第三話 材料5000シルバー、思い出0ゴールド 侯爵side
侯爵side
押し寄せてきた令嬢たちから守ってくれた俺の聖女は、昔に増して輝いて見えた。
あの頃も、今も、私、否心の中では俺と未だに言ってしまうが、俺が信じられるものは金と、――そして彼女だけだ。
あの時は戦場で、純粋に善意だけで駆け回り、多くの怪我人を癒やしていた、彼女。金も出ないのに何故と、商人の息子であった俺は思ったものだった。何も得することはないのに。貰えるのはただ単に、感謝の言葉程度。それだってもらったら消えてしまう程度のもので、何か形が残るわけでもないのに。
その後、実はもう一度だけ会ったことがあるのだが、彼女はそれを覚えていないだろう。俺だと認識できていない可能性の方が高い。
「わあ、高いねえ、すごいねえ」
今は純粋に、白銀の竜と共にいられることを喜んでいるのか、彼女はしきりに竜の首を撫でては何事か話しかけていた。俺にしきりに礼を言ってくるが、彼女の笑顔を近くで見られるだけで嬉しいのだから金など大した問題ではない。
「楽しそうだな」
「えっ?そうでしたか?」
「ああ、とても。そんなにこの竜と仲が良かったのか?」
「フルールと呼んであげて下さい。ええ、それはもう。わたしがおしめが取れない事から、この子は私と遊んでくれて。ふふ、可愛いなあ……目も鱗も本当に綺麗だよ、フルール。最高にかわいいよ」
「………」
別に妬いたわけではないが。
後ろからそっと抱きしめると、彼女は大げさにびくんと体を跳ねさせた後で恐る恐る俺の方を見た。
「あ、あああああの……」
あ、可愛い。なんて思う。俺の聖女はなんて可愛いんだ。その飾らない所、こうしてふとした時に見せる少女らしい恥じらい。否、今年で幾つなんだったか?正直よく知らないのだが、彼女は永遠の乙女に思える。永遠の幼女でも、永遠の老婆でも愛する自信はあるが。
「もう少し、俺にも目を向けてくれ」
「向けてます!」
「フルールばかりずるいのだが」
「いや、だってフルールは特別というか……」
「私だってもっと君の笑顔が見たい」
「へぁっ……」
「どうした、変な声を出して」
「いやあ……セルジュ侯爵に皆が骨抜きになるのも分かるなあと思いまして」
俺は君一人を骨抜きにしたいのにどうにも彼女は分かってない。
そんな事を思いながら、俺はもう一度手綱を握る彼女を後ろから抱きしめた。どきどきと心臓の音まで伝わってくる。
こんなに近くにいて、抱きしめても許してくれて、幸せな気分をくれる彼女に、もっと投資をするべきだろうと俺は思う。金を出さずしてつなぎ止められるものなんて、この世に一つもないのだから。
*
彼女の言う、『近くの市場』はとても賑わっていた。
この辺りの山岳の村のあちこちから果物が集まり、遠くから海の幸や工芸品がやってくるという人々が集まる場所なのだという。
王都の方では珍しい格好をした人々や、時折これは民族衣装だろうかという服を纏った人間も歩いている。この辺りから少し離れた所には草原があるらしく、そこにいる部族の人々もヤギなどの乳を持ってきているという事だ。
「随分と広いな」
「ええ。この辺りは交流の市ですからね、それで、何を作られる予定なんです?」
「そうだな……牧場地を持つ村も多いのなら、チーズスープ等にしてみようか」
「チーズスープ!侯爵様の趣味としては意外ですね?」
「勿論君が好きそうなものを選んだのだが?」
「はひ……」
「どうした、変な声を出して」
「セルジュ様ってずるい人ですよね」
「いけなかったか……?」
「大型犬みたいにすぐになるのもずるいと思います!」
どうやら彼女は俺がしゅんとすると弱いらしい。積極的にしゅんとしていこうと思う。
さて、ここからが腕の見せ所だ。
如何に高級な食材を手にし、如何に彼女の胃袋を掴むか。そう、これは作戦だ。
彼女は俺の事を忘れていたと言った。父が公爵に上り詰め、俺はその息子として侯爵の地位を授かった。宮廷にも顔を出し、数多くの女性が俺の事を好きでいてくれる有り難い状況も手に入れる事ができた。基本的にそれらはひとえに金の力なのだが、彼女にはその魅力が今ひとつ通じていないような気がする。
最初のインパクトが大事だろうと思って城を贈ったのに、素敵!となるどころか卒倒しそうな勢いで節約を促してきたぐらいでもあるし。
なので、胃袋をまずは掴んで好きになってもらおうと思う。
「チーズはどの辺りで売っていると思う?」
「うーん、乳製品市場だから……あっちの赤いテントの方ですかね?あれは草原の民のエブナ民族の人たちの商品なんです。クリームから、チーズまで売ってますよ。牛のもヤギのも羊のも」
「ヤギや羊のものは癖が強いだろう、君は好きか?」
「私はそこそこ食べますが、一番好きなのはやっぱり牛ですね」
「では牛にしよう。一番良い牛を買い取り、ミルクを絞る」
「節約!」
出鼻をくじかれてしまった。
二人で連れ立って市を歩く。俺の方はフードを被っているのでただの不審者だが、彼女の方はあちこちから積極的に声を掛けられていた。民間から出た聖女称号の授与者だ、流石エリザベート・スカーレット。俺の未来の嫁だ。……頑張って嫁にしたい。
頑張って嫁にしたいので、チーズを作る最高の職人を雇おうとしたり、最高の農家の店を丸ごと買い取ろうとしたが、悉く阻止される。
「何故さっきから私の買い物を邪魔するんだ」
「い、いやあの、目の前で巨額のお金を使われる所を見ると動悸息切れめまいが」
「何だと。何故早く言わない!」
それならもうちょっと額を控えたのに。
四桁はやめて三桁程度にしたのに。俺の聖女は慎み深すぎて困る。結構びしばし突っ込みを入れられても、慎み深いと思う錯覚をやめられない。
「とにかく!お金は適度に!分かりましたか?」
「分かった。気をつけよう」
「うんうん、いい子ですね……はっ、あ、いや、今のは村の子たちにしているのをちょっと間違えて」
「いい子……」
いい子。
彼女にいいこと言って貰えるなら、節約も悪くないかもしれない……なんて俺は少しだけ思ってしまった。我ながら骨抜きだと思う。無償の善意で数多くの人を救う事ができる聖女を前にして骨抜きにならない男なんているのだろうか。
買い物をして、一度彼女と共に竜へと荷物を運んだ。
なんだか随分と少ない金額で収まった気がする。彼女も途中からは、値切り交渉に参加していたし、怒られることもなかった。
「荷物は俺が持とう」
「あ、いいえわたしが!ほら、侯爵様にこんなことさせるわけには」
「俺が持ちたいんだ」
「あ」
「なんだ?」
「今、俺、って」
「……あ、す、すまない。私、だ」
「へへ。……いいんですよ、俺、で。婚約とか、今はまだ分かりませんけど……でもほら、わたしと貴方は友達なんでしょう?かしこまらないでください」
はにかんだようにへらっと笑ってみせるその笑顔。
あの日、戦場で見たあの日の笑顔と重なって、胸が詰まった。彼女は、誰にでも善意を向ける。無償の善意を。見返りを求めない感情を。それが、どれだけ尊いことなのか、エリザベートは理解していないだろうし、これから先だって理解しないだろう。そういう彼女だから、こんなにも好きになった。八年間ずっと忘れられなかった。金だけが全ての世界で生きていたから。思い出も、愛も、身分も、全て金で買う世界で。
「……俺は、君に何も払わなくて、いいんだろうか」
「いいんですよ!」
ぱっと、彼女は笑って俺の手を取る。この温もりだけで、何ゴールドの価値があるだろう。
「お買い物、一緒にして楽しかったですから。その気持ちだけで、十分です!」
彼女は笑う。
俺もまた、それに釣られて微笑んだ。彼女の胃袋を掴んで夢中になってもらおうだとか、そういった打算的な気持ちは、今はすみっこに押しやって。
竜の上に乗って飛んで城まで戻る間に、ちゃんと思い出しておくから。
「ところで、料理の材料の金額はいくらになった?」
「5000シルバーですね!」
「ゴールドに届いてない、だと……それで何か買えたのか?」
「今買い物したこと忘れてないですか?」