ジンクス
高校生活最大のイベントと言っても過言ではない修学旅行。その修学旅行が11月に控えていた。行き先は京都奈良で日数は二泊三日。俺達は夏休み直前のHRの時間を使って班決めをしていた。
同性の班決めは滞りなく決まった。俺はもちろん哲平と浩介が同じ班になった。浩介は色んな奴から誘われていたが、本人が一年前から約束をしていた俺達と同じになると言ったので、無事に同じ班になった。問題はここからだった。俺も含めてクラスのほとんど男子が望むのは片桐汐里と同じ班になることだった。大荒れする予感がしたが、片桐班が俺達と同じになりたいと言い出し、特に揉めることなく俺達と同じ班に片桐汐里がやって来た。俺は嬉しくて小躍りしたい気分だったが、腕を組んであくまでも無関心の態度を装おった。本当に無関心な哲平は欠伸をしながら、ダルそうな目付きで事の成り行きを見守っていた。
班も決まったので、残りの時間は班で集まり班行動の際に行きたい場所を決める時間になった。
放課後、俺は哲平と浩介と帰っていた。
「良かったな三郎。汐里と同じ班になれてよ」
「ああ。浩介には感謝してるよ」
「良いってことよ」
浩介は鼻を掻いた。照れてる証だった。
「にしても、どうやってあの片桐を説得したんだ?」
哲平が聞いた。
浩介はニヤリと笑った。
「将を欲すんば先ず馬を射よって格言あるだろ。汐里と同じ班になるには汐里よりも周りを説得するのが一番だと思ったんだ。汐里は優しいから友達の言うことに反対することはあまりないからな。それに汐里自身も都合が良かったはずだし」
最後の言葉の意味が俺にはこの時分からなかった。
「そうだとしても、片桐の友達に手を出すとは恐れ入ったよ」
哲平は呆れて言った。
「ま、俺も女と遊べるし一石二鳥みたいなもんだろ」
「お前は良い奴なのかゲスなのか分からないな」
「将来、ホストやれよ」
「悪くねぇな」
「間違いなくNO.1になれるだろうよ」
俺達は笑った。
俺と片桐の仲は特に進展することなく終業式を迎えた。これから一ヶ月は片桐に会えないと思うと、寂しくて堪らなかったが、だからと言って、夏休みにどこか遊びに誘う勇気も無かった。
浩介が気を利かせてくれたのか、帰りはいつもの三人に加えて片桐とその友人である木下優子と浩介が手を出した上杉直美を交えた六人で帰ることになった。しかし、俺と片桐は端と端だったので、特に会話もすることもなかった。
駅で片桐を見送ることになった。片桐以外は全員チャリかバスだった。
「じゃぁ、皆バイバイ。夏休み楽しんでね」
片桐が明るく言った。
「汐里もな」
「そういや三郎。お前、今日用事があるから電車乗るって言ってただろ。片桐を途中まで見送ってやれよ」
哲平が言った。俺は驚いて哲平を見た。
「そうなの?」
片桐が聞いてきた。
「いや、その・・・・・・」
言い淀んでいると、浩介が脇にエルボーを加えてきた。
「実はそうなんだよ。でも、片桐は一人で帰る方が良いのかなって思ってたから、言い出せなくてよ」
俺は頭を掻きながら言った。
「別に私はどっちでもいいけど」
「なら、決まりだ。じゃあな三郎」
浩介がそう言うと、四人はその場を去っていった。突然、二人で残された俺と片桐は少しぎこちない空気をまといながらも駅まで一緒に向かった。
「サブロー」
「あん?」
「夏休みは何して過ごすの?」
「何してって言われてもな。哲平や浩介と夜中まで遊んだりとかそんなことしてるんじゃねぇの」
「女の子とデートしたりしないの?」
「はっ。俺みたいな奴とデートしたがる女なんていないだろ。皆、七瀬と出掛けたいって思ってるよ」
「そんなこと分からないでしょ。実はサブローのことを想ってるけど、伝えられないでもどかしい気持ちになってる女の子だっているかもしれないじゃない」
「そんな健気な女いるかよ」
「いたらどうする?」
「どうするって言われたって・・・・・・」
「その女の子から想いを伝えられたら、サブローは付き合う?」
「・・・・・・その女によるな」
「誰ならいいの?」
何て返事をすれば分からない。その女の子が隣にいる女の子だったら、躊躇うことなくYESと答える。だが、そんなことは言えない。
「さぁな」
そう答える他なかった。
それから二人は黙って車窓の景色をぼんやりと眺めた。
「ねぇ、また一つ賭けをしようよ」
唐突に片桐が言った。
「良いけど。何を賭けるんだよ」
「今回はそうだな。修学旅行先の京都で生八つ橋を奢るってのはどう?」
「良いぜ。それで内容は?」
「夏休み私達が偶然出会うかどうか」
「どうゆうことだ?」
俺は首を捻った。
「そのまんまだよ。街中とかどこでもいいけど、会う約束をしないで偶然会ったら私の勝ち。会わなかったらサブローの勝ちで良いよ」
「俺の方が大分有利な気がするな」
「じゃぁ、決まりだね」
片桐が小指を出してきた。
「子供じゃあるまいし別に良いだろ」
「ダメ。ほら、早く出して」
俺は躊躇いがちに右手の小指を差し出した。すかさず、片桐は小指を絡めて指切り厳満と呟いてそっと小指を離した。
「サブローはどこまで行くの?」
聞かれたくない質問だった。どこもなにも哲平のアドリブなのでどこにも行く予定はない。かといって、同じ場所に降りるわけにもいかない。咄嗟に扉の上に貼られている簡易路線図に目を走らして見つけた駅名を適当に言った。
「あ、えっと、六角坂って所」
「そこに何しに行くの?」
「何でも金つばの美味しい和菓子屋があるから、母親が買ってこいって使いに出されたんだよ」
我ながら上手い嘘だと思った。
「ふーん」
それっきり俺達は無言のまま電車に揺られた。やがて、片桐が下車する駅が近付いてきた。
「今日はありがとう」
「何が?」
「本当は私のこと見送ってくれたんでしょ?」
「いや、俺は・・・・・・」
「サブローが降りる駅に和菓子屋なんてないよ」
「えっ」
俺が驚いた顔をすると片桐はくすっと笑った。
「サブローは嘘つくのが下手だね」
「う、うるせぇ」
電車が駅に止まった。片桐は電車を降りる前に俺の方に体を向けた。
「でも、嬉しかったよ。サブローと一緒に帰れて」
「片桐・・・・・・」
片桐がぴょんと跳ねながら電車を降りた。
「またねサブロー。夏休み会えると良いね」
電車の扉が閉まった。扉越しで片桐が笑って手を振っていた。俺はその姿を目に焼き付けた。
家の電話が鳴った。誰か取るだろうと思い、放置していたが誰も取る気配が無いので、私は仕方なく受話器を取った。
「はい。片桐です」
「おー丁度良かった。俺だよ」
「何だ、浩介か」
私は少しガッカリした声を出した。
「何だとはご挨拶だな」
「何か用?」
浩介と無駄話しをするつもりは無かった。
「三郎から電話は来たか?」
「別に来てないけど」
そんなことを確認するために、わざわざ電話をしてきたのだろうか。
「そうか。まぁそれは良いとして、明日の夏祭りには行くのか?」
「行くよ。もう行く人も決まってるから」
私を誘うことはないだろうが、一応保険をかけておいた。
「まさか七瀬とか?」
「そんな訳ないでしょ」
誰が教えたのか知らないが、夏休みに入ってから七瀬君からしょっちゅう電話が来ていた。あまりにもしつこいので、渋々大人数で遊ぶ時だけ参加することにした。それなのに、明日の祭りも一緒に行こうと誘ってきたのでほとほと参っていた。七瀬君と二人で祭りなんか行ったら、それこそ周りから何と言われることだろうか。もしそれがらサブローの耳に入ったら、めんどくさいことになるのは明白だった。
「それを聞いて安心したぜ」
「それで祭りに何かあるの?」
「そうそう。その祭りで三郎が毎年出店を手伝ってるって知ってるか?」
「え?そうなの?」
そんなことは初耳だった。
「親戚の叔父さんが店を出してて、毎年バイトに駆り出されるんだよ」
「へぇ。偉いね三郎。今年は何やってるの?」
「ラムネ屋だってよ」
「あのサブローがよくめんどくさからずに手伝ってるね」
「その分、見返りが良いからな」
浩介の話しではかなりのアルバイト料を貰っているそうだ。
「それで?」
「それだけだ」
「え?」
「夏休みの間、好きな人に会えないのは辛いだろ。だから、教えてやったんだよ」
「でも、私達は夏休みは会う会わないって賭けてるんだよ」
「ああ。そんなことしてるらしいな。全くどっちも強がりなんだから、素直に遊びに誘えば良いのによ」
「浩介には関係ないことでしょ」
他人にそう言われると少し腹が立つのは何故だろう。
「へぇへぇ。ま、そうゆうことだから。後は汐里がどうするか自由に決めろよ。じゃあな」
浩介は電話を切った。
受話器を置いた私はすぐに名案を思い付いた。浩介がわざわざ教えてくれたのも私が必ずそうすると思ったからだろう。浩介の思い通りになるのは癪だが、サブローに会いたい気持ちは限界を迎えていた。何度、サブローに電話するために受話器を手に取ったことか。しかし、グッと堪えた。一度でもサブローと会う楽しみを覚えてしまったら、この先何度も何度も誘ってしまうのが目に見えていたからだ。
でも、サブローが動けない状況なら会いにいっても大丈夫だろうと思った。私は来週の夏祭りが待ち遠しくて仕方なかった。
40日もある夏休みは何故か一瞬にして過ぎ去る。ほとんどの学生がそう感じていることだろう。そして俺もその一人だった。気付けば、夏休みも残す所一週間となった。結局、片桐とはあの日以来会っていない。このままいけば賭けは自分の勝ちになるが、負けてもいいから片桐に会いたい気持ちで一杯だった。浩介に片桐の家の電話番号を聞いて夏休み中に会えないかと言う電話をしようと思ったのだが、断られた時のショックを考えてしまい、電話番号を聞く勇気が生まれなかった。
空のラムネ瓶を運び終え一息ついた。今日は地元の祭りの日だった。毎年祭りになると親戚の叔父さんが露店を出すので、中学生の時からその手伝いをしていた。祭りに参加したい気持ちも多少あったが、叔父さんがタップリとアルバイト料を弾んでくれるので喜んで手伝っていた。叔父さんは毎年違う露店を出すので、マンネリ化しないのも続いている要因だった。今年はラムネを販売していた。
「あれ?サブロー?」
聞き覚えのある声が後ろから聞こえたので振り向いた。そこには浴衣姿の片桐汐里が立っていた。
「片桐・・・・・・」
俺は思わず息を飲んだ。目の前に立っている片桐は赤い浴衣を着ていたのだが、これがまたこの上なく似合っていた。髪を結い上げて化粧もしているので大人っぽさが増していた。そのあまりにも綺麗な姿に目を奪われてしまった。
「こんな所で何してるの?」
片桐の声で我に返った。
「あ、ああ。手伝いだよ。ここ叔父さんの店なんだ」
「へぇー偉いねサブロー」
誉められて背中の辺りがこそばゆくなった。
改めて見ても、自分の知っている片桐とは別の人物に思える。この片桐と今から祭りを回れるのであれば、俺は喜んで今日のアルバイト料を返納するだろう。
「片桐こそ一人で何してるんだ?」
「一人じゃないよ。ちゃんと連れがいるよ」
「誰?」
どうか七瀬じゃありませんようにと願った。
「優子だよ」
俺は胸を撫で下ろした。
「で、その木下はどこにいるんだよ」
「お手洗い」
「近くで待ってなくて良いのか」
「だって、トイレ凄い混んでるんだもん。多分、20分以上かかると思うよ。だから、ただ待ってるのもつまらないから、少しふらついていたの。そしたら、サブローを見つけて驚いたよ」
「驚いたのは俺もだよ。まだ戻らなくても大丈夫なのか?」
「うん」
何か言おうと思ったが、カップルと思われる男女が店にやって来た。二人とも浴衣を着ている。
「いらっしゃいませ」
俺は頭を下げた。
「ラムネ二つ下さい」
彼氏らしき男がそう言った。その男は店の横に立っている片桐に目をやり驚いた表情を見せた。それもそのはずでとんでもない美少女がこんな所で一人で突っ立っているのである。もし、これが女連れではなく男連れだったら間違いなくナンパされていたことだろう。ラムネを用意する間も男は熱い目線をチラチラと片桐に向けていた。しかし、片桐はそんな目線など気に止める風もなく真っ直ぐ前だけを見据えていた。男の方は最後まで気にしていたが、連れの女性に肘でつつかれながら「見すぎ」と言われてラムネを受け取るとバツ悪そうにその場を離れていった。
「やっぱり祭りにはラムネだよね」
片桐がラムネの入った容器を見ながら呟いた。
「ねぇ、私も買うから一本頂戴」
「別に金要らねぇから好きなの持っていけよ」
「あなたのお店じゃないでしょ。そうゆうのはダメだよ。それに奢られるの好きじゃないの。はい150円」
受け取るのは気が進まなかったが、片桐は受け取らなければラムネを飲まないと分かっているのでお金を受け取った。
「勝手にとっていいの?」
「あ、ちょっと待って」
数あるラムネの中から一番冷えてるやつを探し、タオルで水滴を吹いて詮を開けて渡した。
「ありがとう。喉がカラカラだったの」
片桐はラムネを受け取ると、一気に飲んだ。本当に喉が渇いていたのだろう。浴衣から覗き出てる白い喉が上下に躍動しているのが分かる。
「あー美味しい」
本当に美味しそうな顔をするので、俺も飲みたくなってしまった。
「サブローも飲む?」
自分が飲んだラムネを差し出してきた。
「い、要らねぇよ。今、仕事中だし」
仕事中関係なく間接キスをするのが恥ずかしかった。
「そっか。美味しいのに」
「後でゆっくり飲むよ」
「そうだね。仕事終わりに飲んだ方が美味しいよね。さてと、そろそろ優子の所に戻ろっかな」
会えたのは嬉しかったが、もう別れなければならないと思うと、たちまち寂しくなった。
「また俺の負けだな」
「え?何が?」
「夏休み前に賭けたじゃねぇか。夏休み偶然会うかどうかって」
「ああ」
片桐が頷いた。
「祭りとは言え、会ったもんはしょうがねぇ。生八つ橋奢ってやるよ」
「うーん、まだサブローの負けとは決まってないよ」
「だって、会ったじゃねぇか」
「偶然会ったらって言ったでしょ」
「どうゆうことだ?」
片桐は少し微笑むと、飲み干したラムネの瓶を俺の頬に当ててきた。
「冷たっ」
「ごちそうさま。これ捨てておいてくれるよね?」
「あ、ああ」
俺はラムネの瓶を受け取った。
「またねサブロー。後、一週間私に会えないと良いね」
「だから、どうゆう意味だよ」
片桐はすぐには答えず少し離れてたから俺に言った。
「今日は偶然じゃないってことだよ」
片桐は小さく手を振って人混みの中に消えていった。
俺は空っぽのラムネの瓶を片手にその場に立ち尽くしていた。
結局、片桐と会うこと無く夏休みは終わりを迎えた。俺は眠い目をこすりながら学校へと向かった。
教室に入ると既に片桐は来ていた。俺が席に近付くと顔を向けてはにかみながら挨拶を寄越した。
「サブローおはよ」
少し日に焼けた顔がいかに夏休みを満喫していたのか語っていた。
「おっす」
返事をしながら自分の席に座った
「夏休みの宿題はやった?」
「まぁまぁな」
「ダメじゃない。ちゃんとやらなきゃ」
言葉の割りに非難してるようには聞こえなかった。まるで、俺がちゃんとやってこないのを予想していたようだった。
何か言い返そうとしたが、片桐が木下優子に呼ばれて席を立った。
俺は固い椅子のこれまた固い背もたれに体を預けて窓の外を見つめた。九月になったが、外はまだまだ暑い。今日は帰りにSATでも行こうかと考えた。
「よっ。サブロー」
浩介がやって来た。
「おう」
「どうした?お前が始業式にくるなんて」
「別に良いだろ」
「そうかそうか。汐里に真っ先に会いたくて来たってわけだな?」
そう言いながら浩介は片桐の椅子に座った。
「だーもう初っぱなからうるせぇなやつだな」
「そう怒るなって。哲平はやっぱり来ないのか」
「あいつは来ねぇよ。校長の無駄話しと女の自慢話しが大嫌いだからな」
その言葉に浩介は声をあげて笑った。
「浩介。どいて」
いつの間にか戻ってきた片桐が側に立っていた。
「おっと。悪い悪い」
浩介はそそくさと自分の席に戻った。
「ねぇ」
「あん?」
「今日、始業式終わった後に時間ある?」
「あるけど、なんだよ?」
「有原君のことで相談があるんだけど」
片桐が少し声を潜めた。
「哲平のこと?」
片桐が哲平に何の用があると言うのだろう。
「うん。めんどくさいと思うけど、ちょっと話しに付き合ってほしいの。ダメ?」
「ダメじゃねぇけど」
「じゃぁ、放課後お願いね」
「ああ」
始業式の間も片桐が哲平への用をずっと考えていた。もしかして、哲平に気があるのかと思ったら気が気でなかった。
始業式が終わり教室に戻ると、片桐が耳打ちをしてきた。
「相談場所なんだけど、サブローがよく行ってる喫茶店でもいい?」
「SAT?」
「そう」
「まぁ別に良いけど」
「ありがとう。悪いけど、先に行ってて。私は少し遅れて行くから」
特にそれ以上の説明もないまま話しは終わった。帰りのHRを終えたので、早速SATに向かい片桐を待った。
「珍しいね。今日は一人かい?」
店主の陽二が聞いてきた。
「ええ、まぁ」
正確には後から来るのだが、相手が片桐なので少し言い出しづらかった。
「もしかして女の子待ってるの?」
俺は飲んでいたミルクティーを吹き出しそうになった。
「その反応は当たりか」
陽二が笑った。
「何で分かったんすか?」
「だって、サブちゃん。さっきから落ち着きがないよ」
「これは・・・・・・」
「デートかい?」
陽二がニヤリと笑った。
「ち、違いますよ。何か相談があるって言うから聞くだけで」
「そうかそうか」
陽二はどこか楽しむかのように頷いた。
その時、店のドア開いて店内の様子を探るように一人の客が入ってきた。その客は片桐だった。
「いらっしゃいませ」
「あ、こんにちは」
片桐は陽二さんに挨拶を交わし、俺の姿を確認すると安堵の表情を見せて一旦店の外に出た。
「もしかして、今のが彼女?物凄い可愛いじゃない」
陽二がニヤニヤしながら聞いてきた。
「彼女じゃないですよ」
一旦外に出た片桐がもう一度入ってきた。驚いたことに後ろには片桐の友人である木下優子がいた。何故、木下が一緒にいるのか見当もつかなかった。
「サブちゃんの友達かな?」
陽二が片桐に声をかけた。
「あ、はい。そうです」
「改めていらっしゃいませ。さ、どうぞどうぞ」
陽二が手で促した。片桐は少しだけ頭を下げて俺の座っているテーブル席にやって来た。後ろから付いていている木下優子の顔は明らかに不機嫌そのものだった。
「待たせてごめんね」
片桐はそう言いながら座った。隣の椅子を引いて木下に座るように促した。木下は渋々と座った。全く何なんだ一体。
「意外だなぁ」
店内を見回した片桐が言った。
「何が?」
「サブローがこんなオシャレな店に通ってるなんて」
「悪いかよ」
「悪いなんて言ってないでしょ。センスがいいねって褒めてるんだよ」
俺が何か答える前にお冷を持ってきた陽二が会話に入ってきた。
「お褒めに預かりありがとうございます」
陽二は丁重に頭を下げた。
「あ、店長さんですか?」
「はい。SATの店長の道本陽二です。よろしくね」
陽二は笑顔で応えた。この笑顔に悩殺されるマダムが後を絶たないと言う噂をよく耳にする。
「片桐汐里です。こっちは友達の木下優子です。よろしくお願いします」
片桐はしっかりと頭を下げたが、木下は軽くペコッと下げただけだった。
「いやー。こんな可愛い女子高生二人がこんなおじさんの店にやって来てくれるなんて嬉しいなぁ」
「そ、そんな」
ドストレートの褒め言葉に片桐はつい照れていた。そんな恥じらう姿を目の当たりにした俺は胸がドキドキしていた。
「じゃぁ、注文が決まったら呼んでね」
そう言って、陽二は退散した。
「凄いカッコいい店長だね」
片桐が少し興奮した口調で言った。
「あ、ああ。そうだな」
まさか陽二さんに惚れたりしないだろうかと一瞬不安になったが、あまりにも馬鹿馬鹿しい妄想だと気付いた。
「サブローが通うのも分かるな。あの店長さんなら私も通いたくなってきたもん」
また今度に一緒に行こうぜの一言が俺には言えない。結局、黙って頷く他なかった。
「どれにしよっかなー」
片桐はメニューをペラペラめくりながら思案している。一方隣の木下は下を俯いたままだった。何故こんなにも不機嫌なのか分からないが、いい加減鬱陶しいのでやめてほしかった。
「優子はどれにする?」
木下を気遣って聞いたが、木下は首を横に振るだけだった。片桐は肩をすくめて陽二を呼んだ。
「はい。何にするの?」
「このアイスカフェオレください」
「優子ちゃんは頼まないのかい?」
陽二は早くも名前を覚えていた。名前を覚えるのが早い男はモテる。それに気付いたのは、酒を飲めるようになってからだった。
「あ、やっぱり頼まないとダメですか?」
「いや、そんなことないよ。もし、何か飲みたくなったら呼んでね」
「すみません。ありがとうございます」
陽二はアイスカフェオレをすぐに持ってきた。
「はい。お待たせ。じゃぁ、ごゆっくり」
「ありがとうございます」
片桐は軽く頭を下げ、一口啜った。そして、目を輝かせた。
「美味しい」
「だろ?」
思わずニヤッと笑ってしまった。
「サブローが作った訳じゃないでしょ。でも、本当に美味しいなこれ。優子も飲む?」
「要らない」
まだ機嫌は治らないようだ。
お昼の時間も過ぎたからか、徐々に店内に客が増えてきた。妙に女性客が多いのは、やはりさっきの噂は本当だろうと思えた。話しをそこそこに俺は本題を切り出した。
「それで哲平のことで俺に相談ってなんだよ」
「えーとね、優子言って良いよね?」
「好きにしてよ」
木下はふて腐れたまま言った。
「実は優子。有原君のことが好きなの」
驚きで声が出なかった。全く予想していなかった相談だった。隣で木下優子がそんなにストレートに言わなくてもと文句を言っていた。
「それでサブローに有原君のことを聞きたかったの。そうだよね優子?」
木下はチラッと俺を見てすぐ逸らし、コクンと頷いた。
「哲平のことを聞くって何を聞くんだよ」
「それは有原君の趣味とか好きなものとか?」
「そんなこと自分で聞けば良いじゃねぇか」
「あのねサブロー。それが出来たら苦労しないの。だから、有原君と仲が良いサブローに相談してるんじゃない」
「なるほど」
俺はようやく納得した。
「協力してくれるよね?」
「協力って何を?」
「もう鈍いんだから。優子と有原君が上手くいくように協力してくれるよねってこと」
「あ、ああ。それは別に良いけどよ。浩介には話したのか?」
「まだ。有原君のことはサブローの方が付き合い長いし詳しいから、先にサブローに話した方が良いかなって」
「なるほどね。木下が来るなら来るって言ってくれよな」
「あの時は優子が来てくれる確証は無かったから言えなかったの。まぁ今も無理矢理連れてきたようなものだけど」
「私は別に良いって言ったのに」
「サブローも協力を引き受けてくれたんだから、もう機嫌直して。ほら、何か飲んだら?美味しいよ」
「要らない。私邪魔みたいだからもう帰る」
木下は勢いよく立ち上がりそのまま店を出ていってしまった。
「なんだよありゃ?」
「きっと恥ずかしかったのよ」
「邪魔ってどうゆうことだよ」
「さぁ?知らない」
思いがけず二人きりなったが、特に会話をすることなく黙々と飲み物を口に運んだ。
「そう言えば、夏休みは会えなかったね」
おもむろに、片桐がポツリと言った。
「ああ」
「あーあ。勝てると思ってたのになぁ」
「どう考えても俺の方が有利だっただろ」
「サブローのことだから、偶然を装って会いに来てくれると思ったんだけどな」
「なっ・・・・・・」
咥えていたストローを落としてしまった。
「なんちゃってね。連敗させるのが可哀想だから、有利な方を譲っただけだよ」
「片桐」
「ん?」
本当は夏休み会いたかったと言いたかったが、やはり勇気は出なかった。
「わりぃ。何でもねぇ」
「何、気になるじゃない」
「何でもねぇよ」
「変なの」
片桐は少し膨れっ面になった。
「そろそろ帰ろっか」
片桐が言ったので賛同した。俺達は陽二さんに挨拶をして店を出た。外はまだまだ暑かった。今年は残暑が厳しいとかなんとかとお天気キャスターが言ってたのを思い出した。夏は嫌いじゃないが、こうも暑いと勘弁してくれと言いたくなる。隣で同じように暑そうに手で扇いでいた。肩にかけていた鞄に見覚えのないキーホルダーが付いていた。
「そのキーホルダーどうしたんだ?」
「ああ。これ?七瀬君がくれたの」
「七瀬が?」
途端に胸がざわついた。
「夏休みに六人で遊んだ時に、ゲームセンターのUFOキャッチャーで取ってくれたの」
「へぇ。そいつは良かったな」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。
「どうしたの?怒ってるの?」
俺の声の変化を察知したのだろう。
「怒ってねぇよ。イケメンに貢いでもらえるなんてさすがだな」
「何よその言い方。どうしてサブローが怒るわけ?」
片桐の口調も尖り出した。
「怒ってねぇって言ってるだろ」
「怒ってるじゃない。別にこれは七瀬君が取ってくれたから付けてる訳じゃないからね」
「どうだが。学校一のイケメンに貢がせた証拠として見せびらかせたいだけだろ」
言わなくても良いと分かってるのに、止めることが出来なかった。
「何てこと言うの。サブローなんて大嫌い」
思いっきり胸に突き刺さったが、怒りは湧いてくる一方だった。
「嫌いで結構だよ。どうせ俺は皆の嫌われてるからな」
「サブローのばか。もう知らない」
片桐は足早に去っていった。一度足りとも振り向かずに俺の視界から消えた。残った俺はただただ虚しさで一杯だった。やり場もない俺は足元の小石を蹴り飛ばし、トボトボと歩き出した。
家に帰ってからは最悪だった。ずっと堪えていた涙も部屋で一人になった途端に一気に溢れだした。一時間ほど泣いたら涙も枯れた。ベッドに座ってこれからどうしようかと考えた。自分から謝っても良かったが、サブローから謝って来ない限りは許さないことにした。いくらなんでもあそこまで言われる筋合いは無いと思えた。カバンからキーホルダーを外そうとしたが、やっぱり止めた。もし、こんなことで終わってしまうならその程度の縁なのだろうと諦めることにした。でも、私とサブローの縁はこんなことでは切れないとも信じていた。
次の日から地獄のような日々だった。片桐は完全に俺を無視することに決めたらしく、挨拶もしてこなくなった。当然、勉強を教わることもなくなり、片桐がいつ席替えを申し出るか分からない状況だった。謝らないといけないと分かってても、意固地な俺はそんな態度を取られるのとカバンにあるキーホルダーを見る度に謝る気が失せてしまっていた。二人の冷めた様子にいち早く気付いた浩介は話しを聞くと、俺達の仲を取り持とうとするが、お互い聞く耳を持たずだった。
一度、修学旅行の班での行き先を決める時に意見があった時は目があったもののすぐに逸らされてしまった。もはや、修学旅行さえ行きたいと思えなくなってきていた。
そんなある日、更に不愉快になる出来事があった。10月に行われる文化祭のクラスの出し物が演劇に決まった。当然のように主役は七瀬で決まり、ヒロインはこれまた圧倒的多数で片桐になった。そして俺は大道具係に決まった。この時点で今年の文化祭をサボることを決意した。
クラスで片桐と七瀬が演技の練習をする度にクラスからは歓声が上がるのが気に食わなかった。俺は大道具を作ることに集中して決して二人の方を見ることはしなかった。
初めはめんどくさいと思っていたが、大道具を作るのは意外にも楽しかった。凝り性な所もあり俺が作った大道具の評価はクラスメイトから喜ばれた。片桐も出来上がりには目を丸くしていたのを見た時は、素直に嬉しかった。
文化祭の準備が進む中で、ちょっとした事件が起きた。順調に大道具も出来上がりもう少しで完成と言う所でクラスメイトの一人が足を滑らせ躓いてしまい一つの大道具を壊してしまったのだった。その壊したクラスメイトは小松沙奈だった。小松沙奈は長髪の黒髪で眼鏡をかけていて地味で印象が薄い女子だった。
「あ、ごめんなさい。ごめんなさい」
小松沙奈はすぐに起き上がり誰とも構わず謝り出した。
「ちょっと何してんのよ。綺麗に作ってあったのに」
一人の女子が責めた。
小松沙奈はビクッと肩を震わせ俯いた。消え入るような声で「ごめんなさい」と言っていた。クラス中の視線が小松沙奈に向けられていた。
「謝って済む問題じゃないでしょ。小林がせっかく頑張って作ったのに、台無しじゃん」
また別の女子が責め始めた。先ほどまでの陽気な空気が一気に険悪なものになった。
小松沙奈は俺の方に目を向けた。その目には恐怖と罪悪の目が混じっていた。
しかし、俺は特に怒りなど感じてなかった。壊したのが小松沙奈だったのもあった。俺は前から小松沙奈のことが嫌いではなかった。むしろ、好感を抱いていた。確かに地味で印象は薄いが、心優しい女子であることに気付いていた。
「小林も怒ってるよ。どうしてくれんのよ」
相変わらず女子二人は責め立てている。小松沙奈は肉食動物を前にした小動物のように縮こまっていた。
「もうやめろよ」
俺は言った。クラスの目が俺に変わった。俺は小松沙奈に近付いた。小松紗奈は更に怯えた表情になった。
「安心しろ。別に怒ってねぇよ。それより怪我はないか?派手にこけただろ」
俺は出来る限り優しい声で話した。
小松沙奈は顔をあげた。その顔には困惑が広がっていた。きっと、俺に怒鳴られるとでも思っていたのだろう。
「だ、大丈夫です。あの、本当にごめんなさい」
小松が深く頭を下げた。
「別にわざと壊した訳じゃないだろ。なら、事故だよ事故。だから、お前らもこれ以上責めるのやめろよ」
小松を責めた女子二人は少しバツ悪そうな顔をして引き下がった。
「壊れちまったもんは仕方ねぇ。また作り直すよ。放課後も残れば何とか間に合うだろ」
「あ、あの、私も手伝います。壊したのは私だから」
「いや小松だってやることあるだろ。別に一人で直せるから良いよ」
「ダメです。小林君に迷惑かけてるから私も手伝います」
「じゃぁ、そこまで言うなら」
「何でもやります」
「そいつはどうも。さてと、とりあえずこれどっかに運ぶか。ここにあっても邪魔だし。哲平運ぶの手伝え」
「おーよ」
気のない返事で哲平がやってきた。哲平も大道具係だったが、見事なまでに要領よくサボっている。
「さっきの見直したぜ」
教室を出るとすぐに哲平が言ってきた。
「何がだよ」
「小松への対応だよ。よく怒らなかったな」
「七瀬だったらぶっ飛ばしていたけどな」
「片桐の目は称賛してたぜ」
「そうかい」
皆が俺を見てる時にそんなところ見てる辺りさすが哲平である。
「まだ謝らないのか?」
「謝ったところでもう俺と片桐の仲はおしまいだろ」
「勝手に終わらせるなよ。すぐに謝る機会が来るさ」
哲平の言葉はその日の夜に実現した。
小松沙奈と壊れた大道具の修理をしていたので、帰宅は午後8時を過ぎた。
「ただいま」
「あ、おかえりお兄ちゃん。また片桐って人から電話来てたよ」
「え?マジ?」
心臓が飛び跳ねた。
「うん。今いないって言ったら、帰ったら電話するように言っていほしいだって。はいこれ。片桐さんの家の電話番号」
彩香が小さな紙切れを一枚差し出した。そこに女子にしては乱雑な字で数字がメモされていた。
「相変わらず字が汚ねぇな」
「うるさい。とにかく渡したんだから電話してあげなよ」
俺はもう一度電話番号を見た。ついに片桐の家の電話番号を手に入れた。高揚感が体を走った。それにしても、片桐は俺に何の用があったのだろうか。
なんだかんだで片桐に電話をしたのは22時を過ぎたくらいだった。少し震える手で番号を押した。2コール目で相手が出た。もし、片桐の親だったらどうしようと思っていたが、片桐汐里本人が出てくれた。
「はい。片桐です」
声で本人だと分かった。
「も、もしもし」
「サブロー?」
「ああ」
久々に名前を呼ばれ嬉しさが込み上げてきた。
「良かった。今日は電話が来ないかと思ってた」
「今日帰るのが遅くなったから。悪いなこんな時間になって」
「ううん。電話してくれて嬉しいよ」
「それで俺に何か用があったのか?」
「用って程でも無いけど、最近サブローと話して無かったから・・・・・・」
暫しお互い無言になった。
「あ、あのさ」
「なに?」
「あの日はごめん」
「・・・・・・ううん。私の方こそ言い過ぎたし、冷たい態度取りすぎちゃったね。ごめんね」
二人の仲が雪解けた瞬間だった。俺の心は一気に晴れた。
「いや、あれは俺が悪い。一方的に決めつけて悪口言ったし」
「あの時は本当に傷ついたな。家でたくさん泣いたよ」
それを言われると胸が苦しくなった。
「本当にごめん」
「でもね、喧嘩して傷つけられたことよりももっと傷つきそうな所だったよ」
「どうゆうことだ?」
「このままサブローと仲違いになって口聞かないままだったら、喧嘩したことよりも後悔してたと思う」
「片桐」
「お互い意地っ張りなのもよくないね」
「そうだな。もっと早く謝れば良かった。でも、どうして電話しようと思ったんだ?」
「今日のサブロー凄い格好良かったから。でも、直接は言いづらいかったから電話をしたんだよ。正直、電話は来ないと思ってたけど」
「そうだったのか。わざわざありがとう」
「別に言い訳とかじゃないけど、あのキーホルダーは本当はカバンに付けるつもりはなかったんだよ。貰った後で優子がコッソリ七瀬君が取るのに結構お金を使ったみたいだって聞いたから、付けないのも悪いかと思ってカバンに付けてただけだから」
「もう気にしてねぇよ」
「仲直りもしたし、また明日から勉強教えてあげる」
「ちぇ。せっかく勉強しなくて良かったのに」
そうは言うも内心は大喜びだった。
「そう。なら、教えてあげない」
「嘘だよ嘘。まぁそのなんだ、片桐が教えてくれてねぇとさっぱりなんだよ」
「正直でよろしい」
久々に聞いた片桐の笑った声が耳に残る。
「じゃぁ、また明日ね。大道具の修理頑張ってね」
「ああ。じゃあな」
電話を切った後に残ったのは大きな満足感で胸が一杯だった。サボろうと思っていた文化祭もフケようと思っていた修学旅行も一気に楽しみになってきた。片桐とまたこれから思い出を作れる。それだけで何もかもが輝いて見えた。
俺と片桐の仲が元通りになって最も歯がゆい思いをしているのは間違いなく七瀬だろう。これまで冷戦状態だった俺と片桐が仲良さげに話してる姿を目撃したの時の顔は歪んでいた。
小松紗奈の協力もあって道具の修復も何とか間に合い、文化祭は無事に成功した。文化祭の打ち上げが隣町のファミレスで行われることになった。こう言った類いの集会には基本参加しない哲平も珍しく参加した。主役の二人である片桐と七瀬が隣同士になるのは仕方ないと分かっていても、やはり見ていて気持ちのいいものではなかった。
そんな俺の隣には小松紗奈が座っていた。小松紗奈とはこの文化祭で一番仲良くなったと言えた。自分から話すの苦手だが、その分聞くのが抜群に上手かった。俺の好きな漫画やゲームの話しも嫌な顔を一つせず聞いてくれた。時折、笑う姿を見ると何故かこっちまで嬉しくなったのを覚えている。
「小林君。何か飲む?」
俺のグラスが無くなっているのを気付いて聞いてくれた。こう言う気遣いも小松の美点の一つだった。
「あ、いや、もういいわ。ありがとう」
てっきり、自分の飲み物を取りに行くかと思っていたが、小松はそのまま席に座った。
「小松は飲まないのか?」
「うん。私も喉乾いてないから」
「そうか」
俺はチラッと片桐の方を見た。そしたら、片桐も俺の方を見ていた。しかし、俺ではなく隣の小松を見ているような気がした。その目が少し横に動き俺を捉えた。すると、片桐は俺から目をそらすからのように横を向いた。俺は何となく傷つき下を向いてしまった。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
何故か胸にポッカリと穴が空いたような虚しさを感じた。
今日の打ち上げも二人のことがずっと気になってしまい、楽しむ余裕なんて無かった。小松と話しててもずっと上の空だった。
そうこうするうちに打ち上げも終わりを迎え二次会組と帰宅組に分かれることになった。俺は迷わず帰宅を選んだ。二次会に行けば片桐と話す機会もあったかもしれないが、今は騒ぎたい気分とは程遠かった。
「三郎。お前は行かないのか?」
外に出た途端、浩介が聞いてきた。
「今日は帰る」
「おいおい。汐里も来るんだぜ。今日、一回も話してないだろ」
一番騒いでいたくせに見るとこは見ていやがる。
「別に無理矢理話す必要ないだろ。今日は七瀬に譲ってやるよ」
「小松と何かあったか?」
「はぁ?」
「いや、だって今日もずっと隣で楽しそうに話してたじゃねぇか」
「そりゃ文化祭で仲良くなったけど、何もねぇよ」
「にしても、三郎が汐里以外の女子とあんなに仲良くなるなんて珍しいな」
「そうか?仲良くなったら普通だろ。そんなこと言うなら片桐の方が七瀬と楽しそうにしてたじゃねぇか」
「まぁ別に良いさ。小松とよろしくやってくれよ」
「余計なお世話だっつの」
二次会組はボウリングに行くことにしたらしい。一瞬、ストライクを取って片桐とハイタッチする七瀬の姿を想像したが、すぐに振り払った。
「じゃあな」
ボウリング組に後ろから声をかけた。
「え?サブロー帰るの?」
振り向いた片桐が意外な顔をして聞いてきた。
「ああ。今日は帰る」
「そっか。小松さんと帰るの?」
「小松も帰るみたいだし、夜遅いから途中まで送ってやるって言ったから」
「そ。楽しんできてね」
冷たい声だった。
「別に帰るだけなのに楽しむも無いだろ」
「そんなこと言って本当は嬉しいくせに。いいよ。バイバイ」
そう言うと片桐はあっかんべーをして俺に背を向けてボウリング組に合流した。
「何なんだ全く」
俺はそう呟く他無かった。
トイレから小松が戻ってきた。
「ごめん。待たせちゃったね」
「別にいいよ。帰ろうぜ」
「うん」
浩介や片桐が妙なことを言ったせいで、何となく話しづらくなり、無言で歩いていた。途中の川と川を繋ぐ橋の上でふいに小松が立ち止まった。
「どうした?」
「あの。小林君」
「なんだよ」
「今回はありがとう」
「急にどうしたんだ?」
「私、こんなに楽しい文化祭を過ごせたの初めてだったから。小林君にはお礼を言わないとってずっと思ってた」
「そ、そうか。まぁ俺も小松と話せて楽しかったし、お互い様だろ」
小松は下を向いたまま黙った。ふと、顔を上げた目は霞のように濡れていた。
「小林君・・・・・・」
「ん?」
小松は一瞬躊躇う素振りをみせたものの、すぐに何かを決意した表情に変わった。
「好きです」
「え・・・・・・」
俺は小松を凝視した。
「小林君のことが好きです」
あまりにも唐突過ぎて頭の理解が追い付かない。
「突然でごめんなさい。でも、小林君と付き合いたいです」
普段の弱々しい姿はどこへいったのか。眼鏡の奥から発せられる光は感じたことのない強さを帯びていた。
「いや、でも・・・・・・」
告白されたのが生まれて初めてなので、こんな時どう答えていいのか分からない。
「私じゃダメですか?」
小松が一歩踏み込んできた。
小松と付き合えば、それはそれで楽しいだろうと文化祭の時から少なからず思っていた。それでも俺の気持ちはぶれることは無かった。今も告白されてはいるが、頭には別の人物が浮かんでいる。
「小松の気持ちは嬉しい。けど、小松とは付き合えない」
「・・・・・・」
小松は無言で俺を見つめている。三郎は次の言葉を探したが出てこない。
「悪い。他に何て言えばいいか分からねぇんだ」
「ううん」
「私と付き合えないってことは、小林君に好きな人がいるってことですか?」
「・・・・・・ああ」
「その好きな相手は片桐さんですか?」
誤魔化そうとも思ったが、ここで嘘を吐くのは小松への礼儀を欠いてると思い正直に打ち明けることにした。
「そうだ」
「やっぱり。そうだと思ってました」
「ごめん」
「謝らないでください。小林君は何も悪くないですから」
小松に口調は妙にサッパリしていた。
「小松・・・・・・」
「小林君の気持ちを聞けて嬉しかったです。だから、告白したことに後悔はしてません」
彼女の目は真っ赤に染まっていた。
「家まで送っていくよ」
俺にはそれしか言えなかった。
「もうここで大丈夫です。わざわざ送ってくれてありがとうございました」
小松は頭を下げた。でも、それは涙を見られたくないからだと気付いたのは俺がもっと大人になってからだった。
「そうか。じゃあ、また学校で」
「はい」
小松は頭を下げたまま言った。
俺は背を向けて歩きだした。途中で立ち止まり後ろを振り向きたくなったが、何とか堪えた。小松の悲しんでいる姿を見るのはあまりにも辛すぎた。涙がこぼれそうになって空を見上げた。月が恐ろしいほどに綺麗だった。
それから小松とは必要最低限以外のことは話さなくなった。修学旅行を迎える少し前に小松紗奈は引っ越した。後から聞いた話しだが、小松は親の都合で引っ越しの多い家だった。俺に告白した時点で引っ越すことは決まっていたそうだ。もしも、あの時小松紗奈と付き合っていたらどうなっていただろう。何となくだが、遠距離恋愛の末に結ばれていたような気がする。だが、あの時断って正解だったと思っている。でなければ今の幸せは手に入ってないからだ。
そして季節は進み紅葉が秋を本格的に彩り、冬の面影が微かにちらつき始めた頃、生涯忘れることのない修学旅行へと続くことになる。
修学旅行までついに一週間を切り俺達二学年のボルテージはますます上がっていた。普段はクールな哲平も例外ではなく、京都であれ食べたいこれ見たいなどと積極的に提案してきた。そして、それは俺も同様だった。ただ、少しばかり違うのは京都へ行くことではなく片桐と共に行動出来ると言うのが強かった。どこへ行こうが何を食べようが大事なのは片桐と一緒にと言う部分である。仮にこれが近くの公園であっても同じくらい楽しみにしていただろう。大袈裟に聞こえるが、大事なのは行く場所ではなく一緒に行く人だと最近強く思うようになっていた。
修学旅行前日。団結式という何のために行われるかよく分からない行事を終えた、俺達三人はいつも通りSATで暇を潰していた。片桐と木下も行きたそうにしていたが、浩介が今日は男だけで大事な話しがあると言って断っていた。
「それで大事な話しってのはなんだよ」
哲平が話しを切り出した。
「いやよ、ちょっと面白い話しを聞いてな。まぁ哲平はあんまり関係ないかもだけど、三郎にはぴったりの話しなんだよ」
俺と哲平は顔を見合わせた。
「一つ確認なんだけど、俺達の通う高校にある、、、えと何て言うんだっけ?」
「なんだよおい」
「ほら、あるだろ。その学校だけに伝わる話し」
「七不思議のことか?」
俺は言った。
「それに近い感じのあるじゃん。英語で」
「ジンクス?」
今度は哲平が言った。
「それだ!」
「それくらいパッと言えよな」
哲平は呆れ顔で言った。
「まぁ良いだろ。それでよ、そのジンクスが俺達の高校にもあるみたいだぜ」
「分かったから早く話せよ」
俺は先を促した。
浩介は一つ咳払いをして誇らしげに話し始めた。
「使い捨てカメラあるだろ?何でも、その使い捨てカメラの最後の一枚を好きな人と2ショットで取れると二人は永遠に結ばれるらしいぜ」
俺と哲平は同時に吹いた。
「おいおい浩介。それ本気で言ってるのかよ」
哲平がすかさず突っ込んだ。
「マジだって。結婚までしたカップルもいるんだぜ」
「いや、そりゃいるだろうけどよ。全員が成功してる訳じゃないだろ」
「まぁそうだけどよ、こうゆうロマンチックなの良くねぇか?」
「否定するつもりはねぇけどよ。三郎はどう思う?」
「別に何とも思わねぇけど」
内心、片桐との2ショットを想像したことは墓場までの秘密だ。
「三郎。お前汐里と撮れよ」
浩介が気持ちを見透かしたかのように言ってきた。
「な、何でだよ」
「なるほど。そりゃぁいいな」
哲平も乗ってきた。
「そんなこっ恥ずかしい真似できるかよ」
「普段なら出来ないだろうけど、修学旅行ならそんなこっ恥ずかしい真似もやりやすいだろ」
「どうせ効果なんてねぇだろ」
「ふーん。なら、七瀬と片桐が2ショットを収めても良いんだな?」
「それは・・・・・・」
「一つ言い忘れたけど、複数の人と撮ってる場合は最初に撮った人間が有効になるんだってよ」
「なるほど?つまり、二番目に撮っても意味ないってことか」
「そうゆうことだな。と言うことで頑張れよ三郎」
浩介が肩を叩いてきた。
「だから、撮られねぇって言ってるだろ」
「良いじゃねぇか。ここで一つジンクスの恩恵も受けてアタックしようぜ」
「あのなぁ」
口ごたえするのも面倒になってきた。
「俺達も協力してやるからいっちょ汐里との2ショットを収めようぜ」
「分かったよ。やれば良いんだろ。2ショットくれぇ余裕だよ」
三郎は投げやりに答えた。もうどうにでもなれという心境だった。
「おっ。サブローも言うようになったな」
「これから作戦会議だな。どうしたら自然に2ショットが撮れるか考えないと。何か良いネーミングないかな」
浩介はスパイ映画が好きなのですぐに名前をつけたがる癖があった。
「ラストフィルムでどうだ?」
哲平が言った。俺は何とも洒落た作戦名だと思った。
「最高だ」
「悪くねぇな」
俺は内心哲平のネーミングセンスに感嘆した。
俺達は現実的な作戦から非現実的な作戦を話し合った。内容が固まったのはSATの閉店時間になっていた。
「三人ともそろそろ閉店時間だけど、まだいるのかい?」
陽二がやってきた。今日はバーを取り止めて、カフェだけ営業していた。
俺は柱にある時計を見た。針は20時を指していた。
「やべ。もうこんな時間かよ。ごめんなさい」
俺はすぐに謝った。
「いやいや、まだ話し合いが続くなら時間は延ばしても良いんだけど」
「いやそれは申し訳ないです。すぐ帰ります」
俺達は速攻で帰り支度を整えた。
「それにしても修学旅行か。良いなぁ。僕もまた行きたいよ」
陽二が染々と言った。
「陽二さんの学校にもジンクスとかあったんですか?」
浩介が聞いた。
「いやぁ君たちのようなものは無かったよ。夜の学校の家庭科室で包丁を研ぐ音が聞こえるとかみたいなホラーなものはあったけど」
「え、なにそれ怖いですね」
「友達と肝試しに真夜中に家庭科室で忍び込んだけど、何も聞こえなかった。でも、家に帰ったら背中に不自然な切り傷があって、血が出てたのには驚いたね」
あっけからんと陽二は話していたが、ホラーが大の苦手な俺は血の気が引いていた。
「偶然じゃないんですか?」
「僕もそう思ったんだけど、他の友達全員にも同じような切り傷が出来てたから、もしかしたら研いだ包丁の切れ味を試されたのかも?」
俺達は唾を飲み込んだ。
「まぁそんなこともあったりしたけど、楽しかったな。皆も思いっきり楽しでおいでよ」
陽二は爽やかに笑った。
哲平とも別れ一人夜道を歩きながら空を見上げた。青白い満月が厳かに佇んでいる美しい秋晴れの夜空だった。
この美しい夜空を片桐も見上げていたら思うと、何だか嬉しくなる。足を止めて数秒間満月を見つめた。片桐が俺を見つめ返してくれたような気がした。
ついに明日は修学旅行を迎える。朝が早いので、早く寝なきゃいけないのは分かっていだか、どうしても寝ることが出来なかった。修学旅行はもちろんのこととサブローと過ごせることが何よりも嬉しかった。優子からジンクスを聞いた時は、すぐにサブローと一緒に撮ってる姿を想像した。サブローはこのジンクスを知っているのか気になった。恐らく、浩介辺りが話してはいると思う。サブローがジンクスを聞いてたとして、サブローは私と撮りたいと思ってくれただろうか。いや、必ず思ってくれたはすだ。
そして、私とどうやって一緒に最後の一枚を撮るか有原君や浩介とあれこれ話し合ったことだろう。緊張したサブローが誘ってくれる姿を想像してつい笑みがこぼれた。誘われた私は照れ隠しで要らない嫌味の一言をきっと言うだろう。
秋風が髪を波打たせた。綺麗な満月が夜を優しく照らしてる。私はその満月を見つめた。サブローが見つめ返してくれてるような気がした。