第二話 白銀の竜1100万ゴールド
この辺りは極めて交通の便が悪い。そういえばこの人、どうやってここまで来たのだろうと私は今更ながらに疑問を抱いた。
「あの、侯爵様」
「なんだ、俺の嫁」
「結婚していないのにその呼び方はちょっと……」
「式場を買い取ればいいのか?」
「だからそうやってぽんとお金を出そうとしないでください!節約して下さい!」
「え……何故……?」
本当だめな金銭感覚してるなこの人……。
そう思いながら話を戻そうと努力する。金髪で青い瞳のド天然のボケに乗らない、と心の中で三回くらい唱える。彼のボケに付き合っていたら会話が幾ら尺があっても進まない。
「あの、侯爵様。……この辺り、ものすごく交通の便が悪いと思うのですが、どうやってここまでいらしたのです?」
「ああ……歩いてきた」
「徒歩!?」
「馬車を適当に買おうと思ったのだが、隣村には馬車がなくてな。竜を買おうとしたら、その距離なら歩け軟弱者と怒られて」
大型犬のように侯爵はしゅんとしてみせる。
隣の村の竜飼いのジョンおじいちゃん、偏屈だからなあ。それにしても凄い健脚だ。隣の村からここまで軽く山一つ分はあるのに、それを歩いてきたとは。侯爵様とは思えない体力を感じさせる。
「この村の竜飼いのおばあちゃんは優しいですから、きっと乗せてくれますよ。そもそも隣村じゃなくて、隣町までならそこそこ遠いですし」
「隣町には、山を幾つ越えるのだ?」
「隣町は四つほどですね……だから、この辺りの山脈の村では、竜が必須なんです」
「ほう、なるほど。興味深いな、王都の辺りは皆馬を使っている」
「馬ですか?この辺りでは使い物になりませんね……」
「色々な文化があるのだな、興味深い。この村を買い取れば君ごと手に入るのでは……?」
「だから直ぐなんでも買い取ろうとするのやめましょう!?」
「紙を出して興味のあるものが手に入るのなら安いのではないか?紙の原価は2ゴールドほどだぞ?」
混乱してきた。
原価が2ゴールドだけどお金自体は2ゴールドではないのであって……。
考えるのをやめる。思考をなるべく停止して、緑の深い森の中をかき分けて進み始める。そうすると、侯爵様は素直なのか何なのか直ぐに後にくっついてきて、二人で森の中を行進して数分で、小さな村が見えた。
その辺りで、侯爵にはマントを被ってもらった。何せ女性たちにとんでもない人気を誇るセルジュ侯爵だ。正体がばれたらでかけるどころではない、女性たちが群がってきて恐らく一巻の終わりである。
「そこまで気を遣わなくてもいいのではないか?」
「だめです、侯爵様。侯爵様には村の娘たちは皆憧れているんですから……アイドルなのを自覚して下さい」
「はあ……」
無理矢理フードをかぶせて、準備完了だ。
いざと村の中へ踏み込むと、芳香が漂ってきて表情を緩めた。
カレンジ村。甘い赤い実が有名な小さな小さな村だ。この季節では、村のあちこちにあるカレンジの木には白い花が咲いていて、甘い香りが村の中に満ちている。
「おお、エリザベートじゃないか。聖女様が村にやってくるなんて珍しいねえ」
通りすがりの村人に親しげな声をかけられて、エリザベートはちょっとはにかんでみせた。「ええ、ちょっと隣町に買い出しに。今日竜飼いのベルナデッタおばあちゃんはお店やってるかしら?」
「ああ、ばあさんならさっき店に戻った所だよ。そういや沢山お客さんが今日来てるって忙しそうだったな」
「あら、おばあちゃん忙しいの?それは大変……お手伝いいるかな?」
「聖女様が手伝ってやるような事じゃないよ!さ、用事があるなら急いでいくといい、ばあさんが疲れてぶっ倒れる前にな!」
「ありがとうおじさん!」
手を振って、別れる。こんな小さな村に沢山お客さん。珍しい事もあるものだ。
竜飼いの家は、大体村の中で一段高い丘の上にあると相場が決まっている。そこから竜を飛び立たせるのだ。最も敷地が広く、最も高い場所に住む。村の中でも権力者がなる職業、それが竜飼いである。
ベルナデッタ夫人も例に漏れず、この辺りの地主の妻であるのだが、本人は竜が好きらしくさっぱり偉ぶった様子を見せない気持ちのいい女性だった。と私は記憶をさらって思い出――しながら、彼女の家の丘の上まで二人でやってきたのだが……。
「……おや、あれは。知っている顔が多いな。何処のご令嬢たちだったか」
竜飼いの家は何故か複数人のご令嬢で賑わっていた。
昼間になると同時に、後ろの方では昼のささやかな売り場が開かれて農家の娘たちがやってくる。ちらちらと侯爵のマントの下を通りすがり際に盗み見たり、あからさまにじろじろ見たりする女性たちが増えていた。
まさに前門の虎、後門の狼。セルジュ=ドゥ=レインワーズ侯爵といえば、以前女学校に講演にいった折りに囲みが突き破られ、女生徒が大暴走したという逸話の持ち主なので、この状況はまずい。エリザベートはとりあえず、素早く侯爵を引っ張って竜飼いの家の裏手に回り込んだ。竜が飼われている牧場だ。
「あの、私はおばあちゃんと顔見知りなので。ここで侯爵様が、好きな子を選んでいただければ私がお金を払ってきますから、それで飛んでいきましょう」
「そうか。では……」
彼はのんびりと草を食べる竜たちを物色する。緑色のなめし皮のような鱗を持つ竜、真っ赤なルビーの如き光沢を放つ竜、そして一番奥で――まだ若そうな、銀色の美しい竜が此方を興味深そうに見ていた。
「あれはアルビ種ですね。鱗が銀、目が赤い品種なのですが、滅多に人に慣れないんです」
「さっきからエリザベートの事を好ましそうに見ているが」
「私とあの子は幼なじみなので……」
「ほう?」
「小さい頃からよく遊ばせてもらいました。最も、いつもちょっとしか触らせてもらえなかったので、仲良しだなんて向こうは思っていないのかもしれないんですけど……」
「そんなことあるかね」
不意にだみ声が響いて、私は振り返った。
ベルナデッタ夫人が、紫の上等な服を着て立っていた。ふっとい腕と丸太のような体の夫人だが、笑顔は気が良くて優しそうだった。
「あんたにこれだけ懐いてて、報酬さえ払ってもらえりゃあんたにやりたいくらいだよ、エリザベート。あれは気難しくてね、あたしにも懐きゃしない。ところでそっちの美丈夫さんはどなただい?」
「あ、ええと、こちら昨日私の家に訪ねてこられた……」
「エリザベートの婚約者だ。よろしく頼む」
突然爆弾をぶちこんでくるこの侯爵様、ずるい。
「違います」
「照れているのだな」
「違います!」
「なんだか知らないが仲が良くて何よりだねえ」
けたけたとベルナデッタが笑ったところで、貴族のご令嬢たちがこっちにわらわらとやってくるのが見えて、私はどうしようもなく動揺した。当の侯爵様だけは平気そうな顔だが、此方は全然平気ではない。
「あ、あの、あのお客様たちは?」
「ああ、竜飼いの見学に来たのさ。王都が組んだ文化旅行とやらの参加者さ」
それはそれは、随分なタイミングが重なってしまったものだ。
「で、竜を借りるんだろう?あんたは常連だ、エリザベート。まけとくよ。えーと、110カッパーだね」
「あ、はあい……」
課せられたミッションは二つあった。
素早く110カッパーを払い、侯爵に財布を出させないこと。後ろの貴族のお嬢様たちに、この長身の青年が誰だか気づかせないこと。布を被ってまできゃーきゃー言われている人の素顔なんて見せたら、何が起きるか分からない。
結論から言うと。
どちらも失敗した。
「ご婦人。この竜を、1100万ゴールドで買い取ろう。それで私の婚約者が、長年の幼なじみと一緒に過ごせるのなら安いものだ」
札束があっさり譲渡された。ベルナデッタ夫人が目を白黒させたまま、機械的な動きで今までに見たことがないような分厚さの札束を受け取る。どこに隠し持ってたんだそんなの。
それと同時に風が吹いた。
フードが、外れた。
「ぎゃあああああセルジュ様だわ!?セルジュ様よ!?」
「ちょっとセルジュ様ですって!?わたくしが先よ!」
「ああんセルジュ様こっち向いて-!ウインクして!」
「ウインクですって!?投げキスをねだりなさいよ!?」
「あなたの妻ですセルジュ様!結婚して!」
「すまない、私の妻はここにいるので」
肩に両手が置かれる。
沈黙が満ちた。ぐおおおぎゃあああなんて令嬢に似つかわしくないような怒号が上がったので、慌てて奥まで走って白銀の竜――フルールの背中に飛び乗った。
「お早く、侯爵様!!」
手を伸ばして侯爵を捕まえる。
「ちょっとあの子誰よ!?」
「知らないわよ!あの庶民のちんちくりん!誰!?」
「妻って何!?いつの間に結婚なされてたの!?」
会話をしながらなだれ込んでくるとかいう器用な事をする令嬢たちをなるべく傷つけないように高度を保ちながら、白銀の竜は二人を乗せて宙へと舞った。