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第八話 彼の優しさ0ゴールド

 赤い薔薇のようなドレス。

 黄色の向日葵のようなドレス。

 白い百合のようなドレス。

 それに加えて、ルビー、エメラルド、真珠。ありとあらゆる美しい物に飾られては着替えさせられて、侯爵様の満足がいくような格好になる頃には私は既に疲れ果てていた。彼の一声でやってきたメイドさんたちに囲まれて手取足取りされるのはまるでお姫様になったかのようでなんだか少し照れる。

 最終的に彼が選んだのは、ちょっぴりレトロな腰の締まった、レースとフリルがいっぱいのドレスだった。生地は光沢を持っていて、後ろにつけられた重ね重ねられたドレープはまるでウェディングドレスのようだ。飴細工のような淡く薄い黄金の光沢を持った生地だったので、完全にウェディングドレスではないけども――これ、明らかに意識している。花嫁姿を意識しまくっている。


「あの、結婚はしないと言ったんですが……」

「これはただのお洒落ドレスなので問題ない」

「白ですよ?」

「そうだな」

「花嫁衣装じゃないですか?」

「ちょっと金色なのでセーフだ」

「セウトぐらいですよこれ!」

「だが綺麗だ、今まで見た誰よりも」

「ひぇ……」


 突然口説いてくるのをやめてほしい。

 彼は満足そうに、緩やかに巻かれた黒髪と耳に飾られた真珠を確かめるように触る。繊細な指がそっと耳の縁を撫でて、くすぐったさをぐっと堪えた。


「どうした」

「あの、ちょっとくすぐったくて」

「それはすまない、もっとやろう」

「話聞いてました!?」

「聞いていたとも。君が可愛いのでつい意地悪したくなってしまった」

「…………侯爵様って意地悪ですね」

「君相手だけだ」

「喜んでいいのか、悲しめばいいのか……」

「勿論、喜んでくれ。」


 君にだけだ。


 ふざけているときは真顔なのに、そういう台詞を言うときには突然柔らかい表情をする物だから、どきりとする。してしまう。友達だと自分で宣言したはずなのに、友達相手にときめいてどうしようというのか。

 息を吸って、吐いて。私が、軽く彼を諫めようとした時だった。


 不意に後ろの扉がとんとんとんとノックされて、私も彼も同時に言葉を切った。

 セルジュ侯爵がちょっと眉を寄せて、歩み寄っていく。鏡の間の扉を開けるとそこには――ミシェルくんが立っていた。


「邪魔しに来たのか?」

「うわあ、予想通りの反応ありがとう!」


 あと、上品そうな貴婦人と、厳格そうな壮年の男性。

 ……えっと?


「後でねって言ったでしょ、聖女様!覚えてろって言ったでしょ兄さん!」


 彼は満面の笑顔で言った。

 嫌がらせをしにきたよ!と顔に書いてある。なんというか、素直な子だな……。

 女性と男性を見て、セルジュ侯爵様は呟いた。


「……父さん、母さん」





 何の挨拶の準備も、心の準備もしないままに突然ご両親と邂逅してしまった……!

 メイドさんたちが頭を下げて出ていくのを見ながら私は焦っていた。一番焦っていたのは、セルジュ侯爵様に何も言い含められなかった事だ。結婚はしませんよとしっかり釘を刺しておかなかった事で、いきなり結婚する報告なんてぶちかましたらどうしよう、この人なら十分有り得る……!

 そういう意味で、私はセルジュ侯爵様を全く信用していなかった。

 侯爵様は二人に向かって声をかける。


「父さん、母さん」

「この馬鹿息子!どこの花嫁を攫ってきたんだ!?」

「いや……これは俺の見立てた服で」

「モデルを雇ったのか」

「モデルじゃなくて友達で、」

「ほう。良いセンスだ。ではなく家出なんぞ二度と……!……そちらのお嬢さんはどなたかね」


 厳格そうな口調の父親は、私の姿を二度見してから口を噤んだ。案外体裁を気にする人なのだろうか、商人という気質がそうさせるのか。太い眉と角張った顔、その巨躯は商人と言うより、まるで傭兵か何かのようだ。

 厳格そうな印象は、眉を下げると少しだけ払拭される。

 その横にいるふくよかな体型の女性は、ふんわりとした雰囲気で優しげで、どことなく少女めいた雰囲気を持つ貴婦人だった。彼女は困ったようにセルジュ侯爵様を見てから、私に目をやる。


「本当におばかな息子で困るわあ。お嬢さん、ごめんなさいね。きっとうちの馬鹿な息子がご迷惑をおかけしたのよね。何か変なことはされなかった?」


 お金を数千万単位でぽんぽん使っていただいた以外は何も……と言いかけたが、私は少し咳払いをしてその言葉は控えた。


「いえ、特に何も。うちにいきなりいらっしゃって、王都に着いてきてほしいと言われただけでして」

「どうせこの子ねえ、一人でおうちに帰って怒られるのが嫌だったのよ!」

 お母様の中でセルジュ侯爵様はどんな子供に見えているんだろう……。

「お嬢さん、巻き込んでごめんなさいねえ。ところで、この子とはお友達なの?」


 貴族らしからぬ気さくな口調は、彼女がかつては平民だった事を思わせた。平民から貴族になったら、自分は偉いのだと思い上がってしまう人間が多そうな印象があったが、彼女はそういったものをまるで感じさせない。雰囲気の素敵な婦人だった。


「お友達……はい、ええと、恐らく。お友達です」

「あらまあ、恐らく?」

「大丈夫、聖女様?兄さんが無理矢理友達にしたりしてない?」


 横から口を挟んでくるミシェルくんはにやにやしている。この状況が面白くて仕方ないのだろう。兄に対するしっぺ返しとしてこの状況を用意したらしい彼は、兄であるセルジュ様がうろたえたり困ったりするのを見たいがためにこの場に残ったに違いない。

 それにしても、弟にこんな嫌がらせをされるなんて、侯爵様、彼に何かやったのだろうか。ミシェルくんの好きなおやつを食べさせないだとか。プリンを全部食べちゃうとか。

 いや、今はその前にセルジュ侯爵様だ。釘を刺しておかないと!念押ししておかないといつ妻だと言い出すか分からない!

 

「それは、大丈夫、ですけど……えっと。セルジュ侯爵様?私たち友達ですよね?」

「ああ、友達だ」


 んっ?

 直前まで色々な事を考えていた私の思考回路は、その一言ですっと落ち着いた。


「友達ですか?」

「ああ、友達だが。なんだ、他の言い方が良かったのか。親友とか」

「親友って程まだ長く一緒にいないと思いますが……」

「では親友予定としておこう」


 恋人だとか、婚約者だとかいきなり両親に言われるのではないかと心配していたのが、その一言で、すとんと落ち着いた。

 でも、どうしたんだろう。絶対侯爵様のことだ、恋人だとか言うのだと思ったのに。


「……不思議そうな顔をしているな、エリザベート」

「えっ、あっ、はい。いつもみたいにこう、色々ご両親にも宣言するのかと……」

「普段のはいい。あれは雑談の一環として俺の気持ちを分かってもらいたいだけだからだ。だが、この場で宣言するのは違う。宣言をしたら、確定に等しい事になってしまう。それでは、エリザベート。君が困るだろう」

「…………」


 …………。この人は。

 この人は、本当に優しい人なのだと、この時思った。

 私の気持ちをまるで考えないで思考を押しつけてくるようなところがあると、少しだけ思っていた。でも、そうじゃなかった。ちゃんと分かっていて、彼は気持ちを伝えていた。勿論、その、私の気持ちがまだ愛でもなく恋でもない事を理解していて、妻だなんだと言ってくるのだから、質は悪いのだが。

 でも、こういった本当に大切な場所では、気持ちを無視はしないのだ。ちゃんと、尊重してくれる。分かってくれる。気に掛けて、言葉を口に出してくれる。

 

「……ありがとうございます」

「いや、いいんだ。君の気持ちを、俺は尊重したい」

「侯爵様って、時々すごく優しいですね」

「俺はいつもとても優しいぞ。君の懐に金をねじ込みたいのを我慢している」

「何言ってるんですか?」


 うおっほん、と咳払いが聞こえて、私とセルジュ侯爵様は自分以外に三人の人間がこの場にいたことを思い出した。


「なんか見せつけられたよね」

「仲良きことは良いことよ!ねえあなた?」

「まあそうだな。よしセルジュ。今夜のうちのパーティにそのお嬢さんも連れてきなさい、お前の友人として。お前は家出した事を皆の前で謝罪させる、いいな」

「父さん……エリザベートの前で醜態をさらせと……?」

「いいな」

「はい」


 それから、と男性は一息置いた。


「お前の婚約者予定の令嬢にも挨拶してもらうぞ」

「えっ?」


 セルジュ侯爵はぱちぱちと瞬きした。


「えっ……?いや、今ので分かっただろう、父さん。俺はエリザベートが好きだ。彼女の気持ちはまだ分からないが、俺は彼女が好きで、他の人間と婚約するのは不義理しか感じない」

「お前を友達だと思っているお嬢さんに無理矢理愛情を押しつけるのは不義理ではないのか、この馬鹿息子が」


 私と侯爵の前で、彼のお父様――レインワーズ公爵は言い放つ。

 すうっとつま先から冷えていく気がした。


「商品を買う見込みがない客に無理矢理買わせるのは商人の名折れだ、それも忘れたか、セルジュ。お嬢さん、うちの息子が無理矢理に求愛してすまない、許してくれ」


 それは、別に、いいのだけれど。

 なんだろう、この胸が空くような気持ちは。さっきはセルジュ公爵様が友達だと宣言してくれて、あんなに安心したのに。

 それなのに。今、こうして彼が他の人と結婚をすると言われると、私は、私は――。






「うるさーーーーい!」


 鼓膜が破れるかと思った。


「エリザベートは見込みのある客だ!彼女は俺との商談、結婚話をいつか買う!それは俺の見立てだ間違いない!きっといつか俺を好きになってくれる!父さん、俺は彼女と結婚したいまあ今は友達なんだが父さんと母さんだってお友達から始めたんじゃなかったのか!」

「あらあなた、懐かしいわねえ、うふふ」

「うふふではない!セルジュの言い分をなんとかせんか!」


 笑ってしまった。

 普段無表情で、淡々と話すセルジュ侯爵様のこんな長々とした台詞、初めて聞いたような気がする。その内容があまりにも彼らしく潔くて。

 好感を持ってしまった時点で、負けだと思った。


「とにかくセルジュ!今夜の夜会には出てもらう!彼女も、……ええい、連れてきなさい!」


 大声で告げて、のしのしとレインワーズ公爵は歩み去った。ミシェルくんが、ばいばーい、とかき回すだけかき回して去って行き、後からレインワーズ婦人が可愛らしく手を振って退場する。

 残された私は、セルジュ侯爵の横顔を見上げた。綺麗に整って、一見冷たそうにも見えるのに、実は本当はとても優しい、その人の横顔を。





「どうした、そんなに見つめて」

「……あの、今重大な事を思い出したんですけど」

「ああ」

「夜会と言えば、ダンス」

「ああ」

「村のおいでおいで踊りぐらいしか踊れないんですけど」

「なんだそれは。おいでおいで踊りを俺に教えてほしい」

「私はワルツを教えてほしいです」

「交渉成立だな」

「いいんですかこんなので?」

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