第七話 真・ドレスと宝石言わないゴールド
「嫌に決まっているだろう返せ」
侯爵様の断言に、ちょっと金髪の美少年は怯んだようだった。
それから、ひぐっ……と喉を鳴らす。直後に彼は盛大に泣いた。盛大に嘘泣きした。
「うわああああん兄さんがいじめるよ-!」
「子供っぽい反応をしてもだめだ、返しなさい」
「いやだー!この子と遊びたい-!」
「十八歳だろう、我慢しなさい」
ぐいっとセルジュ侯爵様に引き寄せられて、ちょっとびっくりする。ただ、その引き寄せ方がお気に入りのオモチャでも取り上げる感じだったのでどきどきするとかそういうのはない。やきもちを妬いているんだろうか……。そうだったら、ちょっとかわいいな。
「そうだ、俺は妬いている」
「突然心を読まないでください」
「えっ?なになに?以心伝心なの?」
この子、見た目的には十五、六に見えるのに実際は十八歳なのか……。
見た目も声も何もかもが可愛らしいイメージだが、さっきまでいきなり引き寄せられて捕まっていた身としては単純に可愛いとも言っていられない。正直ちょっと動揺した。
顔が綺麗なのももちろんだが、森の中では若い男性というものが絶滅危惧種だったので。
「とにかく、お前は向こうに行け。しっしっ」
「酷い!酷い!父さんに言いつけてやる。兄さん覚えてろ!」
「知らん、忘れる。早く行け」
「くっ。聖女さま、また後でね!」
「また後などない」
「兄さんには何も言ってないから!」
舌でも出しそうな勢いで言い捨ててから、彼は走って屋敷の奥へと向かっていく。
こちらに向かってさりげなくウインクだけして、侯爵様には思いっきり不満そうな視線を向けてから駆け去って行く。どうでもいいけど美少年は何をしても美少年だからずるいな。あと、……『あの時の聖女様』と彼は言ったけれど。あの時って、どの時?
「エリザベート」
「あっ、はい」
声をかけられて、思考が一時中断される。セルジュ侯爵様の青い目が此方を見ていて、その瞳の綺麗さに少しだけどきりとした。さっきの美少年も可愛かったけれど、矢張り彼の目の綺麗さは特別だと思う。宝石のような、ビー玉のような、子供の頃の色を失わない青。
「そろそろ宅配便が届くだろう、鏡の間へ行くぞ」
私は少しだけ黙り込んだ。
「いいんでしょうか」
「何がだ」
「その……私のような庶民がそんな待遇を受けてしまって」
「何、俺も元は庶民だ。エリザベートが一番知っているだろう」
「それは……そうですけど」
俺が貴族になったら、迎えに行ってもいいだろうかと問いかけてきた、少年の目を。
今は遠い記憶の中に、朧気に思い出すことができる。そこからここまで上り詰めた彼は、私の手を極めて自然に取った。
「さあ、行くぞ」
手をさりげなく繋がないでくださいだとか、一人で歩けますだとか、可愛くない言葉は幾らでも思いついたのに私は黙っていた。
その笑顔に、幼い頃の彼を重ねたからかもしれない。
初めて出会ったその日の、遠い笑顔を。
*
大きなホールを抜けて、赤い絨毯が敷き詰められた長い廊下を右に左に右に右に左に……迷いそうな程奥に行ったその先に、彼が鏡の間と呼ぶ部屋があった。
入り口に木箱がめちゃくちゃ積まれている。きっちりと蓋が閉じられた箱には、可愛らしい妖精の顔が描かれている。幾つかの箱は少しだけ蓋がずれていて、中身がないのが分かった。恐らくほかの箱の中身も空なのではないだろうか。
「妖精宅配便か。早いな。流石いつもにこにこ~なだけある」
突然歌い出す侯爵様。二回目ともなるとちょっと慣れた。
「大体の品物を部屋の中にセットして帰ったようだな、後でチップをやろう」
彼はひょいと木箱をどかして、恭しく扉を開く。その奥には――きらめきが広がっていた。
壁の全てが鏡だ。灯されたシャンデリアと小さな明かりが全ての鏡に反射して、光の粒が乱反射しているかのようだ。部屋の左右に分けられて大量のドレスが吊され、宝飾品が飾られ、まるで美しい生地や刺繍の海。
「す、ごい……」
「君のために用意させた」
まるでおとぎ話の王子様みたいな台詞を私に言ってくれる侯爵様。
沢山のドレスと、宝石。その真ん中で私は打ち震えた。
「ありがとうございます……本当に。嬉しいです」
「そうだろうそうだろう」
「感謝してもしきれません、私のために、こんなに」
「そうだろうそうだろう!」
「それで幾らですか」
「そうだろう……えっ」
「おいくらです?1500万なんて値段じゃないですよねこの量?」
「……言わない……」
「セルジュ侯爵様」
「喜んでくれたんじゃなかったのか」
「それは勿論ですけど!」
「綺麗な君をみたいと思うのはいけないことか」
「いえ……いやでも!」
「どのドレスもほぼ三桁だ!許せ!」
「ほぼって時点でだめですね?」
本当にだめだなこの人の金銭感覚……。
最も、大きなお金を使われている所を見ると動悸息切れめまいがすると言ったらちょっと控えてくれるようになったので、それは進歩ではあるのだろうけれど。
そんな事を思いながら、私はちょっと近くにあった赤色のドレスの側に寄った。そっと生地に触れてみる。柔らかくて、まるで天使の羽のように滑らかだ。腰を絞って、肩を出した美しい形のドレス。昔宮廷で見たお姫様がこんな服を着ていた。ほう、と溜息が漏れる。こんなに美しいもの、私なんかじゃ絶対服に着られてしまう。
「エリザベート」
「……はい」
「その赤い色のドレスが気に入ったのか」
「えっ、いや、あの、」
「それなら、それを着るといい。きっと花のような君に似合う」
花のような。そんな形容詞で例えられた事なんて、ない。
先ほども言ったけれど、綺麗なドレスに着られてしまう程度の容姿だと自負している。黒い髪に緋色の瞳は珍しいけれど、目が覚めるような絶世の美女というわけではないのだから。
だから、きっとこれから先も、この人以外にそんな事を言ってくれる人はいないだろう。
それがたとえ初恋の残り香を追いかけているだけだとしても、この言葉を大切にしよう。なんて、殊勝な事を思ってみる。
……初恋の残り香を追いかけているにしては随分と積極的なので、もう侯爵様は私を好きでいてくれるという事でいいかなと思いかけているのだけれど、油断は禁物……!
「侯爵様は、私によくしてくれますけど、」
息を吸って、ちょっとだけ吐いて。
「それは、何故です?こんなに沢山のものをくれたり、よくしてくれて」
「下心だが」
「…………」
すがすがしいまでにフラグを折っていくなこの人!
「君と結婚がしたい下心しかない」
「もっとロマンチックな言い方ないんです?」
「ロマンチックな方が好みならそうしよう。君を愛しているからだ」
「最初からそっちを言ってほしかったですね」
「我が儘なお姫様だ……その口を塞いでやろう……」
「突然全ての台詞にロマンチックを匂わせなくていいんですよ!」
塩梅というものが侯爵様は苦手なようだった。
本当あらゆる面でだめな所あるなこの人!
彼は真顔でロマンチックな台詞を並べるのをやめて、ふっと瞳を細めた。
私に手を伸ばして、そっと髪を撫でる。子供にするみたいに。私の方が年上なのに。
その手の温もりを振り払えるほど、私は彼の事を、既に怖がってはいなかった。確かに変なところとかだめなところも沢山あるのだけれど、真っ直ぐに向けてくる好意には、裏がない。確証があるわけじゃない。だけど、感じられる。
「着てみてくれ、エリザベート。まずはその、赤いドレスから」
君に最高に似合う服を見繕って、父上と母上に挨拶に行こう。
俺はその時に、俺の好きな人はこの人だと言うつもりだ。
もしかしたら俺が君を好きな事を認めてくれないかもしれない。
何か、嫌な事を言われるかも。
でも、俺はそれでも、君が好きだと、もし許されるのなら結婚がしたいのだと――そう言いたい。
「ところで私結婚するなんて一言も言ってないんですが……」
「俺は何度も言った」
「侯爵様が言っているだけですね?」
「そろそろセルジュと呼んでくれていいくらいの仲にはなっただろう?」
「覚えがないです!」
「では今言ってくれ、頼む」
「……恐れ多いので……」
「セルジュが呼びづらければセーちゃんでもいい。友達だろう?」
「……今だけですよ」
「どうぞ」
「セーちゃん」
「ありがとう」