ラストフィルム
11月5日。修学旅行当日の朝を迎えた。この日ばかりは万年遅刻魔の俺も目覚ましが鳴る前に起きた。前日に眠れなくて夜更かしをしたというのに全く眠くない。いつもなら朝の6時なんかに起きたら間違いなく二度寝すると言うのに。
朝食を済ませ母親の小言を聞き流し、履き古したスニーカーを履いて家を出た。
学校の最寄り駅で哲平と浩介と待ち合わせていた。集合場所は東京駅なのだが、その前に例のラストフィルム作戦の最終確認がしたいと浩介が言ったので駅で待ち合わせすることになった。
駅に着いて集合場所の時計台の前に行くと哲平と浩介と何故か片桐もその場にいた。
「サブローおはよ」
「お、おう」
俺は素早く後ろにいる浩介を見た。浩介が両手を合わせて無言で詫びていた。何となく理解できた。恐らく、浩介がここで待ち合わせ事を片桐に話したら自分も一緒に行くと言ったのだろう。最終確認は出来なくなったが、朝から片桐と一緒に行動できるなら何の不満もなかった。
「早く行こうぜ」
哲平が促し、四人は歩き出した。
「でも、どうして三人はあそこで待ち合わせなんかしたの?」
片桐が核心をつくような質問をしてきた。
「ん?まぁ思い出作り的な?」
浩介が苦しい言い訳をした。片桐は怪訝な表情を見せたが、それ以上詮索はしてこなかった。それからは修学旅行の話しで盛り上がった。
東京駅は広いので、迷わないか心配になったが、300人近くの人間が一同に集まっているのですぐに場所は分かった。
同じような話しをまた聞かされうんざりしつつ、いよいよ新幹線に乗る頃には誰もが興奮していた。片桐も女友達と楽しそうに話していた。
7:40になり俺達を乗せた新幹線が発車した。ついに修学旅行が始まったのである。
奈良。鹿公園。そこは日本で唯一鹿が放し飼いにされている公園だった。これほど間近で鹿を見る機会等無いので、皆、鹿の好物である鹿せんべいを片手に鹿を可愛いがっていた。
俺は皆とは少し離れ、集合時間になるまで適当に過ごすことに決めた。鹿が嫌いと言う訳ではないが、ここへ来て眠気が襲ってきたので、鹿を愛でる気持ちよりも寝たくて仕方なかった。
学校の人間の声が聞こえなくなるくらい離れた木の根本にどっかと座り込んだ。空を見上げると、どこまでも青い空が突き抜けていた。
そこへ一匹の鹿が近づいてきた。鹿は俺の方をじっと見つめていた。もしかしたら、鹿せんべいをねだってるのかもしれない。だが、俺は持っていなかった。鹿にじっと見つめられていては落ち着かないので、俺は向こうへ行けと手を扇いだ。しかし、鹿は移動するどころかその場で脚を折り居座った。
俺はため息をついたが、特に何かしてくるわけでもないので放っておいた。そして、そのまま気付かぬ内に眠りにつき、鹿と昼寝することになった。
顔に何か当たったのを感じて俺は目を覚ました。目の前に誰か蹲踞の姿勢で座っているのが分かった。瞼を三回ほどパチクリさせるとシルエットが徐々に鮮明になってきた。そのシルエットが誰かなのかをハッキリと認識した瞬間、一気に目が覚めた。
「片桐・・・・・・」
「おはよう」
「もしかして俺寝てた・・・?」
「もしかしてじゃなくて、思いっきり寝てたよ。サブローって一度寝たら起きないタイプでしょ?」
「どうしてそう思うんだよ」
「だって、何回もドングリ当ててるのに全然起きないから」
そう言われ、周りを見ると片桐が投げたと思われるドングリが複数個落ちていた。
「普通に起こせよな」
「起こしただけでも感謝してほしいわね。私が起こさなかったら置いてきぼりだったのよ」
「そいつはどうも。にしても、よくここで寝てるって分かったな」
「あの子が教えてくれたんだよ」
そう言って片桐は側にいた鹿を指差した。
「嘘つくなよ」
「嘘じゃないよ。あの鹿に付いてきたらサブローが見つかったんだよ」
「鹿が片桐を呼んだって言うのかよ」
「そうかもね」
「まさか。おとぎ話じゃあるまいし」
「別に信じなくたって良いよ。とにかく、私とあの子に感謝することね」
「はいはい。ありがとうございました」
「早く戻ろう。皆が騒ぎ出しちゃう」
片桐は俺の手を掴み引っ張った。
「お、おう」
俺は最後に片桐を連れてきたという鹿を見た。驚いたことにその鹿も俺を見つめ返し数回瞬きをした。まるで、さようならと告げるかのように。まさか片桐の話しは本当なのだろうか。
片桐のお陰で集合時間に間に合った。公園を背景にクラスの集合写真を取りバスに乗り込んだ。その後は寝る暇もなく奈良の名所を巡り夕方頃に京都のホテルに到着した。
修学旅行生が泊まるので、周りに繁華街のような灯りは見当たらない森林に囲まれた少し古びたホテルだった。ただ、外観に似合わず中は綺麗だった。
生徒指導の教員がその他諸々の注意事項を話し終え、各自の部屋へと移動になった。
「三郎、哲平。行こうぜ」
鍵を貰ってきた浩介が俺達を呼んだ。
「俺達は何階だ?」
「六階の605号室だな」
「エレベーターが混む前に早く行こうぜ」
俺達はさっさと部屋へと向かった。
「おー綺麗じゃねぇか」
浩介が声をあげた。
浩介の言う通り部屋は綺麗に整理されていた。ベッドのシーツは皺一つ無くピッシリ伸ばされていて、絨毯はゴミ一つさえ落ちていない。ベッドが六つあるので、六人一部屋となっている。つまり、もう三人同じ部屋の人間がいると言うことである。俺は絶対にあいつだけは来ない無いようにと願った。
願いは虚しく、後に入ってきたのは七瀬と取り巻き連中の二人だった。俺は内心舌打ちした。哲平もあまり面白くなさそうな顔をしている。どちらとも仲の良い浩介は早速三人と会話を交わしていた。
夕食までは六人とも部屋で寛いだ。夕食が終わりお風呂も入り終え、消灯時間までの自由時間になった。
「お前らは何するよ?」
浩介が聞いた。
「俺はもう寝るわ」
哲平は横になって目を瞑った。
「浩介は何するんだよ?」
「俺は隣の部屋にトランプしに行くわ。サブローも来るか?」
「行かねぇよ」
「汐里も来るぞ?」
少し心揺れたが七瀬と片桐が一緒にいる所を極力見たくなかった。
「部屋でテレビでも見てるよ」
「そうか」
浩介は部屋を出ていった。
「なぁ、哲平・・・・・・」
哲平に話しかけようとしたが、既に眠っていた。
「のび太かよ」
俺は思わずそう突っ込んでいた。
暇になった俺は部屋を出てホテルを適当にうろつくことにした。とは言っても特に退屈しのぎになるものはなく一階のロビーのソファに座った。思った以上にフカフカで座り心地が良くて気に入った。
ロビーをサッと見渡すと、ホテルの入り口付近に引率の教師が一人立っていた。恐らく、外に出ようとる生徒を取り締まるためだろう。外に繁華街があるわけでも無いのに、わざわざ脱走する輩がいるとは思えない。ハッキリ言って無駄な労力だと思わざるを得なかった。
ソファに完全に身体を預けると眠気がどっと襲ってきた。慣れない早起きに加え移動の疲れが一気に噴き出してきたようだ。うとうとしかけた時声が聞こえた。
「今度はここで寝るつもり?」
ハッとなって声のする方を見ると片桐が呆れた顔で立っていた。
「片桐。どうしてここに?」
片桐は特に答えることなく黙って向かいのソファに座った。
「このソファ気持ち良いね」
そう言って深く腰を沈めた。そして、自分と同じように周りを見渡した。俺は片桐をじっと見つめた。まだ髪の毛がほのかに濡れいるのが分かった。きっとドライヤーを途中でかけるのがめんどくさくなったのだろう。そのだらしなさもまた片桐の魅力に思える。
「トランプしてんじゃねぇのか?」
「してたけど、何かつまらなくて抜け出して来ちゃった」
「部屋に戻らなかったのか?」
「部屋はちょっとお取り込み中だったから」
「ああ」
カップルがイチャついているのだろう。
「サブローこそどうしてここに?」
「何となく出歩いてたらここに来ただけだ」
「有原君は?」
「哲平はもう寝たよ」
「はやっ!まだ21時前なのに」
「なのに、一番起きるの遅いんだぜ」
片桐が笑った。まさかこんな所でも片桐と二人きりになれるとは思ってもなかった。そして、思ってないからこそ困ることがある。今こそ2ショットを取れる最大のチャンスなのに、俺はカメラを持っていない。部屋に取りに戻りたいが、わざわざカメラを持ってきて写真を取ろうなんて言える度胸が俺には無かった。
「そう言えば、サブローは私達の高校に伝わるジンクスの話しは知ってる?」
俺は内心ドキッとした。今まさに考えていたからだ。
「あ、ああ。浩介から聞いたよ」
何とか動揺を出さないように答えた。
「どう思う?」
「どうって?」
「サブローはそのジンクス信じる?」
「うーん。まぁ好きな人と2ショット撮れたなら嬉しいし、信じたくなるんじゃないか?」
「へぇ以外だな。サブローは馬鹿馬鹿しいって一蹴すると思ってたのに。意外とロマンチストなんだね」
ロマンチストと言う自分とは程遠い単語を言われ背中が痒くなってきた。
「そう言う片桐は信じてるのか?」
「もちろん。私は朝のニュース番組の占いだって信じてるからね」
「あんなもんパチもんじゃねぇか」
「そんなことはないよ。私当たったもの」
「いつ?」
「それは内緒。ところで、サブローは2ショット撮りたい人いるの?」
「え、あ、別にそんなことどうだって良いだろ」
「あ、その反応ってことはいるんだね」
片桐は楽しそうに笑った。
「片桐にだっているんだろ」
「いるよ」
「え?」
俺は片桐を見つめた。
「嘘。いないよー」
片桐はおどけた。
「てめーどっちだよ」
「さぁどうでしょうね」
悔しいことに完全に弄ばれていた。
俺は腕を組み不貞腐れた表情を見せた。
「撮れると良いね。その人と」
ふと、片桐の声が優しくなったような気がした。片桐を見ると柔和な笑みを浮かべながら俺を見つめていた。その柔らかな笑顔に触れていられるこの時間が何よりも幸せな時間だと思えた。
「そうだな」
「もし、私に協力出来ることあったら言ってね」
そう言われて少し傷付いてる自分に驚いた。
「片桐には頼まねぇよ。絶対」
サブローはつい語気を強めてしまった。
「何で?」
「何でもだよ。俺は部屋に戻る」
これ以上片桐の前でこの話しをしたくなかった。
「じゃぁ、私も戻ろっと」
エレベーターは無言で過ごした。さっきまでは気付かなかったが、片桐の体から石鹸かシャンプーの香りがサブローの鼻腔を刺激した。ホテルの備品の同じ物を使っているはずなのに、間違いなく片桐の体から匂い立つ香りは明らかに違った。エレベーターは2階で一旦止まり、何人か乗ってきた。自然と片桐との距離が近づく。更に片桐の香りを近くで嗅ぐと、サブローの心臓は今にも破裂するくらいに激しく鼓動していた。3階と4階で他の全員が降りて、片桐は五階で降りた。
「お休み」
汐里は微笑んだ。
「ああ」
サブローは仏頂面のままだった。 エレベーターが閉まった。サブローは愛想良く出来なかった自分を少し恥じた。
「ただいま」
私は部屋のドアを開けた。
「お帰り。どこ行ってたの?」
髪を櫛で梳かしていた優子が聞いてきた。
「うん。ちょっとロビーにね」
「ロビーに何か用でもあったの?」
優子と鏡越しに目があった。
「別に。まぁ行って正解だったけどね」
それを聞いた優子は何があったから察知したようだった。
「その割には元気が無いように見えるけど?」
「そう?いつも通りだよ」
「汐里が居なくなったから、七瀬君もすぐ帰ったよ」
優子は話題を変えてきた。優子は私がサブローより七瀬君と付き合ってほしいと思ってることに薄々気が付いていた。ただ、それを表立って言っては来ない。ただ、申し訳ないことに、私は七瀬君にはこれっぽっちも興味が無かった。見た目だけならサブローよりは良いのは動かしようのない事実にしても、それだけだった。
「そう。どうしたんだろうね」
「あのねぇ、汐里が居なくなったからに決まってるでしょ。きっと探しに行ったのよ」
「へぇ」
「どうして、七瀬君を嫌がるの?」
「別に嫌がってないよ。話し掛けられたら話すよ」
「そうじゃなくて、七瀬君が汐里のことを好きなのは気付いてるでしょ?」
「本当に私のこと好きなのかなぁ?」
七瀬君に好かれてもピンと来るものが無かった。
「どうして、小林君は疑わないのよ」
「だって、サブローだもん。サブローは私のことを見た目だけで好きになったりしないから」
「まるで、七瀬君が見た目だけで決めてるような言い草ね」
「そうは言わないけど。とにかく、私はサブロー以外興味ないの」
「だったら、早く小林君と付き合えば良いのに」
優子は溜息混じりにいった。
「今はダメだよ。私にとってもサブローにとっても」
「ほんと汐里って変わってるよね」
「そうかな?」
「うん。普通なら、好きな人と少しでも長く一緒に居たいって思うのが普通でしょ」
「普通ねぇ。ま、それが普通なら確かに私は変わってるね」
「もし、小林君が告白してきたらどうするの?」
「それは無いから大丈夫だよ」
「何でそう言い切れるのよ」
「サブローはそんな積極的な人じゃないし、私が上手くコントロールしてるから」
私はニヤリと笑った。
「うわー怖い。小林君は尻に敷かれるのは確定ね」
「そんなことないよ」
「でも、もし小林君が他の誰かと付き合ったらどうするの?」
「それは・・・・・・」
それを考えると胸に不安は押し寄せる。実は優子には話していないが、小松さんがサブローに告白したことを知っていた。と言うより、引っ越す前に本人から聞かされたのだ。小松さんのサブローへの気持ちは薄々気付いてはいたが、告白までするとは思ってなかった。当時、サブローが小松さんと楽しく話しているのを見るたびに胸が苦しくなった。その時は否定していたが、今は素直に小松さんに嫉妬していたと認めている。
サブローは私のことを好きだから断ったと聞いた時は、嬉しくて涙がこぼれそうになったが、目の前にいる小松さんの前で涙なんて流せなかった。
もし、サブローが私以外の人と付き合ったら、私はどれほどの悲しみに襲われることだろう。それでも、今はまだ付き合おうと思えなかった。サブローのことを信じているのもあるし、最終的に自分を選んでくれさえすれば全てはそれで良いと思っていた。だから、サブローが出会う全ての女性の中で一番になると心に誓っていた。
「どうなの?」
「そうなったらそうなっただよ。サブローには誰とでも付き合える権利はあるし、それは私にだってある。この先、サブローより好きになる男の子が現れないとも限らないでしょ」
「ま、そうだよね。汐里程の女なら選びたい放題だし」
「選びたい放題は止めてよ。私はそんな尻軽な女じゃないよ」
「ごめんごめん。ま、私としては汐里が幸せになるなら誰でも良いと思ってるよ」
「ありがと。優子は有原君と上手くいきそう?」
「どうだろう。彼、全く心が読めないから」
現状、有原君が優子のことをどう思っているのか全く分からない。分かっているのは、有原君はただただ手強い人だと言うことだけだ。
「優子も2ショット撮って、ジンクスを味方につけないとだね」
「もちろん」
優子は力強く頷いた。
他の同じ部屋の女子達が帰ってきた。私と優子は自然と会話を終わらせた。就寝時間まで六人でお喋りを楽しみ床についた。ベッドに入っても一向に眠気が襲ってこなかった。そして、頭に浮かんでくるのはサブローのことばかりだった。さっきは少し怒らせてしまったようだ。
「ごめんね」
汐里の口から自然とこぼれた。
「何か言った?」
隣のベッドの優子も起きていたようだ。
「ううん。何も言ってないよ」
私は無理矢理目を閉じて瞼が重くなるのを待った。
修学旅行二日目。旅行と言えどあくまでも学校行事。何故か学校は一日目の疲れが残る生徒に早起きをさせたがる。六時に何とか目を覚ましたサブローはダラダラと朝食会場へと向かった。浩介も同じようにダルそうに大あくびをかいていた。一人哲平だけはスッキリした表情を見せていた。それもそのはずである。21時前には寝ているのだから。
朝食はバイキング形式だった。寝起きでお腹が空いている訳もなく皿に少量だけ持った。
「眠そうだね」
後ろから声がかかった。振り向くとトレイを持った片桐が立っていた。
「そっちは眠くないのかよ」
「ギリギリまで寝てた誰かさんと違って5時に起きたけど、目はバッチリ冴えてるよ」
「年寄りかよ」
また一つ欠伸をかいた。
「サブローはおじいちゃんになっても早起き出来なさそうだね」
「ジジイになったら毎日昼まで爆睡するって決めてんだよ」
「朝早く起こしてくる奥さんだったどうするの?」
「そんな奥さんは選ばねぇよ」
「ふーん。じゃあ無理ね」
「何がだよ」
「別に」
片桐はふんと顔を向けて自席に戻った。
「朝からなんなんだよ全く」
俺はまた欠伸をかいた。
今日の行程はクラス単位での行動だった。回る所は一緒だが、回る順番は変えている。サブロー達B組は最初は祇園をから回ることになっていた。
バスに乗り込む時に少し緊張した。何故なら、隣には片桐が座るからである。
「あれ?サブロー隣?」
「浩介に変わってほしいって言われたんだよ。嫌なら、戻るけど」
「別に嫌なんて言ってないでしょ。そっかサブローが隣か」
どこか嬉しそうな表情を見せてくれたので、気分が舞い上がった。
「ねぇ窓側の席譲ってくれない?」
「え、まぁ別に良いけど」
一旦席を立ち片桐が窓側に座った。
「ありがとう」
「何かあるのか?」
「うんちょっとね」
バスが走りだし、京都の風情ある町並みが顔を出してきた。すると、片桐がカメラを取り出してシャッターを切り始めた。
祇園を回った後は清水寺に着いた。
「うわー凄いね」
クラスメイトの誰かが言った。
清水の舞台からの景色は圧巻だった。天候に恵まれ澄み渡る秋の青空が目に一杯飛び込み、右手の奥には京都タワーを中心に市中の建物が見え、視線を目の前に移せば所々に紅く染まり始めた木々が見える。誰もがその綺麗な景色に感嘆の声をあげていた。しかし、俺は清水の舞台から見える景色ではなく、ひたすら片桐を目で追いかけていた。友達と楽しそうにはしゃいでる姿がとても眩しかった。哲平に声をかけられ、少し目を離した隙に片桐を見失ってしまった。キョロキョロと探すと清水の舞台の隅の方で一人で景色を眺めていた。さっきまでの快活さは影を潜めていたが、どこか物憂げな表情で景色を眺める横顔はやはり美しいと思わざるをえなかった。
「こんな隅っこで何してるんだ?」
後ろから声をかけると、片桐はゆっくりとした動作でこっちに向いた。
「ご覧の通り景色を眺めてるんだよ。サブローもこっち来て眺めてごらん。綺麗だよ」
片桐が手招きしてくれたので横に並んだ。横に並んだ時、少し緊張しているのが分かった。
「綺麗だね」
「ああ」
「ああって他に感想ないの?」
片桐は呆れているようでどこか楽しんだ声を出した。
「にしても、何でここは清水の舞台って呼ばれてるんだ?」
「え、知らないの?」
「知らねぇよ」
「清水の舞台から飛び下りるって諺があるじゃない」
「この高さから落ちたら死んじまうぞ」
俺は下を覗き込んだ。結構な高さだ。間違いなく助からないと思った。
「まぁ今は飛び込むことなんで出来ないけど、昔はここから飛び降りて死んだら成仏できるみたい信仰があったみたいだよ。でも、今はそういう意味じゃなくて、この舞台から飛び降りるくらいの覚悟を持つみたいな意味合いで使われることが多いの」
「覚悟ねぇ」
「私にもそれくらいの覚悟があればなぁ」
「そんな覚悟を持って何するんだよ」
「そうだなぁ。好きな人に告白するとか?」
「なっ・・・・・・」
「アハハハ。冗談だよ」
「何だよ」
「でも、プロポーズされるならそれくらい言われたいな」
「重くねぇか?」
「ううん。だって、結婚するんだよ。それくらい私のことを想ってほしいじゃない。大きなダイヤモンドなんかよりもそれくらいの気持ちがあるってことを言ってくれた方が全然嬉しいよ」
「そんなもんなのか」
「そんなもんだよ」
無言で景色を眺める二人の間を乾いた風がすり抜けた。その風が片桐の長い髪を盗むかのように動かした。俺は今がチャンスだと思った。
「な、なぁ」
緊張で口の中がカラカラになっていた。
「なに?」
片桐が俺の方に顔を向けた。
まさに写真を撮ってくれと言おうとしたタイミングで後ろから声がかかった。
「あれ?二人ともこんなところで何してるんだい?」
最も来て欲しくないタイミングで最も来て欲しくない人間だった。
「あ、七瀬君」
「汐里ちゃんここに居たんだね。探したよ」
馴れ馴れしくちゃん付けする七瀬に嫌悪感を抱いた。
「私を?どうして?」
片桐は特に気にしてる様子は無かった。
「あっちに面白そうな所があるから一緒に行こうよ」
「え、でも」
片桐は俺の方をチラッと見た。きっも俺はこの上なくしかめっ面をしていたことだろう。
「ダメかい?」
能天気な七瀬の顔をぶん殴りたくなった。
「ダメじゃないけど・・・・・・」
片桐は再度俺の顔を見た。目にはありありと困惑の色が出ていた。
俺は大きな咳払いをした。あまりの大きさに片桐と七瀬はおろか周りの観光客も何人か振り向いた。
「どうしたの?サブロー?」
「悪い悪い。ちょっと喉がな。俺は良いから早く行ってやれよ」
「え?」
「七瀬の方に行ってやれよ。面白そうなもんがあるんだろ?時間も無いし、早く見てこいよ」
「だけど、サブローはそれで良いの?」
本当は嫌だが、七瀬にカメラの細工を気付かせる訳にはいかなかった。
「ああ。気にすんなって」
「サブロー・・・・・・」
「ほら、早く行けって。俺は適当に回ってるから。な?」
「・・・・・・分かった。また後でね」
片桐は少し悲しそうな顔をして七瀬に付いていった。俺はその背中を眺めて大きな溜め息を一つ吐いた。七瀬の間の悪さよりも自分の情けなさに腹が立った。
「おう三郎。こんな所に居たのか」
少しして哲平がやって来た。哲平が七瀬の奴より早く来てくれればと思った。
「どうした?覇気が無いように見えるけど」
「何でもねぇよ。敵に塩を送った自分が気に食わなくてな」
勘の良い哲平はそれだけで事情を把握しようだった。
「相変わらず優しいなお前は」
「優しいっていうか情けなさいだけだろ」
「まぁそう落ち込むなよ。まだ明日があるだろ。俺と浩介に任せておけって」
励ますように哲平が俺の肩を叩いた。俺は遠くの景色を眺めてはまた一つ溜め息をついた。
その後も清水寺の境内を散策したが、気持ちが晴れることは無かった。
最後のクラス観光の地を回り終えバスに乗った。隣に座ってる片桐は相も変わらず風景の写真を撮っていた。
「どうして何でもない町並みの風景を撮ってるんだ?」
「おばあちゃんに頼まれたの」
「おばあさんに?」
「おばあちゃん京都の町並みが大好きなんだって。でも、今は病気のせいで遠出が出来ないから、たくさん写真を撮ってきて言われたの。だから、この写真はおばあちゃんへのお土産にするんだ」
「本当におばあさんが好きなんだな」
「うん。いつも私の味方でいてくれるし、悩みとかも話したりしてる」
「そうか。でも、おばあさんは片桐が自分の大好きな京都を楽しんできてくれたら一番嬉しいんじゃねぇの?だから、おばあさんのだけじゃなくて片桐自身が良いと思える場所を撮るのも良いんじゃねぇか?」
俺がそう言うと、片桐は意外そうな顔で俺を眺めた。
「な、何だよ」
近くでまじまじと見られて少し恥ずかしかった。
「サブローにしては良いこと言うなって思って」
「してはとは失礼だな」
「あはは。ごめんごめん。でも、サブローの言う通りだね。明日の写真はサブローが言ってくれたような場所を撮るよ」
片桐は微笑んだ。
俺はその微笑んだ姿の写真が欲しいと思った。
「ねぇ、清水寺の時は七瀬君が来たから遠慮したの?」
写真をカバンにしまった片桐が聞いてきた。
「うん、まぁ。そうだな」
俺は言葉を濁した。当たらずも遠からずだったからだ。
「私に何て言おうとしてたの?」
今それを言うのは抵抗があった。
「まぁ良いじゃねぇか。過ぎた事だしよ」
「ふーん。あっそう」
二人はしばらく黙りあった。
不意に片桐が喋り始めた。
「実はあの後ね、七瀬君に一緒に撮ろうって言われたんだよ」
俺の心臓が反応した。
「そ、そうか」
声が震えそうになった。
「やんわりと断ってたんだけど、あまりにもしつこいから一緒に撮っちゃった」
俺は敗北感に打ちのめされた。やはり、あの時七瀬の前でも恥ずかしからずに言うべきだったと後悔した。落ち込んでいた気持ちがますます大きくなった。そんな俺の気持ちを知ってか知らずか片桐は更に続けた。
「でもね、七瀬君のカメラじゃなくて私のカメラで撮ったんだ」
そう言って、片桐はポケットにしまったカメラを取り出した。
「それって何か意味あるのか?」
俺は眉間に皺を寄せた。
「凄くあるよ」
「どうゆう意味だ?」
「分からない?」
片桐は俺を見ながら首を少し傾けた。
「分かるわけないだろ」
片桐は少し笑ってこう言った。
「最後の一枚じゃないってことだよ」
俺はハッとなった。
「安心した?」
「な、何がだよ」
「そうかそうか。安心したか」
片桐は一人満足そうに頷く。
「片桐は・・・・・・」
言葉に詰まった。聞いて良いのか判断に迷ったのだ。
「なに?」
「いや、なんでもない」
「何?気になるでしょ」
「どうして、七瀬との最後の一枚を断ったんだ?」
「サブローは本当に鈍いなぁ」
「悪かったな」
「ま、だから、面白いんだけど」
「何が面白いんだよ」
俺は少しムッとなった。バカにされてるように感じたからだ。
「私が七瀬君と撮らなかったのは、一緒に撮りたい誰かさんがいるからだよ」
片桐は俺をじっと見据えた。
「と、撮れたのかそいつとは?」
「後少しだったと思うよ」
少し妙な言い回しだなと思った。
それにしても、そんな奴が居るのかと思うと、嫉妬心が湧いてきた。
「でも、明日は撮れるんじゃないかな?」
明日は班別行動になるのに、いつどうやって撮るのだろうと疑問に思った。その質問をぶつける前に片桐が質問をしてきた。
「サブローは撮れそう?」
「まぁ何とかするしかねぇな」
明日が文字通りラストチャンスである。しかし、明日は今日と違い、哲平と浩介もいるので撮れないのではと言う心配はなかった。
「あ、いるって認めたね」
片桐はクスクス笑った。
「いや今のは違くて・・・・・・」
「照れてる照れてる。サブローも可愛い所あるじゃん」
「うるせぇな」
このからかい癖はどうにかならないのかと思った。
「あ、見て綺麗だよ」
片桐が窓の外を指差した。
夕陽が沈み欠けていた。鮮やかなオレンジ色が焼き付くように目に映る。
明日こそ必ず片桐と2ショットを撮る。そう夕陽に誓った。
二日目の夜の自由時間は部屋で音楽を聴きながらのんびりした。窓際に設置される一人用のソファに体重を預けて、自販機で買ってきたお茶を飲んでいた。
明日で修学旅行も終わってしまう。寂しさが一足早く胸に押し寄せてきた。
今日、清水寺でサブローが何を言おうとしていたのか分かっていた。七瀬君の誘いを断ることも出来た。けど、サブローが行けと言った。七瀬君に写真を撮ってもらうのがそんなに都合が悪いのだろうか。もし、あそこに来たのが浩介か有原君ならサブローは撮ってくれるように頼んだはずだ。
その時、サブローがカメラに何か細工したのかもしれないと予想した。もしかしたら、自分と同じ細工を。だから、七瀬君に見られるのを嫌がったのかもしれない。七瀬君はカメラの細工を私に言うと思ったから。
ソファから立ち上がりカバン持ってきた。そのカバンをテーブルに乗せて使い捨てカメラを取り出した。これは今日使っていたカメラではない。万が一のために、最後の一枚だけを残したカメラだった。もし、明日サブローが私を誘ってくれなければ、自分から誘おうと考えていた。もちろん、このカメラの出番が無いことを信じている。けれども、万が一と言うことがある。その時はこのカメラを使おうと考え持ってきたのだ。サブローもきっとこのカメラと同じで最後の一枚だけ残したカメラを持っているはずだ。明日はどんな顔で私を誘ってくれるだろう。窓の外を眺めた。京都の空は漆黒に塗り潰され、銀色の朧気な点描がポツポツと描かれていた。この分なら、明日もきっと晴れる。明日の楽しみを胸に私はカメラをしまった。
修学旅行最終日を迎えた。今日はいよいよ班別行動の日だった。ホテルのロビーで班ごとに集められ教師からの注意事項を改めてご清聴し、行動開始となった。
「よーし、俺達も行こうぜ」
班のリーダーである浩介が促した。俺達の班は伏見稲荷大社を見た後に嵐山方面に向かうことになっていた。ホテルから伏見稲荷大社は電車を乗り継いで20分と比較的近い場所にあった。駅まで六人並んで昨日と一昨日の思い出を語りながら歩いた。
伏見稲荷大社駅に着いた。そこから伏見稲荷大社までまた少し歩く。道の途中ではいくつか露店も出ていた。
「あ!大判焼きだ」
木下優子が指差した。
「ねぇ誰か食べない?」
木下優子が提案した。男子は全員拒否したが、女子は全員大判焼きを買った。
「美味しい」
片桐が食べながら感想を漏らした。
「サブローも一口食べる?」
半分ほど食べた大判焼きを差し出してきた。
「い、いや。いいよ」
「クリームがたくさん詰まってて美味しいよ?」
「腹減ってねぇんだよ」
そう言い訳をするしかなかった。
「そっか」
片桐はそう言って大判焼きを美味しそうに頬張った。
ついに伏見稲荷大社の敷地内に入った。鳥居を潜ると少し先に朱色の鳥居が目に入った。事前学習ではこの伏見稲荷大社は千本鳥居が有名だと言うことだった。画像で検索して見た時はこんなに鳥居を立ててどうすんだくらいにしか思ってなかった。本殿で一枚記念写真を撮ってたから、いよいよ千本鳥居散策を開始した。
千本鳥居の景色は圧巻だった。朱色の鳥居が連立されている様子はあっという間に非日常の世界に引き込まれたような感覚を覚えた。班のメンバーも感動で言葉も出ない様子だった。
「すげぇな。本物はここまで迫力あるのか」
哲平がそう感想を漏らした。俺も全く同じような事を思っていた。画像越しでは絶対に伝わらない迫力がヒシヒシと全身に伝わってくる。気付けば鳥肌が立っていた。
鳥居の中を歩くと言う未知の体験は想像以上に楽しかった。遥か昔の物語の世界に入り込んだような錯覚を味わえる事などそうはない。
ふと、前を歩く片桐に目がいった。片桐も感動した様子で右に左に頭を動かしていた。
しばらく歩くと鳥居が途切れて広場みたいな所に着いた。ここでも観光客で賑わっている。
「ねぇ見て」
上杉直美が古ぼけた小さな地図を指差しながら言った。他の面々も地図を覗く。
「頂上までこんなにあるよ」
上杉が嫌そうな声を出した。
「長いなぁ。でも、行くしかねぇだろ」
浩介が言った。上杉は顔をしかめたが、一応恋人である浩介が行くと決めたなら付いていく他ない。俺達は少し疲れた顔をしながら、また歩き出した。階段に次ぐ階段で皆さっきまでの楽しそうな顔は消え、同じように苦悶の表情を浮かべていた。体力にそれなりに自信のある俺ですらキツいのに、女子達からしたら、この階段を昇るのは苦行以外何物でもないはずだ。それでも、誰一人弱音を吐いたりするものはいなかった。
「片桐大丈夫か?」
「大丈夫だよ。ありがとう」
息遣いが荒くなっている。やはり、どこで引き返すべきかもしれないと思った。階段を昇るにつれて人は疎らになっていく。
何とか四ツ辻と言う中間地点に着いた。ここには人がそれなりにいた。恐らく、ここが頂上を目指す目指さないを決める最終地点なんだろうなと予測が着いた。にしむら亭と言う茶屋で飲み物を買って喉を潤した。疲れた体によく染みた。
「ここらかの景色も綺麗だなー」
四ツ辻からは京都の町並み一望することが出来た。15分程休憩して、少し元気が出てきた所で頂上を目指すことにした。四ツ辻は二つの道から頂上を目指すことが出来た。左手は下り気味で、右手はまた階段を昇るようになっていた。
「どっちから行く?」
上杉直美が皆に問うた。浩介がニヤリと笑ったのを俺は見逃さなかった。
「よし、せっかくだから二手に別れて進もうぜ」
「はぁ、別に・・・・・・」
反論しようとしたが哲平に遮られた。
「良いね。乗った。俺は左に進む」
「俺も左だ。男子三人が左はつまらないから三郎は右な」
「は、いやちょっと待て」
「じゃぁ、私も左」
浩介のことが好きな上杉直美が続いた。
「あ、なら私も左で」
同じく、哲平に好意を持ってる木下優子も続く。となると、片桐の選択肢は一つに絞られる。
「なら、私はサブローと同じ方に行こうかな。一人じゃ可哀想だし」
「さすが汐里分かってる」
浩介が言った。
「おいおい。本当に別れて行くのかよ」
俺は食い下がった。
「その方が良いだろ?」
浩介がウインクした。その目をそのまま潰してやろうかと思った。
「よし、左組は出発。右組達よ。頂上で会おう」
浩介が大袈裟に歩き出すと、他の三人も着いていった。
俺と片桐はポツンとその場に取り残されてしまった。
「私達も行こっか」
片桐は俺達が歩く道を指差した。俺はもうどうにでもなれと言った気持ちになったが、どこかウキウキしてる自分を否定出来なかった。
「くそ。浩介の奴楽な方を選びやがって」
最初の階段を登りながら俺は言った。
「どうして浩介達の方が楽だって分かるの?」
「どうしてって、見たろ?あいつらの行く道は下りだったぜ。こっちは急な階段だから、左を選んだのに決まってる」
「でも、目指すところは一緒なんだし、あっちもいずれは上りになるんだよ。それに私が地図を見た限りでは左の道の方が頂上までの距離は長いように見えたけど」
「そうなのか?」
「直線で計ったらだけどね。意外と右側の方がマシかもよ」
「だと良いけどな」
どうか浩介達の方が辛い道でありますようにと、階段を一つ一つ強く踏みしめながら祈った。
「低いとは言え、山の中だから空気が美味しく感じるね」
少し無言で歩いていたが、片桐が両手を広げて息を吸った。
「日本なのに日本にいるみたい感じがしないな」
「そうだね。本当に物語の世界に迷い混んだみたい。もし、この鳥居の終わりが違う世界の入口だったらどうする?」
「どうするって?」
唐突なファンタジックな質問に返答に窮した。
「その世界に留まるか、現実の世界に戻るための何かをするか。サブローならどうする?」
俺は腕を組んで考え込んだ。現実の世界には戻りたいと思う。しかし、その世界では俺と片桐の二人だけと言うならそれもそれで悪くはないなと思った。
「まぁ現実の世界に戻る方法探りながら、何だかんだその世界に馴染むんじゃないか」
「そうだよね。私もそうするかな」
その後はどんな世界ならタイムスリップしたら楽しいかと言う話題で盛り上がった。再び少し開けた場所に着いた。足もかなりの疲労が溜まっていた。片桐も弱音こそ吐いてないが足が痛いに決まっている。
「片桐。ここでリタイアするか?」
「どうして?」
片桐は目を大きく見開いた。
「いや、辛そうだし、あんまり無理して登って怪我とかしても大変だしよ」
「何言ってるの。ここでリタイアしたら浩介に笑われるよ。私は大丈夫だから行こ」
片桐は先頭を切って再び歩き出した。階段に次ぐ階段を上り、ついに頂上に辿り着いた。
「着いたー」
二人とも少し息切れをしていたが、何とか着いて一安心した。しかしすぐに、拍子抜けたような感覚になった。
「ここ頂上だよね?」
片桐が不安そうに言った。
それもそのはずである。せっかくここまで登ったのに、ちっとも見晴らしが良くなかった。平屋の建物と狭い通路を挟んだ向かい側に大量の小さな朱色の鳥居が備えらている神社があるだけだった。
「こんだけ登ってこれだけ?」
疲労が更に増したようだった。片桐も少し不満そうな顔をしていた。
「優子達はまだ来てないみたいだね」
「いや、先に着いて隠れてるかもしれないから、ちょっとそこの神社を見てくる」
石で出来た小さな鳥居をくぐって一周したが、人一人っ子居なかった。
「誰もいやしねぇ」
「仕方ない。ここで少し待ってようか」
座る場所も無いので、仕方なく平屋の建物に寄りかかって浩介達を待つことにした。
静寂そのものと言った空間なので、風に揺れる木々の音が耳によく聞こえる。頂上には何も無かったが、片桐と二人きりでいれることを幸せに感じた。どうせなら、本当にタイムスリップしてくれれば良いのにと少し思ったりなんかした。
「何か不思議だね」
「何がだ?」
「今、ここに居るのは私達だけって言うのが」
心臓がドクンと跳ねた。
「そ、そうだな。まぁどうせすぐに哲平達が来るだろ」
「浩介達に早く来てほしい?」
「まぁな。早く次の場所に行きたいからな」
もちろん嘘だった。何なら、このままずっと二人で片桐と過ごしていたかった。そして、ようやく気付いた。哲平達はわざとここにくるのを遅らせていることに。
ようやく一組のカップルが通った。カップルはあからさまにガッカリしているのが分かった。だが、その気持ちも分からなくもない。苦労して登ったのに、これと言って得るものがない。カップルは不平不満をこぼしながら、すぐに来た道と逆側から降りていった。
「今のはカップルだったね」
「それがどうかしたのか?」
「あのカップルからしたら、私達はどう見えたのかなって思って」
「どうゆうことだ?」
片桐の言いたいことが分からない。
「向こうも私達の事をカップルって思ったりしてね。こうして私服でいるからか、修学旅行って言うよりデートしてるような感じだし」
「カップル?デ、デート?」
俺は驚いて片桐を見た。
「そう。だって、二人でデートに来たみたいじゃない?」
「いや、まぁその何て言うか。まぁそうだな」
気の利いた返事が思い付かない。
「サブロー照れすぎ。例えで言ってるんだから、そんな気にしないでよ」
「そ、そうだよな」
そうだ。いつか片桐とこうして本当に二人きりで旅行に行ける男がいるのだと思うと、少し悲しくなった。
「今の時点ではね」
「今何か言ったか?」
片桐が何か呟いたような気がした。
「ううん。それにしても優子達遅いね。そこまで長さ変わらないのに」
「もしかして、あいつら途中で諦めたんじゃねぇか」
「それはあり得るかもね。後、10分待って来なかったら下りてみよっか」
10分経過したが浩介達が姿を現すことは無かった。俺と片桐は先ほど来た道の逆の階段を降り始めた。片桐の言う通り頂上付近の階段は急勾配になっていて、恐らく、浩介達が選んだ左側の方が大変だろうと思った。今度はひたらす階段を降りる。一つ目の広場の所でようやく浩介達と会った。
「お前ら、何してんだこんな所で」
浩介達はのんきにアイスクリームを食べていた。
「悪い悪い。上杉がもう上るの無理だって言って諦めちったよ」
浩介の隣で上杉が罰悪そうに頭を下げた。だが、特に反省しているように見えない。
「ったく。こっちは頑張って頂上まで行ったと言うのによ」
「どうだった?」
「めちゃくちゃ良かったぜ。上らないのが勿体ねぇ」
俺は悔しいので、嘘をついた。片桐が口元に微かな笑みをたたえたのを俺は見逃さなかった。
「マジかよ。今から行ってこような」
浩介が俺達が来た方の道を見た。
「おー行け行け。そして、拝んでこい。大層ご利益があるそうだからな」
「えーマジでどうしようかな」
浩介は本気で悩み始めた。
「哲平行かねぇか」
「行かねぇ」
哲平は即答した。
「じゃぁ俺も止めよっと」
「浩介。行かないなら私達にアイス奢ってね。待ちぼうけを食らわせたお詫びとして」
「何で俺だけなんだよ。哲平だって行ってねぇじゃねぇか」
「浩介はリーダーでしょ。その責任くらい一人で取りなさい」
「ちぇ。嫌な女だぜ。分かったよ。奢ってやるよ」
「どうも。ほら、サブローも一緒に食べよ」
浩介に奢らせたアイスクリームを食べ終え、俺達は下山開始した。途中で何匹もの猫に出くわし、その度に女子達が可愛いと言って、撫でたり撮ったりしたので、下山にもかなりの時間を要した。やっとのことで、本殿のある場所に着いた。疲労は感じていたが、それでも皆晴れやかな表情で伏見稲荷大社を後にした。
稲荷大社を後にした俺達は次の目的地である嵐山に向かった。稲荷大社が前菜とするなら嵐山はメインディッシュだった。JR稲荷駅から一旦京都駅に戻った。京都駅から二通りの向かい方があった。一つは乗り換え無しでもう一つは二回乗り換えが必要だった。女子達の強い要望により二回乗り換えの方になった。何故こんなにも乗り換えのある方を女子が強く要望したのは、後になって理由が分かった。嵐山に向かう電車の中で女子達が異様な盛り上りを見せていたのが、何となく嫌な予感を抱かせた。思い出話しは尽きることなくあっという間に嵐山に着いた。
「あ、ここだ」
上島直美が嬉しそうに言った。俺達が止まったのはかなり年季の入っている三階建ての白いレンガ作りの建物だった。
「ここで何するんだ?」
浩介が男子を代表して聞いた。
「女子はここで着物に着替えるの」
上杉直美がさも当然のような顔で言った。そんな話しは全くもって寝耳に水だった。
「着物に着替える?そんなの聞いてねぇぞ」
浩介が言った。
「だって、言ったて反対してたでしょ?だから、今日まで内緒にしてたの」
「あのなぁ」
浩介が反論しようとしたが、上杉直美はすぐさま会話を終わらせた。
「はい。私達は着替えてくるから男子達はここら辺で適当に待っててね」
そう言うと、上杉直美は片桐と木下優子を連れて建物の中に入っていった。
「全く。何て勝手な奴等だ」
浩介が舌打ちと共に愚痴た。
「まぁ止めようがねぇよ。仕方ないさ」
哲平は早くも順応している。
「それにしても、俺達に一言相談してくれって良いよな?」
浩介は俺に同意を求めてきた。
「そうだな。だけど、女子達は反対されて言い合いになるのが嫌だったんだろうよ。哲平の言う通りこれはもう仕方ねぇよ」
俺も右へならえの感覚で受け止めることにした。今さら文句を言った所で何も意味はない。それに片桐の着物姿を見れるなんて、ラッキーだと思っていた。
「ちぇ。汐里がいるから甘いこと言いやがって。そう言えば、さっきはどうだったんだよ?」
「さっきって何のことだよ?」
「とぼけんなって。さっきの神社で二人きりにしてやったろ?写真は撮ったんだろうな?」
浩介がニヤリと笑った。
「あ、すっかり忘れてたわ」
「何だよ!」
浩介は右手で顔を覆った。
「こっちはわざわざゆっくり行ってやったって言うのによ。なぁ哲平」
「てっきり、さっさと撮って自慢してくると思ってたぜ」
哲平は口の端をめくった。
「やっぱりわざと遅れてたんだな。お前らが来ないからそれどころじゃなくなっちまったんだよ」
「嘘つけ。片桐と二人きりで緊張して忘れてただけだろ」
哲平がすかさず言った。図星なので何も言い返せなかった。
「ほんとピュアだな。俺だったらもうベンチに押し倒して・・・・・・」
「あー聞きたくねぇから止めてくれ。第一修学旅行でそんな馬鹿げた真似出来るかよ」
「修学旅行関係なく三郎は浩介の真似は絶対するなよ。片桐と付き合いたいんだったらな」
哲平が突っ込む。
「でもよ、三郎。たまには押さないと汐里も他の男に靡くかもしれないだろ。たまには、強引な所も見せてやれよ」
「どうやって見せるんだよ」
「だから、そう言う状況になったらだよ」
どういう状況だよと聞こうとした途端に、ガタガタと建物の扉が動いた。俺達の目が扉にいった。女子達が着替え終わって出てくると思ったのだ。しかし、出てきたのは女子大生らしき女性二人だった。
「そういや昨日、清水寺で二人で撮ろうとしたみたいだな」
哲平が言った。
「え?そうなのか?じゃぁ、もう撮ったのか?」
浩介が食い付いた。
「撮ろうとしたって言ったろ。つまり、撮れなかったんだよ」
「何でだよ」
哲平が俺に目でお前が言えと合図してきた。
「撮ろうと言おうとした瞬間に七瀬の奴が声をかけてきたんだよ。何でも、片桐を誘いに来たみたいだな」
「マジかよ。それで?」
「七瀬の前で言えるわけもねぇから、そのまま七瀬に片桐を譲ったよ」
「おい!何やってんだよ!」
浩介はまたも顔を覆った。
「仕方ねぇだろ。七瀬に撮ってもらったら、カメラの細工を片桐にバラされるかもしれねぇし」
俺がアイツなら絶対にバラすだろうと思っていた。
「そんなことがあったのか。あーあ。俺が近くに居てやれたらな
ぁ」
浩介がしこたま残念そうな声で言った。やはり、浩介は良い奴だなと思った。
「まぁ昨日のは俺の完全なアドリブだし、どうしようもねぇって」
「そうそう。今日撮れれば結果オーライさ。三郎。その細工したカメラ俺に渡してくれよ」
哲平が言った。
「え?何で?」
「そもそも、作戦では俺と浩介のどっちかが一緒に撮れよって言い出すんだから、俺か浩介が持っていた方が自然だろ」
「そりゃそうだな」
哲平に言われて納得した俺はカメラをカバンから出そうとした。が、カメラが見つからない。
「あれ?」
「どうした?」
「カメラがねぇ・・・・・・」
「はぁ?ちょっとカバン貸してみろ」
哲平と浩介も中身をチェックしたが、カメラは見つからなかった。
「マジでないな。カメラどこにやったか覚えてるか?」
俺は哲平に言われて記憶を辿った。そして、思い出した。
「ホテルに置いてきちまった・・・・・・」
昨日寝る前にカバンに入れようと思っていたのだが、そのままベッドの脇の台に置きっぱなしにしてしまったのだった。
三人の間に沈黙が流れた。
「やっちまったな」
哲平が冷静な声で言った。
「悪い・・・・・・」
俺は申し訳ない気持ちで一杯になった。せっかくの二人の協力を無駄にしてしまった事に心が痛んだ。
「まぁこればっかりはどうしようもねぇな」
浩介も頭を掻きながら言った。
二人とも怒ってないのが不思議だった。
「怒ってないのか?」
「何で俺達が怒るんだ?」
浩介が逆に聞いていた。
「いや、だって、せっかく作戦とか立ててくれたのに、台無しにしたし」
「まぁ残念ではあるけど、でも俺達は別に汐里と2ショット撮るわけでもないし、それに一番悔しいのは三郎だろ?別に俺達が怒る理由なんてねぇよ。哲平もそう思うよな」
「浩介の言う通り。俺達に何の被害も無いからな。怒る要素が見当たらねぇ。それよりともかく、何か代替え案があれば良いけどな」
「お前ら・・・・・・」
俺は不覚にも泣きそうになった。
「とりあえず、何か考えようぜ。女子が着替えて出てくるまでに何か上手い案が見つかるかもしんねぇし」
浩介が言った。三人は額を寄せあって考え始めた。
結局、妙案は浮かんで来なかった。そうこうしてる内に女子達が着替えて出てきた。
「お待たせ」
最初に出てきたのは木下優子だった。紺色の着物を着ていた。木下優子の和顔にかなり似合っていた。
「ど、どうかな?」
哲平の前で恥じらう姿はとても可愛らしかった。片桐のせいで目立たないが、木下優子もそれなりに可愛いことに今更ながら気付いた。
「良いんじゃねぇの」
哲平は素っ気なく言った。俺と浩介は木下優子の後ろで冷やかすように笑ったが、木下優子は哲平に褒められたのがよほど嬉しかったのか、顔を真っ赤に染めていた。続いて出てきたのは上杉直美だった。上杉直美は赤色の着物だった。自信家の彼女にはピッタリな色でこれもまたよく似合っていた。
「似合ってる?」
上杉直美はクルッと一回転した。
「うーん、さすが直美ちゃん。めちゃくちゃ似合ってる。さすが。可愛い」
浩介のは正にお調子者の褒め方だった。俺からしたらバカにしてるようにしか聞こえなかったが、上杉直美はとても満足した表情をしていた。そして後は片桐だけとなった。
「三郎。ドキドキだな」
浩介が冷やかした。
「何で俺がドキドキなんだよ」
そう強がるが、早く見たくて仕方なかった。
「汐里ちゃん超可愛いから、小林君見て倒れちゃダメだよ」
上杉直美が乗ってきた。
「倒れるわけ・・・・・・」
ガラっと扉が開いた。そして、燕色の着物を着た片桐が出てきた。あまりにの美しさに俺は息を飲み、目が離せなかった。今年の夏休みに片桐の浴衣姿を見たから、それと同じようなものだと思っていたが、想像の遥か上をいっていた。唇に引かれた真っ赤なルージューがルビーのように輝き、片桐の持つ気品をより一層引き上げていた。とても、同い年の女子とは思えなかった。
「ごめん。皆お待たせ」
申し訳なさそうな顔で班のメンバーの元へやって来た。
「真打ち登場とはこのことだな」
哲平が哲平らしく誉めた。
「さすが汐里だな。着物がよく栄えるぜ」
「二人ともありがとう」
少し照れくさそうに笑った。俺は相変わらず目が離せないまま片桐を見つめていた。
「そんなにジッと見ないでよ」
「わ、わりぃ」
「どう?変じゃないかな?」
片桐は少し両手を広げた。
「あ、その、」
しどろもどろしてしまった。褒めたいのに上手く言葉が繋げなかった。
「似合ってるよな三郎」
浩介が助け船を出した。そのお陰で冷静になれた。
「本当に似合ってる。それに、き、綺麗だと思うぜ」
顔から火が出るほど恥ずかしかった。さすがに綺麗は言い過ぎたと後悔した。
「サブローにそんなこと言われるなんて思ってもなかったな」
「あ、ごめん」
「何で謝るの。凄い嬉しいよ。ありがとう」
片桐が満面の笑顔で言ってくれた。それだけでも修学旅行に来た価値があると思えた。
「よし。美女三人も揃ったし、嵐山観光始めようぜ!」
浩介が元気よく言った。30分前は文句を言っていたのに、そんなことは忘れているようだ。俺達六人は足並みを揃えて嵐山へと向かった。
この時俺は本当にこの班になれて良かったと心から思っていた。
俺達は嵐山の入り口とも言える渡月橋に着いた。
「うわーすごーい」
上杉直美が黄色い歓声をあげた。だが、その気持ちは分からなくもなかった。目の前に広がる雄大な自然と趣深い木製の橋がこの上なくハマっていた。声をあげることはなかったが、胸一杯の感動が押し寄せていた。
「ね、ここで一枚写真撮ろうよ」
上杉直美の提案に誰もが賛成した。着物姿の女子三人が前男子三人が後ろに並ぶ形で撮った。
「写真が出来上がったら、焼き増しして皆にも渡すね!」
上杉直美が上機嫌で言った。
橋を渡ってる途中でふとほんのり苦い思い出が頭に甦った。そう言えば、小松紗奈に告白された時も橋の上だった。修学旅行の前に引っ越した小松は今は何をしてるいるだろうと思った。あの日の小松の何かに訴えかけるような眼を未だに忘れることは出来なかった。
「サブロー?」
声をかけられて我に帰った。
「どうしたの?皆先に進んでるよ」
片桐が不思議そうな顔をして立っていた。
どうやら、立ち止まってボーッとしていたみたいだった。30メートル手前で哲平達がこちらを見ている。
「あ、いや何でもない」
「もしかして、小松さんのこと思い出してたの?」
何故こうも勘が鋭いのだろうか。
「んなわけないだろ。早く行こうぜ」
俺は足早に哲平達の元へ行った。
渡月橋を渡った俺達は昼食を食べるために適当な店を探し、見つけて入ったのが蕎麦屋だった。少し値段はしたけれど蕎麦はとても美味しくて皆満足した。
「さて、腹も膨れたし行こうぜ」
浩介が皆を促した。
外を歩いてると妙に視線を感じることが多かった。そして、その視線のほとんどが片桐に注がれていることにすぐに気付いた。すれ違う男子は片桐を見て驚く者もいれば好意を向ける者もいた。中には隣を歩いている俺を冷やかす奴もいた。最初は鬱陶しいと思っていたが、段々とこんな綺麗な女子と一緒に行動していることが誇らしく感じてきた。最も片桐自身は視線に気付いてるのか気付いていないのか分からないが、特に反応を示すことはなく自然体で楽しんでいるようだった。そこがまた彼女の美点だと俺は思った。
最初の観光地点である竹林の小径に着いた。先程までの吹き抜けるような青空を隠すように世界が緑で覆われていた。
「綺麗だね。さっきの伏見稲荷とはまた違う神秘さを感じるな」
片桐がそう感想を漏らし、興味深そうに竹林を眺めている。緑の世界に燕色の着物が完全にマッチしている。俺は思わず見とれてしまった。すると、片桐が俺の方を向いたので目が合った。
「ん?」
片桐が首を傾げた。
「あ・・・・・・」
「私の顔に何か付いてる?」
「いや、何もついてはねぇけど」
「けど?」
「な、何でもねぇよ」
俺は片桐に背を向けた。
「変なの」
片桐の呟きが聞こえたが、反応することはなかった。
竹林の小径を抜けて野宮神社へと向かった。この神社にはお亀石と言う石があり、その石を触りながら願い事を念じると叶うと言われていた。
「知ってる?この神社は縁結びで有名な神社なんだって」
前を歩いてた上杉直美が言ってきた。
「そうなの!」
「へぇ」
女子二人は興味津々に、そして男子三人はあまり興味なさげな反応をした。
野宮神社の鳥居の前に着くと、右手に大きく白い看板に赤字でえんむすび・進学祈願と書いてあった。上杉な言ってたことは間違いではないようだ。
それなりに参拝客が多く、小さいながらも結構な賑わいを見せていた。
「まずは参拝しようぜ」
浩介が言った。
六人は鳥居をくぐり本殿に並んだ。本殿には10人程先に並んでいた。参拝を終えた俺達は目当てのお亀石へと移動した。移動と言っても、少し左隣にちょこんと置かれているだけだった。お亀石の方は特に誰も並んではいなかった。
「誰からやる?」
「ここはリーダーの浩介からだろ」
「そう言うと思ったぜ。まぁ良いけどよ」
浩介が目を瞑ってお亀石に触った。10秒程念じ、そっと手を離した。そこから哲平、上杉直美、木下優子、片桐汐里とそれぞれ思い思いの願いを念じた。片桐の願い事が何なのか気になった。そして、自分の番が回ってきた。だが、特に願い事が無かった。だが、一人だけやらないわけにもいかないので、必死に頭を回転させて答えに辿り着いた。皆と同じように目を瞑りながら頭を触る。そして、願い事を念じた。果たして、こんな願いで良いのかと頭がよぎったが、それ以外に思い付くことも無かったので集中して念じた。
野宮神社を出て竹林の小径を逆走して、天龍寺に向かった。天龍寺は日本で初めての史跡名勝特別指定にされた寺だと言う。
「お寺とは思えないくらい広いね」
高木優子が皆の感想を代弁した。事前学習の話しでは、隅から隅までちゃんと回るのに45分程かかるらしい。もちろん、そんな時間も体力もない。俺達は庭園だけを散策することした。有名な庭園だけあって、やはり綺麗だった。庭園には欠かせない錦鯉が優雅に泳いでる池があり、本堂以外の周囲は木々で囲まれている。先程まで通っていた本通りの騒音は全く聞こえないので、ここだけ時間がゆっくりと進んでいるように感じる。こんな場所で昼寝したりしながら一日をゆったり過ごすのも悪くないなと思った。
散策を続けると上り階段がある道が現れた。皆、さっきの稲荷大社のトラウマが甦ったのか、躊躇う姿を見せた。
「さっきみたいな階段じゃないよね?」
上杉直美が不安げに言った。
「まさか。山じゃあるまいし」
哲平が一蹴し、先頭を切って階段を上り始めた。他のメンバーもその後をぞろぞろと続いた。哲平の言う通り大した上り階段では無かった。北門の出口に向かう途中で急な上り階段があったが、誰もが見なかった振りをして素通りした。竹林が見える四阿でもう一度だけ班で記念写真を撮って天龍寺を後にした。
「あれ?ここってさっきの竹林の道だよね?」
片桐が言った。
どうやら、天龍寺と竹林の小径は繋がっていたようだった。
「俺達は随分と回りくどい回り方をしてたんだな」
哲平が言った。俺達は三度目の竹林の小径を歩いた。さすがに三度目となると、感動は薄れていた。
女性メンバーが着物を返さなければいけないので、着物を借りた店に戻った。返すだけなので今度は10分ほどで戻ってきた。来た道を戻り駅に向かった。
三日間の疲れが出ているのか、皆眠たそうな眼でボッーとしていた。片桐も何度か眼を擦っていたし、浩介は時折首がコクンコクンと揺れていた。何故か目が冴えている俺は向かいの窓の外を見た。空がほんのり茜色に染まっていた。この水色と茜色が織り成す空のコントラストが大好きだった。
カメラを無くしたせいで、片桐との2ショットを撮れなかったが、満足感と充実感で満ち溢れている。片桐の着物姿を俺は一生忘れることはないと思った。
不意に右肩に重さを感じた。肩に眼を向けると片桐が頭を乗せていた。俺は驚きのあまり体が硬直してしまった。動くに動けずどうしたら良いのか分からなかった。こんな状態を班の誰かに見られたらと思って横を見たが、片桐のみならず皆一様に首が下を向いていた。
見まいと思っていたが、つい片桐の寝顔を覗きたくなった。片桐が起きないようにそーっと顔を前に少し突き出した。片桐はどこか嬉しそうで安心したような表情で眠っていた。そんなあまりにも無防備な寝顔を見た俺は今までにないくらに鼓動が早くなった。この鼓動の音で片桐が起きてしまわないか心配になった。車体が少し揺れた。俺は急いで顔を元の位置に戻した。今の振動で起きたかもしれないからだ。だが、片桐が起きた気配は無かった。俺はもう一度だけ片桐の寝顔を覗き見した。先程よりも鼓動は収まっていた。俺はこの寝顔をいつまでも守りたいという気持ちになった。京都駅までに着く20分間。俺は最高に幸せな気持ちで過ごした。
俺達の体と思い出を乗せた新幹線が京都駅を出発した。もう二度と訪れることのない修学旅行の最後の行程が始まった。最後まで思い出を作ろうと皆ワイワイと騒いでいた。中には自席で過ごしいている奴もいたが、ごく少数だった。そして、その少数に俺はいた。騒ぎたくない訳ではない。ただ、今は静かに過ごしたかった。右肩には片桐の重みが今も残っていた。
何気なしに窓の外に眼をやったが、スッカリ暗くなっているので景色を見ることは叶わなかった。仕方ないので、頬杖をついて眼を閉じた。眠ってるわけでない。この修学旅行の思い出を遡っていたかった。この修学旅行で見せてくれた片桐の表情や仕草を忘れないために。
しばらくすると、隣に誰か座る気配がした。俺は閉じていた目を開けて隣の席に目を向けた。驚いたことに片桐が座っていた。
「ほんとに寝るのが好きなんだね」
「別に寝てねぇよ。目を瞑ってただけだ」
「目を瞑って何考えてたの?」
そんなこと言えるわけがなかった。
「何でも良いだろ。てか、どうしてここに座ってるんだよ」
「ダメ?」
「ダメって言うか、浩介はどこ行ったんだ?」
「浩介なら隣の車両に行ったけど、邪魔みたいなら席に戻るね」
「いや、別に邪魔じゃねぇけど・・・・・・」
今しがたまで頭のなかで考えていた人物が横に居るのは何となく気恥ずかしかった。
「自分の席に戻らなくて良いのか?」
「うん。優子も寝ちゃったし暇なんだよね」
「そうか」
だからと言って、ここに座る必要はあるのだろうかと思ったが、そんなことを言って立ち去られても嫌なので黙っておいた。
「だから、東京駅に着くまでここに居ていい?」
「えっ、ああ、別に良いけど」
出来るだけ嬉しさが顔に出ないように言った。しかし、内心は快哉を叫んでいた。まさか最後の最後でこんな素晴らしい時間を過ごせるとは夢にも思っていなかった。
それから30分程は他愛もない話しをした。片桐の不意に笑ってみせる仕草が可愛くてその度に心臓がドキドキした。会話も一段落してきた頃、片桐が核心をつく質問をしてきた。
「そう言えば写真は撮れた?」
「写真?」
「ほら、2ショット。サブロー撮りたい人いたんでしょ?」
「あ、ああ」
今更ながらに思い出した。修学旅行の最大の目的と言っても良いことだったと言うのに。
「それで撮れた?」
「実はカメラを失くしちまってよ。だから、撮れずじまいだった」
「あ、そうだったんだ。だから・・・・・・」
「だから?」
「ううん。何でもない。そうかカメラ失くしちゃったからか。それは残念だね」
何故か、片桐の方が俺より残念がってるように見えた。
「そう言う片桐は撮れたのか?」
「私も撮れてないよ」
内心ホッとしている俺がいた。
「今も声を掛けてもらうのを待ってたけど、一向に来ないから諦めちゃった」
その男は何て勿体無いことをしたんだと思った。
「自分から撮ろうって言わなかったのか?」
「女の子は自分から言うより、向こうから言って欲しいって思ってるものなんだよ」
「そんなもんなのか」
「そんなもんなんですよ」
敬語の返しがおかしくてつい笑ってしまった。
「喉乾いたら飲み物取ってくるね」
そう言うと、片桐は席を一旦離れた。
「ねぇサブロー。提案があるんだけど」
飲み物を取ってきた片桐が唐突に切り出した。
「なんだ?」
「一緒に写真撮ろうよ」
「は?」
俺は目が点になった。一瞬、片桐の言ってる意味が分からなかった。
「嫌だ?」
「嫌って言うか、急にどうして?」
「そう言えば、サブローと撮ってなかったって思ってさ。それで何となく。あ、言っておくけど最後の一枚じゃないよ」
片桐はニヤっと笑った。
「別にそんなこと気にしてねぇよ」
少し安心したような傷付いたような複雑な気持ちになった。
「やっぱり私とじゃ嫌だ?」
少し落ち込んだ声で聞いてきたので、俺は慌てて言った。
「そ、そんなことねぇよ。むしろ、俺なんかと撮って良いのかよ?」
「何でサブローと撮っちゃダメなの?」
「だって、ほら俺は周りの連中に嫌われてるし」
「私別にサブローのこと嫌いじゃないもん。ほら、早く撮ろうよ。体こっちに向けて」
「誰に撮ってもらうんだよ」
困ったことに哲平も浩介も近くにはいない。
「自撮りするから大丈夫」
「自撮り?」
全く聞きなれない言葉だった。すると、片桐はレンズ側をこちらに向けるように右手で持った。そして、体を俺の方にグッと寄せてきた。思いがけない行動に俺の心臓は途端にバクバク言い始めた。
「ほら、これで自撮り出来るんだよ」
「ほんとにこれで上手く撮れるのか?」
現代のスマホと違って顔の位置など確認することは出来ない。この時代の自撮りは言わば一種のギャンブルに近い。
「大丈夫。何回も撮ってるから。もう少し頭下げて。うんそれくらい」
ほんの数センチの所に片桐の頭があった。仄かに香るシャンプーの匂いが鼻をくすぐった。どうして女子はこうも良い匂いがするのか不思議でならなかった。
「カメラの位置はこれくらいかな?よし、じゃぁ撮るね。ピースして笑って」
「お、おう」
しかし、どうも顔がひきつってしまう。
「サブローちゃんと笑えてる?」
「いや、どうだろう」
「じゃぁ、変顔してよ。得意でしょ?」
「わ、わかった」
せっかく好きな女子と2ショットを撮ると言うのに変顔しなきゃいけないのが悲しくなったが、笑顔を作れる気がしないのでヤケクソで思いっきり顔を崩した。パチッと音が鳴ると同時に、一瞬光に包まれた。
「うん。多分、撮れてるよ。ありがとう」
「あ、ああ。こっちこそ」
満足そうな顔でポケットにカメラをしまっている片桐にふと聞きたい事が出来た。
「なぁ」
「なぁに?」
「片桐の一緒に撮りたい人って誰なんだ?」
「サブローが先に教えてくれたら教えてあげてもいいよ」
「え、いやそれは・・・・・・」
「じゃぁ教えない」
何と言えば分からず、沈黙が流れた。
「でもさ、例のジンクスは何も修学旅行で撮らなきゃいけないなんてルールはないんだよ」
片桐が不意に話し始めた。
「どうゆうことだ?」
「いつでも良いってこと。修学旅行にこだわる必要はないんだよ」
「まぁそう言えばそうだな」
しかし、普段の生活で最後の一枚を撮るチャンス等滅多に訪れはしない。だからこそ修学旅行のような自然と近付きやすいタイミングを皆狙うのだ。
「ねぇ。また一つ賭けを思いついたんだけど、勝負する?」
「良いぜ。それで勝負の内容は?」
「写真のジンクスが本物かどうか勝負しよう」
「どうやってだよ」
「簡単だよ。二人とも好きな人と一緒に最後の一枚を撮って、本当に永遠に結ばれるのか証明するだけだよ」
「い、いや、そんな簡単に撮れないだろ。第一、どうやって証明するんだよ」
「だから、この勝負は卒業後も続くからね。サブローが好きな人と撮れたら私に教えてよ。私も教えるから」
「そんな無茶な・・・・・・」
そんな曖昧な勝負があるだろうか。と言うより、片桐の好きな人と写真を撮った報告なんて聞きたくもない。
「負けたらどうするんだよ」
俺は聞いた。
「どうもないよ。だって、死ぬまでどうなるか分からないじゃない」
俺は何て途方もない賭けを仕掛けてくるんだと思った。これでは乗る意味があるのか疑問に思った。
「止める?」
「いや、どんな賭けであれ、勝負なら乗ってやるよ」
「さすがサブロー。じゃぁ、私はジンクスが本物の方に賭けるよ」
「本当か?」
「うん。サブローもこっちが良かったの?」
「い、いや、圧倒的に偽物の方が有利だから、そっちを選ぶと思った。もしかして、夏やのように俺にハンデのつもりで本物を選んでるのか?」
「今回は違うよ。だって、私は確信してるもん。この勝負は絶対に勝てるって」
「なんでそこまで言い切れるんだよ」
「サブローとの賭けだからだよ」
「意味わかんねぇよ」
「とにかく、勝負を成立させるためにも、ちゃんと好きな人と一緒に写真を撮ってね」
「お、おう」
片桐と最後の一枚を撮れる日はやって来るのだろうか。
「ま、サブローが撮れなくても保険はかけておいたけどね」
「どうゆうことだ?」
俺は眉を潜めた。
片桐は何も言うことなく謎めいた微笑みを見せるだけだった。
東京駅に着いて降りた。そして、出発日と同じ広場で学年全体で集まった。高校生にもなって今更帰る際の注意事項など言われても耳にタコなだけである。退屈な締めの話しに欠伸を噛み殺して聞き流し、ようやく各自解散となった。
帰る時は何故か自然と班のメンバーで帰ることになった。だからか、修学旅行がまだ続いているみたいで嬉しかった。帰るまでが修学旅行とは良く言ったものだと思った。
在来線を乗り継くど、段々と見知った町並みが見えてきた。いよいよ修学旅行の終わりを実感することとなり寂しさや虚無感と言うものが一層強く押し寄せてきた。他の皆も似たような想いを抱いているのか、口数が少なかった。もっとこのメンバーで旅行をしたかったと心から思った。
中学と違って最寄り駅は人によって変わる。一人また一人と降りていく。誰かが降りる度に終わりへのカウントダウンへと向かっているみたいで余計に切なくなった。そして、自分が降りる駅へと近付いてきた。残っているのは俺と片桐と浩介の三人だけだった。哲平は一駅前で降りている。片桐と浩介は家が近いこともあり、降りる駅は一緒だった。
「俺ちょっとあっちに知り合いがいないか見てくるわ」
電車が出発した途端に浩介が言った。
「えっ?」
片桐が反応した。
「今から?」
俺が言った。
「ああ」
「後少しで着くのに?」
今度は片桐が言った。
「良いだろ別に。知り合いの女が居たらそいつと帰るから、汐里は勝手に帰ってていいよ」
「はいはい。分かりました」
少し軽蔑を込めた声で言った。
浩介が見え透いた嘘をついて別の車両へと移動していった。その際に浩介が俺にウインクしたのを俺は見逃さなかった。
「ほんと地の果てまでの女好きなんだから」
「でも、何だかんだ仲良くしてるじゃねぇか」
「まぁあれはあれで良いところはあるからね。性格はゲスだけど。そう言うサブローだって仲良いじゃない」
「根は良い奴なんだよ。ゲスだけど」
その言葉に二人で笑った。
「修学旅行ももう終わっちゃうね」
片桐がしんみりとした声で言った。
「そうだな」
俺も負けないくらいしんみりとした声だった。
「修学旅行楽しかったね」
「ああ。何度でも行きてぇな」
「そうだね。でも、修学旅行は人生に一度だから、こんなに楽しかったのかもよ」
言われてみればそうなのかもしれないと思った。旅行は何度でも行けるが、修学旅行は人生でたったの一度だけ。だからこそ、こんなにも宝物のような思い出になるのかもしれない。
「あ、そうだ。これ渡すの忘れてた」
そう言ながら、片桐はカバンを漁り始めた。そして、出したのは生八つ橋だった。
「はい。賭けの生八つ橋。お土産の品になっちゃったけど」
「覚えてたのか?」
てっきり、忘れてるものだと思っていたし、自分はすっかり忘れていた。
「忘れないよ。前にも言ったでしょ。サブローとの約束は忘れないよって」
テストの点数を勝負した日を思い出した。決して忘れられない場面として今も脳裏に焼き付いている。
「ほら、受け取って」
「ほんとに良いのか?」
「サブローに受け取ってもらわないと意味ないんだから。はい」
片桐は少し強引に俺に押し付けるように渡してきた。
「ありがとう」
「どういたしまして。でも、あの賭けは負けないからね」
俺は小さく頷くだけだった。勝ちも負けも曖昧なあの賭けは本当に高校を卒業しても続くのか不安だった。
間もなく駅に到着すると言うアナウンスが流れた。ついに自分が降りる番が来てしまった。
「サブローが降りる番だね。気をつけて帰ってね」
「片桐こそ。浩介のやつが見送ってくれると思ったのによ」
「そんなに駅から遠くないから、一人でも大丈夫。それに夜は浩介と帰る方が危険かも」
「それは言えてるな」
二人でまた笑った。
電車が駅に着いた。
「またね。サブロー」
片桐は微笑みながら、小さく手を振る。
「じゃあな」
俺は片手をあげて電車を降りた。そのまま振り返って片桐を見送る。電車の扉が閉まり、静かに滑るように動き始めた。
片桐を見送った俺はホームを後にして改札を出た。一人になった途端にまたも侘しさが胸に押し寄せていたが、見知った景色に嗅ぎ馴れた香りがその侘しさを少しだけ紛らわしてくれた。ほんの二日間しか離れてないのに、地元の空気感が懐かしく思えるのが不思議だった。俺は鼻歌を交えながら、陽気に家路へとついた。