おもいでがいっぱい

修学旅行が終わったことでその熱気も収まり、学校にはいつも通りの日常が戻っていた。本格的な寒さを迎え、背中を丸め始めた。そして、気付けば冬休みを間近に控えていた。

そんなとある冬晴れの日に幸運は突然舞い降りてきた。俺は弁当を食べるために屋上へと向かった。ただいつもと違うのは今日は一人だった。哲平も浩介も今日は学校に来ていない。浩介は昨日からインフルエンザを患って学校に来ていない。その事を一緒になって笑っていた哲平も今日は学校に来ていなかった。恐らく、趣味のバイクにでも跨がってツーリングにでも行ってるのだろう。一人が寂しいと言う訳ではないが、どこか退屈だった。最近は寒くなってきたので教室で食べていたのだが、自分だけ一人で食べるのはさすがに虚しいと思ったので、わざわざ屋上にやって来た。屋上の扉を開けると冷気が襲ってきた。首を出来るだけ引っ込めて風から守った。寒いことには寒いが、今日は晴れていてまだ暖かく屋上で食べるのは特に問題ないと思えた。屋上で適当な場所を探して座り、風呂敷を広げた。割り箸を割っていざ食べようとした時に後ろから声が聞こえた。

「やっぱりここにいた」

まさかの声の主に俺は危うく割り箸を落としそうになった。胡座をかいていたので、首だけ後ろに向けて声のする方に顔を向けた。そこには片桐が立っていた。

「どうしてここに?」

「誰かさんが寂しそうにひとりぼっちで教室を出るから、気になって追いかけてきちゃったんだよ」

「別に寂しくなんかねぇよ」

「ふーん。まぁいいや。せっかく、ここまで来ちゃったし、一緒に食べて良い?」

片桐は手に持っていたお弁当を掲げながら聞いてきた。

「良いけど」

俺は心の中で哲平と浩介に礼を言った。

「ありがとう」

そう言って片桐はちょこんと俺の隣に座った。

まさか片桐と一緒に弁当を食べられる日が来るなんて夢にも思っていなかった俺はこれが果たして本当に現実なのか、確認するために思いっきり頬をつねった。

「何してるの?」

片桐が少し怪訝そうな顔をした。

「ん。いや、寒いから、ちょっと寒さを和らげるためにな」

「それって眠い時とか夢か現実か確認する時にやるものじゃないの?」

「ま、まぁ細けぇことは良いだろ。それより早く食べようぜ」

「そうだね」

二人で手を合わせていただきますと言って弁当を食べ始めた。

「もうすぐで冬休みだね」

お弁当を食べ終えた俺達は和やかに談笑していた。

「早く正月来ねぇかな」

「どうせお年玉が貰えるから早く来てほしいだけでしょ」

「何で分かるんだよ」

「だって、単純なサブローの考えそうなことだし」

「皆そんなもんだろ」

「そうかもね。でも、お正月の前にまだ大きなイベントがあるでしょ」

そう言われて少し考えた。すぐに答えは出た。

「クリスマス?」

「ぴんぽーん」

「別にクリスマスはあんまり関係ねぇだろ。サンタからプレゼント貰える年でもねぇし」

「サンタさんからプレゼントは貰えなくなるけど、これからは恋人に貰ったり贈ったりするようになるじゃない」

恋人と言う単語に反応してしまう。

「あ、ああ。そうかもな」

そう言えば、学校全体でカップルが多くなってるような気がしていたのも、このクリスマスのせいかと思った。

「クリスマスって単語がロマンチックだよね」

「そうだな」

チラッと片桐を見る。もし、片桐と恋人だったとしたら、俺は彼女とどこか出掛けているのだろうか。しかし、ロマンチックとは程遠いこの俺にクリスマスとは言えロマンチックなことが出来るとは到底思えない。

「私もいつか好きな人とクリスマス迎えてみたいな」

片桐は少し遠い目で染々と言った。

てことは、今の時点ではその予定が無いと言うことに安堵している自分がいた。

「サブローはクリスマスは何して過ごすの?」

「別に何もねぇよ」

いつからかクリスマスなんて物は俺の中から消えていた。好きな人と過ごすクリスマスなんてそれこそ小説や漫画の世界だけだと思っていた。

「そっか。じゃぁ、私と同じだね」

片桐はニコッと笑った。

「あ・・・・・・」

俺はこの時片桐を誘おうかと思った。

「ん?どうしたの?」

「その・・・・・・」

しかし、どうしても誘い文句が口から出てこない。

「サブロー?」

「いや、そのなんだ、いつかそう言う日が来ると良いな」

俺は自分で逃げたと思い情けなくなった。

片桐はどこか寂しそうに笑うとこう言った。

「それさっき私が言ったよ」

「そうだな・・・・・・」

沈黙を破るように昼休みを終えるチャイムが鳴り響いた。

「あ、チャイム鳴った。教室に戻ろっか」

「ああ」

俺と片桐は屋上を後にして教室へと向かった。教室に戻るまでの間、俺の頭の中ではあそこで誘う勇気が出なかった自分をただひたすら責めていた。

「サブローどこ行くの?」

片桐に呼び止められた。ハッと見ると、いつの間にか教室の前を通り過ぎていた。

「どうしたのボーッとして」

「な、何でもねぇよ」

俺は恥ずかしくなり、さっさと教室に入って自席に座った。少しして片桐が隣に座り、コソッと呟いた。

「私は気にしてないよ」

「な、何がだよ」

だが、片桐はそれに答えず続けた。

「また一緒にお弁当食べようね」

俺は片桐の方を見た。片桐も俺を見た。そして、優しく微笑んだ。その時、体に当たる陽の光とはまた違う暖かさが俺の胸にじんわり広がった。


部活を終えて家に帰った私は着替えるのももどかしく、そのままベッドに仰向けに倒れた。自然とお昼の会話が甦った。クリスマスの話題を出したのは、無論サブローに誘ってほしかったからだ。来年は受験どころでクリスマスを楽しんでる余裕はない。だから、今年のクリスマスは一緒に過ごせたらと思ったのだ。だけど、サブローは誘ってくることはなかった。気にしてないと言ったが、やっぱり寂しさは感じていた。私から誘えば良いのに、遠回しに聞いてサブローを困らせたくなるのが、私の困った癖だった。誘わなかった自分も悪いし、落ち込んでいても仕方ないと思い直し、着替えて夕飯を食べた。

夕飯を食べ終えていた私は部屋で寛いでいた。すると、ドアをノックされお母さんが入ってきた。

「優子ちゃんから電話来てるわよ」

「分かったー」

私はベッドから起き上がり、電話に出るために一階に向かった。

「どうしたの優子?」

「あ、汐里?今、時間ある?」

「あるよ」

「クリスマスさ、私の家でパーティーするんだけど来れる?」

「パーティー?」

もしかして、七瀬君も誘っているのだろうか。そんな私の心を見透かしたのか優子が言ってきた。

「安心して。今回は女子だけの集まりだから」

「そう。良かった」

「私も有原君と過ごせないし、汐里も一人で過ごすより良いでしょ?」

私はクリスマスを一人で過ごすことに何とも思ったりしないが、優子は哲平君と過ごせないのが余程寂しいのだろうと分かった。

「分かった。私も参加するよ」

特に予定があるわけでもないし、優子の誘いを断る理由も無かった。

「良かった。クリスマスの日、13時に私の家に集合ね」

「うん。おっけー」

「あ、それと、プレゼント交換会したいから、プレゼント買ってきてほしいんだけど、良い?」

「もちろん。クリスマスに何も無しじゃつまらないもんね」

「ありがとう。じゃぁ、クリスマスにね。バイバイ」

「バイバイ」

受話器を置いた。

この時、一生記憶に残るクリスマスを過ごせることになるなんて、私は微塵も思っていなかった。


終業式を終えた俺は真っ先にSATへと向かった。今日も一人だった。浩介は後輩の女子と一緒に帰り、哲平は相変わらず式と言うものには来ない。このままでは卒業式まですっぽかすのでないかと心配になってくる。片桐はSATに行きたそうにしていたが、部活があるので来れなかった。今日は独りで過ごしたい気分だったので、正直ありがたかった。

店のドアを開けると、いつものように店長の陽二さんが爽やかに出迎えてくれた。

「お、サブちゃんじゃない。いらっしゃい」

「どうも」

俺は少し頭を下げた。

「調子はどうだい?」

「まぁぼちぼちです」

俺はいつも通りカウンターに座る。

「そうか」

陽二が水とお手拭きを持ってきた。お手拭きは暖められていて、冷えた手に気持ち良かった。

「今日は一人?」

「あ、はい」

「前に一度来てくれた汐里ちゃん。彼女は一緒じゃないのかい?」

いきなり片桐の名前が出てきたので、飲んでいた水が変な所に入った。

「一緒じゃないですよ。別にいつも一緒にいるわけじゃないし」

「あら、それは残念だ」

ちっとも残念がってるように見えない。むしろ、面白がってるように見えた。

「それより陽二さん。相談があるんですけど」

今日は一人でここへ来たかったのは、陽二に聞きたいことがあってのことだった。そしてそれは片桐には決して聞かれたくないものだった。

「相談?どんなこと?」

「実は・・・・・・」

俺はついこの間の昼休みの出来事を話した。

「ふーん。なるほどねぇ。その友人はそれでクリスマスを誘おうとしたけど、その勇気が出なかったわけだ」

「そうなんすよ。いつも大事な所でビビっちゃう自分が情けないって言ってました」

俺は自分のこととしてではなく、友達が悩んでいると言う体で話しをしていた。何故そうしたのかは明白だ。自分のこととして話すのが恥ずかしかったからである。

「まぁデートに誘うには勇気がいるからねぇ。しかも、クリスマスでしょ。相手にほとんど好きと言ってるようなものだからね」

「やっぱりそうなりますよね」

「でも、聞いた限りだとその相手の女の子は誘ってほしいって思ってた可能性はあるね」

「ほんとですか」

思わず声がでかくなった。

「あくまでも、可能性だけどね。その女の子は特に何も考えずに話しただけかもしれないし。今の段階では、絶対にそうとは言えないかな。ただ、その女の子がその友達のことを気になってるならあり得ない話しじゃないよ。その友達はその女の子から自分のことを気になられてるって感じたりはしてるのかな?」

陽二に言われてその場で考え込んだ。そんなこと一度も考えたことはなかった。改めて考えてみると気になられてるような気もする。しかし、優しい片桐のことだから特に何も考えずに話しかけたり、俺と仲良くしてくれてるような気もする。

「どうなんすかね。以前よりは仲良くはなってますけど、だからと言って、別に二人で遊んだりしたことがあるわけでもないですし、気になられてるって感じはあまりしてないと思いますよ」

「サブちゃんがそう思ってるなら、気のせいかもしれないね」

その言葉で落ち込んだ気持ちになった。

「どうすれば良いと思いますか?今更、クリスマスに遊ぼうなんて誘えないと思うんですよ」

クリスマスは三日後に控えている。時間的には今から誘うことは可能だ。だが、気持ち的に改めて誘う勇気が自分にはない。

「それなら、プレゼントだけでも渡したら?」

「プ、プレゼント?」

予想だにしてない答えだった。

「そう。クリスマス当日にサプライズで」

「え、いや、でも・・・・・・」

女子にプレゼントを渡すなんて人生で一度たりとも経験がない。

「女の子はサプライズに弱いからねぇ。クリスマスの日にサプライズでプレゼントを貰ったら、グッと心が掴まれる可能性は大きいよ」

「そうなんですか?」

「もちろん、貰う人によるし、貰う物にもよるけど、ある程度仲が良いならプレゼントは実に効果的だと思うよ。実際、それで僕は成功したこともあるしね」

陽二の話しに一理あるのは分かった。しかし、だからと言ってよしやってみようとはならなかった。何を選べば良いのか見当すらつかない。

「あくまで、一つの方法だから。絶対にそうするべきとは言えないけどね」

陽二はそう言って裏へと一旦姿を消した。俺はどうするべきなの迷いに迷い始めていた。小一時間考えても決断することは出来なかった。俺は深い溜め息をついて家に帰ることにした。

会計を終えて出口へと向かう。すると、後ろから陽二が声をかけてきてた。

「サブちゃん」

「はい?」

俺は振り返った。

「プレゼントに一番大切なのは気持ちだよ。好きな人の事を一生懸命考えながら選んだ時間も含めてプレゼントだからね。プレゼントをあげる人が本当に相手の事を思える人なら、自分が悩んで悩んで贈った物ならきっと喜んでくれると思うよ。ってその友達に伝えておいてね」

陽二さんのこのアドバイスは強く俺の心を揺さぶった。

「分かりました。ありがとうございます」

俺は頭を下げて店を後にした。

ずっと暖房の効いた部屋にいたので、外の冷えた空気が心地好かった。帰りながらもずっと片桐にプレゼントを贈るか贈らないかで悩んでいた。贈って片桐に嫌な顔をされる所を想像すると、贈りたくないと思うし、その一方で満面の笑顔になってくれたらと思うとやはり贈るべきかと心が傾く。終わらないシーソーゲームに段々と疲れてきた。いつの間にか、贈る贈らないではなく、こう言う煮え切らない自分をどうにかしたいと言う悩みにすり変わっていた。

家に帰ると玄関先で彩花が話しかけてきた。

「お兄ちゃん宛に片桐さんから何か届いてたよ」

「えっ」

「部屋の机の上に置いておいたから」

「お、おお。サンキュ」

そう言うと、彩花は階段を上って二階へと消えた。俺は靴を脱ぎ捨てて部屋へと向かった。部屋に入り、机の上を見ると、白い封筒がポツンと置かれていた。俺は丁寧にそれを開けて中身を取り出した。出てきたのは、綺麗に半分に折られた一枚の便箋と十数枚の写真だった。

「これは・・・・・・」

写真は修学旅行の物だった。班行動で撮った時のやつに、風景の写真、俺が一日目に奈良公園で寝ている写真まであった。

「何撮ってんだよ」

俺は思わず呟いた。しかし、決して嫌な気持ちにはならなかった。便箋を開くと小さくて綺麗な字が見事に整列していた。


サブローへ

余計なお世話かも知れないけど、焼き増しした京都の写真を贈ります。寝坊助サブローには笑わせてもらったよ。本当に楽しい修学旅行だったね。いつかまた行けるといいね。少し早いけどメリークリスマス。そして、良いお年を。

片桐汐里より


俺は何度も何度も読み返した。ほんの数行に収められ手紙だが、片桐からの直筆の手紙と言うだけで心が躍り、何故か涙が出そうになった。俺は片桐にクリスマスプレゼントを贈ることをその場で決意した。


クリスマスの前日。つまり、クリスマスイブ。俺は一人街へと繰り出していた。目的はもちろん、片桐へのプレゼントを買うためだった。しかし、いざ買おうと思っても何を買って良いのか全く見当もつかなかった。なので、昨夜、浩介にアドバイスを貰うために電話をしていた。からかわれるかと思ったが、浩介は至って真剣にアドバイスをしてくれた。浩介の主なアドバイスは二つ。まずはあげてはいけないものを教えてくれた。浩介曰く、アクセサリー類はダメらしい。重たいと思われるし、相手の趣味に合わなかったら付けるどころか一生棚にしまわれて出番はないそうだ。俺はそれを聞いて女は怖いなと思った。なので、アクセサリー類は除外。浩介が言うには、家に置いて置ける物や持ち運び出来る可愛くてお洒落な物。片桐ならよほどセンスの無い物じゃなければ机や棚の上に置いて置くはずだし、必ず使ってくれると言う事だった。どんな物が良いと聞いたが、それは自分で選ばなきゃ意味が無いと突き放された。少し恨んだが、確かに何から何まで浩介に頼ったら、それは浩介の贈りたい物を俺が代理で贈ることになってしまうことに気付いた。

そして今、街の雑貨屋に来ているのだが、案の定、迷いに迷っていた。一応、恥を忍んで妹の彩花にも聞いてみた。それでも迷ってしまう。彩花の話しでは、その人の好きなものだったり、それに関するものをあげたらどうだと言われたのだが、俺は片桐が一体何な好きなのかを分かっていない。何なら好きな動物すら知らない。思い返せば、お互いの事に関する話しをあまりしたことがない。いや、正確には俺が質問しないのだ。片桐が話す事を聞いているだけの事が多い。時には、俺に対してあれ好きか?これ好きか?と聞かれることはあっても、俺から片桐に対して何が好きなのかとか聞いたことがなかった。

それでも、何とか五つの候補を絞り出すことには成功した。ぬいぐるみ、ボールペン、キーホルダー、マグカップ、スノードームの五つだった。しかし、どれもパッとしなかった。パッとしないと言うより、何故か自分の心に響かない。自分自身に買うわけではないので、響く必要は無いのだが、それでも本当にこの中からで良いのかと言う迷いが頭から離れなかった。やはり贈るのを止めようかと頭によぎった時、何気なく歩いてた商品棚に目が止まった。その棚に置いてあったのはブックカバーだった。言うならば直感だろう。一目見てこれにしようと決まった。五つの候補は頭から消え去っていた。

どのブックカバーにするのも迷わなかった。手に取ったのはシンプルな黒いカバーだった。柄物やカラフルな色のもあったが、片桐は絶対にシンプルで落ち着いた色を好むはずだと勝手に思っていた。会計を済ませにレジに向かった。

「プレゼントですか?」

レジの眼鏡をかけた若い男性店員が聞いてきた。何気なく目に入った名札には出羽と書いてあった。聞いたこともない珍しい名前だったので、少し興味を覚えた。出羽は何て読むのだろうと思った。それにしてもこの店員、どうしてプレゼントだと分かったのだろうか。

「あ、えっと、そうです」

見抜かれた動揺もあり、少し声が上ずった。店員は気にする素振りを一切見せず、にこやかに続けた。

「かしこまりました。それではこの中からラッピング用の袋をお選びください」

せっかくなのでクリスマス用の袋を選び、会計を終えた。プレゼントを包んでるもらっている間は妙に鼓動が強まっていた。普段の買い物では決して味わうことのない緊張感を味わっていた。

「お待たせしました。このような感じになりましたが、よろしいでしょうか?」

店員が表と裏を交互に見せてきた。特に問題もなく無言で頷いた。

「お渡し用の袋を別に入れておきますね。大変お待たせ致しました」

店員は両手を添えて袋を差し出してきた。

俺は軽く会釈しながら商品を受け取った。感じの良い店員だったなと思った。そして、俺はドラクエでボスを倒したような大きな達成感を得ていた。しかし、問題はこの後だ。これを片桐に渡さなければ意味がない。最も難しいミッションだと思った。

無事に渡せるのか、片桐がどんな反応をするのだろうとずっと考えてしまい、ろくに眠れるまま、ついにクリスマス当日を迎えた。昼間に渡そうと考えていたのだが、昨日の夜に浩介から電話が来て、渡すなら太陽が沈んでからにしろと言う何ともロマンチック助言を承り、夕方以降に渡すことにした。

当然、プレゼントを渡すことで頭が一杯で何も手がつかず、腹も減らなかった。ようやく日が沈み始めたので、出掛ける準備を整えた。リュックにプレゼントを入れて玄関へ向かった。扉を開けようしたら彩花が声をかけてきた。

「お兄ちゃん」

「何だよ」

「頑張ってね」

彩花は胸の前で小さくガッツポーズをした。そして、照れ臭そうに笑ってすぐにリビングへと消えた。

妹の思いがけないエールが胸に染みた。俺は小さく笑って扉を開けた。

段取りは一応考えておいた。まずは片桐がいつも使っている最寄り駅まで行き、そこから公衆電話で片桐の家に電話をかける。本人が出たら、駅に来てほしいと頼むことにした。家まで直接行こくことも考えたが、クリスマスの日にいきなり家に行くなんて丸腰でラスボスに挑むくらいに無謀なことだと思えた。もし、来てくれなかったらと考えたが、その考えは振り払い片桐なら必ず来てくれると信じることにした。

片桐の最寄り駅に着き、改札を出て公衆電話を探した。公衆電話は難なく見つかった。コートのポケットから片桐の家の電話番号が書かれた紙を取り出して、電話の上に10円玉を五枚ほど積み上げた。一枚目を入れて少し震える手で番号を押した。この震えが決して寒さで震えている訳じゃないことを俺は分かっていた。コール音が鳴った。どうか片桐本人が出てくれますようにと願った。5コール鳴ると相手が出た。自然と受話器を握る手に力が入った。

「はい。片桐です」

その声は片桐汐里ではないことがすぐに分かった。声は女性だったが、大分嗄れた声をしていた。

「あ、すみません。片桐汐里さんの家で間違いないでしょうか?」

「そうですが。どちら様ですかい?」

相手の声に少し警戒が滲んだのが分かった。

「か、片桐汐里さんのクラスメイトで小林三郎と言います」

「ああ、あなたが三郎さんかえ?」

声が柔らかくなった。

「俺のこと知っているんですか?」

「ええ。ええ。いつも汐里から聞いてますよ」

片桐が家で俺の話しをしているなんて思ってもなかった。それだけに嬉しさが込み上げてきた。

「そ、そうでしたか。もしかして、汐里のおばあ様ですか?」

「はい。そうでございます。片桐ふみ江と申します」

最初の声を聞いた時からそうではないかと思っていたが、やはりそうだった。

「それで汐里に何か用でもあるのかい?」

「あ、はい。本人に聞きたいことがありまして、代わってもらえますでしょうか?」

「代わってあげたいんだけどねぇ。生憎、汐里は居おらんのですよ」

「えっ?」

一気に胸の中に絶望感が襲った。

「今日、お友達とクリスマスパーティーをするそうで。昼前には出掛けてしまったのですよ。夜まで戻ってこないと言ってたかねぇ」

「そ、そうですか」

「ごめんなさいねぇ。帰ったら電話するようにおくかい?」

「あ、大丈夫です。そんな大した事では無いので。こちらこそすみませんでした。失礼します」

「そうかい?あ、そうだ。一つだけ言ってもよろしいですか?」

「何ですか?」

「これからも汐里のことよろしくお願いしますね」

「あ、いえ、こちらこそお世話になってますので、よろしくお願いしてくれるように言っておいてください」

突然、何だろうと思った。

「汐里の言う通りだねぇ。では、いつかご縁がありましたら」

「は、はい。さようなら。ありがとうございました」

俺は暗い気持ちで受話器を置いた。少しの間、電話ボックスから出る事が出来なかった。外に出ると冷たい風が身に染みた。さっきよりも寒く感じるのは気のせいだろうか。この後どうするべきか悩んだ。プレゼント自体は学校が始まってから渡すことは出来る。しかし、せっかくクリスマスに合わせて用意したのだから、今日渡さなければ意味がない。俺の頭の中に帰ると言う選択肢は無かった。出掛けていると言うなら、この駅から出てくる可能性は高い。ならば、片桐が帰ってくるまでこの駅まで待っていることにした。片桐には家に電話して夜に帰ってくると言われたから、それに合わせて来たと言えば、ここでずっと待っていたことは秘密に出来るはずだ。

白い息を一つ吐いて駅舎に戻った。木のベンチがあったので、そこに座った。ポケットに手を入れて出来るだけ身を屈めた。冷たい風が容赦なく襲ってきた。現在は18時を回った所だった。最低でも二時間はここで待つことを考えたら心が折れそうになったが、片桐の嬉しそうな顔を見れると言う希望だけが今にも折れそうな心を支えてくれた。

白い息を何回吐き出したことだろうか。寒さが体の芯までに到達してきたような感じがしてきた。たまらず足を揺するが、あまり効果は無い。時間は20時半を過ぎていた。ここで待ち始めて2時間半も経っている。俺は一体何をしているのだろうと自問したくなる。何故こんな寒い思いをしてまで、プレゼントを渡さなきゃいけないのか。電車の音が聞こえる度に乗って帰ってしまおうかと何度も思った。それでも、もうすぐ来ると自分に言い聞かせて待ち続けていた。電車がホームに滑り込んでくる音が聞こえた。果たして、彼女は乗っているのだろうか。電車から降りてきて改札を抜けてきた人々を順番に流し見た。クリスマスとは言え平日なので、スーツを着た人間が目立つ。まだ来ないかと少し落胆を覚えたその時、見知った後ろ姿を見つけた。俺は勢い良く立ち上がった。間違いない。あの後ろ姿は・・・・・・

「片桐」

俺が声をかけると片桐は肩をビクッと震わせて立ち止まった。そして、ゆっくりと振り返った。俺の存在を認めた瞬間、その顔には驚愕の表情がみるみると広がった。

「サブロー・・・・・・どうして?」

片桐の声は強張っていた。無理もないと思った。まさかここに俺が居るとは夢にも思っていなかったはずだ。

「驚いただろ」

俺は少し手を広げて笑って見せた。俺はもう寒さなど忘れていた。

「そりゃ驚いたよ・・・・・・こんな所で何してるの?」

「片桐を待ってたんだよ」

「私を?」

今度は困惑した顔になった。表情がコロコロと代わるのがまた可愛かった。

「まぁそのなんだ、片桐に用があってさ」

「どうして私が駅から来るって分かったの?」

「いや、家に電話して出掛けてるって聞いたから、駅で待ってれば会えると思ったから」

「まさかずっとここで待ってたの?」

「そ、そんなわけないだろ。片桐のおばあさんから夜には戻ってくるって言われたから、少し前に来た所だよ」

「えっ。おばあちゃんが出たの?」

「そうだけど、ダメなのか?」

「おばあちゃん何か言ってなかった?」

片桐が何かを勘繰るような顔で言ってきた。

「家で俺の話しを聞いてるって言ってたけど」

「ほ、他には?」

初めて片桐の動揺を見たような気がした。

「他は別に。これからもよろしく的なことしか言われてねぇけど」

片桐は安堵したような表情を見せた。一体、どうゆうことなのだろうか。

「まぁいいや。それで、私に何の用なの?」

「ああ。そうだ。ちょっとこっちに来てくれるか」

俺は片桐とベンチの所まで戻った。そして、ベンチに置いてあったリュックからプレゼントを取り出して、片桐に差し出した。

「これって・・・・・・まさかプレゼント?」

ただでさえ丸い目を更にまん丸にさせて俺を見た。

「あ、ああ。そうだ」

恥ずかしくて片桐の顔をまともに見れなかった。

「これを渡す為にわざわざ駅で待っててくれたの?」

「そ、そうだよ。悪いかよ」

彼女は中々受け取ろうとしなかった。待ち伏せ作戦は気持ち悪かったかのだろうか。今更ながらに後悔してきた。

「どうしたんだ?」

俺は不安げに聞いた。

「ううん。感動しちゃって。まさかサブローがプレゼントを贈ってくれるなんて思ってもなかったから」

ようやく片桐は俺の手からプレゼントを受け取った。

「ありがとうサブロー」

俺が待ち望んでいた笑顔を片桐は見せてくれた。その瞬間、俺の心は空に舞い上がる羽根のように軽くなった。

「ね、これ開けていい?」

「ここで?」

「うん。サブローが何をくれたのか早く知りたいから。ダメ?」

どうしようか少し迷った。片桐の反応を見たいが、もしガッカリするような反応をされた時の事を考えると俺が居ない所で開けてほしい気もする。それでも、片桐の反応が見たい気持ちの方が勝ったので、開けるのを許可した。

「やった。何だろうな~」

片桐はベンチに座り、袋を縛ってある紐を丁寧に緩ませた。袋を開き片桐は嬉しそうに中身を取り出した。一瞬、キョトンとした表情を見せたが、すぐに物が何か気付いたようだ。

「これはブックカバー?」

「ああ」

「うわー。凄い嬉しい」

片桐は本当に嬉しそうに俺に顔を向けてきた。その笑顔はとても演技には見えなかった。俺は胸を撫で下ろした。

「どうしてこれにしようと思ったの?」

「ほら、片桐はよく本を読んでるからさ、こうゆうのが一つあっても良いんじゃねぇかって思ってよ。それに本も傷付けなくて済むし」

「そんなことまで考えてくれたんだ。本当にありがとう。大事に使うね」

また素敵な笑顔を向けてくれた。これだけでも待って渡した甲斐があったと思った。

「それにしても、サブローからプレゼントなんてびっくりだよ。しかも、クリスマスプレゼントだなんて」

「ほら、修学旅行の写真のお礼にってのもあるからよ」

「そうだとしてもだよ。嬉しいなぁ」

片桐は何度も嬉しいなと言いながら、ブックカバーを眺めていた。

「そんなに喜んでくれるだな」

「だって、初めてのクリスマスプレゼントだもん。そりゃ嬉しいよ。それに完璧なサプライズだし」

「クリスマスプレゼント貰うのは別に初めてじゃないだろ?」

「ううん。初めてだよ。ある意味ではね」

俺は意味が分からず首を傾げた。

「今は分からなくて良いよ。いつか分かる日が来ると思うから」

「そ、そうか」

「はー。こんな素敵なクリスマスを過ごせるなんて思ってもなかったな。浩介が電話で言ってたのはこうゆう事だったんだね」

「浩介のやつが何て言ってたんだよ」

「昨日の夜、浩介から電話が来てね。明日の夜に不器用なサンタがお前の前に現れるって言われて、どうゆう意味なのって聞いたけど、笑いながら流されちゃったけど、サブローの事を言ってたんだね」

「浩介らしいな」

俺は笑った。

「ほんと」

「今回の事で浩介には大分世話になったから、あいつにも何か礼をしねぇと」

「へぇ。どんな風に」

俺は浩介から受けたアドバイスを話した。

「ふーん。さすが浩介だね。凄い納得する」

「やっぱり、アクセサリー類はダメなのか」

「ダメじゃないけど、最初の贈り物って感じじゃないかな。もっとこう親密な関係になってからの方が贈る方も貰う方も良いとは思うよ」

「そんなもんなんだな」

「そんなもんなんですよ」

 目が合って二人して笑った。

それから俺達は寒さを忘れて会話を楽しんだ。俺は昨日雑貨屋で会った店員の話しをした。片桐も出羽と言う名前に興味を持った。頭の良い片桐も出羽を何て読むのか分からないみたいだった。

「さてと、そろそろ帰らなきゃだね」

気付けば時刻は22時を迎えようとしていた。高校生には遅い時間だ。

「そうだな。俺も次の電車で帰るよ」

「見送るよ」

「大丈夫だよ。親も心配してるだろ」

「もう駅にいるし、ここから家は遠くないから大丈夫。それに見送りたいから良いでしょ」

そう言われて断れるはずもなかった。見送ると言ってもすぐそこの改札までだから、大して問題はないかと思った。

「ちょっと待ってて」

そう言って片桐は駅員の所へ行って話しかけた。何度かやり取りした後、片桐はそのままホームへと抜けた。

「何してるんだよ」

俺は驚き聞いた。

「ほら、早く来て。電車来ちゃうよ」

片桐が手招きをした。俺は急いで切符を改札に入れて通った。

時間も時間なのでホームには俺ら以外に誰もいなかった。

「何してるんだよ」

全く同じ質問を繰り返した。

「何って見送るって言ったでしょ。だから、駅員さん許可をもらって通してもらったの」

「てっきり、改札までかと思ったぜ」

「私はそんな薄情じゃないよ。それに・・・・・・」

「それになんだ?」

「・・・・・・サブローと少しでも長く居たいから」

片桐は恥ずかしそうに言った。

「片桐・・・・・・」

あまりの嬉しさに名前を言うのが精一杯だった。俺はこのまま片桐と終点の無い電車に乗って、どこまでも一緒居たいと思った。しかし、ホームに滑り込んで来た電車にはハッキリと行き先が掲示されていた。

「サブロー。今日は本当にありがとう。これ大切にするね」

片桐は大事そうにブックカバーの入った袋を抱き締めた。

「ああ。じゃあ、またな」

「風邪ひかないでね。またね」

電車の扉が開き、電車に乗り込んだ。

「待って」

片桐が黄色い線を越えた。

「サブローちょっと耳貸して」

一瞬、何故と疑問が浮かんだが、素直に従い、片桐の口元に耳を近付けた。その瞬間、右頬に柔らかい何かが触れた。俺は驚愕そのものと言った顔で片桐を見つめた。片桐は少し照れた表情を浮かべていた。

「クリスマスプレゼント。誰にも内緒だよ」

そう言うと、黄色い線の外へと出ていった。

「メリークリスマス」

片桐がニコッと笑うと、電車の扉が閉まった。電車がゆっくりと動き始めた。片桐が手を振ってくれた。しかし、俺は衝撃のあまり何も出来ず呆然とするだけだった。この後、どうやって家に帰ったのか覚えてない。しかし、右頬に残る感触だけは忘れることは無かった。


家に帰った私は早速包み紙を開けて、サブローが贈ってくれたブックカバーを今読んでる本につけた。そして、サブローがそこにいるかのように、優しく本を抱き締めた。本当に嬉しい。嬉し過ぎて、今日のパーティーが霞んでしまう程だった。サブローが一生懸命選んでくれたプレゼント。ブックカバーを手でなぞった。ブックカバーを選んでくれたことが、本当に私のことを一生懸命考えてくれたんだと分かった。それがまだ嬉しさを倍増させた。透明人間になってサブローがプレゼントを選んでる姿を是非とも見学したかったなって思った。

この事をおばあちゃんに話したくなった。私は部屋から出ておばあちゃんのいる部屋に向かった。

扉をノックする。

「お入り」

そう言われたので、引き戸のドアを開けて部屋に入った。

「おや、汐里かい。帰ってきたんだね」

ロッキングチェアに座りながら、膝の上で編み物をしていた。

「うん。今さっきね」

「そう言えば、今日お前の好きな男の子から電話があったよ。本人は連絡を返さなくて良いとは言ってたが、こんな日に電話してくるってことは、汐里によほど大事な用があったんじゃないのかい?」

「その事なんだけどね。見てこれ」

おばあちゃんにブックカバーを見せた。

「おや。シンプルで使いやすそうなブックカバーだねぇ。パーティーで貰ったのかい?」

「ううん。これはついさっき貰ったんだよ」

「へ?どこで貰ったんだい?」

「駅。サブローが私のことを待っててくれたの」

「おや、まぁ・・・・・・」

おばあちゃんもびっくりしたようだった。

「ね、サブローからいつ電話来たの?」

「えーとね、確か私が夕食を食べ終わった後だから、18時くらいかねぇ」

「でも、最初は非通知だから、出ようか迷ったんだよねぇ」

「え?てことは、公衆電話から掛けてきたってこと?」

「多分ねぇ。もしかしたら、既に駅にいたのかもしれないねぇ。そこに公衆電話もあるし」

もしそうなら、二時間半もの間、あの寒空の下で待っててくれたことになる。私はサブローがどんな気持ちで待っててくれたのかを想像して込み上げるものがあった。

「それにしても、プレゼントとは。本当に優しい子だね」

「そうでしょ」

私は笑顔で頷いた。

「少ししか電話をしてないけど、お前が何でその男の子に惚れたのか分かったような気がするよ」

「本当?」

「ああ。年を重ねると、電話越しの態度と声だけでも人柄が分かるんだよ」

「さすが、おばあちゃんだね」

私は心から感心した。

「思わず、お前から話しを聞いてると言ってしまったが、大丈夫だったかい?」

「うん。それくらいなら大丈夫だよ。サブローは鈍感だから、何も気付かないはずだから」

「後、よろしくお願いしますって頼んでおいたよ。もちろん、高校の後も含めてのことだけどねぇ」

私は笑った。どうやら、私の匂わせ癖はおばあちゃん譲りだったのだと気付いた。

「これは私の一生の宝物になるよ」

「そうだろねぇ」

おばあちゃんは優しく言ってくれた。

「そのサブロー君とやらに早く会ってみたいものだねぇ」

「全然、イケメンじゃないよ」

おばあちゃんはよく私がどんなイケメンを連れてくるか楽しみにしてると言っていた。

「でも、惚れてるんだろ?」

メガネ越しの眼がキラッと光った。

「信じられないくらいにね」

恥ずかしいことも、おばあちゃんには何でも言えてしまう。

「だったら、言うことないねぇ。いつ会わせてくれるんだい?私も先は長くないんだよ」

「そんなこと言わないでよ。おばあちゃんが生きてる間には必ず連れてくるよ。彼氏としてね」

「楽しみにしてるよ。お前のウエディングドレス姿と一緒にね」

「ほんと、おばあちゃんには敵わないなぁ」

私はまた笑った。

「おばあちゃん。お休みなさい」

私はブックカバーを持って立ち上がった。

「ああ。お休み」

部屋を出ようした。

「汐里」

私は引き戸から手を離しておばあちゃんの方に体を向けた。

「なに?おばあちゃん」

「そのブックカバーがきっと守ってくれるよ。本だけじゃなくて、お前達二人の未来も」

「ありがとうおばあちゃん」

「さ、いっていいよ」

おばあちゃんはまた編み物に目を落とした。

おばあちゃんに促されて私はおばあちゃんの部屋を出て、自分の部屋に戻った。部屋に戻って、改めてブックカバーを見つめた。そして、おばあちゃんの言葉を思い出した。このブックカバーが私とサブローを守ってくれる。確かにそう思えた。もし、喧嘩しても仲違いになるようなことがあっても、このブックカバーをもらった時の感動を思い出せば、何があろうと大丈夫だと思えた。

そして、サブロー。本当に本当に素敵な思い出をありがとう。心でお礼を言った。私はベッドに入り、夢でサブローに会えますように願いながら、眠りについた。


生涯忘れることのないクリスマスを過ごし、年が明け冬休みが終わった。

「サブローおはよ」

いつものように明るい声で片桐が挨拶を寄越した。

「おっす」

何となく顔を合わせるのが恥ずかしい俺は片桐の顔を見れなかった。クリスマスの出来事が昨日のように頭に甦る。片桐が隣に来たことで、今も忘れられない右頬の感触が一層濃くなったような気がした。

始業式も終わり、今は年下女子に目が無い浩介を放っておいて帰ろうとすると片桐が声をかけてきた。

「今日一緒に帰ろうよ」

「部活は?」

「今日は用事があるから休むんだ。優子も別の友達と帰るみたいだし」

「まぁ良いけどよ」

そう言えば、片桐と二人で帰るのは初めてだなと思った。

俺は少し緊張していた。二人で帰るのもあるが、二人きりになるのがクリスマスの出来事以来である。緊張するなと言う方が無理だった。片桐はクリスマスの事をどう思ってるのか気になった。帰り道でも片桐は特に緊張するような素振りを見せることもなく、いつものように話しかけてきた。まるでクリスマスの事など無かったかのように振る舞う片桐に俺は段々と苛立ってきた。

「ねぇサブロー聞いてる?」

「ああ」

「どうしたの?さっきから不機嫌そうだけど」

「別に」

「嘘。絶対私に何か思ってるでしょ」

「だから、何もねぇって」

苛立ちを抑えきれずつい声が大きくなった。

「ほら、怒ってる」

「別に怒ってはねぇよ」

「じゃあ、何でさっきから私の方を見ないの?」

「見てる見てないとかどうでもいいだろ」

「良くないよ。私と一緒に帰るのが嫌ならそう言えば良いじゃない」

「そうゆうことじゃねぇよ」

「なら、どうゆうこと?」

片桐は俺の正面に体を向けて立ち止まった。

「ほら、早く言ってよ。私が嫌ならそれはそれで受け入れるから」

真正面から大きな瞳でじっと見つめられては弱かった。

「分かった。言うよ。言えば良いんだろ」

片桐はじっと俺が話すのを待った。

「その、なんだ、片桐はあの時の事を忘れたのかなって思ってよ」

「あの時のことって?」

「ほら、クリスマスのことだよ」

少しごもった。

「クリスマス?どうして私が忘れたって思うの?」

「どうしてって・・・・・・片桐は俺と今日会う時、緊張とかしなかったのか?」

「緊張?全然してないよ。もしかして、サブロー。プレゼント渡したから、私と会うのが気まずかったの?」

「俺が渡したことよりも、その、片桐が俺にしてくれたことが気まずいって言うか、少し恥ずかしいとか思ったりするんじゃねぇかって」

片桐はそれでようやく合点がいったようだった。

「そっか。だから、私の態度がいつもと変わらないから、ほっぺたにキスした事を忘れてるのかと思ったんだね」

片桐があまりにも自然にキスと言ったので、俺は少しギョッとした。

「特にサブローと会うのが恥ずかしいとはならかったよ」

「何でだ?」

「サブローだからとしか言いようがないかな。サブローだから、ほっぺたにキスしたし、サブローだから会う時も緊張はしなかったよ」

全く意味が分からなかった。

「それより、ほら」

そう言って片桐はカバンから本を取り出した。その本には自分があげたブックカバーを付けていた。

「もう使ってくれてるのか」

「貰ったその日から使い始めたよ」

「そうか」

改めて片桐が自分の贈ったプレゼントを喜んでくれたのが分かり、先ほどまでのどんよりとした気分はどこかへ吹き飛んでいた。ほっぺたへのキスはまだ少し気恥ずかしさはあったが、駅に着く頃にはそんな気持ちも消え、いつものように片桐との会話と時間を楽しめていた。

「サブローまたね」

「おう」

「二年生も後少しだけど、よろしくね」

「ああ」

片桐は手を振りながら、改札を抜けていった。俺はそれに応えながらも、既に別の事を考えていた。

二年生も後少しで終わってしまう。この言葉が俺にはとてつもなく重くのしかかった。何故ならば、二年が終われば俺と片桐は別のクラスになることが決まっているからだ。進路希望では、お互い進学希望を提出したが、片桐のように1、2年次の総合成績が上位20人に入ってる生徒は特別進学クラスに入れられる。ようは学校が作った特進クラスのことだ。このクラスは国立大学や有名私大を目標にしたクラスで一層レベルの高い授業を受けられる。入る入れないの選択権は無く、好成績を修めた生徒は強制的に入れられる。つまり、上位20位どころか順位が一桁台の片桐はもちろん特進クラスに入ることが決まっているのだ。かくゆう俺は、片桐のお陰で二年生の成績はそれなり良かったものの、一年の凄惨な成績も災いし、当然ながらこの特進クラスに入ることは出来ない。なので、この二年生が終われば、片桐とはクラスが離れ離れになる。それが悲しくてたまらなかった。このまま時が進むこと無く、高校二年生を続けられたらどんなに幸せだろうかと思った。ちょっぴり切なくなった心を抱きながら俺はバスに乗った。

そして、三学期は風のように過ぎ去った。幸福だったと言える二年生に終わりを告げて、短い春休みを挟んで俺達は最終学年の年を迎えた。


案の定、片桐とは別のクラスになった。片桐は三年A組になり、俺は三年F組になった。A組とF組では階はおろか校舎そのものが違うので、学校で片桐に会わない日もあった。片桐に会えない日はただでさえ灰色の校舎が一層くすんで見えるようになった。学校の成績も二年に比べて格段に落ちていった。勉強する気なんて全く起きず、授業もまた寝始めるようになった。それでも唯一の救いは、下駄箱や校舎で片桐とすれ違うと必ず笑って笑顔で挨拶してくれることだった。時には、少しだけ立ち話なんかもした。そんなある日、たまたま片桐と一緒に帰れる日がやって来た。五月中旬の少しだけ梅雨を先取りしたような蒸し暑い日だった。

「こうして帰るのも久しぶりだね」

「そうだな」

ほんの二ヶ月前に一緒に帰っているはずなのに随分と遠くに感じた。

「GWは何してたの?」

「家でずっと寝てた」

「そっか。サブローらしい過ごし方だね」

「片桐の方は勉強か?」

「うん。それこそ朝から晩までね。今は塾にも通いだしたから」

それは初耳だった。そう言えば、少し痩せたような気がするし、少し元気が無さげにも見える。勉強のし過ぎではないかと少し心配になった。

「そうか。大変だな」

そんな言葉しかかけられない自分を呪いたくなった。

「大変だけど、自分で決めたことだから頑張らないと」

「無理はするなよ」

「ありがと」

「サブローは勉強してる?」

「ま、それなりに」

「あ、その言い方は絶対してないな」

少しからかう口調で言われた。

「元々、勉強に向いてるタイプじゃないんだよ」

「でも、去年はそれなりに良い成績を残したでしょ。絶対向いてるって。サブローはやりたいこととかないの?」

「特にねぇな」

「前から思ってたけど、サブローって建築家とか合いそうだよね」

「俺が建築家?」

何をどう思ったのだろうか。

「サブローって何かを作るの得意でしょ。文化祭でもかなりの大道具を作り上げてたし、だから家とか建てるのも上手そうだなって」

「そ、そうか?」

「凝り性な所もあるし、意外とハマりそう」

「でも、建築家なんてそう簡単になれねぇだろ」

「それはそうだね。でも、それはどんな職業だってそうだよ。でも、サブローならなれると思う。頭も良くて器用だし」

ここへきての誉め殺しに背中がむず痒くなった。今日は一体どうしたと言うのだろう。

「急にそんなことを言うなんて、何かあったのか?」

「前から思ってたけど、何となく言う機会が無かっただけだよ。去年はクラスが一緒だったからまた今度言えば良いかなって思ってたけど、今はクラスが違くなってあんまり会えなくなったから、伝えたいことはどんどん伝えておこうかなって思ったんだよ」

「そうか・・・・・・」

「今日も一緒に帰れるなんて思ってなかったからね。七瀬君に感謝しようかな」

「何で七瀬?」

ムカつくことに七瀬は片桐と同じA組だった。成績が良いのだから、当たり前だが、嫌なものは嫌である。

「本当は教室で勉強してから帰ろうと思ってたんだけど、七瀬君と二人きりになりそうだったから、帰ることにしたんだ」

「それが何か都合が悪いのか?」

「だって、七瀬君。自分で解けるのに、わざわざ私に質問してくるんだもん。今は他人に教えてる余裕もないし、分かってる相手に教えるのも時間の無駄だから、家で勉強しようと思って帰ることにしたんだ。そしたら、サブローと下校が重なったんだよ」

「勉強するために早く帰ることにしたのに、こんなにチンタラ帰ってて良いのか?」

俺は内心焦った。こうして時間を無駄にしていると思っているかもしれないと思ったからだ。

「うーん。まぁたまには大丈夫だよ。最近、のんびりすることも無かったから」

片桐は呆気からんと言った。

「なら、良いけどよ」

「それよりさっきの続きだけど、建築家目指すの?」

「え、何でだよ」

まさか本気で言っていたのだろうか。

「だって、せっかく建築家の才能がありそうなのに、目指さないなんて勿体無いじゃない」

「本気で言ってるのか?」

「本気だよ」

「俺を励ますために言ったんじゃなくて?」

「どうして、サブローを励ますの?」

「いや、ほら俺が勉強をサボってるから、やる気を出せるために言ったのかと思ったから」

「私、サブローにおべっかなんて言わないよ。本当に才能があると思うから、言ってるんだよ」

「そ、そうか」

「それで目指すの?目指さないの?」

「今、決めなきゃダメか?」

「ダメ」

何か反論しかけようとしたら、片桐が先に言い出した。

「あ、そうだ。なら、こうしよう」

片桐は俺の方を見てニヤリと笑った。嫌な予感しかしなかった。

「前の賭けの戦利品をここで使うね」

「は?」

「忘れたの?テストで私が勝ったから、何でも言うこと聞くってことになってるでしょ」

「それは覚えてるけど、ここで使うってどうゆうことだ?」

「今からお願いを言うね。サブローは建築家になって私の理想とする家を建ててね」

あまりの突拍子もない願いを言われて、俺は穴が空くほど見つめた。

「それ本気で言ってるのか?」

「うん」

「それは無理だろ」

「何で?」

「何でって、片桐も言ってたじゃねぇか。あんまりにも常識はずれなのはダメだって」

「これくらい常識の範囲内でしょ。別にスーパーマンになって世界を救ってなんて言ってないんだから」

「いや、そうだとしてもよ。俺にだってやりたいことが見つかるかもしんねぇだろ」

「まぁその場合は無しにしてもいいよ。でも、とりあえずは建築家を目指してね」

「いや、待てよ。俺は目指すなんて言ってないだろ」

「賭けで負けたでしょ。言い訳は無しだよ」

片桐は全く引く様子を見せない。俺を困らせたいのではなくて、どうやら本気で言ってるようだった。片桐の目が本気だと物語っている。片桐の言うように賭けに負けたのは俺の方であり、負けた方があまりジタバタするのもダサいと思い、腹をくくった。

「・・・・・・分かった」

「目指すの?」

「ああ。片桐の言う通り建築家目指してやるよ。ただし、なれなくても文句は言うなよ」

「大丈夫。サブローならきっとなれるよ」

何故だろう。片桐にそう言われると本当になれそうな気がしてくる。

「ただ、建築家を目指すのは良いとして、その後の願いは何だ?」

「そのまんまだよ。私が建築家になったサブローが私の建てたい家を建てる」

「それ願い二つになってねぇか?」

「建築家になった時のお客様になるんだから良いでしょ」

「どんな家を建てたいんだ?」

「まだ何も考えてないよ。でも、これから生きていく間に見つけるね。そしたら、真っ先にサブローに教える」

「頼むから、城とか止めてくれよな」

「あーシンデレラ城みたいなのも良いなぁ」

「どんだけ金がかかると思ってんだよ」

「あはは。さすがに冗談だよ。もっと普通の家を頼むね。もっとも、私だけの家になるか分からないけどね」

「どうゆうことだ?」

しかし、片桐は謎めいた微笑みを見せるだけだった。ほどなくして駅に着いた。いつものように改札の前で別れることになった。

「そうだ、サブローにこれをあげるね」

片桐はカバンの中を漁り始めた。そして、一本のシャーペンを俺に向けて差し出した。

「これは?」

「私がいつも試験とかに使うシャーペン。言わば、願掛け用のやつ。これサブローにあげるから良かったら使って」

「え、でも、試験の時とかどうするんだよ」

「もう一本あるから大丈夫。そのシャーペンはサブローに持ってて欲しいんだ。要らなかった?」

「あ、いや、ありがとう。大事に使うよ」

俺はそのシャーペンを受け取った。

「お互い頑張ろうね」

「ああ」

片桐は手を振って改札を抜けていった。片桐の姿が見えなくなった後、俺は右手に持っていたシャーペンを見つめた。まるで、片桐が側に居てくれるような心強さを得たようだった。俺はシャーペンを握り締め、明日からまた勉強を頑張ろうと誓った。


サブローと一緒に帰った日から、早くも三ヶ月近くが経った。あれからサブローも必死に勉強していると浩介から聞いている。私の無謀と言えるお願いを叶えようとしてくれるサブローにますます愛情が湧いてくる。サブローが頑張っていると聞けば、自然と自分自身の中にもやる気がみなぎってくる。一週間前から高校生最後の夏休みに突入したと言うのに、暑い日差しとは無縁の生活を送っている。毎日のようにシャーペンを握るのはさすがに憂鬱だった。いくら受験生とは言え、高校生最後の夏休みの一日くらい受験など忘れて思いっきり遊びたいと思った。そして、出来ることならサブローと二人で。そう思った時、ふと妙案が頭に浮かんだ。そして、サブローの反応を想像するだけで笑えてきた。きっと困った顔をするだろう。だけど、それがいい。サブローを困らせるのが私の密かな楽しみなのだから。私は一人ニヤニヤが止まらなかった。


7月31日。俺はお昼を食べ終えて、少し家でダラダラと過ごした後、SATに向かった。家では何かと誘惑も多いし、ずっと引きこもっていると精神的にキツいので、週に一度はSATで勉強することにしていた。今日、勉強する予定の数学の教科書やら参考書やらをカバンに適当に突っ込んで家を出た。うだるような暑さが連日続いている。歩いているだけでも吹き出すように汗を掻いてしまう。早くSATに着いて冷たいレモンスカッシュを飲みたいと思った。SATに着いて扉を開けた。すると、そこには予想だにしていない人物がいた。

「あっ、サブロー」

片桐が俺に気づき手を振ってきた。

「片桐。どうしてここに?」

「何となくね」

片桐はそれだけ答えた。四人テーブルを堂々と一人で使っていた。そして、その机の上には参考書やらノートやらが散らばっていた。

「わざわざここに勉強しに来たのか?」

「まぁそれもあるね」

ちょっと含んだ言い方が気になった。

「サブローこそ何しに?」

「俺はちょっと来たくなったから」

勉強しに来たとは言えなかった。何となく、片桐の前で勉強頑張っているアピールをするのが嫌だった。

「とか言って、そのカバンに勉強道具が入ってるんじゃないの?」

「うっ・・・・・・」

どうしてこうも鋭いのか。

「とりあえず、座りなよ」

片桐は手早く机の上を片付けた。

「勉強の邪魔になるだろうから、他の机に行くよ」

「気にしないで。それに、サブローが一緒に座ってくれてる方が都合が良いから」

「都合ってなんだ?」

「ま、良いから良いから」

片桐にしきりに進められて断れるはずもなく椅子に座った。 ただ、目の前ではなく斜め前に座った。

「サブちゃん。いらっしゃい」

陽二がお冷やを持ってきた。

「今日は二人で仲良く勉強会かな?」

「ち、違いますよ。たまたま会っただけだし、俺は勉強するつもりなんてないですし」

「あれ?いつも勉強してるじゃない」

片桐の方をチラッと見た。彼女の顔がやっぱりねと語っていた。

「あーもう。そうですよ。今日も勉強しにきましたよ」

俺が少し不貞腐れたように認めると、陽二はニコッと笑った。

「今日は何を飲む?」

「・・・・・・レモンスカッシュ」

「OK」

陽二はその場から離れた。

「はい。お待たせ」

「ありがとうございます」

俺は少し頭を下げた。一口飲むと爽やかな酸味が全身を駆け抜けた。

「じゃぁ、二人とも勉強頑張ってね」

「はーい」

片桐が笑って応えた。

こうして机を並べて勉強するのは久々に感じた。若干の幸せを噛み締めながら俺も勉強を始めた。やはり、片桐との勉強は格別に楽しかった。分からない所をつい聞いてしまった時も、嫌な顔一つせず教えてくれた。まるで、二年生の頃に戻ったかのようだった。もし、片桐の隣でずっと勉強出来るのであれば、俺は東大ですら合格できるだろうと思った。それから二時間はページを捲る音やシャーペンが走る音だけが二人の会話だった。

「うーん」

ペンを置いた片桐が大きく伸びをした。

「はぁー。疲れた」

「俺も」

俺は肩を揉んだ。こんなに集中して勉強したのは初めてのことだった。途中から周りの景色や音さえも聞こえなくなっていた。

「ちょっと休憩しよっか」

俺は賛成した。そんなタイミングを見計らっていたかのように陽二がクッキーと冷たいミルクティを持ってきてくれた。

「二人ともお疲れ様。これ僕からのサービス」

「えー良いんですか?」

片桐が瞳を輝かせた。

「僕は頑張ってる人を見るとつい応援したくなっちゃうんだ。と言っても、これくらいしか出来ないけど」

「そんな。ありがとうございます」

片桐が丁寧に頭を下げた。こうした謙虚な姿勢がまた好感が持てた。

「じゃぁ、後は若い者同士で仲良くね」

憎たらしい程綺麗なウインクをして陽二は下がった。

「陽二さんって本当に素敵な人だよね」

「そうだな」

これが七瀬のことを褒めていたら嫉妬で悪態をつきたくなるところだが、陽二だと素直に認められるから不思議だ。と言うより、陽二は男から見ても格好いい大人の男性である。

「あんなに格好いいのに何で独身なんだろう」

片桐はクッキーを一つ摘まみ、凄い美味しいよと進めてきた。

「さぁ?」

俺はとぼけた。

以前、その手の質問をしたことがあるが、はぐらかされた記憶がある。あまり聞かれたくないことなのだろうと察知して、それ以来は深入りするようなことは聞いてない。好奇心旺盛な高校生でもそれくらいの弁えは出来る。

「まぁ私が気にしても仕方ないことか」

片桐は一人自己完結した。そして、また一つクッキーを摘まんだ。話しが学校のことになり、それぞれのクラスでの出来事を簡単に話し合った。

「ねぇ、8月3日って暇?」

「8月3日?何かあるのか?」

「うん、まぁちょっとね」

片桐にしては珍しく歯切れが悪い感じがした。

「3日は哲平とドライブに行く予定があるけど」

たまに哲平のバイクの後ろに乗っけてもらって出掛けることがあった。

「じゃあ、ダメか」

片桐は酷く残念そうな顔をした。

「何があるんだよ」

そう聞きながら、クッキー摘まんだ。

「8月3日が暇だったら、一日私に付き合ってもらおうかなって思ってたけど、そっか。予定あったんだね」

「なっ・・・・・・」

摘まんだクッキーを落としてしまった。それほどに信じられないような発言を聞いた。

「クッキー落としたよ」

「今何て言った?」

「クッキー落としたよって」

「ちげぇよ。その前だよ」

「暇だったら、一日付き合ってもらおうかってこと?」

「それ。どうゆうことだ?」

「どうもこうもそのまんまだよ。サブローと一緒に遊ぼうかなって思ってたんだよ」

「それは大人数で遊ぶってことか?」

「ううん。私と二人だよ」

「・・・・・・」

「どうしたの?」

「・・・・・・それ本気で言ってるのか?」

「うん。私、何か変なこと言った?」

「い、いや」

まさかこんなことがと頭が忙しなく動き始めた。よもや片桐から誘われるなんて思ってもなかった。3日は哲平と予定がある。しかし、心はもう片桐の方に傾いてる。哲平には申し訳ないが、片桐と遊ぶ方を優先したい。きっと哲平のことだから、もしこれで片桐の誘いを断って自分との約束を優先させたと分かったら、ばか野郎と言って俺をバイクから振り落とすことだろう。

「仕方ない他に誰か誘おうかな」

「ま、待て。3日空いてた」

「え?でも、さっきは予定あるって?」

「勘違いしてた。最初は3日だったんだけど、哲平が5日にしてくれって言ってたのを忘れてた」

俺は掌に汗を掻いていた。何としても片桐との遊ぶ約束を取り付けたかった。

「本当に?」

片桐が疑わしげな目を向けた。

「本当だって。後で哲平に電話して聞いても良いぜ」

我ながらよく出来た演技だと思った。電話されても勘の良い哲平のことだ。すぐに話しを合わせてくれるはずだ。

「・・・・・・じゃあ、3日は本当に空いてるんだね?」

片桐が念を押すように聞いてきた。

「本当だよ。嘘じゃない」

俺がそう言うと、満面の笑顔になった。

「良かった。3日は私と遊んでくれますか?」

片桐が改めて誘ってくれた。

「ああ。良いぜ」

どうしてこう素っ気ない言い方しか出来ないのだろうかと思った。気分はリオのカーニバル並みに盛り上がっていると言うのに。

「ありがとう。時間とかまた電話して教えるね」

「分かった」

片桐と電話も出来る。それだけでも今日まで勉強を頑張ってきた甲斐があると思った。俺は心の中で神様に感謝を捧げた。


8月3日。午前10時。渋谷ハチ公前。俺は人生で味わったことない緊張感を持ちながら、片桐との待ち合わせ場所に立っていた。片桐から今日の予定を決める電話がきたのが一昨日。もしかして、遊ぶ約束を忘れて電話が来ないのではと思っていたが、そんなことはなかった。電話そのものは簡潔なもので、集合場所と集合時間だけを告げられて、無駄話をすることもなく早々に電話を切った。ただ、唯一気になったのが、その日一日は片桐の行きたい場所やりたいことに口を一切出さないことを約束させられた。どうしてと質問したが、遊び終わった後に言うと言われたので、疑問に思いながらもそう約束を交わした。昨日は今日のことが頭で一杯で勉強など手が付く訳がなく、ただ寝っ転がって過ごした。寝返りを打ち過ぎて途中で気持ち悪くもなった。今日を迎えるに当たって一番困ったのが、服装だった。人生で妹を除いて女子と二人で出掛けた事などない俺はオシャレな服など持っていなかったし、どんな服装が女子に受けるの等という知識は皆無だった。新しい服を買いに行く暇も金もないなので、持ってる中で一番まともに見える服を選ぶしかなかった。その結果、一番汚れていない黒いTシャツにタンスの奥から引っ張り出したジーンズと言う、この上ない簡素な格好になってしまった。せっかく初めて二人きりで出掛けると言うのに、こんな服装では片桐に幻滅されたらどうしようと不安で仕方なかった。そう言った意味で、今は楽しみよりも不安の方が強かった。

それにしても、渋谷は人が多すぎると思った。これでは片桐がどこにいるのか分からないかもしれない。しかし、それは杞憂に終わった。人の多い渋谷でも片桐の存在感は別格だった。俺はすぐにこっちに近付いてくる片桐に気付いた。片桐の方はまだ気付いてないようだったので、手を上げて左右に振った。それに気づいた片桐が笑いながら振り返して、少し早足で向かってきた。

「早いねサブロー。待たせちゃった?」

「いいや、今来たとこだよ」

先程までの不安はどこへやら、片桐が来た瞬間に空に舞い上がるくらいの嬉しさが全身を包んだ。俺は片桐を頭の上からてっぺんまで眺めた。普段見慣れない私服姿を目にしてることもあるのか、いつもより大人びて見える。少し化粧もしているのだろう。薄いピンクのルージュがまるで桜の花びらのように美しく輝いて見えた。

「どうしたの?じっと見つめて」

「あ、いや、何でもない」

俺は慌てて目線を逸らした。

「それにしても、サブローその格好・・・・・・」

俺は内心ドキリとした。やはり、ダサかったのだろうか。片桐が何を言うのか判決を待つ囚人のような気持ちで待った。

「私とお揃いみたいになってるね」

「は?」

全く予想してない言葉に目が点になった。

「だって、黒いTシャツにデニムってほとんど今日の私と一緒だよ」

そう言われて、改めて片桐の格好を見た。上はオフショルの黒のブラウスだが、下は細いデニムだった。ただデニムの色は違った。俺はインディゴブルーで片桐はホワイトだった。ほとんど合わせたような格好に俺は恥ずかしくなった。

「わ、わりぃ」

「どうして謝るの?」

「いや、服装がほぼ一緒だから、カップルと勘違いされたら嫌だろうし」

「別に気にしないよ。誰が何と思うと関係ないでしょ」

「それなら良いけどよ」

「揃ったものは仕方ないし、私達って意外と好みが合うのかもね」

片桐のそんな言葉で救われたような気がした。本当に優しい女子だと思った。そんな片桐にますます惚れていた。

「それじゃ、早速行こうか」

「どこに?」

「まずは映画館。観たい映画があるの」

こうして俺と片桐の初めてのデートが始まった。俺は幸せを噛み締めながら、片桐の隣を歩き出した。

映画はこの夏に公開されたばかりのハリウッド大作だった。片桐がこんなミーハーな映画を選ぶとは意外だった。俺が観てて寝てしまうような渋い映画を観るかと勝手に思っていたからだ。映画を観た後は、近くのファミレスで昼ごはんを食べた。学校で一緒に食べるのと同じで、片桐の話すことにひたすら相槌を打つだけだった。

昼ごはんを食べた後は片桐が服を買いたいと言うので原宿にあるショッピングセンターに入った。こんな所に足を運んだことのなど無いので、俺は恥ずかしくて少し俯き加減で歩いた。

「ねえ、これとこれどっちが似合うと思う?」

片桐が聞いてきた。そんなことが俺に分かるはずもない。

「どっち似合うんじゃないか?」

「どっちか選んでよ」

どうして俺が選ばなきゃいけないんだと内心で愚痴た。

「じゃ、じゃあ、そっち」

俺は右手に持ってる白いシャツを選んだ。

「ふんふん。なるほどね」

片桐は満足気に頷いて商品を戻した。

「買わないのか?」

「まだ見たい店はあるから、まだ買わないよ」

まだ回るのかと一瞬気が遠くなった。

「うーん、どれにしようか迷うなー」

一通り店を回った片桐はどれにするべきか真剣に悩んでいた。一方の俺は慣れない場所に慣れない店に付き合い、強い疲労を感じていた。相手が片桐でなければ、とっくに帰ってる所だった。

「ねぇサブロー。提案があるんだけど」

「何だよ」

「私じゃ決められないから、私の代わりに服選んでよ」

「は?」

「ちゃんとサブローが選んでくれた服を買うからさ」

「そんなことを俺に頼んで後悔しないか?」

俺に女子の服を選ぶセンスがある訳がない。

「大丈夫大丈夫。だから、お願いね」

「え、いや、俺が選ぶなんて言ってねぇだろ」

「電話で約束事したでしょ。今日は私の言うことに反対しないって」

そう言われては弱かった。俺は渋々了承した。

「まぁでも、買う店は私が決めてあげるね」

俺達は三階に移動して、とあるブランドのアパレルショップに入った。

「じゃあ、サブロー好きに選んで良いよ。ふざけないでね。ちゃんと私に似合うやつを選んでね」

片桐が矢継ぎ早に言ってきた。

何て無理難題を出すんだと心の中で文句を良い、商品を見回り始めた。クリスマスプレゼントの時とは違い、何を選べば良いのか全く分からない。まだ受験勉強の方が簡単だと思った。片桐は俺の後ろを付いて回り、俺が選ぶ様子を真剣に見ていた。それがまた選びにくさを際立たせていた。これでふざけたものを選べば、氷点下よりも冷たい視線を浴びるのは火を見るより明らかだった。とにかくセンスが悪くても真剣に選ぶしかないと腹を括り、商品を見て回った。

30分後。俺が片桐のために選んだのは淡いピンク色のロングスカートだった。本当に何を選べば良いのか分からなかったから、自分の直感を信じるしかなかった。そして、自分の直感に一番響いたのがこのロングスカートだった。店の外で待ってるねと言っていた片桐を呼びに一旦店の外に出た。

「あ、決まった?何を選んでくれたのか楽しみだなぁ」

「気に入らなくても知らねぇからな」

「大丈夫大丈夫」

何を根拠に大丈夫と言えるのか分からないが、とにかく早くこの時間を終わらせたい俺はさっき決めたロングスカートの場所へと急いだ。

「これだよ」

ハンガーにかかっていたロングスカートを手にして、片桐に見せた。センスが悪かろうが気に入らなかろうが関係ない、俺に選ばせた片桐が悪いんだと思うことにした。

「わぁ、凄い可愛いね!」

片桐が嬉しそうに声をあげた。

「本当に?」

「うん。凄い可愛い。サブローに任せて正解だったよ」

そこまで言われて俺はくすぐったい気持ちになった。

「ね、試着してみるね」

片桐はスカートを手に試着室へ向かった。

「サブローも来るの」

俺を手招きした。

「え?なんで俺も?」

「サブローが見てくれなきゃ意味ないでしょ。ほら早く」

腕を掴まれ半ば強引に試着室の前で待たされた。薄いカーテンの向こうで片桐が着替えてると思うと、物凄く恥ずかしくなった。よからぬ事を考えそうになったので、目をつぶって必死で数学の数式を頭の名かに並べた。カーテンが開かれる音が聞こえた。俺は目を開けた。

「どう?」

そこにはロングスカートを完璧に着こなしてる片桐がいた。

「すげぇ似合うな」

俺は自然とその言葉を口にしていた。

「良かった。ありがとう」

片桐ははにかんだ。

「じゃあ、これを買うね」

「本当に買うのか?」

「買うよ?逆にどうして買わないの?」

「い、いや、無理してないか気になって」

「私はサブローの前で気を遣わないよ」

「そ、そうか」

「着替え直すから待ってて」

そう言ってカーテンを閉めた。俺は急いで数式を思い出した。

着替え出てきた片桐はスカートをレジに持っていき、満足そうな顔で戻ってきた。

「選んでくれてありがとうね」

「ああ」

「お礼にアイス奢ってあげる」

俺達はアイスクリーム屋へと向かった。

「はい。バニラで良かったんだよね」

「ああ。サンキュ」

片桐からアイスを受け取った。

「もう夕方だね」

「そうだな」

時刻は17時手前を指していた。片桐と一緒にいるのが楽しすぎて、時間がいつもより早く過ぎているように感じる。どうして、楽しい時間はもっとゆっくり動いてはくれないのだろうか。

「そろそろ地元に戻ろっか」

「ああ」

終わりが近づいてる。酷く寂しい気持ちになった。

電車に乗って地元へと帰った俺達は片桐の最後のわがままとして片桐の家の近くにある公園のベンチで座りながら話していた。18時半を過ぎていると言うのに、空はまだまだ明るい。まだいれるのではないかとつい錯覚してしまう。しかし、片桐は19時までには戻らないといけないらしく、後30分も居られなかった。そんな俺の切ない胸の叫びを代弁してくれるかのように、どこかでヒグラシが鳴いていた。

「今日は付き合ってくれて本当にありがとう」

片桐が礼を言ってきた。

「いや、こっちこそ。良い気晴らしになったし、とても楽しかった」

「良かった。色々、振り回しちゃったから、疲れさせただけかと思って不安だったんだ」

「そんなことはねぇよ」

その気持ちに嘘はなかった。確かに、途中で困らされたりしたが、それもまた俺にとっては楽しい時間だったと今は言える。それに、片桐が俺の選んだ服を買ってくれたことが何よりも嬉しかった。

「どうして今日遊びたかったか分かる?」

「いや、分からねぇ」

わざわざ8月3日を指定したのは不思議に思っていたが、そこまで深く考えたりはしなかった。

「今日はね、私にとって特別な日なんだよ」

片桐が言った。

「特別な日?」

「そう。今頃、家に友達から贈り物が届いてるだろうな」

その言葉で俺はようやく分かった。

「もしかして、今日誕生日だったのか・・・・・・?」

片桐は俺の方を見てピンポーンと言った。

「私も今日で18才だよ」

「お、おめでとう」

俺はそれだけ言うのが精一杯だった。

「ありがとう」

片桐はニコッと笑った。

「もっと早く言ってくれればプレゼントでも用意したのに」

「サブローはそう言ってくれると思ったから、敢えて教えなかったんだよ。それにプレゼントなら十分に貰ったよ」

「何かあげたっけか?」

「映画も一緒に観てくれたし、服も選んでくれたし、何より今日を一緒に過ごしてくれたことが私にとってはプレゼントだったんだよ」

「そんなので良いのか?」

せっかくの誕生日ならもっと物をねだったりするものではないのだろうか。

「ただ形に残るものより強く思い出に残る方が私は好きだから」

「そ、そうか。せっかくの誕生日を俺なんかと過ごして良かったのか?」

「せっかくの誕生日だからサブローと過ごしたかったんだよ」

その言葉に俺はドキリとした。

「お陰で今まで一番素敵な誕生日を過ごせたよ。本当にありがとう」

「片桐・・・・・・」

夕陽に照らされているせいなのか分からないが、片桐がやけに輝いて見えた。

「さ、そろそろ帰らないとだね」

片桐が立ち上がった。

「ああ」

そう答えても俺の足は全く動こうとしなかった。まだ一緒に居たい。そんな気持ちが足に表れているようだった。

「どうしたの?」

片桐が不思議そうにこちらを見つめた。

俺はありったけの理性を総動員して何とか立ち上がった。

「何でもない」

片桐が駅まで見送ると言うので俺達は駅に向かった。

「今日は改札までね」

その方がありがたいと思った。またホームまで来られたらあることを期待してしまう。

「残りの夏休みも勉強頑張ろうね」

「思い出したくもないこと言うなよ」

「あはは。ごめんごめん」

「今日は楽しかった」

「私も」

「じゃあな」

「うん。またね」

夕陽を背にした片桐が優しく微笑んだ。俺はその笑顔を記憶のフィルムに焼き付けた。


片桐と幸せな一日を過ごした後はまた勉強漬けの夏休みを過ごした。その努力の甲斐もあって、夏休み明けの実力テストでは自己最高点を叩き出した。親は俺の変わりように頭でも打ったのかと心配したりしたが、俺の勉強に対する姿勢が本物だと分かると、参考書等を惜しみ無く買ってくれるようになった。それは教師達も一緒だった。俺のことを嫌っていた中崎でさえ手の平を返したかのように俺を誉め出した。結局は良い点を取ってるやつなら誰でも良いのだろうと俺は内心呆れ返っていた。成績は右肩り上がり、気付けば大抵の大学は自力で受かるレベルに到達していた。しかし、俺が目指すのは一級建築士であり、片桐の願いを叶えるためには生半可な学校ではダメだと思っていた。なので、どの大学を目指すかを迷い始めた。片桐と同じ大学に行けたらと思うが、そもそも目指す学部が違うので同じ大学に行けた所で会える機会もそうはないだろうと分かっていた。散々、悩んだ末に明治大学理工学部建築学科を志望することにした。俺が目指せる中では一番偏差値もランクも高い大学だった。残り半年近くで受かるかは分からない。もしかしたら、一年二年浪人するかもしれない。しかし、諦めるつもりは毛頭もなかった。片桐の言ったとおり自分には建築関係が向いてると思い始めていた。勉強してみて思ったのが建築の奥深さだった。どんな風に計算され、デザインされて建てられていくのかを学んでいく内に、自分でも早く建ててみたいと自然と思っていた。そう思うと、建築の勉強も楽しく感じられた。もちろん、受験勉強はキツいし早く終われと思っているが、勉強自体が嫌になることはなかった。

志望校も決まり順調に受験勉強をこなす中で知らぬ間に秋を迎え、ふと気付いた時には人生最後の文化祭の時期が近付いてきた。文化祭と聞くだけで、去年の切ない思い出が記憶の彼方から顔を出してくる。小松紗菜は今は何をしているのだろうと感傷に浸ってしまう時があった。人生で初めて俺に告白してくれた女の子。今でも彼女からの告白を断った時の事を思い出すと胸が痛む。そんな感傷も程々に、今年もクラスの出し物が劇に決まり、俺は俄然やる気を出した。最後の文化祭。自分の最大限の力を出して、最高の大道具を作ってやろうと意気込んだ。

受験勉強と文化祭の準備の両立は意外と大変だった。それに誰の目から見てもクオリティの高いものにしたいので、夜遅くまで学校に残る日もしばしばあった。去年の片桐が見せてくれた驚き感心した表情を思い出すと、疲れていてもやる気が芽生えてきた。思えば、去年の文化祭から俺は物を作りあげる楽しさにハマっていたのだろう。早く続きを作りたくてウズウズしていた。今ばかりは授業や勉強が鬱陶しく感じていた。


私は優子と七瀬君と受験勉強をするために、学校の最寄り近くのファーストフードに寄っていた。本当は優子と二人でSATに勉強しに行くつもりだったのだが、七瀬君も参加したいと言われたので、SATに行くのは取り止めた。何が嫌と言う訳ではなかったが、七瀬君とSATに行くのは遠慮したかった。

「注文しておくから先に席を取っておいてよ」

七瀬君が言った。

「はーい」

私はSサイズのポテトと爽健美茶を、優子はアップルパイを頼んで二階へと席を確保しに行った。二階で席を探していると偶然にも浩介と哲平君も居た。修学旅行が終わった辺りから、自然と有原君のことも下の名前で呼んでいた。

「わっ。偶然だね」

「おー高木と汐里じゃねぇか。こんな所で二人で女子会か?」

浩介が軽口を叩く。

「な訳ないでしょ。もう一人いるよ」

「誰だよ」

「七瀬君だけど」

「なんだ、七瀬のやつハーレムかよ。美人を二人も並べて。それとも二人のどっちかが誘ったのか?」

「違うわよ。七瀬君も一緒に勉強したいから付いてきたんだよ。ねぇ優子」

「あ、うん」

優子はもじもじしながら言った。私の後ろに隠れるように立っている。無理もない。目の前に好きな人が居たら普通は緊張する。

「二人は何してるの?」

「ご覧通り駄弁ってるだけだよ」

「あれ?サブローは?」

この二人が居るなら、サブローも居ると思ったのだが姿がない。

「三郎は学校で残業だよ」

哲平君が言った。

「残業って?」

私は言った。

「文化祭の準備だよ。三郎の奴相当気合い入れて取り組んでるみたいだぜ。連日誰よりも遅く残って大道具を作ってるってさ」

浩介はすっかり萎びたポテトを口に運んだ。まじぃなと言った。

「そっか。サブロー頑張ってるんだ」

私はそれを聞いて何となく嬉しくなった。

「たまには息抜きもどうだって誘ったんだけど、残ってやるって聞かなくてな。あいつ一つのことに集中すると一直線だからな」

私はの心は既に学校へと飛んでいた。そんな心を見透かしたかのように哲平君が言った。

「そういや、三郎。残るのは良いけど、帰る時はいつも一人だからつまらねぇなって言ってたな」

「あいつがそんなこと言うたまか?」

「ほら、去年は小松とずっと一緒だっただろ。だから、小松の事でも思い出して感傷に浸ってるんだろうよ」

その言葉を聞いた瞬間、私は決断した。そこへタイミング良くトレイを持った七瀬君がやって来た。

「あれ?まだ座ってなかった・・・・・・」

七瀬君は浩介達を見て一瞬固まった。

「よぉ。七瀬。美女を二人も連れてなんてさすがイケメンはやることが派手だな」

浩介がからかった。

「そ、そんなんじゃないよ」

七瀬君は慌てて否定した。

「ごめん、優子に七瀬君。私行かなきゃ」

「え?」

優子と七瀬君が同時に言った。

「急用を思い出したの。本当にごめんなさい。勉強はまた今度しよ」

私は踵を返した。

「ちょ、ちょっと汐里」

優子が私の腕を掴んだ。

「優子。哲平君と楽しんでね。私も楽しんでくるから」

優子の耳元でそう囁いた。

「汐里。あんたまさか・・・・・・」

優子は私がどこに行くのかを察知したようだ。

「浩介。後はよろしくね」

私は一度振り返ってそう言った。そして、優子をチラッと見た後、哲平君も見た。

「はいはーい」

浩介はニヤリと笑った。

さすが私の幼馴染み。浩介は意図を汲み取ってくれたようだ。私は優子の手を優しくほどき、店を飛び出し一心不乱に学校へと向かった。七瀬君に対して罪悪感を覚えたが、それでもサブローに会いたい気持ちが抑えきれなかった。


今日中に終わらせておきたかった道具を作り終えた俺は大きく背伸びした。それから大道具を一度上から下まで眺めた。我ながら素晴らしい出来だと思った。そんな満足感に浸っていると、突如として教室の電気が消えた。

「えっ・・・・・・停電?」

そう呟くと明かりがすぐについた。と思ったらすぐに消えた。

「な、なんだ」

突然の怪奇現象に背筋が凍った。いや、停電でおかしくなっただけだと、自分に言い聞かせて外からの明かりを頼りに教室の窓まで近付いた。もし、本当に停電なら他の校舎も消えているはずと思い、確認してみた。しかし、目の前にある別の校舎の教室からは明かりが漏れていた。つまり、消えたのはここだけと言うことになる。俺は恐怖で足がすくんだ。まさかこの学校に怪奇現象が起こるなんて微塵も思っていなかった。誰も居ない教室が途端に怖くなってきた。何とかして帰りたいが、明かりが無いことには片付けもままならない。しかし、電気を入れるスイッチに近付くのは嫌だった。だが、このまま教室で夜を越すわけにもいかないので、勇気を振り絞って恐る恐るスイッチの場所へと移動した。押す前に目を瞑り手探り状態のまめスイッチ押した。明かりがついたのを感じた俺は薄く目を開けた。特に幽霊的なものも見えなかったのでいつも通りに目を開けた。俺は安堵の息を吐いた。その瞬間だった。

「わっ!!」

声とともに教室に誰かが勢い良く入り込んできた。

「うわぁぁぁぁ」

俺は転がるように逃げた。そして、決して見るまいと頭を抱えながら顔を下に向けてしゃがんだ。

「あははははは」

教室に笑い声が響いた。その笑い声には聞き覚えがあった。俺はバッと振り向きその笑い声の主を見た。

「サブローったらびびりすぎだよ」

お腹を抱えて笑っている人物は予想通り片桐だった。

「ふ、ふざけんなよ」

「そんなに怖かったの?」

「う、うるせぇな。こんなの誰だって怖がるに決まってんだろ」

本当に困った奴だと思った。何故、もっと普通に登場しないのか。

「ごめんごめん。教室に一人ってことだから、ちょっとイタズラ心が刺激されちゃった」

「何がイタズラ心だ。悪い性格しやがって」

「ま、こんなことサブローにしかしないけどね」

突然、そんなことを言われると嬉しいやら困ったやらで感情が迷子になってしまう。

「片桐も学校に残ってたのか?」

「ううん。でも、忘れ物したことに気付いて取りに来たんだよ」

「忘れ物をわざわざ取りに来たのか?明日も学校あるじゃねぇか」

「今日、どうしても家で使いたかったからね。でも、取りにきた甲斐があったよ」

「どうして?」

「誰かさんが思いっきり笑わせてくれたからね」

「このやろー」

こんなにも美人なのに、何故こんなにも性格がネジ曲がっているのだろうか。

「それに一生懸命頑張ってる姿も見れたしね」

「お、おう」

突然の褒め言葉に返事が戸惑った。

「これサブローが一人で作ったの?」

片桐は大道具を指差した。

「ああ」

「うわー凄いね。サブローのクラスの劇を見にきた人は演者じゃなくて後ろのセットに目がいっちゃいそうだね」

片桐に褒められると更に自信がついた。

「そ、そんなことねぇだろ」

それでも素直に嬉しいと言えないのが俺だ。

「他にも作ったの?」

「ああ。でも、教室には置いておけないから空いてる教室に置かせてもらってる。見に行くか?」

「ううん。文化祭当日を楽しみにしてるよ」

「そっか。そう言えば、片桐は何を取りに戻ったきたんだ?」

「私?私はこれだよ」

片桐はカバンから二本の細い棒を取り出した。

「なんだそれ?」

「しらない?これはドラムを叩く時に使うの。ドラムスティックって言うんだよ」

言われてみれば、確かに音楽番組とかで見たことがあった。

「それで何するんだ?」

「勘が鈍いなぁ。これを持ってるってことはドラムの練習をするってことだよ」

「誰が?」

「私に決まってるでしょ」

「片桐がドラム?」

「そうだよ」

「ドラム出来るのか?」

「うん。あれ?言ってなかった?」

「初耳だけど」

「そっか。私、打楽器なら大体出来るんだ。吹奏楽でも迷わずにティンパニーを希望したし。周りの人からは意外だねって言われた。フルートとか吹いてそうなのにって」

確かに、片桐がフルートを吹いてる姿は絵になるなと思った。俺も以前ティンパニーを担当してると聞いた時は意外だなと思った。

「でも、どうしてドラムの練習する必要があるんだ?まさかバンドでも組んだのか?」

「そうだよ。今年の文化祭はガールズバンドを結成して演奏しようって去年から優子と言ってたから」

「マジかよ」

「驚いた?」

「そりゃもう」

「当日は見にきてくれるよね?」

「ああ。もちろん」

今も片桐のドラムを叩いてる姿は想像できないが、早く見たくてたまらなかった。

「今年で文化祭も最後だね」

「そうだな」

「サブローは去年の文化祭と今年の文化祭はどっちが楽しかった?」

「まだ始まってもねぇだろ」

変なことを聞くなと思った。

「小松さんのことは思い出したりした?」

片桐の口から小松の名前が出てきて驚いた。

「ど、どうして、そんなことを聞くんだ?」

「したんだね。でも、去年はずっと一緒に準備してたから当たり前か」

片桐が何故そんな話しをするのかサッパリ分からなかった。

「まぁあれは成り行きだったし、別に一緒にしたくてしたわけじゃねぇから」

「あの時、私達は喧嘩してたね」

「そう言えば、そんなこともあったな」

「もし、あのまま謝らずに口も聞かないままだったら、どうなってたかな」

俺はこの時、俺と片桐の関係の事だと思った。

「いずれは仲直りしてたんじゃねぇか?」

「そうだろうね。でも、手遅れになっただろうな」

「何がだ?」

片桐はクスッと笑うだけでそれ以上は何も言わなかった。その時、最終下校を告げる放送がスピーカーから流れた。

「もう帰らないとだね」

「そうだな。さて、急いで元通りしないと」

「手伝ってあげる」

俺達は急いで道具を片付け、机を元の位置に戻した。そして、カバンを持って学校から出た。いつものように片桐と駅まで一緒に帰った。

「ねぇ、この文化祭の期間だけ一緒に帰らない?」

「え?何でだよ」

唐突すぎて嬉しさより疑問の方が勝ってしまった。

「何でって言われると少し困るな」

「理由も無いのに一緒に帰りたいのか?」

「小松さんとは理由があって帰ってたの?」

「あ、いや別にそんなことねぇけど。てゆうか、一緒に残って作業してたから成り行きで帰るしかなかったし」

「でも、楽しかったでしょ?」

「ま、まぁ、そりゃあ一人で帰るよりはな」

どうしてそこまで小松にこだわるのか。

「じゃあ、私とだって理由なんて要らないじゃない」

「まぁそうだけど」

「サブローが帰りたくないなら別に良いよ。一人で帰るから」

片桐が拗ねるように言った。

「帰らないなんて言ってないだろ」

「だって、嫌そうだし。どうせ一人で帰りながら、小松さんの事を思い出してたいんでしょ」

「何でそうなるんだよ」

ほとほと困った。どうして小松にそんなに突っかかるのか全く分からなかった。

「去年の文化祭の打ち上げの時もずっと楽しそうに話してたね」

急に話題が切り替わった。

「楽しそうだったか?」

正直、その時小松と何を話したかあんまり覚えていない。俺の心はずっと離れた席の片桐に向いていたからだ。

「何でサブローが疑問に持つのよ」

「いや、だって他の事考えながら話してたから」

「何を考えてたの?」

「え、いや、その」

本人を目の前に本人の事を考えていただなんて言えるわけがなかった。

「笑ったりしないから教えてよ」

またじっと見つめられた。やはり、この目には弱い。嘘をつけなくなってしまう

「その、七瀬と片桐の事が気になって・・・・・・」

「私と七瀬君が?」

「そっちこそ、ずっと隣の席にいて楽しそうだったから、てっきり出来たりしたのかと思ってたから、全然小松と話してても楽しくなかったと言うか、全然集中はしてなかったな」

「そっか。そうだったんだね」

片桐は目を伏せた。どことなく落ち込んでるように見えた。俺達は少し間黙った。

「ごめんね。サブロー」

おもむろに片桐が口を開いた。

「何が?」

「訳もなく責めちゃって」

「別に気にしてねぇよ。それより、明日から一緒に帰ってくれるのか?」

「良いの?」

「ダメなんて一言も言ってねぇだろ。むしろ、帰りが遅くなったりするけど良いのかよ」

「文化祭準備って言い訳があるから大丈夫だよ」

声に明るさが戻っていた。俺は一安心した。

「でも、どこで待ってるんだ?」

「図書室とかで勉強してても良いし、何なら私も手伝うよ」

「自分のクラスは良いのかよ」

「私のクラスは受験で頭が一杯で文化祭もあんまり盛り上がって無いんだ。それに私はバンドの方もあるから、あまりクラスの事は手伝えないし」

「尚更、俺の方を手伝ったらまずくねぇか?」

「良いの。それに、その方が良いもん」

「クラスの連中に嫌われても知らねぇからな」

「余計なお世話ですよーだ」

片桐が舌をベーと出した。その仕草もまた可愛くて仕方なかった。

「文化祭の準備期間だけか?」

「何が?」

「一緒に帰るのは」

「そうだよ。文化祭が終わったら、受験に向けてラストスパートかけなきゃいけないから、サブローと一緒に帰る暇もなさそうだからね」

「そうか」

少し残念な気もしたが、仕方ないと自分に言い聞かせた。

「それに、今はそんなに毎日一緒に帰らなくても大丈夫だよ」

「どうゆことだ?」

「いつか分かるよ」

俺はまたそれかと思った。片桐の伏線巡りは今に始まった事ではない。いつも大事な所は逃げるように隠す。いつか分かるそう言って。そして、そのどれもが本当に分かる日が来るなど、この時は微塵も思ってなかった。


それから一週間は片桐と下校をした。片桐は俺が教室で一人になるまではバンドの練習をしたり図書室で勉強して過ごし、俺が一人になると教室にやって来た。この前は驚かされたこともあって、片桐と教室で二人きりと言う事をあまり意識してなかったが、改めてその事を意識するとドキドキした。好きな女子と夜遅くまで誰もいない教室で二人きりと言うシチュエーションで妄想しない高校生男子など居やしない。俺もご多分漏れずに都合の良い展開をつい妄想してしまった。その度に頭を振っては邪念を取り払った。だけど、一緒に過ごせる嬉しさも一押しで、片桐の笑顔が見たくてふざけたりして笑わせたりした。

ある日、片桐がドラムを叩いてみないかと提案してきた。ドラムを叩く機会などそうはない。俺は興味津々で快諾した。俺達は軽音部が使ってる一室を借りて練習しているらしい。俺達はその教室に向かった。

「サブロー叩いてごらん」

片桐がドラムスティックを俺に差し出した。

「え?どうやってだよ」

「ま、とりあえず適当に」

「壊れたりしないよな」

「あまりにもバカ力で叩いたりしなければね」

俺はドラムスティックを持ってドラムを前に座った。ドラムって意外と大きいんだなと感じた。

「どこを叩けば良いんだ」

片桐が叩く場所とリズムを教えてくれた。その教え通りにやったつもりだったが、全く出来なかった。一度に他の事をこなすのがこんなにも難しいのか。ドラマーの凄さを実感した。

「最初はみんなそんなもんだよ」

片桐は優しく言った。

「お手本を見せてくれよ」

「えー恥ずかしいなぁ」

「素人に叩かせるだけなんてズルいぞ。少しで良いから見せてくれよ」

俺はドラムから離れてスティックを片桐に渡した。片桐は少し照れながらもドラムを前に座った。

「本当に少しだけだよ?」

「ああ」

「下手でも笑わないでね」

「俺に下手とか分からないし、出来ない奴が笑うわけないだろ」

「じゃあ、やるね」

片桐は大きく息を吸い込んだ。その後は片桐が片桐に見えなかった。ドラムを叩く姿が普段のおしとやかな片桐とはかけ離れていた。何かを訴えかけるように激しくドラムを叩く姿は本物のロッカーに見えた。演奏してる途中で俺を見ながら挑発するようにフッと笑った。どんなものよと言っているみたいだった。演奏を終えた片桐はまた大きく深呼吸をした。俺は自然と拍手していた。

「す、すげぇ」

背中辺りに鳥肌が立っていた。

「ありがとう」

片桐は照れ笑いを浮かべた。

「どこが下手なんだよ。プロかと思ったわ」

「言い過ぎだよ」

片桐が立ち上がって俺の近くにきた。よく見ると汗をかいてるのが分かった。たった三分程だったのに、汗をかくなんて、それほど集中してたってことか。

「ふぅー。暑い」

片桐は手で扇ぎ始めた。

「あ、これ使えよ」

俺はポケットからハンカチを取り出した。

「ありがとう。気が利くね」

片桐は額の汗を拭った。そして、丁寧に畳み直して返してくれた。

「それにしても、本当に凄かったぜ。鳥肌が立っちまった」

「基本通りに叩いただけだよ。サブローも練習すればすぐに出来るって」

「今のが基本?」

何年かかっても出来る気がしなかった。

「当日はこんなもんじゃないよ」

「マジかよ。早く見たいな」

「私もサブローが作った背景とか早く見たいな。明後日の文化祭楽しみだね」

「ああ」

俺は力強く頷いた。

その後は教室に戻り最終下校を知らせる放送が流れるまで作業しをした。片桐と一緒に帰れるのもいよいよ明日が最後かと少しセンチメンタルな気持ちになった。

毎日の努力が実ってその年の文化祭は大成功に終わった。片桐の言ってくれたように俺のクラスの出し物は俺の作ったセットが凄いと評判を呼んだ。一方の片桐は、学校一の美女が参加してるガールズバンドとして文化祭前から評判を呼んでいたこともあり、体育館は超満員だった。俺は浩介のお陰で最前列で見ることが出来た。演奏自体も評判に違わぬものだった。観客全員が熱狂の渦に包まれた。万雷の拍手と共に片桐はステージから降りた。降りる際に俺を見つけた片桐が満面の笑みでピースサインを送ってくれたことは一生の宝物だ。こうして思い残すことの無い文化祭を終えた俺達は後はひたすら受験に向かって走り続けた。


ある2月の寒い日。七瀬君に呼び出された私は駅に向かっていた。昨日の夜、突然七瀬君から電話がきた。そして、今日どうしても私に話したいことがあると伝えられた。私は何となく内容を察したので、体よくかわそうとしたけど、切羽詰まったように頼み続ける七瀬君のお願いをこれ以上断ることも出来ず、16時に会うことにした。

駅に行くと七瀬君がポツンと立っていた。七瀬君の横を通り過ぎる同じくらいの女子が七瀬君の顔を見て色めき立っていた。しかし、当の本人はそんな視線にも一瞥もくれずに時間を気にするように腕時計を見ていた。

「お待たせ」

「ああ。良かった。来てくれないかと思った」

「約束をすっぽかしたりしないよ。それで話しって何?」

「ここじゃちょっと・・・・・・」

七瀬君は周りを見渡した。

「公園でも行く?」

「その方がありがたい」

「じゃあ、ついてきて」

私は背を向けて歩き出した。七瀬君が慌ててその背中を追ってきた。

私が向かった公園は、夏休みにサブローと過ごした公園だった。別の公園にしようかと思ったけど、どんな話しをされてもサブローのことを思い出せるようにサブローとの思い出が残るその公園を選んだ。公園について空いてるベンチに座った。

「さ、話しって何?」

私は促した。七瀬君には悪いけど、勉強もしたいので時間を割いてる暇はあまりない。

「う、うん」

いつもの七瀬君とは違って、全く落ち着きが無かった。もっとサラッと告白を言いのけてみせると思っていたから、意外に思った。私は話しを早く進めたいので、こちらからジャブを打つことにした。

「もしかしてだけど、私とサブローのことで聞きたいことでもあるの?」

さすがに告白しにきたのとは言えない。そこまで自惚れてはいない。

「まぁ、そう言われればそうかな」

「サブローとは付き合ってないよ」

七瀬君の顔が驚きに変わった。

「そ、そうなんだ。てっきり、付き合ってるのかと思ってたよ」

「そんなに付き合ってるように見えるかな?」

「凄い仲良さげだからね」

「まぁね」

敢えて、否定はしなかった。

沈黙が流れた。

「話しってそれだけ?」

私は言った。本当にこれだけなら、電話で良かったのにと思った。

「いや、ここからが本番だよ」

「何・・・・・・?」

「・・・・・・君が好きだ」

「それで?」

「それで、君と付き合いたい」

「・・・・・・」

私は押し黙った。やはり、予想した展開になったことを嘆いた。七瀬君の気持ちは知っていた。だから、こうならないように態度で示していたはずなのに、それでも尚告白をされてしまった。これがイケメンでモテる男子の自信なのだろうか。告白して押せば付き合えると思っているのかもしれない。だが、私にとっては迷惑以外何物でも無かった。実際、好きと言われたのに心に何一つ響くものがない。

「僕と付き合ってくれる?」

「ごめんなさい」

私ははっきりと言った。七瀬君の顔がみるみる失望に変わっていた。

「どうして?」

こっちこそどうしてだった。何故そんなことを聞くのだろう。ダメなものはダメなのに。

「私を好きなってくれたことは嬉しいよ。でも、七瀬君とは付き合えないよ」

「だから、どうして?」

「七瀬君と私じゃ合わないよ」

「そんなこと付き合ってみないと分からないじゃないか」

「分かるよ。こう言ったらあれだけど、七瀬君は私の表面だけしか好きになってくれてないと思う。実際の私を知ったら、きっと幻滅するよ」

「しないよ。どんな汐里ちゃんだって受け止めてみせるよ」

こんなイケメンにこんなこと言われたら大抵の女子はときめくだろう。しかし、私は何とも思いはしなかった。

「付き合う前だったら、何とでも言えるよ。それに、私には好きな人がいる」

「小林のこと?」

「うん」

「小林のどこが好きになの?」

「全部」

私は即答した。

「全部って」

七瀬君は少し呆れているようだった。

「それに、サブローにならどんな私でも見せられる」

「それを僕に見せてくれたって良いじゃないか」

「出来ないよ」

「何で?」

「サブローだけにしか見せたくないから」

七瀬君は面食らったようだった。

「どうしてもダメなの?」

私は段々と苛立ってきた。往生際の悪い男は嫌いだからだ。

「ダメ。七瀬君ならもっと素敵な女の子が見つかるよ」

「そうか・・・・・・」

「ごめんね」

「いや、良いんだ。元々、無理だと思ってから。むしろ、片桐の小林に対する気持ちが本物だと分かって踏ん切りがついたよ」

「七瀬君・・・・・・」

「僕はどこか自惚れていたようだ。心のどこかで小林のことを見くびっていた。バカだな」

七瀬君は自嘲気味に笑った。

「こんな私を好きになってくれてありがとう」

そう言うしかなかった。

 「一つだけ教えてほしい。どうして小林のことが好きになったんだい?」

 「どうしてそんなことを知りたいの?」

 「知ることで君への想いを断ち切れる気がするんだ」

 私は迷ったが、そうゆうことなら話すことにした。変に未練を持たれても困る。

 「分かった。いいよ」

 「ありがとう」

 「私がサブローのことを好きになったのは、中学生の時なんだ」

 「そんなに前から?」

 七瀬は驚いた。

 「中学2年の夏休みだった。私がおばあちゃんとお買い物に行ったんだ。その帰りにバスに乗ったの。駅から乗るバスだったから、帰宅ラッシュも相まって凄い混んだんだ。おばあちゃんは膝が悪くて座らせてあげたかったんだけど、移動もままならいくらいだった。何とか私が支えてあげようと思ってた矢先に声をかけられたんだ」

 「その声をかけた相手ってまさか?」

 「そう。それがサブローだよ。サブローはおばあちゃんの膝が悪いことに気付いてくれたらしい。サブローの座ってた位置はステップ部分が目の前だったから、おばあちゃんがバスに苦労して乗るを見てたんだと思う。それで、サブローは自分の席が代わるからお婆さんを座らされてやれって言って、立ち上がって人混みを無理やり掻き分けて、おばあちゃんをエスコートしてくれたんだ。そのことが凄い印象に残ってた」

 「それで小林に惚れたの?」

 「それだけじゃないよ。私がありがとう。助かりましたって言ったら、サブローは荷物重くないか?一つ持とうか?って。私がさすがにと遠慮したら、前の方に無理やり移動していった。もう会わないだろうと思ってたけど、高校で思わぬ再会をした時にすぐにあの時の男子だって気付いた。それから気付けば視線で追うようになって、サブローの優しさだったり、可愛い所に気付いていって、気付けばサブローにゾッコンになってたよ。それで、思った。ああ、私はあの時のバスの時からあの人のことが好きだったんだって。自分に優しくしくれようとしたのもそうだし、何より私は凄いおばあちゃんっ子だから、自分に優しくされるよりも、ああしておばあちゃんをエスコートしてくれたサブローの事がとてもカッコよくて素敵に思ってたんだと思う」

 汐里は夕闇に染まって空を見つめた。サブローはこのやり取りを覚えていないだろう。早く話せる日が来ると良い。サブローはきっと驚くし、照れるだろう。サブローの戸惑った顔を思って笑いが込み上げそうだった。

 「意外だな」

 黙って聞いていた七瀬がいった。

 「何が意外なの?」

 「なんと言うか、思ってたより地味だったから。もっとこう小林が派手なことをしでかしたのかと思ってたから」

 「それって私のことやサブローのことを馬鹿にしてる?」

 私の心に少し怒りが渦巻いた。どうしてこの人はこんなにも上からなのだろうか。

 「い、いや、そうゆうつもりじゃないんだ。本当に。ただ、本当にそれだけなのかと思って」

 「本当だよ。いけないの?」

 「そ、そんなことないよ」

 七瀬は汐里を怒らせたことに気付いたのか、動揺しっぱなしだった。

 「人を好きになるのに、大きいも小さいも、派手も地味もないと思うよ。私にとってはサブローの行動が心に響いたの。ただ、甘やかしたり、物で気を引いたりする人なんて好きになれない」

 汐里はこれまでの七瀬の行動を暗に否定した。七瀬は絶句した。よもやそこまで言われるとは思ってなかったのだろう。

「そうか。僕は何もかも間違っていたんだね」

 七瀬君の声は酷く消沈してるのが分かった。しかし、かけるべき言葉は見つからない。

 「汐里ちゃんの気持ちはよく分かったよ。今日は話しを聞いてくれて、そして話してくれてありがとう。さようなら」

七瀬君はベンチから立ち上がり、振り返ることなく私の前から消えた。七瀬君の背中を消えるまで見送り、私は静かに立ち上がった。

「サブローもこんな気持ちだったのかな。いや、きっと違うな」

 一人残った私は空を見上げてそう呟いた。


2月14日。バレンタイン。世間のカップルはチョコレートのように甘い一時を味わうこの日。だが、受験生である俺には何一つ甘いものなどありはしなかった。一週間後には最後の試験が控えている。チョコレートもへったくれも無かった。ひたすらに机にかじりつき、右手の側面が真っ黒になっても、ペンを休めることは無い。

静かな家の中に、電話のコール音が鳴り響いた。家には俺以外に誰もいない。電話に出る時間も惜しいので、居留守を使うことにした。電話を掛けてきた相手は中々切らなかった。俺はうるせぇなと思いながらも、無視を貫いた。一旦、コール音が途切れる。俺が安堵した矢先に、また鳴り響いた。俺は舌打ちをしながら、シャーペンを置いて、電話のある一階へ向かった。

「はい。小林です」

「あ、サブロー?」

「片桐」

  俺は驚いた。

「今何してたの?」

「勉強だけど」

「頑張ってるんだね」

その一言だけでも片桐から褒められると嬉しかった。

「勉強の邪魔をして悪いんだけど、今から駅に来れない?」

「駅?」

「うん。今、サブローの最寄り駅に来てるんだ」

「え?」

俺は更に驚いた。

「今日はどうしてもサブローに用があって、会いたかったから。もし、勉強を優先したいなら帰るけど」

「い、いや、すぐに行くよ」

「ありがとう。待ってるね」

片桐は電話を切った。

受話器を置いた俺は大急ぎで顔を洗い、服を着替えた。自転車を飛ばして駅に向かった。

駅に着くと、交番のすぐ近くに立っていた片桐がこっち向かって手を振ってくれた。俺は片桐の目の前で自転車を止めた。

「ごめんね。急に呼びだしちゃって」

「いや、いいよ。あ、それ」

俺は片切の服装を見て思わず指で指してしまった。

「あ、気付いた?」

片桐が嬉しそうに言った。片桐が着ていたロングスカートは夏休みに俺が選んだサクラ色のロングスカートだった。

「着てくれたのか」

「もちろん」

「な、何か照れるな」

俺は頭を掻いた。

「喜んでくれて良かった。じゃあ、行こっか」

「どこに?」

「もちろん、サブローの家だよ」

「へ?」

俺の目は点になった。

「どうしたの?行かないの?」

「ほ、本当に俺の家に来るのか?」

「うん」

片桐の方が意外な顔をしていた。

「どうして?」

「理由が無きゃダメ?」

「ダメって言うか、その、」

片桐が家に来る。そんなことを想像したことがないわけではない。しかし、想像と全く違う。意表を突かれるとは正にこの事だった。

「部屋が汚いとか気にしてるの?」

「そ、そうゆう訳じゃねぇけど」

それも大いにあった。受験勉強所で部屋掃除なんてここ最近やっていない。元から、生理整頓されているわけではないが、輪にかけて散らかっている。そんな部屋を片桐に見られたくはない。

「私はそんなこと気にしないよ。早く行こ。寒いよ」

「ま、待て。来ても良いけど、一階のリビングで過ごそう」

片桐は少し考えるかのように目を斜め上に動かした。

「まぁいいよ」

片桐は納得した。

「よし。こっちだ」

俺は自転車を押し出した。片桐は黙って後ろからついてきた。

「ここだよ」

少し照れながら言った。

「素敵な家だね。私もサブローにこんな家を建ててもらおうかな」

「普通の家だろ」

本気でそう思ってる。狭いわけでも特別広いわけでもない。もちろん、隠し部屋があるようなからくり仕掛けもない。至って、どこにでもある一軒家だ。

「その普通が素敵なんだよ」

片桐の価値観は時々分からない。

「とにかく入れよ」

俺は玄関の扉を開けた。

「お邪魔します」

片桐は律儀にお辞儀をして敷居を跨いだ。

靴を脱ぎ揃え、リビングに通した。

「あ、そこのソファに座っていいから」

「ありがとう」

片桐はソファに腰を下ろした。そして、リビング全体を眺めだした。俺が選んだ家ではないが、まじまじ見られるのは、やはり照れ臭いものがある。

「そんな他人の家をじろじろ見るなよ」

「ごめん、嫌だった?」

「嫌ってほどじゃねぇけど。何か飲むか?」

「何でもいいよ。ありがとう」

俺は温かいお茶を淹れることにした。

「ほらよ」

お茶を二つテーブルの上に置いて、向かいのソファに座った。

「ありがとう」

片桐はお茶を啜った。

「はぁ。美味しい」

ため息のように漏れた一言が、俺の心をとろけさせた。

片桐が珍しく大きな欠伸をした。

「随分と眠そうなんだな」

「うん。ちょっと早起きしたからね」

「へぇ」

受験に受かって勉強もしなくて良いのに、何故そんな早起きしたのか気になった。

「ねぇ、私が何でサブローに会いに来たのか当ててよ」

片桐が突然切り出してきた。俺は腕を組んで考え込んだ。

「まさかチョコを渡しに来た訳じゃないだろうし」

俺はボソリと言った。

「ぴんぽーん」

「え?」

「そのまさかだよ。サブローにチョコを渡しに来たんだよ」

「ほ、ほんとか?」

「嘘をついてまで家に来ないよ」

片桐は持っていたカバンから包み紙を差し出した。

「いつも頑張ってるサブローに。受け取って」

「あ、ありがとう」

俺は包み紙を受け取った。じんわりと心が温まった。

「勉強してて、小腹空いたら食べてね。疲れた時は甘い物が一番って言うし」

「あ、ああ。そうするよ。でも、どうして、わざわざ家に来て渡したんだ?」

「プレゼントするのが食べ物だけに、駅で会って渡して解散じゃ味気無いでしょ?それに、サブローの家に行く口実が欲しかったんだよ」

「そ、そうか」

これは夢なのかと疑いたくなった。

「さて、サブロー勉強しようよ」

片桐はパンと手を叩いた。

「お、おう?」

一気に現実に引き戻された。

「せっかく家に来たし、勉強教えてあげるよ」

「ほんとか?」

片桐と勉強出来るのが、久々なので嬉しくなった。

「早く勉強道具持ってきてよ。何の教科でも良いよ」

「すぐ持ってくる」

俺はリビングを出て部屋に向かった。何の教科を教えてもらおうか悩んだ。すると、後ろから片桐の声が聞こえた。

「サブローらしい部屋だなぁ」

俺は振り返った。片桐が部屋の入り口に立っていた。

「な、何でいるんだよ」

「よくよく考えたら、一階に持ってくるより私が部屋に行った方が早いことに気付いたからね」

「す、すぐに持っていくから、外に出てくれよ」

顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった。

「良いじゃん良いじゃん。さっきも言ったでしょ。私はそんなこと気にしてないって」

「で、でも」

「ちゃぶ台とかある?」

「あ、あるけど」

「それ持ってきてよ。その方が勉強しやすいでしょ」

「わ、分かったよ。絶対に机の中を覗いたりするなよ」

俺は脅す口振りで行った。

「しないしない。子供じゃないんだから」

片桐は気にすることもなく言った。

俺は片桐の動きを注視しながら部屋を出て、大急ぎで一階からちゃぶ台を運んできた。そして、部屋に入ると驚きの光景が目に入った。何と片桐が俺のベッドの上でうつ伏せに寝そべりながら、漫画を読んでいたのだ。俺は危うくちゃぶ台を足の上に落としそうになった。

「な、何してるんだ?」

俺は動揺を隠せること無く聞いた。

「この漫画面白いね」

ページを捲ると、くすっと笑った。

「それ、俺のベッドだぞ」

「だから?」

漫画を読む手を止めない。

「恥ずかしくないのか?」

「全然。むしろ、落ち着くよ。家でもこんな体勢でいるし」

そうゆうことではないのだが、片桐が自分のベッドでこんな風に寛いでいる姿が何だがおかしく思えた。

「勉強するぞ」

「どうぞ」

「片桐はしないのか」

「教えてあげるって言ったけど、私は勉強するとは言ってないでしょ。漫画読んでるから、分からないことあったら、聞いて良いよ」

またページを捲り、片桐は笑い転げた。

俺は本当に何しに来たんだと思ったが、受験は待ってくれないので、ちゃぶ台を広げて勉強を始めた。座ってチラッと片桐を見た。片桐は相変わらず漫画に夢中だった。それでも、俺が質問すると漫画を置いて、分かるまで丁寧に教えてくれた。隣に座ってきた時に、片桐がつけている香水が鼻をくすぐった。俺はありったけの理性を総動員させて本能を抑えつけた。俺が理解すると、片桐はベッドに寝そべり漫画を読み始めた。そんな行為を何回か繰り返した。

「片桐。ここが分からねぇんだけど」

片桐から反応が無かった。俺は顔を上げて片桐を見た。片桐は俺に背を向けていた。立ち上がって片桐の顔を覗くと、そこにはスヤスヤと寝息を立てている片桐がいた。俺の鼓動は一気に跳ね上がった。動揺でどうして良いのか分からなくなった。すると、片桐が寝返りを打ち、こっちに向いた。そんな片桐の無防備な姿を見ていたら、一瞬邪な考えが頭を駆け巡った。俺は急いで部屋を飛び出して洗面所に向かった。そして、冷水で何度も顔を打った。一瞬でも、そんな考えが浮かんだ自分を恥じた。妹の部屋に入り、ベッドから掛け布団を拝借した。それを部屋に持っていき、片桐に掛けた。そして、片桐から貰ったチョコレートを一口食べた。俺がビターのチョコレートが好きということを覚えていてくれたのだろう。チョコはほどよい甘さと少し顔を出す苦味がマッチしていて、とても美味しかった。俺はもうひと踏ん張りと気合いを入れ直し、片桐から貰ったシャーペンを手に持った。

二時間程経った頃、片桐が目を覚ました。

「うーん」

大きく伸びた。

「あれ?」

片桐がキョロキョロ見回した。

「おはよう」

俺は声をかけた。

「あ、そっかそっか。ここはサブローの部屋だったね」

「全く。人が必死で勉強やってる側で爆睡しやがって」

「ごめんごめん。つい気持ち良くて」

「何でそんなに眠かったんだ?」

「誰かさんのチョコを作るために早起きしたからだよ」

「美味かったよ」

「嘘!食べたの?」

「ああ。小腹空いたから、二つ程摘まんだ」

「本当に?本当に美味しかった?」

片桐が顔をグッと近付けて聞いてきた。あまりの近さに俺は少しのけぞった。

「本当に美味しかったよ」

「良かった」

片桐は心底安堵したかのように言った。

「美味しいのか不安だったのか?」

「当たり前でしょ。チョコレートなんて生まれて初めて作ったんだから」

片桐にも不安があることに少し驚いた。俺の前では、いつも自信満々で人を食ったような発言ばかりをしてくるから、そう言った感情とは無縁だと勝手に思い込んでいた。

「ありがとう。お陰で勉強もはかどった」

「どういたしまして。でも、勉強教えてあげるって言ったのに、役立たずだったね」

「そんなことねぇよ」

「ありがとう」

「そろそろ帰るか?」

「うん。そだね」

片桐の表情は少し寂しげだった。

片桐が帰る準備を整えている間に、妹の布団を部屋に戻して置いた。使ったとばれないようにシワ一つ無くピンピンに伸ばした。

帰る準備が整った片桐と家を出た。片桐を迎えに行った時と同じく自転車を押した。

「後ろ乗るか?」

「乗らない」

「自転車の方が早く着くぞ」

「だからだよ」

「だから?」

「早く着いたら、それだけ一緒にいられる時間も短くなっちゃうでしょ。だから、歩いてゆっくり帰りたいな」

「そ、そうか。分かった」

普段なら歩けば10も掛からない道程を俺達二人はことさらゆっくり歩いた。会話は途切れ途切れにしたものの、お互い黙っている時間の方が長かった。だけど、それをさほど気にしてないのもまた俺達だった。ようやく駅に着いた。

「今日は勉強の邪魔をしちゃってごめんね」

「そんなことねぇよ」

むしろ、お礼を言いたいくらいだった。

「来週の試験頑張ってね。受かること祈ってるよ」

「ありがとう」

俺にとって、片桐の応援は万雷の歓声よりも勝る。

「試験が終われば後は卒業を待つのみか」

「・・・・・・そうだな」

その事を考えるだけで胸が張り裂けそうなくらいに悲しくなる。

「サブローがどんな大人になるのか楽しみだな」

「建築家になってバンバン建ててやるよ」

「おっ、言うねー。でも、サブローならきっとなれるよ」

「ああ」

「じゃあ、そろそろ行くね」

「気をつけて帰れよ。それとチョコありがとう」

俺がそう言うと、片桐は俺の左頬にキスをした。不意を突かれた俺はただただ片桐を見つめるだけだった。

「二回目?」

「チョコの味を忘れないようにね」

片桐はイタズラな笑みを浮かべた。

「またね。サブロー」

片桐は笑いながら、手を大きく振って改札を抜けていった。

「忘れるかよ」

俺は呟いた。そして、キスの優しい感触が残る左頬を軽く触れた。紅潮したせいか頬が熱かった。すると、北風が通り抜けその熱を浚うようにどこかへ運んでしまった。それでも、胸にほとばしる熱い想いは浚えない。片桐への想いを糧にこの先も頑張ろうと新たに誓った。


3月9日。晴れ渡る青空に恵まれた今日は俺達の最後の晴れ舞台でもあった。今日をもって俺達は高校卒業を迎える。嬉しいようで悲しい相反する感情が心の中を渦巻きながら、俺は卒業式に臨んでいた。

結局、俺は受験に失敗して一年浪人することになった。現役で合格出来なかった悔しさはあるが、それでも建築家になって色んな建物を建てたいという夢が終わることはなかった。むしろ、情熱は日に日に増す一方だった。この一年みっちり勉強して必ず合格してやると誓っていた。ちなみに、浩介は都内にある私大に合格していた。早くサークルに入って女漁りをしたいと既に息巻いている。相変わらずゲス一直線だが、浩介の存在は俺にとって信じられないくらいに重要な存在だったと言える。そういう意味では片桐と同じくらいに感謝をしていた。大学は別々になるが、ずっと友人関係が続いてほしいと思った。そしてそれは哲平に対しても同じ思いだった。哲平は進学はせず就職をした。就職先はベンチャー企業らしいが哲平程の才能があればどこでも活躍できると信じていた。哲平も浩介と同じで俺にとって大切な存在だった。片桐のことや受験のことで悩み傷ついた時はいつだって俺を励まして元気をくれた。この二人が居なければ俺はこんなにも楽しい高校生活を送れなかったはずだ。いつか二人にも家を建ててやりたいと思った。そして、片桐は・・・・・・

片桐は見事に現役で国立大学に合格を決めた。ついでに言うと、滑り止めの早慶にも合格していたらしい。さすがの一言としか言いようが無かった。片桐には、何から思えば良いのか分からないくらいに思い出と想い出がたくさんあった。あの日、運命の席替えで隣に座った時から、俺と片桐の時が動き出したと思っている。喧嘩もしたし、訳も分からず責められたりもした。だけど、それすらも今は愛しい"おもいで"だった。そして、修学旅行やクリスマス、文化祭、バレンタイン。どの思い出にも常に片桐の笑顔がそこにはあった。片桐の笑顔が見たくて、片桐に褒められたくて俺はここまで頑張ってこれた。この先も片桐のためなら俺はきっと頑張れることだろうと思った。俺は少し離れた斜め前にいる片桐をチラッと見た。端正な顔立ちに凛とした佇まいは二年前から何ら変わらない。何度見たってその美しさに飽きることなど無かった。俺の想いは片桐に伝わっていただろうか。そんなことを考えていたら自然と涙がこぼれた。俺は慌てて制服の袖で涙を拭った。今日で片桐ともしばらくはお別れになってしまう。毎日顔を合わせられた幸せが今になって込み上げてくる。拭っても拭っても溢れる涙が止まらなかった。

卒業式を終えた俺達はそれぞれの思い出を胸に抱えながら、教室で最後のお喋りを楽しんでいた。俺もこの一年でそれなりに仲良くなったクラスメイトとその時間を楽しんでいた。ただやはり、早く哲平達と会いたかった。担任からの最後の言葉で贈られた俺はもう二度と戻ってこれない教室を出て哲平達を探しに行った。哲平達は校門付近にいた。

「おう」

「お、泣き虫三郎のお出ましだ」

花壇の脇に腰かけていた哲平が早速からかった。

「うるせぇな。良いだろ泣いたって」

「どうせ片桐のことで泣いてたんだろ」

片桐も鋭いが、哲平も相変わらず鋭い。

「それにしても、サブローが建築家目指すだなんて本当人生って分からねぇもんだな」

浩介がしみじみといった。

「俺だって思っても無かったぜ」

「建築家になったら、家を頼むぜ」

「任せろ」

「それと片桐のことは良いのか?」

哲平が少し声を落とした。

「ああ。今はまだ想いを伝える時じゃねぇ」

「モタモタしてると他の男に取られちまうぞ」

「最後に笑えればそれで良いさ」

「おっ。三郎も言うようになったな」

浩介が嬉しそうに言った。

「片桐にも家を建ててやるんだってな」

「ああ。そう約束したからな」

そんな話しをしてると俺達に気付いた片桐がこっちにきた。

「三人ともここにいたんだ。探したよ」

「俺達に何の用だよ」

浩介が言った。

「浩介。後輩の女の子が探してたよ。行かなくていいの?」

「おっと、そうだった。制服の第二ボタンあげる約束してたんだ。じゃあ、また後で」

浩介は風のようにその場を去った。

「哲平君に一つお願いがあるんだけど」

「何だ?」

「優子が体育館裏で待ってるから行ってあげてほしいんだ」

「木下が?」

「うん。どうしても最後に哲平君に話したいことがあるからって。行ってくれるよね?」

言い方は優しかったが、その声には逆らうことは許されないような圧力があった。哲平もそれを察したのだろう、すぐに腰をあげた。

「ああ。分かった。行こう」

そうして哲平は体育館の方へ消えた。俺と片桐が二人きりになった。

「さてと、サブロー。ちょっと私についてきてくれる?」

「あ、ああ」

「じゃあ、ついてきて」

片桐は背を向けて歩きだした。俺はその後を追った。片桐は校舎に入り靴を脱いだ。果たして、どこへ向かうと言うのだろうか。片桐はそのまま黙って校舎の中を進んだ。そして、誰もいない教室に入った。

「入って」

「何でこんな所に?」

「良いから早く」

「わ、分かった」

片桐はそのまま窓際の一番後ろの席に座った。

「サブロー座って」

片桐は隣の椅子を引いた。

俺は進められるがままに座った。片桐の意図が少しだけ分かった気がした。

「卒業アルバム出して」

俺は言われた通りにした。

「少し借りるね」

そう言うと、片桐は俺の卒業アルバムを手に取り、最後のページを開いた。そこは白紙のページで、卒業式前にクラスの友達や哲平や浩介が書いてくれた寄せ書きが書いてあった。

「私が書く間は目を瞑ってて」

「え?」

「いいから。ほら早く」

「わ、わかったよ」

俺はギュッと目を瞑った。厚い紙の上を軽快に走るペンの小気味良い音が耳に聞こえた。

「いいよ」

俺は目を開けた。

「はい。ありがとう」

片桐がアルバムを俺に返した。

「どれどれ」

俺は早速、何て書いてくれたのか読もうとした。

「あ、今はダメ。家に帰ってたから読んで」

「ちぇっ」

俺はつまらそうに卒業アルバムをカバンにしまった。

「サブローも私のに書く?」

「俺はいいよ」

俺は遠慮した。何故なら、一言二言で収まらないからだ。

「隣の席になった最初の日を覚えてる?」

もちろん忘れるわけがない。俺は頷いた。

「サブローったら酷かったなぁ。机にずっと突っ伏して私のこと無視するんだから」

「そ、それは、片桐がそっぽを向いてたから俺と隣になったのが嫌だと思ってだな」

「そう言えばそうだったね。私は私でどうしていいか分からなかったから、窓の外を見てただけなんだけどね」

「あの時は俺のこと嫌いじゃなかったのか?」

「私がサブローのことを嫌いになったことなんて一度もないよ」

「片桐・・・・・・」

「学校の教室、修学旅行、文化祭、クリスマス、誕生日、バレンタイン、そして今日の卒業式・・・・・・私の思い出にはいつもサブローがいてくれた」

俺と同じことを思っていたことに嬉しくもあり驚きもした。

「サブローはいつになったら私の気持ちに気付いてくれるのかな?」

隣に座っていた片桐が俺と向き合う形を取った。潤んだ瞳で俺を見つめた。

「片桐俺は・・・・・・」

俺はそこまで言って唾を飲み込んだ。同時に好きだという言葉も飲み込んでしまった。片桐が待っているであろう言葉を俺は言えなかった。どうしてたった二文字を伝えることが、こんなにも難しいのだろうか。

「サブローの夢は建築家になることだよね」

片桐が話しを変えた。

「そうだな」

片桐の無茶とも言えるお願いから始まったことは既に俺にとって大きな夢となっていた。この先、建築家になるために様々な苦労があるだろうが、決して諦めたりはしないと思っていた。

「サブローが建築家になって私達の家を建てる。私はそんな

夢を描いてるんだけど変かな?」

「いや、素敵な夢だと思う。ん?待てよ。私達?」

「私達」

片桐は微笑んだ。

「それって・・・・・・」

「だから、早く建築家になってね」

片桐は立ち上がって窓の枠に両手をかけた。

「片桐」

俺は猛然と立ち上がった。

「何?」

俺と片桐は改めて向き合った。

「俺は・・・・・・・俺は片桐のことが」

その先は言えなかった。いや、言わせてくれなかった。何故なら、片桐が俺の唇を塞いだからだ。俺は驚きのあまり目を開いたままだった。何秒か経って、片桐がそっと唇を離した。

「その続きは建築家になってから聞かせにきて。私はずっと待ってるから」

それだけ言い残した片桐は俺を置いて教室から出ていった。

一人残された俺は唇を指でなぞった。そこにははっきりと片桐とのキスの感触が残っていた。俺は拳を握り締め、改めて自分の夢を追いかける勇気と覚悟を持った。

その言葉を真っ直ぐに信じ抜いた俺は翌年無事に志望校に入学し、卒業して建築家になった。だが、それで終わりでなはい。俺の青春の旅路はまだ始まったばかりだからだ。

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