第四話 通販内緒ゴールド、キス?ゴールド
「大変な事に気づいたのだが」
「はい?」
「城は作ったしダブルベッドはしっかり買ったが、家の中のものを何も用意していない」
「帰ってきてから気づいても遅いですね?」
あとどうしてダブルベッドは買ったんだ。
「フライパンも鍋も包丁もなければどうやって料理を作るんだ……素手……?リンゴ程度なら砕けるが……?猪辺りを引き裂いて肉を調達すれば……」
「突然文明レベルを退化させないでください!」
それは最早蛮族なのでは。あと、そんなきらきらしい王子様みたいな顔でそういう事を言わないでほしい。
白亜の城を見ながら、家の側の広場に着陸したところでセルジュ侯爵のトンデモ発言に私はちょっと困っていた。包丁も鍋も家にならあるけれど。でも、あんなウサギ小屋みたいな家にこのセルジュ=ドゥ=レインワーズ侯爵を招いていいんだろうか。
「あの、ですね。よろしければその……うちで料理するのは?いや、その、小さな小屋のような家が嫌だとおっしゃられるなら勿論いいんですけれど……」
「家。君の家か?」
「はい」
「喜んで!」
即決。見るからに嬉しそうだ、まごう事なく嬉しそうだ。それが可愛く見えてしまって、私は口元を綻ばせた。そうだ、そういえば最初に出会った時の年齢からして、彼は多分少しだけ年下の筈だった。詳しい年齢も事情も知らないままここまで流されてきてしまったけれど、よく考えたら年下の弟のような年齢の人に振り回されているわけで。
背も高く見た目は大人なのに、子供のような目をした、年下の人。
二人で連れ立って森の中を歩いて行く。フルールもゆさゆさと翼を揺らして着いてくる。
草木を踏み分ける途中で、不意にセルジュ侯爵が言った。
「ああ、お父様とお母様に挨拶をしなくては……娘さんを俺に下さいと……」
「しなくていいです!」
ほら、ちょっと考えにふけっているうちにこれだ!
「それに、うち両親は随分昔に亡くなっているので。今はお空の上ですね」
笑顔で伝える。彼は少しだけ青色の目を見開いた。宝石みたいに綺麗な目、時折無邪気な色を見せる目。その瞳に悲しい色はきっと似合わないから、殊更に私は明るい声でさらりと言ってのけた、のだが。
――次の瞬間、躊躇いがちにそっと手が伸びてきて、髪に触れた。
「……えっと?」
「すまない。……君が無理をしているように見えたんだ。撫でてもいいか」
「もう撫でてるじゃないですか……」
大きな手が、わしゃわしゃと私を撫でる。愛しい壊れ物にでも触れるように。そっと、優しく。
「私の家では、私がしょげかえると、メイドやばあやたちがそうしてくれた。君にも、そうしたい」
優しい声。優しい仕草。勘違いしそうになってしまう、嫁になれとか散々言われているが、きっと初恋を過大評価してしまった彼の思い込みなのだと、ぼんやりと思っていたのに。もしかしたら、ここにいる私自身を見てそう言ってくれたのかもしれないと、そう、思ってしまう。そうだったら、きっとそれは素敵な事だけれど。
「それから、キスとハグもしてもらっていたので君にしたい」
「それは流石に」
ふわふわした甘い恋心になりかけみたいな何かが一気に吹き飛んだ。
距離を突然詰められると正直戸惑う。なんだこの人怖い。
「ちょっと遠慮します!」
「竜の背中で抱きしめ合った仲なのにか?」
「抱きしめられはしましたが抱きしめた覚えはありませんね?」
「記憶違い……?」
「まさしく!」
賑やかに会話を交わしながら歩いているうちに、森を抜けた私たちは、私の家にたどり着いた。最初に侯爵も目にしていただろうが、ウサギ小屋のような小さな丸太小屋だ。中にはベッドが三つと、キッチンと、食事のための机、洋服箪笥。それくらいしかない。お風呂は狭く小さくて、生活空間の必要なもの殆どがぎっちりと四方形の空間に収まっている。
フルールをとりあえずで近くの木に繋いでから、どうぞ、と手招いて扉を潜る。
その奥に足を踏み入れた侯爵はふむふむと頷いた。
「……なるほど、小さいが良い空間だ」
「ありがとうございます、そう言っていただけて嬉しいです」
「だが、妖精の機織りの絨毯と雲羊のクッション辺りがあればもっと良い部屋になるだろう。食事を作る間に持ってこさせよう」
突然白くひらぺったい卵のようなものを取り出すセルジュ侯爵。
金色の文様が刻まれているそれは、今までに一度しか目にしたことのない代物。
――魔力と魔導回路技術による通信機!以前聖女として城を訪れた時に、王族のお姫様が持っていた品だ、なんて高いものをホイと取り出すのだろうこの人は。
……いや、そうじゃなくて。
どうしてこのタイミングで通信機を……。
「すまない、カレンジ村の外れにあるスカーレット家に妖精の機織り印の絨毯と雲羊の毛が詰まったクッションを至急。代金は現金払いだ」
通販だった。
*
「お金使わないで下さいって言ったじゃないですか!」
「三桁には届いていないが……?」
「幾ら使ったんです?」
「内緒だ」
セルジュ侯爵は私に使った額を内緒にするという技を覚えた!
なんだか、おこづかいを直ぐに使おうとする子供を諫めている気分だ。溜息をつきながら、私はエプロンを取り出して侯爵に差し出す。流石にちょっと、そのきらびやかな服装で料理を作らせるのは酷だ。料理になれていない人が、どれだけ服を汚すかも分からないし。
「侯爵様、このエプロンをどうぞ」
「これは君のものか?」
「?はい、そうですが」
「なるほど、彼女シャツというやつだな」
「なんですそれ?」
「王都の方で流行っている文化だ」
「最先端の文化かあ……神秘ですね」
侯爵はエプロンを受け取ると、小さめなそれを着てぎゅっと後ろで紐を縛った。
に、似合わない。似合わないけれど、自分で着せておいてそう言うのは失礼すぎるのでちょっとやめよう。
「では料理を開始する」
なんだその任務開始みたいなかしこまった言い方。
「人参と芋を刻むので、君はチーズを削ってくれ」
「了解です」
彼の料理は意外に手早かった。さっさっさと人参や芋を刻む。包丁捌きは拙い所があまりなく、多少のぎこちなさはありながらも下手というレベルには届かない。
緑の葉物、鶏肉は小さく切って煮込んで柔らかく。私はその横でチーズを包丁で削ってチーズスープに混ぜ込む準備をしていく。
その途中で。指を切った。
「あっ。あー……」
「舐めるぞ」
一瞬でフラグを折りに来るそのスタイル、逆にすがすがしい。
もっとそういうのは甘い雰囲気で申し出るものではないのか。決然としたこのチャンスを逃すまいという顔ではなくて。
「舐めなくていいです!!」
「では吸う」
「吸わなくていいです!」
「接吻……?」
「目的が変わってますね?」
じりじり。壁に追い詰められて、私は侯爵が随分と距離を詰めてきている事に気がついた。エプロン姿で。ちょっと笑ってしまいそうになるのだけれど、状況的にはまるで笑えない。 そうだ。よく考えたら私は、知らない男の人を自分の家に連れ込んだのだ。しかも何の警戒もなく。相手は私が好きだと断言していて、こんなにも体格差があって、力ではどうあがいても抵抗できないのに。
壁に背中が着く。指を片手で隠して首を振っても、離れてくれない。
「ち、近いので、離れて、」
「無理だ」
「どうしてです?」
「あまりにエリザベート、君がいい匂いがするので」
「……チーズの匂いじゃないですか?」
「チーズだったか」
そういう事にしたい。
「なので、とにかく、離れてください」
「離れたら俺を嫌わないのか」
「……いや別にくっついてても嫌わないですけど……」
「じゃあ舐めるぞ」
「やめ、」
「ではキスをする」
「……え、」
唇の距離が。知らない間に、零に、なりそうで、私は。